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『さーさー取引も終了!!俄然盛り上がるデービーバックファイト!!続く2回戦…と言いたいところだけど!ここで“余興”の時間だァ~~~!!!』
イトミミズがそう宣言し、参加者はこっちだとフォクシー海賊団のクルーに案内されるままハリーをゾロに預けた
クオンは草原に描かれた円の中に入った。
ぐるりと首をめぐらせて円を眺める。然程広くはなく、そして直径30mほどの円の中には障害物の類が何もない。さてここで何をするのか。こてりと首を傾げれば、フォクシー海賊団の輪の中からひとりの男が進み出た。円の中心近くに立つ
クオンと相対するように少し距離を置いて立ち止まる。
そこに、イトミミズの声が響いた。
『さ~て!“余興”に参戦するのは、第1回戦でお邪魔軍団の攻撃をすべて無効化した、お前みたいな雑用がいてたまるか!!得体の知れない“雑用執事”!!
クオン!!!』
既に執事は辞めているが、白い燕尾服は脱いでいないしそれも妥当かと
クオンは無言で肩をすくめた。
『対するは~~!”ひとの嫌がることは進んでやろう”が座右の銘!!他人の苦しむ顔が三度の飯より大好きなイカレ野郎!!ポイズ!!!』
あ、成程ひとの嫌がることとはそういう意味ですか。察した
クオンはしかし特に反応を見せずにポイズというらしい男を見やる。
男は背が低く、横にも大きくない体型はガタイも良いとは言えず、ざっと見た感じ戦闘向きの体つきはしていない。細い目と締まりなくゆるんだ口元が特徴的で、ほのかに薬品のにおいがした。
まさか“余興”といえど穏やかなゲームになるはずもない。それでもこの男が出場するということは、決して油断できない相手だ。瞬時にそう判断し、けれど相手が誰であろうと関係はないと、
クオンは被り物の下で鈍色の瞳を煌めかせた。
† デービーバックファイト 4 †
『さ~~~てこの“余興”!特殊ルールにつき注意が必要だよ!!ひとつ!勝敗は対戦相手か敵の船長が認めなければならない!つまり、降参してもどちらかに承認されるまでは戦い続けてもらうよ!うっかり殺しちゃえばペナルティだから気をつけるように!』
ペナルティとは言っても、次の競技の出場メンバーをひとり削られるだけでとられはしないからそこは安心だよ!!とイトミミズが続ける。成程、“余興”でしくじれば次のゲームが不利になるというわけか。文字通りの瞬殺はできない。
『ふたつ!この円から一歩でも出ればその時点で負けになるよ!対戦相手の承認なく場外に出たらそのときもペナルティだ!』
ふむふむと大人しく聞き入れていた
クオンは、続いた言葉に眉を跳ね上げた。
『みっつ!これがこの“余興”特有のルールであり醍醐味!お互いにひとつだけ、この“余興”における“絶対ルール”を決められる!!』
「……うん?」
『“絶対ルール”は言葉通り必ず守らなければならない!それに反すれば反則負けのペナルティ!!というわけで、2人には早速ルールを出し合ってもらうよ~~~!互いに決めたルールで矛盾したりすると調整が入るからそこのところよろしくぅ!』
とは言うが、どうせあちら側の有利に働くのだろう。
クオンは被り物を対戦相手の男に向けて白手袋に覆われた手を差し出した。お先にどうぞ。意を汲んだ男がにやにやと笑って口を開く。
「おれのルールは『この飴玉を食べ終えるまで相手に攻撃を加えてはならない』だ」
言って、おもむろにポケットから取り出した2つの飴玉を手の平にのせて見せる。白い包みに覆われた飴玉はそのまま呑み込むには少々大きいが、まさか何の変哲もないただの飴玉であるはずもないだろう。後ろで見守っていた麦わらの一味が訝しげに首を傾げる気配がしたが、
クオンは振り返ることなく黙考し、然程時間を置かずに口を開いた。
「では、私のルールは『この“余興”において、お互い外野とのいかなる接触も禁ずる』としましょう。外から私達へ、私達から外へ、そのすべてを禁止とします」
レース競技ではナミ達が妨害を受けて負けてしまったこともあるし、外野を気にして戦うのは面倒くさい。フォクシー海賊団のいくらかが残念そうな顔をしたから、やはりこの“余興”においても妨害行為は認められたのだろう。だが対戦相手の男は気にした様子もなく頷いた。
そうして互いに“絶対ルール”を定め、
クオンはポイズが差し出した手の平にのった2つの飴玉に手を伸ばし、一瞬だけ止めると迷うことなく片方を選び取った。ポイズのにやにや笑いは変わらない。
円の中、十分に距離を取って相対する。戦闘開始前に飴玉を口に放り入れたポイズに倣って被り物隙間から口元へ飴玉を入れようとした
クオンは、そこで「おいおい」と薄ら笑いを受けた。
「そんなもん被ってたら本当に食べ終えたのか判らないだろうが。食べたふりをされたらルール違反だ。攻撃前に口の中がからであることを示すまでがおれの“絶対ルール”だぞ」
男の言い分は正論だった。あらかじめ聞いていないことを言われたが、ルールを遂行する上では不可欠な措置だ。
クオンはポイズの言に納得したから反論はしなかった。
─── しかし。それに声を上げる者が、ひとり。
「ダ…!ダメよ!!
