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 キツネの船首、キツネを模したドクロの海賊旗、そして海賊旗に書かれたFOXYの文字。
 メリー号よりも遥かに大きな海賊船を認めたクオンは、しかし次の瞬間には全力で見なかったことにした。


「……さぁ!行きましょう!!」

「あれ、海賊船よね」

「こっちに近づいて来てるな」

「大砲が撃ち込まれないといいけれど」

「……クオン


 各々呟く仲間と軽く握られた手を引いて止めるゾロを黙殺し、海賊船が近づいてきているからといって何があるわけでもなし、ただ“記録指針ログポース”に従って辿り着いた場所が同じだっただけの可能性があるし、海賊だからといって好戦的なわけが、とご丁寧にフラグを並べて立てたクオンは、背後から感じる相棒の同情の眼差しも何のその、あの海賊船から大量の人間を“声”を聞いても無視をしていたが、すぐ傍まで迫った海賊船の正面から伸びてきたキツネの手を模した錨によってメリー号の行く手を封鎖されたことで一気にフラグ回収を余儀なくされた。






† 長い島 4 †






 明らかに穏やかではない様子の海賊を相手に、ゾロやサンジが鋭く誰何の声を上げる─── ことはなく。


「………………」

クオン、ねぇクオン、ほらそんなに落ち込まないの。またすぐに機会は来るわよ、ね?」

「好きなもん作ってやるから機嫌直せクオン。何がいい、アイスかジュースか、今腹に入らないなら夕食に出してやるし、おやつはナミさんのみかんで作ったマーマレードを使ったワッフルだぞ。お前好きだろナミさんのみかん」

「可哀想に……」


 麦わらの一味はせっかくの楽しみを邪魔されて潰され、肩を落とししょぼくれ項垂れる仲間を取り囲んで慰めていた。ゾロは声をかけはしなかったがずーんと陰を背負うクオンの手を握り返し、心なしか優しく被り物を撫でて無言で不届き者な海賊船を眼光鋭く睨む。クオンの落ちた肩に飛び移ったハリーがきゅっきゅい鳴きながらよしよしと被り物の顎をさすっていた。


「…………海……」


 被り物越しでも判る、力のないしょぼくれきった弱々しい声音が小さく伝わる。余程楽しみにしていたのだろう。それを聞いたナミの眦がきっと吊り上がったのと、キツネを模した海賊船から威丈高な声が飛んできたのは同時だった。


「お前達聞け、我々は」

「うっさいわよあんた達!!今クオンが落ち込んでるでしょうが黙ってなさい!!!」

「すいませんでした……」

「ぅゎナミっょぃ」

「お前それどこで覚えてきた」

「空島で。今時流行りのナウくてヤングな言葉だそうですよ」

「そうか」


 たぶん絶対どこか間違っている、と思いながらもゾロは生ぬるい目を向け仲間に慰められてちょっと回復したクオンの被り物を軽く叩いて流した。武骨な手に被り物の頭をぐりぐりとすりつけられて望むまま撫でてやる。


「ところで……あの船、沈めても構いませんか?」

「「「やめろ」」」

「多くても四肢の2本程度におさめますから!お願いします!!沈めるだけですから!クルーの深追いまではしません!!」

「執事さん、譲歩の仕方から間違ってると思うわ」


 回復すれば一拍遅れて凄まじい怒りが湧いてきたクオンが物騒な発言を口にしてゾロに被り物をわし掴んで止められ、え~~~やだやだ沈めたい、絶対沈める、潰す、すり潰す、おのれ許すまじ……と後半につれ地を這うように低くなる声音でのわがままはナミとサンジに首を横に振られて却下された。相棒の願いは聞いてやりたいがさすがに体を損なうのは同意できかねるハリーにも諦めろと言うように鳴かれ、クオンは本当にダメ?と首を傾けてゾロを見上げ、ダメだ、とすぐさま強く首を振られて、渋々、本当に渋々大変未練がましげに敵船に被り物の顔を向けて不承不承身を引いた。よしよし、よくできました、と言わんばかりに4人と1匹が頷く。


