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「ロビン!!どうしたんだ!!知ってるのか!?こいつのこと!!」


 表情を恐怖に強張らせ、男から目を離せずにいるロビンにルフィが問うが、荒く乱れた呼吸を繰り返す彼女は答えない。代わりに、男の方が「……昔…ちょっとなぁ……」と言葉を返した。

 そのとき、ロビンの前に音もなく現れた白が男の視線を断った。真っ白な燕尾服をまとったそれが白手袋に覆われた両手の指の間に鋭い針を挟んでいつでも放てるよう構え、愛嬌があるようで間の抜けた猫を模した被り物の顔を男に据える。かつては敵だった、今は麦わらの一味である仲間を背に庇う白い人間に、前後の2人が目を瞠った。






† 青雉 2 †






「お前…いや、まさか……あー、なぁ、そこの白いの。顔を見せてもらえるか」

「断る」


 眉を寄せてロビンからクオンへ意識を据えた男の頼みを、クオンはすげなく切り捨てた。
 被り物越しの低くくぐもった声は抑揚を削いで感情を窺わせない。淡々と聞こえる低い返しに、男は静かに目を細めた。


変わらねぇな・・・・・・、雪狗」


 男の言葉に、麦わらの一味が目を見開く。
 クオンを知っているのか。“雪狗”を、知っているのか。ならば、まさか─── そう誰もが思ってさらに殺気立つ面々を順に一瞥し、最後に白い痩躯から僅かに覗くロビンを見て、軽く首を傾けた。


「いや……変わったのか?ああ、変わったんだな、お前………そうか、あー……本当に海賊の仲間になってたのか」


 ポケットに突っ込んでいた手を片方出し、心底参ったように、あるいは呆れたように、もしくは困ったように、どこか安堵したような色をにじませて、何とも複雑な顔で男は頭を掻いた。視線を宙に向け、ふいに妙案を思いついたようでぽんと手の平を拳で軽く叩く。


「よし、見なかったことにするか」

「少しはやる気を見せなさいあなたは」

「うわっ気持ち悪い。悪いがおれに敬語を使う雪狗は解釈違いのド地雷だ」


 ぶっ飛ばすぞ。クオンの鈍色が冷酷に据わった。言葉通り心底気持ち悪そうに顔を歪めて無理無理生理的に無理やっぱお前雪狗じゃねぇなと手と首を振る男に過去の自分がどう対応してきたのかは何となく察せたが、だからといってそこまで言われるほどのものだろうか。まったくもって失礼な。
 被り物の下でむくれながら鋼の気配が滲む殺気を放つクオンから視線を外し、男は再びルフィ達を軽く見回して敵意も戦意もないと示すように肩をすくめた。


「まーまー、そう殺気立つなよ兄ちゃん達……別に指令を受けて来たんじゃねえんだ。天気が良いんで、ちょっと散歩がてら……」

「指令だと?何の組織だ!!」


 男ののんびりとした言葉に、男の正体に予想がつきながらもゾロが鋭く問う。それに答えを返したのは、いまだ顔色の悪いロビンだった。


「海兵よ。海軍本部、“大将”青雉」

「大将!!??」


 想定外の地位の人物に、ぎょっとした声がいくつも重なる。クオンは叫ばなかった。今もロビンを庇いながら油断なく男を窺い、海軍本部大将がどれほどのものかあまり予想がついていない麦わらの一味のためにロビンが紡ぐ説明を聞く。

 海軍の中でも“大将”の肩書を持つ将校は僅か3人。
 赤犬、青雉、黄猿。その上には海軍トップのセンゴク元帥が君臨している。世界政府の“最高戦力”と呼ばれる3人の内のひとりが、目の前のやる気のなさそうな男だ。


「何でそんな奴がここにいるんだよ!…もっと何億とかいう大海賊を相手にすりゃいいだろ!ど…どっか行けーっ!!」


 ゾロの後ろに隠れながらも青雉相手にウソップが勇敢にも声を張り上げる。
 しかし───


「あららら、こっちにも悩殺スーパーボイン! 今夜暇?」

「何やってんだノッポコラァ!!!」

「話を聞けオラァ!!!」

「ナミ、こちらにおいでなさい」

クオン~!」


 マイペースにナミに粉をかける青雉にサンジとウソップがブチ切れて怒鳴り、青雉に針を数本放ったクオンがナミを呼び寄せる。青雉に声をかけられて引いていたナミはダッシュでクオンの後ろに隠れてほっと息をついた。そうして、へたりこんだままのロビンにナミが寄り添い、2人を護るようにして針を携えたクオンが佇む。
 違わず急所に投げつけた針を苦もなく受け止めて放り捨てる青雉が感情の窺えない目でクオンを見下ろし、ふと思い出したように瞬きひとつ。


