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クオンが目を覚ましたとき、既にゲームは終わっていた。
起きたことに気づいたゾロが腕に抱えていた
クオンを優しく地面に降ろして説明する。
第3回戦はルフィが勝ち、今は気絶した彼を寝かせてチョッパーが治療をほどこし、目を覚ますのを待っている。
ちなみに客席は突貫工事で作られた急ごしらえのものだったのが原因なのか、海に沈んだフォクシーを助けようとフォクシー海賊団のクルーが一斉に前方へ集まったせいで重心が傾き、客席の足が折れて崩れてしまったようだ。
「あっちも何とか海から引き上げられて治療中だ。ゲームの取引はお互い目を覚ましてからだな」
激戦を制した満身創痍のルフィを見下ろしてふんふんと頷きつつふらりふらりと白い痩躯を揺らす
クオンの肩をゾロが支える。
クオンは肩に触れる手から腕を辿り、ゾロを半分閉じかけた目で見上げて、鈍色をゆっくりと瞬かせた。
† デービーバックファイト 11 †
目を合わせたまま何も言わない
クオンにゾロが怪訝そうに眉を寄せ、もしやどこか不調が出たのかと表情から手足の先まで観察するように視線を滑らせる。しかし特に異常は見られず、安堵をにじませて戻ってきた視線を
クオンは真っ向から受けとめた。
そうして、おもむろに両腕をゾロに向けて広げる。
「ん」
抱っこ。
無言の要求に、一瞬遅れて察したゾロは目を瞠ると額に手を当てて深いため息をついた。
クオンは断られるとは微塵も思わずに大人しく待った。ゾロが応えてくれると疑わない。
そしてその通り、ふぅともう一度ため息をついたゾロの手が肩から離れて背中に回り、反対の腕が膝裏を支えた。途端ぐんと高くなった視点に瞬き、いまだどこか夢心地のぼんやりとした意識で思う。
(─── 違う。ゾロは、■■■じゃない)
■■■が誰なのか、あるいは何なのか、記憶の欠片である夢から覚めた今では判然としないけれど、渇望する心は既に答えを得ていて静まっている。閉ざされた記憶が開かれれば■■■の正体も自ずと判るはずだから急がなくてもいい。
ただ、確かなのは。
ゾロと■■■は違う。ゾロは■■■じゃない。
ゾロと■■■に向ける愛は違い、向けられたい愛も違う。痛切に会いたいと願う思いは、空島でゾロと離れ離れになったときの焦がれた感情や理解しかけている恋しさに似て非なるもの。
違うと分かることが嬉しかった。やはり胸の内で育てているこの恋心は、ゾロだけのものだ。そして、ゾロが
クオンに向ける恋心も、
クオンだけのものなのだ。それがとても嬉しい。
薄い笑みを浮かべ、くったりと力を抜いて首元に懐いて脱力する
クオンを、ふと瞬いたゾロが険しい顔で見下ろした。
「……おい
クオン、お前熱上がってねぇか」
「え!?」
「ああ…だからどうにも、意識が朦朧と……」
ついでに起きたときから微妙に視界がかすんでいて、段々と物体の輪郭が曖昧になってきている。さらに言えば
クオンよりも少し高い体温をしているはずのゾロのぬくもりもあまり感じられず、つまりはそれほど体温が上がっているということで。成程納得、と
クオンは虚ろな目を細めて頷いた。
ゾロの呟きを聞き逃さなかったチョッパーが慌てて駆け寄ってくる。ピンクの帽子に乗ったハリーも心配そうで、
クオンを医者に診せるためにゾロが身を屈めた。
「
クオン、一旦降ろすぞ」
「やだ」
「………」
先程までの脱力ぶりが嘘のように素早くひっしと首に腕を回して抱きつき言動を一致させる
クオンに、ぴくりとゾロの指が跳ねる。次いで小さくため息をつく音が聞こえた。
わがままを言うなと苛立ったのか、仕方ないなと呆れたのか、それとも。いつもなら簡単にゾロの心情は読み取れるが、上がる熱に侵されつつある頭ではうまく判断ができない。けれど経験則から怒られることはないはずだと、
クオンは首に回す腕に僅かに力をこめて、やだ、ともう一度呟いた。ふ、と横髪をゾロの吐息が掠める。
「……チョッパー、このまま
クオン抱えててもいいか?」
「うん。想定より早く熱が上がってるのは心配だけど、今無理に離すのはよくないな。解熱剤だけ打たせてくれ。ゾロ、一旦
クオンのフード取って後頭部掴んで押さえててくれるか?」
患者の様子を見て判断したチョッパーの思わぬ指示に、意図が分からず僅かな怪訝の色を覗かせつつもゾロは言われた通りにした。短い髪から覗く白いうなじを一瞥したチョッパーがちらと帽子に乗るハリーを見やる。
「じゃあハリー、2本くらい一気にぶすっと」
「はりっ」
「ぁいたっ!」
「相棒だってのに本当に容赦ねぇよなハリー……」
ハリーが船医の指示に従って背中の針を飛ばす。解熱作用のあるごく短く細い針は不意打ちの一射、否、二射として
クオンの首へ正確に叩き込まれ、鋭い痛みに小さな呻きが白い痩躯から上がったのを見たウソップはちょっとだけ
クオンに同情した。だが
クオンのためなのでそれ以上は何も言わない。
「
クオン、座るぞ」
「ん……」
後頭部から離した手を背中に添えて支えながらゾロが言い、肩口に額をつけた
クオンは吐息で頷いた。降ろされることはなさそうだと察して首に回していた腕を外す。地面にあぐらをかいてその上に横向きに乗せられ、力なくゾロに凭れた
