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「これでよし!!」


 そう言って描き終えたルフィのフォクシー海賊団の新しいマークは、何と言うか、一周回って独創的で前衛的な、…………まぁ、モチーフは同じですね、と思ってしまうほどのものだった。
 凄まじい出来にフォクシー海賊団が全員膝から崩れ落ち、ショックのあまり声も出せずに最悪だ、と絶叫した彼らの嘆きをクオンは何となく読み取って苦笑する。ずずー…んと沈む彼らに、しかしルフィは嬉しそうに笑った。


「めちゃめちゃ感謝されてる」

『してねぇよ!!!』


 声を揃えてツッコみ元気を取り戻した面々を一瞥して、クオンは最後にもう一回ぎゅっとさせて~と追いかけてくるポルチェから逃げ回っていたチョッパーが「クオン~~~!!!」と飛びついてくるのを、両腕を広げて迎え入れた。






† 青雉 1 †






『勝者!!麦わらの一味!!デービーバックファイト、これにて閉会~~~!!』


 空砲と共に高らかに響き渡ったイトミミズの宣言により、海賊のゲームは幕を下ろした。
 メリー号を封鎖するフォクシー海賊団のキツネの手を模した錨が外れ、敵の海賊船がゆっくりと岸を離れていく。
 岸に残った麦わらの一味に背を向ける海賊船の甲板から、フォクシーが「…おい!麦わらァ!」とふいに叫んだ。全員の目がそちらに向く。


「おーぼーえーてーろ~!!!」

「どこまで面白いんだあいつら」

「んっふふふ」


 最後の最後まで愉快なフォクシーにゾロが呆れたようにこぼし、クオンもまた被り物の下で小さく噴き出して笑った。


「……」


 面倒ではあったが愉快で賑やかなフォクシー海賊団の姿も遠く見えなくなった頃。
 奪った海賊旗を小脇に抱えたルフィが無言でくるりと踵を返して歩き出すのを見て、クルーは一度顔を見合わせたものの、何も言うことなく全員でルフィについていく。

 目的地があるらしいルフィのあとに続きながら、クオンはふとくらりと脳が揺れて被り物の額を押さえた。何度も瞬きをしてかすむ視界を払う。小さく息をついて顔を上げれば、顔だけを振り向かせたゾロと目が合った。
 ふ、と笑みをこぼし足早に歩を進めて隣に並ぶ。ゾロが落としてくれた歩調に合わせ、ゆっくりとした足取りで草原を踏みしめて無言で案じてくるゾロに大丈夫だと言うように手を振った。クオンの右肩で普段より高い体温を感じているハリーもまたひとつ頷き、そうしてようやくゾロの視線が外れた。


(熱は落ち着いています。このまま何事もなければ明日には下がるでしょう。今日はもう大人しくして、早めに就寝をして体を休めなければ)


 慣れてきたとはいえ、ずっとうるさかった、頭に響くフォクシー海賊団の大量の“声”も減り、解熱針によって少し下がりはしたがいまだ消えない熱に浮かされて若干意識がふわつくものの気分は悪くない。解毒剤の副作用か、断続的に頭痛がしているけれど無視できる程度だ。たまに起こる立ち眩みも許容範囲内だろう。
 ルフィが新しいマークを描いている間にこの症状もチョッパーに伝えていた。渋い顔をしながらも医者はこれ以上クオンに薬を打ちたくはない様子で、けれど症状がひどくなったら必ず言うようにと厳命した。そのときは素直に頷いたクオンだが、おそらくは自己申告するより先にクオンの様子を見逃す気がないゾロとハリーによって余すことなく医者に伝わるだろう。特にゾロはクオンが隠そうとしてもなぜか見抜いてしまう。本当によく見ている男だ。