「お前もツラは死ぬほどよかったよなァ」

クオン下がれ」

クオン絶対ェ出てくんなよ!」

クオンはここで大人しくしてて!」

「他人に過保護にされてる雪狗も解釈違いなんだが」

「うるさいですよ大人しく本人公式を認めて受け入れなさい」


 嫌そうな顔をする青雉にぴしゃりとクオンが言い返すが、ルフィとゾロとサンジの後ろに隠れるウソップのさらに後ろで草の上に座り込んだナミに被り物ごと頭を抱きしめられロビンに寄り添われた状態での発言だったために、どうにも緊張感が足りない。
 クオンはナミの腕を軽く叩いて離すよう促したが彼女の腕の力は逆に強まり、次いで「絶対に、渡さない」と低い呟きが落ちてきた。
 青雉に雪狗の回収とロビンの捕縛の意思はあまりなさそうだからそう心配しなくとも、とは思ったが、ナミの心配を無下にすることもできずにクオンは力を抜いて大人しくすることにした。
 青雉が張り詰めた空気を放つ麦わらの一味を見下ろして何の意図もないと言うように両手を上げる。


「ちょっと待ちなさいお前ら、まったく……まぁ雪狗が関わればそうなるのは仕方がないか」


 お前ら・・・はそういうものだからなぁ、と重いため息をついて青雉が続ける。


「おれァ散歩に来ただけだっつってんじゃないの。カッカするな。大体お前らアレだよほら…! ─── 忘れた、もういいや」

「「話の内容ぐだぐだかお前!!!」」


 頭を掻きながら何か言おうとして続く言葉が分からなくなった青雉が面倒そうにそう言い、サンジとウソップが声を揃えてツッコむ。クオンは被り物の額に手を当てた。本当に、この男は変わら・・・ない・・─── そう、何の疑問もなく思って呆れまじりの息を吐き出した。


「何なんだこいつ…!!おいロビン!人違いじゃねぇのか!!こんな奴が海軍の“大将”なわけがねぇ!」

「おいおい、そうやってひとを見かけで判断するな」


 海軍本部大将には到底見えない青雉に眉を吊り上げてウソップが言い、青雉は正論を口にしてしかつめらしい顔をした。


「おれの海兵としてのモットーは、『ダラけきった正義』だ」

「「見かけ通りだよ!!!」」


 サンジとウソップの鋭いツッコミが小気味良く響く。
 青雉は「─── とにかくまぁ…ああちょっと失礼…立ってんのも疲れた…」と、おもむろに草の上に腰を下ろして小脇に抱えていた上着を枕に長身を横たえた。そのまま話を続ける青雉曰く、麦わらの一味を捕まえる気はなく、アラバスタ事後消えたニコ・ロビンの消息と行方不明だった雪狗の確認をしに来ただけらしい。本当にやる気のない海軍本部大将の姿にサンジが呆れ、ふてぶてしさはある意味大将だとウソップがいっそ感心する。


「雪狗は……見なかったことにするか。居合わせた麦わらの一味の中に姿が見えなかったから、最初からいなかったか、どこかの島で離れたんだろうよ」


 言って、目を背けるように青雉が瞼を下ろす。ふむ?とクオンは目を眇めると再度ナミの腕を撫でるようにして叩いた。青雉に対する警戒は完全に消えていないものの、そろそろとナミの細腕が離れていく。クオンは優しくナミの頭を撫でて腰を上げた。一歩前に出て再びナミとロビンを後ろに庇うクオンが見下ろす先で瞼を開けないまま青雉がひとりごちる。


「これはただの寝言なんだが……政府にとって雪狗の回収は絶対だ。が、どうにもおれの目には雪狗の姿は映りにくいようでな、目の前にいてもなかなか気づかねぇ。それにアラバスタで見つかった雪狗は、2年前と瞳の色が違う上に敬語を使う執事みたいな奴だと聞く」