「……で、何だお前ら?」

「あ、よろしいでしょうか」


 胡乱げに眉を寄せて訊くゾロに発言の機会を得た海賊が伺い、沈黙の是を受けて大きな咳払いをひとつ。改めて名乗りを上げた。


「我々は“フォクシー海賊団”。我らの望みは…“決闘”だ!!!」

「よしでは今すぐ私ひとりで十分です言質は取りましたよ」

「「「待て待て待て待て」」」


 水を得た魚、または許しを得た犬のように元気と殺気を迸らせ微かに黒い稲妻に似た光を弾けさせたクオンを慌てて3人が止める。被り物の下、笑顔で惨劇を起こしそうなクオンにロビンがそっと囁いた。


「執事さん。ここで船を沈めたら、せっかく剣士さんと見る海が汚れてしまうし、航海士さん達にとても怒られてしまうわ。けど、大人しくしていれば“次の機会”はすぐに来るのではないかしら」

「…………確かに」


 ここで鬱憤を晴らせば海の中を見る機会はいつかになるが、さっさと彼らの言う“決闘”を終えて退場してもらえば「いつか」がそのときになる。文字通り骨を折った上で仲間に怒られることは確実な前者と、よく我慢ができたと褒められ極力穏便に済ませたのちの後者。天秤は早々に傾き、身を斬るような殺気がおさまっていく。


「“待て”よ、クオン。いいわね」

「ワン」


 ロビンの説得に応じた今が好機と念を押すナミに雪色の狗は素直に応えた。そうしてやっと一旦の落ち着きを取り戻したクオンにナミが深く息を吐き出して内心で呟く。


(何かクオン、性格変わった?前からこんなもん、と言われたらまぁそうなんだけど……)


 何だろう、航路を進むたびに少しずつ少しずつ、何かが変わっているような気がする。
 大きな変化ではない。けれど何かが違う。まっさらだったクオンに、少しずつ色がついていくような。あるいは、失くしていた色を、取り戻しているような─── そんな感覚があった。
 まぁ、多少変わっていてもクオンは変わらずクオンだし、変化に気づいていないはずがないハリーとゾロが何も言わず態度にも一切出さずに受け入れているから悪いものではないのだろう。そう締めて思考を止め、ナミは殺気にあてられてへたりこんだまま立ち上がれないでいるフォクシー海賊団のクルー達を眇めた目で見やった。


「“決闘”って何よ」

「説明させて……いただいても……?」


 恐る恐る、甲板にずらりと並ぶクルーのひとりがそっと手を挙げる。鷹揚に頷いたナミと無言で佇むクオンを交互に見て口を開いたフォクシー海賊団クルー曰く。

 “決闘”とは、即ち「デービーバックファイト」。船長同士の合意によって成り立つ、海賊のゲーム・・・だ。
 そのゲームを知っているらしいロビンが海のどこかにある海賊達の楽園「海賊島」でその昔に生まれたというゲームであり、より優れた船乗りを手に入れるため、海賊が海賊を奪い合ったと補足を入れる。

 へぇ成程とクオンは感心した。デービーバックファイトなるゲームは初めて聞いたが、随分と歴史のある遊戯のようだ。もっとも、遊戯と軽く呼べるような代物ではないのだろうが。
 そんなことも知らねぇでよく海賊をやってこれたな、と調子づいたクルーがこちらをバカにした物言いをしてクオンに睨まれた上に鋭い殺気をまともに受け「すみませんでした説明を続けさせていただきます」と慌てて続ける。度が過ぎれば仲間の許しを待つことなく牙を剥いて襲いかかってくるだろうとフォクシー海賊団のクルー全員の頭に叩き込まれた瞬間だった。

