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「よく頑張りましたね、ルフィ」
ゾロのあぐらに腰を下ろした
クオンはフードの下でやわらかく微笑んだ。被り物を通さない素の声はいたわりに満ちて、体調が万全であれば膝枕をして頭を撫でてあげただろう甘さがにじんでいる。
あちこちに包帯を巻いたルフィを見れば、どれだけ必死に戦ってくれたのかがよく分かる。
仲間を奪われないために何度も何度も立ち上がってくれたのだろう。その姿を見逃したのは惜しいが、ルフィが敗けるはずがないとも分かっていたからあまり不満はなかった。
† デービーバックファイト 12 †
「ルフィは大丈夫なのですか?」
「うん。重傷だけど、命に別条はないよ。そんなに時間を置かずに目を覚ますはずさ」
笑顔で答える船医に嘘はない。よかった、と
クオンは安堵の息をゆるくついて、しかしルフィを見下ろしていたナミは
クオンを一瞥すると顰め面で口を開いた。
「
クオンもルフィも、心配ばっかりかけて…!!」
何がアフロパワーよ、と後半はルフィ個人に対してぼやき、すかさずサンジが「ナミさんアフロはすごいんだって」とフォローを入れて、そうか、アフロはすごいのか…と
クオンの常識が人知れずアップデートされた。
「あ!!気がついた」
意識が浮上したか、「ん…」と小さく呻いて目を開いたルフィは、途端がばっと身を起こすと慌てて周囲に視線を走らせた。
「あ…あれ!?ゲーム!ゲームは!?……おれ勝ったと思ったのに、夢か!?」
「大丈夫だ、勝ったよ」
まさか仲間を、と焦燥もあらわな船長にゾロが笑みを浮かべて静かに事実を告げる。と、安堵で全身から力が抜けたか、大の字で転がると大きく息を吐き出した。
「よかった……」
心の底から湧き出た、一片の偽りもない声音で紡がれた言葉に、仲間達の頬もゆるむ。
安心して観てたぞおれは、と言うウソップにサンジが嘘つけとツッコみ、
クオンのつむじに顎を置いたゾロが「考えたらこの船出て海賊やる理由はねぇんだおれは」と口元を歪め、
クオンは「頭蓋に響く……」と訴えて逃れようとしたが腹の辺りで組まれた手の身動きを許されずにさらに顎でぐりっとされた。地味に痛い。報復も兼ねてゾロの頬を両手で引っ張って抗議すればようやく顎が外れた。残念、もう少し触っていたかったのに。
「オヤビン!!」
「まだ動かねぇ方が…!」
向こうの仲間の声を背に麦わらの一味の方へ近づいてきたフォクシーに気づき、
クオンは瞬時にゾロの膝から下りて地面に片膝をつくと白いマントのフードを深く被って両手それぞれの指の間に針を挟み戦闘態勢を取った。同じくゾロも立ち上がり腰の刀に手をかけて鋭くフォクシーを睨みつけ、サンジもナミとロビンを背に庇っていつでも動けるよう身構え、ウソップはへっぴり腰ではあるが動けないルフィから離れない。
警戒もあらわに鋭い視線を向けられているというのに、ルフィ同様あちこちに包帯を巻いたフォクシーは真っ直ぐにルフィだけを見据えて低く唸った。
「おい麦わらァ……!!てめぇ、よくもおれの無敗伝説に泥を塗ってくれたな」
すわ一触即発、デービーバックファイトが終わりルール無用の戦闘でも始まるかと思われるほど空気が緊迫し─── フォクシーは、静かに右手を差し出した。
「天晴だ、ブラザー」
確かな感嘆のこもった声音に、上体を起こしたルフィがトレードマークの麦わら帽子を被って体ごとフォクシーに向き合う。
クオンは予想外の光景に瞬きひとつ、思わず警戒をゆるめた。座り込んだままフォクシーに右手を伸ばすルフィを眺める。2人の手が触れる─── その瞬間。
「でりゃ───!!“悔しまぎれ一本背負い”!!!」
ルフィの右手を掴んで叫んだ通り背負い投げをしようとしたフォクシーだったが、彼は大切なことを忘れている。そう、ルフィはゴムゴムの実を食べたゴム人間なのである。
伸びたルフィの腕ごと全力でガン!!と己の頭を地面に叩きつけたフォクシーに「バカかお前は」とゾロの辛辣なツッコミが飛び、苦笑した