クオン、それはダメ、絶ッッ対にダメ!!!」
顔色を変え、声を荒げてナミが叫ぶ。ポイズが無言で「外野とのいかなる接触も禁ず、じゃなかったのか」と言いたげな目をよこし、
クオンは「……声援、ひいては言葉だけならば除外です」と言ってなかったことを告げた。
「
クオン、この“余興”は負けでいいわ!あんたの顔をさらすくらいなら負けた方がましよ!!降参して、ダメならペナルティ受けてでも終わらせて!!」
「おいナミ、何勝手なことを……」
「ウソップ、あんたも分かってるでしょ!
クオンの顔は人目にさらしていいもんじゃないのよ!!」
気色ばんでまくし立てるナミの記憶に、空島の一件は真新しすぎる。
クオンの素顔を見た途端にエネルが態度を豹変させたことも、ひどい執着をもって決着のときまで手放さなかったことも。それを間近で見ていたから尚更だ。
ウソップもまた散々エネルに威嚇され
クオンへの執着ぶりを目の前で見ていたから途端に何も言えなくなって口を噤む。確かに、あのときのようなことが今また起きないとは限らない。
だが、ペナルティを受ければ次のゲームがさらに不利になる。既にチョッパーをとられている現状、負け越しだけは避けなければならない。ただでさえチョッパーを欠いて2人だけとなった第2回戦の出場者であるゾロとサンジにさらなる負担を課せとは言えなかった。
ルフィとゾロは表情を変えずに
クオンの背を見ている。サンジは苦い顔をして紫煙を揺らし、確かに敵に素顔をさらすくらいなら、とも考えた。けれど、果たして
クオンが、いくら愛する仲間の頼みといえど頷いてくれるだろうか。
「なんだ、降参か?そうだな……おれに跪いて深くこうべを垂れるか、土下座で許しを乞えば、聞いてやらんでもない」
ぶちっ
麦わらの船長と未来の両翼は、雪色の獣の堪忍袋の緒が切れる音を確かに聞いた。あーあ、と3人の内心が揃う。
クオンは意外と沸点が低い。否、特定の事柄に関してだけ異様に短気だ。己が定めた者以外に膝を折ることは絶対になく、それを傲慢に望まれれば容赦なく牙を剥く。今回、ポイズはその地雷をものの見事に踏み抜いてしまった。うわぁ……と言うようにゾロの頭の上でハリーが小さく鳴いた。
あれほどまでに航海士が血相を変えるとは、余程のものなのだろうとフォクシー海賊団がざわつく。それはふた目と見られぬものなのか、それとも。誰もが無意識に被り物の下にある素顔に期待した。
その期待に応えるつもりは毛頭なく、
クオンはふつふつふつふつと、ゾロと海を見るのを邪魔されたときから煮詰めていた怒りが荒く噴きこぼれる音を耳の奥で聞きながら被り物に手をかけた。
クオン!!と悲鳴じみた呼号を無視して被り物を外す。そしてあらわになった
クオンの素顔に、周囲のざわめきが消えた。
「─── “絶対ルール”に従いましょう」
被り物越しとはまったく違う、男にしては高めの涼やかな声音が静寂を打ち震わせる。
真っ先に目を引いたのは、あまりに美しい、人外じみた秀麗な顔立ち。中性的なそれは絶美と評してなお足りず、極上の陶器さえ劣るほど。形の良い唇は弧を描き、しかし白い人間が有する濃い鈍色は氷のように冷ややかだ。白くなめらかな肌にかかる雪色の髪は陽の光を浴びて一本一本が煌めき、まるで真昼に地上で輝く星のように見る者を思わせた。前髪から覗く同色の柳眉は跳ね上げられ、美しい人間が機嫌を損ねているのが察せられる。数人があまりの美しさに気を遠くしてくずおれたが、フォクシー海賊団の中でそれを気にする余裕のある者はいなかった。
相対するポイズも目を限界まで見開き、ぽかんと口を開けて絶句している。今までに目にしてきた、己が美しいと思っていたものすべてが、目の前の白い人間の暴力的な美しさに記憶から掻き消されていく。これと比べればこの世のすべては何の価値もなく、何の魅力もなく、何もかもが見劣りする───
クオンはその素顔ひとつでポイズの価値観を急速に破壊していったが、本人にその自覚はない。
瞬くことも忘れて
クオンをひたすらに凝視するポイズの目に狂気がにじみ、狂喜が宿る。興奮からか頬に赤みが差して、わななく唇が湧き上がる渇望を叫んだ。
「オヤビン……オヤビン!!おれはこれが欲しい!!!ははっ、はははは─── “余興”だから適当に遊んで終わろうと思っていたが、やめだ、やめる!