 海岸から然程歩かず、遠目に大きな円形のテントのようなものと、その傍に蹲る馬と人の影が見えた。近づくにつれ大きくはっきりとしていくその姿にクオンはおやと目を瞬かせる。あれは確か、デービーバックファイトの最中にちらりと見た老人と簡素な台車に乗せられた白馬だ。馬の方は怪我でもしているのかと思いはしても特に気にとめてはいなかったが、この島の住民だったのか。白馬はキリンのように首が長く、時折視界をよぎる動植物が大抵縦横長かったのを見るにこの島の固有種のようだ。


「……ん?お前ら……」


 近づいてくる足音に気づいた老人が振り返る。ルフィは笑みを浮かべて老人に海賊旗を掲げてみせた。


「ブッ飛ばしてきた!」

「…………」


 老人は無言でフォクシー海賊団の海賊旗を一瞥し、すぐにルフィへ視線を戻すと「……随分と怪我をしてる」と呟く。だがルフィは「こんなの、いつもだ」と何てことないようににっと歯を見せて笑った。老人が何かを口にしようとして、しかしルフィの笑顔を見ると結局は口を噤み、代わりに頬をゆるませて眦を下げ万感の思いをこめたひと言を紡ぐ。


「ありがとうよ……」

「ヒヒーン」


 老人に傍らで白馬もまた相好をくずすと礼をこめたひと鳴きを上げ、ルフィはそれにしし、と満面の笑みを浮かべた。チョッパーがシェリーというらしい白馬に駆け寄って「もう一回手当し直そうな」と声をかけるのを見て、成程とクオンは合点がいったように内心で頷いた。

 彼らと仲良くなったルフィ達だったが、突如現れたフォクシーにシェリーを傷つけられたのだろう。だから申し込まれた決闘を受けたのだ。とてもルフィらしい。被り物の下でやわらかな笑みを浮かべるクオンと同じようにナミも事情を察すると「成程ね」とほのかな笑みを見せた。


「─── その移動しちゃった村へ私達が連れてってあげられればいいんだけど」


 チョッパーがシェリーの手当てをしている間に老人─── トンジットの話を聞いてナミがそう呟く。だがウソップが言うに、10個ある島はそもそも繋がったひとつの島であるため“記録ログ”がとれないらしい。ふむふむ成程、と胸中で頷いたクオンがひとつ瞬く。ルフィ達はトンジットとシェリーを気に入っていて、彼らが最短で仲間に会えるのは5年後、老人はまだまだ元気そうだがそれがずっと続くとは限らない。となれば、少しくらい手を貸してあげるのも悪くはないか。
 そう考えた瞬間。

 ぎろり、と。複数の鋭い視線が突き刺さった。


「…………」


 クオンは無言で上げかけた手を下ろした。
 一番強くて重く、刀を喉元に突きつけられているような圧を放つ隣の男とは決して目を合わせない。1音でも発すれば強制的に物理で言動を封じられると察したクオンはぴしっと直立不動の体勢を取った。サンジとナミとロビンが同時にゾロを見て「ちゃんと見てろよ」と無言の圧をかけ、横目に応じたゾロが無言で「当然だ」と返す。のを、何となく察したクオンは、過保護にしてはかなり物騒では…?と思いはしたもののやはり何も言えなかった。
 冷静に考えれば熱が出ている状態で反動のかかる能力を使ってトンジットとシェリーを3つ先の島に運ぶのはさすがに無茶だ。万全の体調ならばできなくもないが、それでも結構な摩耗を覚悟しなければならず、そこまで彼らのために身を削ってやる道理はさすがにない。うん、ちょっと熱のせいで思考が狂っていたようだ。そういうことにしよう。

 気配すらも消して大人しくゾロの隣に佇むクオンが何か言いかけたことには気づかず、トンジットは気遣ってくれたナミに笑って首を振った。


「いいんだ、そこまでやってもらうことはねぇ…おれ達は気が長ぇから大丈夫だ」


 それより、とトンジットは自分の家を示す。


「せっかく来たんだ。ウチへ入れ、もてなそう」

「もてなすもんねぇだろ、もうチーズはいいぞ!!」


 気心の知れた様子で返すウソップにトンジットが楽しそうに笑って出入口の方へと向かう。チョッパーはもう少しシェリーについているようで、トンジットについていくルフィとウソップのあとを追おうと歩を進めたゾロの隣でクオンは足を止めたまま首を傾げた。


