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 落ち着く間もなくメリー号を襲う大波から何とか逃げおおせ、波も風も落ち着いたと航海士が判断して、麦わらの一味はようやくひと息ついた。

 辺りに敵影もなし、となれば始まるのは空島での収穫物の確認作業だ。
 空の海ではダメでも青海ならうまく乗れるのではと期待値高めにウェイバーに乗り込むルフィを見て「無理じゃないですかね」とクオンがこぼし、ルフィ以外の仲間が同意して頷いた通り、空の海と同様に見事な大転倒を決めてウェイバーから空中へと吹き飛ばされた。

 ちなみに、当然のようにルフィを助けようと飛び出しかけたクオンを止めたのはゾロで、「おれが行くからクオンは待ってろよ」と言うや否や海に飛び込んだのはウソップだった。どうやら青海に下りたときの能力の使用による反動を気にしているらしい。救助くらいなら負担などあってないようなものなので過保護ですねぇと思わないでもないが、まぁ空の海とは状況が違うため、ウソップに任せることにして大人しく身を引いた。






† 長い島 2 †






 結局ウェイバーを乗りこなすことができるのはナミだけで、使用者は限られるものの、小回りの利く移動手段を得たのは大きい。
 同時並行で空島の住民と物々交換で得た“ダイアル”をウソップが確かめてみれば“雲貝ミルキーダイアル”だけ使えず、残念ではあるが他の“貝”は問題なく使えるようだから総合的に見れば上々だ。
 青海において、貴重な空の資源は時に貴金属よりも価値がある。見るひとが見れば巨万の富をつぎ込んで欲してもおかしくはない。ウェイバー、“貝”、そして奪ってきた黄金─── 命を懸けるだけの収穫はあったとクオンは判じた。


「さて、お待ちかね!海賊のお宝は山分けと決まってるわ!!これだけの黄金だもの、すごい額よ!」


 場所を変えてラウンジにて、テーブルに広げた大量の黄金を前にナミが満面の笑みで言う。
 それに沸き立つのはやはり欲を隠さない男達で、クオンは微笑ましげにその様子を眺めていた。


「まず、私のへそくりが8割」

「「「「「いやちょっと…」」」」」


 一切の躊躇も後ろめたさもない清々しい笑顔のナミに、それはさすがにと男達が一転冷静にツッコむのもお約束。冗談よ…とナミは言ったがあれは決して冗談を言った顔ではない。クオンはロビンと顔を見合わせて笑った。


「ひとつ、提案があるの」


 ナミがそう言い、一旦黄金を片付けて食事の準備に入る。
 テーブルに並ぶのは種類も様々なサンドイッチだ。それとは別に栄養バランスを考えて用意された小振りのサンドイッチが数個置かれた皿がクオンの前に置かれる。ゾロの隣に腰を下ろしたクオンは被り物を外して早速手を伸ばしナミの話に耳を傾けた。たぶん、ナミと考えていることは同じでしょうねと思いながら。


「船を直しましょう」

「船を?このメリー号をか?」


 そうよ、とルフィの問いにナミが頷く。もうぼろぼろじゃないと続いた言葉にルフィは何の迷いもなく「そりゃいい!」と頷いた。
 反対する者がいるはずもなく、「大賛成だ!!」と満場一致で奪ってきた黄金はゴーイング・メリー号の修繕に使うことが決まった。それにいくらかかるのか分からないが、あれだけあれば足りないということもないだろう。たとえすべて使うことになっても異論を唱える者はいまい。
 そうなれば、それぞれサンドイッチを頬張りながら上がる話題はメリー号を起点としたものだ。