クオンは柳眉を寄せて薄く瞼を開いた。
「……あつい…」
発熱しているときに体温が高めの人間にくっついていれば当然熱い。さらにマントで身を包み、ゆるくだが被せ直されたフードもあって熱はさらにこもる。上がる体温で赤みを帯びた頬を汗が滑り落ちた。
これ以上熱が上がらないよう解熱針を打ってもらったが、即効性はなかったようで効くまで少し時間がかかりそうだ。それまで続くこの熱さは少々こたえるが、だからといってゾロから離れるという選択肢は
クオンになかった。能力を使ってでもくっついていてやる、という意地すらある。
(……いえ、いいえ、違います。これは、意地ではなく)
ただ、私がそうしたいというだけの、こと。
ふ、と
クオンは笑った。今までゾロに甘えに甘えて甘え倒してきた自覚はあるが、ここまでとは思っていなかった。たとえどれだけゾロの近くを許され、気安さを許され、甘えを許されても、ゾロが嫌がるならすぐにやめようと考えていたはずなのに、今はどれだけ嫌がられても離れたくないと思う。許してほしいと願う。それが、ゾロが教えてくれている恋なのではないだろうか。
ぼんやりとした意識でそこまで考えて、ふいに鈍色をしばたたかせる。
ゾロには
クオンが「あつい」とこぼした声は聞こえたはずだ。フードを被っていたとしてもこの距離なら十分に聞こえる声量ではあったし、そもそもとしてこの男が
クオンの呟きを聞き逃すはずがない。なのに「なら離れるか」とも言わず、無言で離すこともせず、フードすら取らずに熱に浮かされた
クオンを他の目から隠していた。
なぜか?そんなの分かりきっている。
ゾロもまた、
クオンが熱がっていると分かっていても離してやることはできないからだ。離したくないと思っている。弱っている
クオンを誰にも渡したくないし、その機会を一瞬でも与えたくはないと行動が語っている。なぜなら
クオンは─── ゾロが惚れている、女であるからして。
(成程、つまり……私は、ゾロと同じとはいかずとも、似たような想いは抱けている)
クオンが育んでいる恋心はまだまだ綿菓子のように軽くて甘ったるくて甘っちょろくて、まだこれが恋とは言えないし、当然ゾロが抱える恋心と同じものだと自惚れることもできない。けれど、「恋をしている」とゾロが言った意味の重さは、何となく読み取れるようになっていた。
「……はやく、あなたに…恋ができたらいいのに」
無意識にこぼれ落ちた言葉に、フードに隠れた
クオンの頬を流れる汗を拭っていた武骨な剣士の手が止まる。掠れた小さな声は幸いか男にしか届かず、聞きとめてしまった男はやはり無言で惚れた女を抱える腕に力をこめた。
そうしろと急かすようなことはせず、けれど焦らなくていいとゆっくり時間を取らせるようなこともしない。きちんと
クオンの恋心が育つのを待つと決めていて、それでも早く食らってしまいたいという本音は隠しきれずに太い指が唇を撫でて白い耳に触れる。そこに歯を立てた過去を思い出させるように、爪の先で耳殻を引っ掻いた。反射でびくりと細い肩が跳ね、僅かに顎を上げた
クオンはじとりとした眼差しでゾロを上目遣いに睨んだ。
「ゾロの、すけべ」
「お前にだけだ」
しらっとした顔で、しかしその欲と熱を煮詰めた目を隠しもせずストレートに言われてしまえば返す言葉はない。ので、代わりに
クオンは視線を横に移してルフィを見やった。
「ゾロ、この体勢ではルフィがよく見えません」
「…………」
意趣返しじみているようでその実ただの
クオンのわがままにゾロの眉間に深いしわが刻まれた。惚れていると面と向かって言い放った男に甘え倒して「早く恋ができたらいいのに」とまで言っておきながらここで他の男の名を言うか、という男の心情は恋愛初心者な
クオンには伝わらず、当然欠片も想像できていない
クオンは黙り込んだまま動かないゾロにきょとんと首を傾けた。自分のわがままを叶えてもらえて当然だという、一片の曇りもない絶対的な自信と信頼に満ちた態度に何が言えようか。
誰がこいつをこんなにしたんだ……まぁ主におれだな……。そのあたりはビビにだって譲りたくはないゾロである。遠くで「はァ───!?
クオンがそうなのは私が全力で愛して許して1年かけて愛するひととの正しい距離感はこれだとせんの…ンン゛ッ頑張ってめちゃくちゃにバグらせてきたからよ!?自惚れないでよね!!!」とどこぞの王女のけたたましい猛抗議が上がった気がしたがたぶんきっとおそらく気のせいだ。
ゾロが時間にして3秒で終わらせた思考の中身を知る由もなく、
クオンは腹を空かせた獣のあぐらの上で呑気に全身から力を抜いて待った。胸元につけた耳がフード越しに男の少し速い心音を拾う。少し速くて力強い、安心できる聞き慣れた音。
もう少しそれを聞いていたかったが、ひょい、と両脇を持ち上げられて離され、代わりに正面を向いた体勢であぐらに乗せられる。いまだ地面に横たわり起きる気配のないルフィがよく見えた。
「ふふ、やっぱり、あなたは私に甘いですねぇ」
思わず笑みをこぼして男の胸板に背を預ければ「今更だろうが」と呆れたような声が降ってきて、理由をとっくに知っている
クオンは上機嫌に甘く眦をゆるめた。
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