クオン、男か、そうか……でも、それなら…少しくらい、傷がついても、いいか」
冥い目をぎらぎらと輝かせ、燕尾服をまとう中性的な顔立ちの
クオンが男と見てポイズは残念そうに呟き、しかしすぐに気を取り直して落ち着きなく肩を揺らした。
ポイズにつられるようにして、わっと外野が沸く。美しい、あれが欲しい、あれがいい、次はあれだ、オヤビン、あれをとってくれ!
にわかに欲まみれの狂乱に陥ったフォクシー海賊団に、チョッパーは驚きよりも恐怖を抱いたらしい。今にも逃げ出したそうに半べそになったが、頑張って耐えてほしいと
クオンはチョッパーにだけ優しい視線を向けた。それに、チョッパーの傍らで私に微笑みかけてくれたのよ、いやおれだ!と内輪揉めが勃発するも、
クオンは気にもとめない。
「ああ…もう、
クオンのバカ……」
予想通りの状況にナミが頭を抱えて嘆く。こうなることが分かっていて止めようとしたのだが─── 仲間にだけは判る、めちゃくちゃにブチ切れてる
クオンはもう止められない。
素顔を敵にさらしてしまった以上、今更引っ込めるのは無意味だ。ナミは深いため息をひとつつき、即座に切り替えて眉を吊り上げた。
「こうなったら、何としても勝つのよ、
クオン!」
返答は、軽く振られた手だった。
さて、一方で。
オヤビンことフォクシー海賊団船長、銀ギツネのフォクシーは、真っ白い人間の素顔を見てクルー同様見惚れ、数拍して狂気の渦が自陣を包み込んでいるのを肌で感じて頬を引き攣らせた。
どっと冷や汗がにじむ。頭の中で警鐘がけたたましく鳴り響く。種族が違い美醜感覚も人間とは異なるはずの魚人族も一瞬で虜にしたあの美しすぎる人間を目にして、思うことはひとつ。
─── あれは、ダメだ
あれだけは仲間にしてはならない。たとえどれだけ魅力的に映ろうとも。たとえどれだけ心が欲しがっていたとしても。たとえどれだけ仲間に乞われたとしても。
あれは、周囲を見境なく混沌へと叩き落とす。あの鈍色の双眸に映るためなら己のクルー達は笑顔で仲間を手にかけるだろう。あれが望めば、たとえ微笑みひとつが報酬だとしても喜んで命を懸ける者が出る。情をひと欠片でも与えられるなら、魅入られた者は文字通り何だってするだろう。あれが旗印となれば、たとえデービーバックファイトを制して
クオンを得たとしても次の瞬間にはフォクシーは大多数の仲間を失うことになる。
─── あれは、おれ達を滅ぼすものだ
本能が叫ぶ。あれは災厄と破滅をもたらし、末に滅亡を招く。その足音が、沸き立つ仲間の歓声となってフォクシーに忍び寄ってきていた。
(あれは……あれだけには、絶対に手を出しちゃいけねぇ!)
フォクシーは今まで数多く重ねてきたデービーバックファイトで負けたことはない。
それは海賊団としての強さとよく働く悪知恵のお陰だけではなく、何よりも相手をよくよく見極めた上で勝負を吹っかけてきたからだ。
情報を仕入れ、吟味し、こちらの戦力と比べて。確実に勝てると確信を得たからこそ“決闘”を申し込んできた。負ける未来が僅かにでも見えれば決して手を出しはしなかった。そういうハナは、よく利いたのだ。
信頼している自身の危機察知能力は絶えず最大音量で警鐘を鳴らし続けている。冷や汗が止まらない。指先が冷たくなっていく。もし、あれがこちらへ足を踏み入れたら─── そんなこと、想像もしたくなかった。
それでもあの美しい顔から目が離せず、見惚れながらも吐き気を催す。
何だって
あんなものを麦わらの一味は仲間にしているのか。あれをいったいどうやって御してきたのか。その方法は知りたくない。関わりたくない。
あちらの航海士が白い人間に降参するよう言ったとき、なぜ即座に頷かなかったのか。どうしようもない後悔が胸に湧いた。
(このゲームにおれ達が負けるはずがねぇ。だが、勝てばあれをとらざるを得ない……?)
それは嫌だ。あれだけは嫌だ。仲間割れは嫌だ。殺されるのは嫌だ。滅ぼされるのは嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!!
あんなもの、どっか船の奥深くにでも隠していろ。表に出すんじゃない!
そんな八つ当たりなことを思って、ポイズがうっかりあれを殺してしまうか、それができなければいっそこの“余興”でポイズが再起不能になるまであれに蹂躙されて仲間の目が覚めることを、フォクシーは無意識に祈ってしまった。
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