248
『やっほ、来ちゃった☆あっははは!!なぁにその顔!死んだひとの幽霊でも見たみたいな顔~~~やだ~~~可愛い~~~!笑ったらもーっと可愛いんだけどなぁ~。どうしたの?ほら、笑ってみなさい、にこーって!うん?何で笑わないの?それとも、笑えないの?んふふふ、まぁそれは仕方ないかなぁ、仕方ないわよねぇ。うんうん、私は理解あるせいとうな血族だもの、あなたの笑顔が見れないのは残念だけど無理なことは強いたりしないわ。あ、今の“せいとう”は“正統”と“正当”をかけてみたの、ダブルミーニングってやつよ。ん?何でここにいるのかって?恨み言?復讐?まっさかぁ!!だったら何であなたの笑顔なんて見たがるのよ~!いいのよいいのよ、あれはなるべくしてなったものじゃない?みぃんな死なせなくちゃいけなかったの。元々
滅びなければいけないものが、
あなたの手によって滅ぼされた。その権利と義務があなたにはあった、それだけのことよ。私の可愛い可愛い愛すべき
妹を、どうして恨まなければいけないのかしら?』
女は笑う。鮮やかに。美しく。満面の笑顔で、残り少なかった己の血族のほぼすべてを殺し尽くしたしろいこどもに語りかける。
『私達■■■■■はみーんな自分勝手な連中ばっかりなの。自分のエゴを満たすためなら手段なんて選ばない!他人の感情を理解していても我を貫き通す!死んでいった血族も、私も、残されたもうひとりも、あなたも!それでいいのよ、それこそが■■■■■だもの。愛のために生きて、愛のために死ぬのが私達。そういうふうに生まれてそういうふうに生きてそういうふうに死ぬ生き物。だから私も、私の“愛”に生きるためにここにいるのよ』
女は笑う。一片の曇りもなく。晴れ渡った青空のように清々しく、しろいこどもと同じ色の髪をなびかせて。
『
クオン、私の最愛。あなたのためだったら、私は何だってするわ』
軽やかに凄絶な笑みを浮かべた女の顔は白く塗り潰されていて、しろいこどもと似ているのかは、判らない。
† デービーバックファイト 9 †
執務室に置かれたソファにひとりのしろい海兵が横になっていた。少し小柄な痩躯はソファにすっぽりとおさまり、部下が勝手に置いていったふかふかのクッションを枕にしてブーツを脱いだ足を執務室の扉に向けている。己の職種を示す正義のコートは対面のソファに無造作にかけられ、雑に放り投げられたのは明らかだ。
海兵は寝てはいなかった。重厚なデスクの向こうにある大きな窓から入る陽の光に雪色の髪を煌めかせながら、しろい瞳を開いて自分の右手に握られたものを無言で眺めている。
紐でできた輪だ。正確には刺繍糸をきれいに編んで作られたミサンガ。白を基調としたそれには狭い面積に細かな意匠が凝らされ、飾られた小さな丸い石がひとつ、陽を浴びて星のように瞬いていた。
石は乳白色を端に帯びた水晶。売り物にならない宝石の欠片を再利用したもので、質の良い刺繍糸を使ったミサンガと併せても然程高値では売られていない。だが子供の小遣いで容易に買えるものでもないこれを、しろいこどもは自ら買い求めたわけではなかった。
ふいに空気が震え、扉をノックされる音を聞いた海兵が短く入室を許可すれば、開かれたそこからひとりの男が現れた。
白い塗料を刷毛で雑に塗り潰したように背景に溶け込んだそれの姿はまったくもって判らない。だが、男だということだけは判る。
現実味のない白い空間に浮かび上がる黒いスーツをまとった男は砂と埃と血を洗い流してすっかり身綺麗になっており、執務室に入って扉を閉めると休日だというのに突然呼び出して特に説明なく海兵としての任務の同行を命じた上司を静かに見下ろした。宝石産出国を支配する海賊団の殲滅を最前線でこなした2人だけがいる空間に沈黙が満ち、それを破ったのは男の方だった。