「そうだな、ウソップとクオンのツギハギ修理もさすがに限界だし」

「言っとくがな、おれは!!“狙撃手”だ!!」

「それでは私は…………そうですね、“雑用”でしょうか」

「「「「「「お前みたいな雑用がいてたまるか!!」」」」」」

「あっれぇ?」

「はり……」

「もしかして本気でそう言ってるのかしら」


 少し考えてからウソップに続けば総ツッコミを食らいハリーにも呆れられロビンに真顔で首を傾げられ、我ながら良い答えを出せたと思っていただけにクオンは釈然としないものを覚えながらもサンドイッチにかじりついた。
 ついでに「クオンが雑用なんて冗談じゃないわ!!クオンはそんなものにおさまるひとじゃないんだから!!!あっでも待ってそれだったら一緒にいられる?別に特別な役職ないものねならずっと一緒にいたっていいわよね何だったら私の専属添い寝係でも」という砂の王女の欲望に忠実なノンブレス発言の幻聴を聞いた気がしたのはクオン以外の麦わらの一味全員で、ロビンすらも例外ではなかったが、それをクオンが知る由もない。


「考えてみりゃ、“東の海イーストブルー”のおれの村からずっとおれ達を乗せて航海してくれてんだ。たまにゃあしっかりねぎらってやんねぇと、バチあたるってもんだぞ」


 サンドイッチ片手にウソップが言い、ルフィが「だったらよ」と声を上げる。


「“船大工”、仲間に入れよう!!旅はまだまだ続くんだ。どうせ必要な能力だし、メリーはおれ達の“家”で!“命”だぞ!!この船を護ってくれる“船大工”を探そう!!」


 それに、クルーは全員沈黙を返した。誰もが目を瞠り動きを止めて笑顔の船長を見つめる。


「…………こいつはまた…ホント稀に…核心を突くよ…」


 そう呻くように声を絞り出したのはウソップで、当のルフィ本人は何も気にした様子もなくコーヒーを啜っていた。
 だがすぐに「そりゃそれが一番だ!そうしよう!!」と同意の声が上がって再びラウンジはわいわいと賑やかさを取り戻す。クオンは自分用に作られた小さなフルーツサンドを片手に微笑みを深くした。
 まずはメリー号の修繕が最優先事項であるから仲間になってくれる船大工がすぐに見つかるとは思えないが、ルフィがこれと決めたのであれば勧誘した結果は火を見るよりも明らかだ。本人が本気の拒絶を示さない限りルフィはどんな手を使ってでも引き込もうとするだろう。船大工を仲間にすると船長が言ったのなら、遠くない未来に新しく仲間が増えるのは確定事項だった。


「船大工……ふふ、ルフィのお眼鏡にかなうのは、どんな方でしょうね」


 にこにこと笑って目を細め、ナミのみかんを使ったフルーツサンドを食べておいしそうに相好を崩すクオンの「良いもの」判定が男女種族美醜問わず誰でも対象だと知っているゾロがとんでもない節操なしの浮気者を物言いたげに見やり、視線に気づいたクオンは小首を傾げた。


「どうしました?ゾロ」

「……またお前の“浮気”相手が増えるなと思っただけだ」

「あは、そんなもの今更でしょうに」


 垣間見えた独占欲に、口元をほころばせてクオンは事実を告げる。たとえ仲間にならずともクオンが「良いもの」と定めるたびに“浮気”相手が増えていくのは止められるものではない。それが過ぎるほどに分かっているからゾロの声音には自他共に認める事実を咎めるような響きはなく、けれど恋心を抱えているから胸に湧く苦みを隠し切れていなかった。
 ひどい浮気性なクオンに惚れてしまった以上“浮気”は許さざるをえないが、かといって自分以外に目を向けられるのは当然面白くはないし、何も思わないはずもない。腹の底で煮える想いをくすぶる熱と共に眼差しにのせてぶつけてくるゾロに、その気持ちを厭わないクオンは甘く眦をゆるめるばかりだ。


「あなたがどこまでも許そうとするから、私はつい調子に乗ってしまうのですよ」

「お前だからな、それこそ今更だ」


 許容でもある諦めのため息をついて返したゾロの言葉が、仲間だからという理由だけではないことを敏く察したクオンは笑みを深めた。上機嫌に笑ってサンドイッチを食べ進め、最後のひと口を胃におさめるクオンを横目に適当に手を伸ばしたゾロがひとつのサンドイッチを取り、口に運んで、途端顔を歪めた。眉間に深いしわを刻んで手の中のフルーツサンドを睨む。