クオンは手の中から針を消した。
さて、ルールはルール。
自身が敗けても潔く従い、フォクシーは「早ぇとこ選べ!誰が欲しいんだ!!」とルフィに問うた。
最後の取引の指名権はルフィにある。イトミミズが麦わらの一味が欲している船大工を数名紹介するのを聞き流し、
クオンはゆっくりと腰を伸ばすと膝についた草を払った。チョッパーの帽子から下りて白い痩躯を駆け上がり、右肩に落ち着いたハリーを指でくすぐる。
「海賊旗をくれ!!」
ルフィの笑みまじりの返答に、「何───!!?」とフォクシー海賊団が声を揃えて目を剥いた。サンジが慌ててお色気船大工はいいのかと自身の願望を隠さずにルフィへ詰め寄るが、ルフィは「欲しいものもらったら何のために決闘受けたんだか分かんなくなるもんな」と意に介さない。
その言葉に、そういえば、そもそもなぜルフィはデービーバックファイトを受けたのだろうと今更な疑問が浮かぶ。問答無用でメリー号の行く手を封鎖するような相手だからゲームを受けざるをえない状況にさせられただろうし、そうなればルフィなら受けるだろうと思って流していたのだが、あとで訊いてみてもいいかもしれない。
「…そんなバカな!迷わずおれ達の誇りを奪おうというのか!!」
さすがに顔色を悪くして声を上げるフォクシーに、ルフィが「いいよ帆は。それがねぇとお前ら航海できねぇだろ」と返す。それは確かにその通りで、なんて慈悲深い…!とフォクシー海賊団のクルーが言い、しかし他のクルーが「だが帆にもシンボルが入ってるんだ!もうあれを掲げるわけには…!!」と苦く顔を歪め、ルールはルールだとまた別のクルーが「情けは無用だ、奪うもんは奪ってもらうぞ!!」と自棄になったように叫んだ。
どよめき落ち着かないフォクシー海賊団を前に、ルフィが珍しく思慮深い顔をして少しばかりの沈黙を挟み再び口を開いた。
「……分かった。じゃあマークだけもらえばいいんだから、おれが上から新しいマークに描きかえてやるよ。そしたら帆まで取らなくてもいいだろ」
おや、と
クオンは深く被ったフードの下で鈍色を瞬かせた。その提案はフォクシー海賊団からしたらまさしく慈悲の塊のようなものだが、彼らはルフィの画力が底辺を這っているとは知らないのだ。一度双子岬でルフィの描いた麦わらの一味の“マーク”を見たことがある
クオンは、「麦わら……お前って奴ァ…!!」と震えて感動しているフォクシーをちらりと見やり、そっと唇に笑みを刷いて無言を貫くことにした。ウソップ達も口を噤んでいるから、それが正解なのだろう。
早速絵筆を手に取るルフィから視線を外し、
クオンはゾロを振り向いた。
「ところでゾロ、私の被り物は……」
「ああ、ほらよ」
クオンの言わんとしたことを察したゾロが腹巻からにゅっと被り物を取り出し、その質量保存の法則をガン無視した腹巻は何なんだ?と言いたげな顔をハリーはしたが、
クオンは特に気にすることなく両手で受け取った。
誰の視界にも映らないようゾロの陰に入ってフードを取り、手早く被り物を被る。上部には三角形が2つ、頬部分には左右対称に3本の線が、そして黒い2つの目とωな口元だけを描いた猫を模した被り物が人外じみた秀麗な顔を覆い隠した。ほっと
クオンが短く息をつく。
「さて……それではゾロ、少しお付き合いください」
被り物越しに低くくぐもった声で言い、ゾロの手を取った
クオンはフォクシー海賊団の方へと歩を進めた。繋がれた手から伝わる、いつもより高い体温に眉を寄せたゾロが訝しげにしながらも抵抗せずついていく。
「お前熱あるんだから大人しくしとけ」
「ええ、それはもちろん。ですが今のうちに回収しておかねば」
「何を」
短い問いに、
クオンは足を止めないままくるりと被り物の顔だけをゾロに向けた。にんまりとした笑みを被り物の下に描き、指で輪っかを作って示す。
「賭けの賞金」
のちに、ゾロは「あのときの
クオンはナミにそっくりだった」とため息まじりに語った。
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