『─── 褒美を』
音もなくしろい瞳が滑る。扉の前で姿勢よく佇む男を見つめ、数秒置いて男よりも年下の海兵は無表情のまま無言で視線をミサンガに戻した。
呼び出しに応じるなら褒美をくれてやる、などとは約束していない。男の上司である海兵は呼び出しをかけたものの来ないならそれでもよかったし、来たら楽になるなと思っただけだった。
男は当然のように呼び出しに応じた。文句ひとつなく、視線に不平不満もなく、むしろ気を昂らせ獰猛な獣そのものの目を爛々と光らせて海兵の半歩後ろに立った。
喜んで応じたくせに、褒美とは。ちらと思いはしたが、やはり何も言わなかった。褒美をねだるために綺麗に汚れを落としてきっちり身なりを整えてきた男に何も思わないでもなかったからだ。
『■■■』
男が海兵の肩書きを呼んでさらにねだる。「雪狗」でも「准将」でもない、もうひとつ。
大人とは言い難い海軍将校はもう一度男に視線だけを向けた。目が合う。顔は白く塗り潰されているのに、確かにその鋭い眼差しと目が合った。ひたと据えられた目は、この部屋の扉を開けたときから一度も逸らされていない。
2人は無言で見つめ合った。男は決して視線を逸らさない。揺らしもしない。絶対にもらえるものをもらっていくのだという強い意志がそこにあった。むしろぶんどっていくの間違いではなかろうか。
あからさまな態度を、しかし海兵は咎めない。顔にも出さない。海兵は部下に多少ならば乞われることを許していたし、そして男は自分も同僚と同じように許されていることを知っていた。今までは知ってはいたが特に行動に示さなかっただけなのだろうとしろい瞳を細めた海兵の視線がミサンガに戻る。男の眉がほんの僅かに跳ねたが気づいていて無視した。
国を助けてくれてありがとう、どうしても受け取ってほしいと万感の想いをこめて贈られたそれ。無下にはできず受け取ってしまったが、正直持て余していた。暫く眺めたのちにデスクの引き出しで眠らせるつもりだったけれど。
「■■■」
男の名を紡いだ自分の声がいやに鮮明に耳朶を叩く。そうして、男の声は何枚もの薄い膜を通したように、あるいは水で隔てられているように不明瞭なものだと気づく。だが記憶の中の海兵はそれをまったく意に介さず、過去の通りに言葉を繋げた。
「これをくれてやる」
無造作に放られたミサンガが放物線を描いて男の手に落ちる。白を基調とした意匠が凝らされたそれ。陽に照らされた小さな水晶の輝きは、まるで真昼に瞬く星のよう。恩人であるしろい海兵をイメージして作られたミサンガをじっと見下ろす男を一瞥もせず海兵は抑揚なく続けた。
「わたしには不要なものだ。お前にも不要であれば捨てろ」
もっとも、そう言いながら海兵は男が与えられた褒美を無下にはしないと疑わない。つけるかどうかはどうでもいい。ミサンガは自然に切れると願い事が叶うというらしいが、果たして男に願いらしい願いなどあるのだろうか。海兵同様不要なものかもしれないが、それでも男がそれを捨てはしないし雑な扱いもしないと知っていたからそれでよかった。
「報告書はいつも通り七光りに押しつけておけ。あとはあれが適当に何とかする」
上げていた腕で瞼を覆い、意識して体から力を抜く。深く長い呼吸をして眠る体勢に入った海兵に静かな声が落ちてきた。
『おれは今回、役に立ちましたか』
「……ああ、そうだな」
『おれがいてよかったと?』
「……ああ、そうだな」
『また次も、おれを呼んでいただけますか』
「…………ああ、そうだな」
男の問いに返す言葉は抑揚なく適当なもののようで、けれどしろい海兵は決して偽りを口にはしない。だからうとうととまどろみながら返した言葉は本心だった。それが相手に伝わっているかどうかは気にしない。