 敵に怖がられていることを知りながら、今のところ威圧だけで何もする気のないクオンは残る説明を黙って聞いた。長々とした説明をサンジが要約するに、


「─── 賭ける獲物は“仲間”と“誇り”。勝てば戦力は強化されるが…負けて失うものはでかい…えげつないゲームさ……!」


 ということらしい。成程分かりやすいとクオンが感心しきりに素直に頷き、ふと目を瞬く。


「では、海で会ったあのまとまりのない船も?船長や航海士がおらず、帆もありませんでしたし」


 その疑問に答えたのはフォクシー海賊団だった。キバガエル海賊団というらしいあの海賊達は先程「デービーバックファイト」を行い、5回ほど繰り返して全敗、14人のクルーと旗をきれいに回収されたようだ。
 フォクシー海賊団の証である黒いマスクをつけ、堂々と己が元船長で元船医で元航海士で元船大工と告げる面々をクオンは冷めた目で一瞥する。


(めんどうだ、ころすか)


 そんなことを、思って。
 思ったことに遅れて気づいて、クオンは揺らぐ鈍色をしばたたかせた。
 同時、急速にすべての音が遠のき、視界に白い斜がかかっていく。仲間を奪われるという事実を目の当たりにして顔色を変えたナミが叫ぶ声が耳朶を撫でるがそれはあまりに薄く小さく、そして抗うこともできずに頭の奥から聞こえてくる己の声・・・に意識が囚われていく。
 上下感覚も希薄なさなか、にじみ寄る冷たいに呑まれぬようなまくらが必死に抗った。


(まようことはない)(確かに船を沈める気はありましたが)(ころせばいい)(命まで取るつもりは)(とんだちゃばんだ)(ナミが“待て”と)(わたしにめいれいするな)(いいえ、命令ではありません)(ころせばいい)(ダメです)(はやくおわろう)(ゲーム参加の是非を問わねば)(くだらない)(海賊であるなら船長に従うべきです)(くだらない)(私は)(くだらない)(麦わらの一味で)(くだらない)(海賊です)


 頭の奥、閉ざされた記憶の向こうで、鋼がしろい目を眇めた。


(───── おまえわたしは)


 かいへい だろう。


 ……すくなくとも、いまは。


(違う……!!)


 引き攣った絶叫は音にならず、軋む喉の奥に消えていく。
 歪んだ口元からこぼれる呼吸が速い。脈動する心臓が痛い。鈍色に揺らめく鋼がとけるように消えていくが、それは誰の目にも映らなかった。


「私は……わたしは……」


 絞り出した微かな声は被り物の中にとけて誰の耳にも入らない。自分の耳にすら入らず、クオンは茫然と短く速い吐息を吐き出した。

 私は海兵なんかじゃない。私は麦わらの一味で、海賊だ。
 揺らぐな。忘れるな。迷うな。私は、海賊なんだ。そう在ることを、他の誰でもない、私自身が選んだのだから。


 ドン ドォ…ン!!!


「……っ!」


 唐突に響き渡った2発の銃声に、クオンははっと我に返った。あやふやだった五感が戻ってくる。しっかりと己の足で地面を踏みしめて空を仰いだ。
 銃声は遠かったからフォクシー海賊団の誰かが銃を撃ったというわけではなさそうだ。まさかルフィ達の誰かが銃撃を受けたのか。しかし、ナミが「まさか……!」と顔色悪く頭を抱え、サンジが「あ~あ~受けやがった…」と想定内だと顔に書いてひとりごち、ゾロが「望むところだ」と不敵に笑って、ロビンも「面白そうね」と微笑んでいるからそういうことでもなさそうである。


「ゲームを受諾した~~~ァ!!!」


 ひとりついていけていなかったクオンが首を傾げるよりも早くフォクシー海賊団が大きく沸き立って叫び、そのひと言ですべてを察したクオンはひとつ息を吐くと意識して呼吸を整え、何事もなかったように取り繕うと肩をすくめて「まぁ、ルフィならそうなるでしょうね」と苦笑まじりに呟いた。







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