 一拍間を置いて、青雉は「そんなのが雪狗なわけがあるか」と眉間に深いしわを刻んだ。瓜二つの別人だと言われた方が納得できる、と。そんなに…?と思わずクオンが麦わらの一味で唯一雪狗を見たことがあるロビンに顔を向けると、ロビンは硬い表情に困ったような色を浮かべた。
 否定はしない。つまりはそういうことで、クオンは過去の自分を思って生ぬるい目をした。今の自分から見ても、僅かな情報だけで察せられるほど以前の自分は随分と物騒で危うい生き方をしている。本当に何を思って海軍になど身を置いていたのだろうか。
 内心盛大に首を傾げるクオンを置いて、青雉は愚痴混じりのひとり言を続ける。


「万が一お前が本当に雪狗だとしても、捕まえるとなれば面倒が過ぎる。雪狗本人もそうだが、その後ろの…周りもか?必ずそっちにも飛び火する…………あー、考えたくねぇ」


 想像しただけでげんなりした様子を隠さず、青雉は脳裏に浮かべてしまった何かを振り払うようにゆるくかぶりを振った。薄く開いた瞼から覗く瞳はクオンを一瞥もしない。


出荷・・前に雪狗が脱走するだろうってのは上の連中ほど予想がついていたことだから驚きはねぇが、記憶喪失とはな…そりゃ見つからないはず、だ……、…………いや…まさか…」


 言いさして、ふと瞬いた青雉は何かに思い至った瞬間ものすごく嫌そうな顔をした。うげぇ、と顔を歪めて声なく呻く。思わずクオンの方を見た青雉と被り物越しに目を合わせ、彼が紡いだ不穏な単語を訝しんでいたクオンが何ですかその顔は失礼ですねと言いたげに半眼で見返した。
 スッと青雉の顔から表情が消える。考えてしまったことやそれに伴う諸々の面倒くささが極まって思考を止め、クオンから視線を外すと再び無気力に麦わらの一味を眺め渡して話題を変えた。


「本部にはニコ・ロビンの報告くらいはしようと思う。賞金首が1人加わったら総合賞金額トータルバウンティが……変わってくるもんな。1億と6千万と…7千900万を足して…─── 分からねぇが、ま、ボチボチだ」

「しろよ計算」


 海軍本部大将というにはあまりにもやる気のないだらけきった態度に、さすがのゾロも思わずツッコみ、青雉につられて気が抜けたようで腰の刀に添えていた手が離れた。
 何となく張り詰めていた空気がゆるみを通り越してだらけてきた、そのとき。今まで大人しくしていたはずの船長の怒声が轟いた。


「ゴムゴムのぉ~~~!!!」

「ちょっと待て待てルフィ、ストップ!!スト~~~~~ップ!!!」

「ん?」

「おや?」


 拳を構えて闘気を剥き出しに青雉へと攻撃を仕掛けようとするルフィを慌ててウソップとサンジが止める。仲間を無理やりに振り払うことはできずに離せお前ら!と怒鳴るルフィを分かりましたと離すはずもなく、「こっちからフッかけてどうすんだ!」「相手は最強の海兵だぞ!!」とウソップとサンジが説得するが、ルフィは納得する様子がなかった。


「それが何だ!!だったらクオンとロビンを黙って渡すのか!!」

「いやだから、何もしねぇって言ってるじゃねぇか……特に雪狗は頼まれても回収したくねぇよ……」


 ブッ飛ばしてやる!!とやる気満々の海賊の船長に敵意を向けられても寝転んだまま手で制すだけで、呆れと本音の言葉をかける青雉にクオンは軽く肩をすくめた。


「申し訳ございません、青雉殿。ルフィはデービーバックファイトを終えたばかりで少々気が立ちやすくなっているのです。どうぞご容赦を」

「………………お前わざとだろ」

「ははははは」


 意識して慇懃な口調で非礼を詫びればメンタル攻撃は存外効いたようで、青雉の顔色は心なしか悪い。被り物越しに淡々とした笑声をこぼすクオンに深いため息をつくとさらにぐったりと脱力しきって「そういうところは変わってねぇのがたち悪いな」とぼやいた。

 2人が和やかな会話をしている間もわーぎゃーと騒ぐ船長をロビンが呆然と見つめる様子をクオンは横目に一瞥し、青雉にお引き取り願うためにもとりあえずまずはルフィを落ち着かせようかと、我が船長へ被り物の顔を向けた。







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