今回の任務は想定よりも早く終わった。お陰でこうして仮眠をとる時間ができた。
男の同僚がしろい海兵のためにとこだわり抜いて厳選したやわらかくほどよい反発感のあるクッションを枕に、意識を沈ませながらこれだけは言っておかねばと男よりも年下の海兵は口を開く。
「良い動きだった。お前を選んで間違いはなかったな……」
夢うつつにこぼれた本音を聞いた男がどんな顔をして、何を思ったかなどと、しろい海兵はまったく気にすることなく眠りの淵に沈んでいった。
† † †
自然と浮き上がった意識に沿って瞼を押し開ける。途端、目に入った太陽の眩しさに一度閉ざした。今度はゆっくり、ゆるゆると開く。逆光になった人影が見えた。
頭の下にある枕はやわらかい。人の─── 女の膝枕の感触を感じながら緩慢に瞬く。
ふと、女の左手首が視界の端に映った。ちかりと陽の光を反射して金色に煌めくそれに無意識に指を伸ばす。ブレスレットに指を通して軽く引っ張れば、何の変哲もない、シンプルなそれがよく見えた。
「
クオン?起きたの?」
突然ブレスレットを引っ張られたナミが軽く目を瞠って覗き込む。半分ほど開かれた白い瞼の下にある鈍色を茫とさせ、無表情に
クオンはブレスレットを見つめていた。これは彼女と出会ったときから一度たりとも外されずにここにあり、ふとしたとき、懐かしむような深い眼差しを向けて撫でていたことを
クオンは知っている。
「……これは」
ぽつり、抑揚のない声で問う。
「ナミの、大事な、もの?」
ナミは微笑んだ。そっと右手で
クオンの頬を撫で、心地好さそうに目を細めた仲間にそうよと声に力をこめて頷く。
「どれだけお金を積まれたって、何をしたって渡せない、私の大事なもの。あんたと一緒」
私の家族。私の仲間。私のよすが。─── 私が大事にしたいものたち。
「だから、あんたも勝手にどっかいっちゃわないでよ」
ね、と優しく微笑むナミは、どうしてか泣きそうにも見えて。
ブレスレットから指を離した
クオンはナミの頬に触れた。濡れていない。泣いていない。よかった、と心から思う。
「…………私は」
「ん?」
「愛されて、いますね」
ナミはもちろん、他の麦わらの一味にも。
─── あの記憶の中の、顔の判らない、男にも。以前に夢で見た、紅茶を注いでくれた女にも。恋とは何かを教えてくれた女にも。自分を
妹と呼ぶ女にも。真っ白な鯨に乗ったクルーにも。泣き喚く子供を捨て置けずまた来ると約束をくれた男にも。ずっとずっと、記憶を失くして目覚めてから、無意識に、訳も分からず心のどこかで会いたいと痛切に願っていたことに記憶の欠片を目にして初めて気づいた誰かにも。
愛されていたのだと、今なら分かる。なのに断片的に見る記憶の中の自分はあまりに幼すぎて、あるいは心が凍りついていて、そんなことも分からなかった。
「あ、
クオン!目が覚めたのか!!」
ふと聞き慣れた声が耳朶を打ち、駆け寄ってきた小さな足音の主がすぐに視界に映る。安堵の笑みでこちらを覗き込むチョッパーが「毒は解毒剤を飲んだからだいぶ中和されてるけど、あとで熱が出るだろうし、解毒剤の副作用もあるから具合が悪いときはすぐに言うんだぞ!」としかつめらしい医者の顔で言いつけた。
ピンクの帽子の上に乗ったハリーが瞳を潤ませ、一度草の上に降りて首に縋りついてくる。
クオンは針をたたんだ相棒の背を優しく撫でた。
─── フォクシー海賊団の証であるマスクを外したチョッパーがここにいる、ということは。
クオンはひとつ目を瞬いて視線をめぐらせた。目を覚ました
クオンのもとへ、地面に座り込んでいた仲間が集まってきている。
満面の笑顔のルフィ、安堵の表情で頬をゆるませているウソップ、やわらかな笑みを浮かべたロビン。そしてあちこちに怪我を負い包帯を巻いた、ゾロとサンジ。ああ、彼らが勝ってくれたのか。