「甘ぇ……」

「おやおや、仕方のないひとですね」


 口にするまで気づかないとは、いったい何に気を取られていたのやら。クオンは笑みを崩さずコーヒーで口直しをするゾロの手から優しくフルーツサンドを奪い、代わりにハムサンドを握らせた。ハムサンドにかじりついたゾロが短く問う。


「入るのか、それ」

「入れますとも」


 小食なクオンの食事量を考えてサンジが用意した分は食べ終えたから腹は満たされているが、これくらいなら詰め込めば何とか入る。いや、入れてみせる。サンドイッチ片手に決意を固めたクオンは、引き取ったフルーツサンドを誰かに渡す気は最初からなかった。
 ゾロは「無理になったら言え」とだけ言い残してクオンから視線を外した。言われた通り、無理、とただひと言こぼせばおそらくクリームたっぷりな甘いサンドイッチを食べてくれるのだろう。
 ……そういえば、とふいに思い出す。一番最初にこの船で出されたデザートのチョコプリンを前に困っていたクオンを見て、この男は苦手だというのに掻っ攫うようにして半分食べてくれたのだった。もしかしたらそのときから甘やかしは始まっていたのかもしれない。もっとも、ゾロの様子を思い返す限り意図してのものではなさそうだが。


「…………」


 もそもそと食べ進めながら、クオンは考える。今までなら特に何も考えず行ってきた言動を改めて振り返った。恋とは何かを学んでいる今、ゾロと関わって得たものならばそうしなければならないからだ。


 ─── 私がこれを誰かに渡すことを一切考えなかったのは、なぜ?


 流れるようにルフィに差し出せば彼は何も言わずに口を開けただろうし、今もサンドイッチをおいしそうに食べているハリーに渡せばやはりこちらも何も言わずに食べてくれただろう。
 けれどクオンはそうしなかった。その考えがよぎりはしたけれど、微笑みの下で却下したのだ。……それは、なぜ?

 常ならば判断が早いクオンはゆっくりと考え、そして自分なりのひとつの解を導き出した。
 何の思惑もないあどけない顔をして、何も知らないがんぜない子供のように、自身の胸に湧いた、義務感でないことは確かな気持ちの正体を知るべく隣の男に痩躯を寄せる。気づいたゾロが見下ろしてきて、真っ直ぐに視線を合わせたクオンは賑やかな声が響くラウンジの中、片手を口元に立ててゾロにだけ聞こえる声量で囁いた。


「ゾロ。私、このフルーツサンドだけは頑張って食べきります。あなたにだって譲れません。これは、私があなたにもらったから、私のものです。誰にもあげない、あげたくない、この気持ちは……独占欲、というものでしょう?」


 まさか自分がこんな些細なものにまでそんなことを思う日が来るとは、我がことながら不思議なものだ。だが悪い気はしない。むしろ喜ばしかった。なぜなら、これはきっと、いずれゾロに差し出す恋心が着実に育っているという証左なのだから。
 にこにこ無邪気に笑って男に食わせる据え膳になるために自ら下ごしらえをしていくクオンを、スンと表情を消したゾロが見つめる。しかしその目だけはぶつける先のない欲にまみれて燃え、自分の恋心の成長は自覚していてもいまだに男の恋心への配慮が大変に欠けている女を恨みがましげに睨んでいた。
 なぜそんな目をするのかがよく分からず首を傾けるクオンに、ゾロは少しの沈黙ののち口を開く。


「…………そうだな」


 与えられたのは確かな肯定。
 望んだものをもらえたクオンはぱっと顔を輝かせた。満足そうに頷き、いつものへたくそな鼻歌を小さく奏でて己の独占欲を満たすべくフルーツサンドへかじりついた。







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