「うーん……?」

「どうした」

「さっきからずっと……何でしょう、“声”が…聞こえるような…聞こえないような……」


 はっきりしない曖昧なクオンの言葉に、ゾロの顔が訝しげに歪む。クオンは柳眉をひそめると苛立たしげに短く唸った。
 トンジットとシェリーのもとへ向かっている途中から、何かの“声”が増えた気がした。それは辺りを徘徊する動物のものかと思っていたが、どうにもざわざわと胸が騒いで落ち着かない。嫌な予感にも似たものが全身にまとわりついて頭の奥で警鐘が鳴っていた。まさかトンジットが何かしてくるわけもない、トンジットの“声”はこちらへの友好を示している。

 では、これは何だ。何の“声”だ。いつもなら“声”の元は何となく読み取れるのに、熱に侵されているせいで感覚器が鈍麻して大雑把な位置すら判らなかった。ただ、ここにはいない“声”がある…気がする、という情報だけが伝わり得体の知れない胸騒ぎを起こしている。
 ますます深く首を傾げたクオンの視線の先で、家に入ろうとしたトンジットが何かにぶつかって「ぶ!!」とくぐもった声を上げる。思わずそちらに思考が逸れたクオンはその何かに視線を向け─── 瞬間、ぶわりと全身の毛を逆立てた。


(あれ、は)


 トンジットの倍はありそうな長身が目立つ、黒髪の癖毛をしたスーツ姿の男。アイマスクをして立ったまま寝ていたらしいそれが、「んん?」と眉を寄せて目を覚ますやアイマスクを取りながら胡乱げに呟いた。


「何だお前ら」

「おめぇが何だ!!!」


 不審なものを見る目で見下ろしてくる不審な男にルフィが全力でツッコむ。
 クオンはのんびりとしているようでまったく隙の見えない男を凝視したまま足を動かして身構え、無意識に腰に添えた左手で宙を撫でた。敵を前にした獣のように全身を緊張させたクオンがまとう雰囲気を一変させたことに目敏く気づいたゾロが腰の刀に手を添える。2対の鋭い視線には気づいているだろうに、男はまったく意に介した様子もなく平然としていた。


(あれは、あの男は─── そうだ、私はあれを、知っている)


 アイマスクを外してあらわになった素顔は、かつてクオンの傍にいた傭兵のひとりが「覚えておくといい」と言って見せてくれた複数の写真のひとつに写っていたものと同じだ。見覚えがある。けれどそれ以外にも、にじむ記憶の欠片が教えてくれるものがあった。

 なぜこんなところに。そう内心で唸って気配を逆立てるクオンの視界の端で、ふいに誰かが姿勢を揺らがせた。どさりと力なく座り込んだのは─── ロビン。
 いつもの穏やかな表情は微塵もなく、目を見開いて冷や汗をにじませる彼女の顔は蒼白で呼吸も荒い。小刻みに体が震えている。足が竦んで力が入らなくなったのか、それとも腰が抜けたのか。いずれにせよ、男がロビンに恐怖を与えているのは明らかだった。

 ただならぬ様子のロビンにルフィが血相を変えて彼女の名を呼び、ゾロが顔を強張らせて鯉口を切る。男から目を離さないままサンジが「どうしたロビンちゃん!」と声をかけるも、やはり彼女は何も答えられず男を見つめるだけで。
 ゾロとクオンに加えてルフィとサンジも視線を鋭くする。しかし男は平然とした気配をくずさずロビンを見下ろして口端を吊り上げた。


「……あららら、こりゃいい女になったな…ニコ・ロビン」


 海軍本部“大将”青雉の声ににじむ感慨深い響きが、張り詰めた空気を震わせた。







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