口元をゆるませる
クオンの視線を辿ったナミは物言いたげな顔をして試合中喧嘩ばかりだった男2人をじとりとした半眼で見やり、けれど
クオンが嬉しそうだったから口を噤んだ。代わりに今の状況を話す。
「今は3回戦のフィールドを決めて、ルール説明も終わったとこ。準備まで少し時間がかかるらしくて待機中よ」
簡潔にまとめたナミに小さく頷き、
クオンは肘を立ててゆっくりと上体を起こした。膝枕の礼を言い、くらりと脳が揺れて傾いだ体を支えようとしたゾロを手で制して自力で体勢を整える。真っ直ぐ背を伸ばして正座した
クオンはひとりひとり仲間を順に見た。
被り物のない秀麗な素顔がほころぶ。“余興”のさなかに失いかけた自我は、眠りから覚めても確かにここにある。
手の平にハリーをのせ、
クオンは鈍色の双眸を細めて笑った。
「私の名は
クオン。そしてこちらは相棒のハリー。共に麦わらの一味です。……ご心配をおかけしましたね」
鋼の気配などどこにもない、いつもの、仲間に向けるあたたかくやわらかな眼差しと優しい笑みに、ぐしゃりとチョッパーの顔が歪んだ。
「……ゥ…う゛…!本当にっ、心配じだん゛だぞ
クオン~~~!!!」
ぶわっと涙をあふれさせて飛びついてきたチョッパーを
クオンが危なげなく受けとめて抱える。チョッパーの行動を予想していたためにさっと
クオンの右肩に移動して避けたハリーが仕方のない奴だと言うようにため息をついた。
チョッパーの背を優しく撫でてあやす
クオンの傍らにゾロが腰を下ろす。寄り添うには少し遠く、けれど体勢を崩したときにはすぐに支えられる距離。
クオンが目を覚まして心から安心したルフィとウソップが第3回戦を控えてさらに盛り上がりを見せる屋台に興味を引かれて駆けていき、ナミは
クオンに貸していた膝を抱えて顎をのせた。
無言で近づいてきたサンジが雪色の髪をぐしゃぐしゃに掻き回して、眉間にしわを寄せたゾロが武骨な指で梳いて乱れを直して、サンジがさらにぐしゃぐしゃにして、ゾロが直して、乱して、直して、乱して、直して───
「わわわわわわわナミィ~」
「やめんかあんた達!!!」
なぜか勃発した無言の攻防に巻き込まれた
クオンの情けない悲鳴に航海士の一喝が迸った。ハリーが呆れた視線を2人に向け、チョッパーが思わず涙を止めてぱちりと瞬き、そして笑う。ぐいと目許を拭って
クオンの膝から降りた。医者の顔をゾロに向ける。
「ゾロ、たぶんこのあと
クオン熱が出るからよろしくな!反動で両脚の骨にひび入って一部折れてるし、いっそもう歩かせない方がいい」
「ああ」
「過保護が過ぎません?」
「自業自得って言葉知ってる?」
真顔のチョッパーと当然のように頷くゾロに首を傾ければ、ナミの据わった目が向けられて顔を逸らした。大変に心当たりがありすぎる。
そこにいつの間にかどこかへ行っていたロビンが白い布を抱えて戻ってきて、「あら、過保護なくらいがちょうどいいと思うわ」と賛同すると抱えていた白い布を広げ、
クオンの痩躯をマントで包んだ。どうやらわざわざメリー号まで取りに戻ってくれたらしい。
しっかりとフードまで被せられ、
クオンはフードの下から仲間を眺めやった。ルフィとウソップ、サンジはこの場を離れているが、
クオンに何かあればすぐに戻ってくるだろう。ハリーは
クオンの肩から降りる気配がなく、他の4人も
クオンの傍から離れようとはしない。
(……私は、愛されて、いますね)
改めて思う。記憶を失くして目を覚ましてから、ずっと愛され続けてきた。記憶を失くす前も、たくさん愛されてきた。
たとえ分かりにくくても、自身が分かろうとはしなくても、今なら海兵だった自分もまた周囲に愛されていたのだと分かる。幼い頃の自分は言うまでもない。
麦わらの一味でありたい自分。海軍将校だった自分。
すべてを思い出して、きっとどちらかを選ぶ時が来る。どちらからもあふれんばかりの愛を受けておいて、どちらかを選ばなければならない。
記憶を取り戻すと決めたときはすべてを思い出したところで迷うことはないと思っていた。
けれど今は、そう断言ができない。
愛されていたのだと自覚した雪狗は、愛に誠実を返す生き物であるがゆえに何を思うのか。
クオンには分からなかった。
「…………」
ふ、と力なく後ろに上体を傾がせれば間髪いれずに男の腕が受けとめた。ひょいと痩躯が持ち上げられて男のあぐらにのせられる。凭れた背中から伝わる慣れた体温は常と比べてほんの僅かに低い。否、自分の体温が上がっているのだ。それでも重なった箇所から溶け合っていくような感覚は変わらず、ほぅとこぼれた吐息に甘さがにじむ。
雪色の髪と同色の睫毛に縁取られた瞼を下ろせば、鼻孔を掠める汗と鉄の匂いが濃くなった気がした。
当たり前のように与えられるものを覚えておきたいと
クオンは思う。忘れたくないと願う。たとえ何もかもを再び失くしても、この男のぬくもりと、眼差しと、声と、教えてくれた恋だけは。
もしも太陽が見えなくなったとき、それが自分を光の下に連れていってくれると疑わなかった。
何も見えない闇と無音に閉じ込められても、この男が斬ってくれる確信があった。
─── それが、この首が落ちる刹那のことと同義だとしても構いはしない。
「ゾロ」
囁くような声で呼べば、男の視線が落ちてくる。当たり前のように。
クオンは瞼を開いて白い痩躯を支えるために腹に回った男の腕に手を添えた。
ナミ達はフォクシー海賊団の船の前に造られていく客席らしきものや前座試合に気を取られて2人には気づいていない。ぼんやりと仲間達の背を眺めながら言葉を継いだ。
「アラバスタであなたが捨てるなと言ったから、私が愛を抱えて生きることを許してくれたから、戻ってこれました。全部落としてしまいそうになった愛を捨てずにいられました。見失った太陽を、目にすることができました」
意識して
クオンは言葉を紡ぐ。麦わらの一味の
クオン─── 傭兵と王女の執事の経て、少しばかり地のガラが悪くとも丁寧な口調を常に操る自分。
「ありがとう。……あなたがいてくれて、よかった」
あの砂の国で紡いだ言葉と同じで、だがそこにこめられた想いは少し違う。声音に宿る感情には愛があり、そして彼に教えてもらっている最中の恋も、きっとあった。
囁く声音は周囲に響く賑やかな声や音に掻き消されてしまうほどに小さかったけれど、確かに男の耳に届いたことを僅かに腰に回った腕の強さが教えてくれた。
ゾロが
クオンの腹の辺りで両手を組む。雪色の後頭部に男の額がうまった。うなじを重いため息が掠めてくすぐったい。
拘束というにはあまりにゆるやかで甘やかな腕の中、まどろむように瞼を落とした
クオンの耳にゾロの低い声が吹き込まれた。
「なら、ここにいろ、
クオン」
二度もそう言うのなら、おれのいる場所にいろ。おれはここにいるから。お前の望む場所にいるから。
たとえひとりさまよい帰る場所が分からなくなったとしても、おれを辿れば戻ってこれるだろ。
言外にこめられた想いが伝わってきて、無自覚方向音痴のくせに、と喉の奥で小さく笑う。ああけれど、この男が魂を定めた場所は不動なのだ。太陽の真下で刀を振るう剣士が二心を抱くことはない。だからゾロの言うことは正しかった。
「……うん」
幼い了解を返した
クオンは、ふと。
─── ゾロと、朝焼けが、見たいなぁ
砂の国で見た美しい朝焼けを思い出して、そんなことを思った。
← top →