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 “雲の果てクラウド・エンド”の門が眼前に迫る。あの門を抜けたらあとは青海というわけだ。雲の川ミルキーロードが敷かれているのかとクオンは思うが、コニス達が笑顔で案内していたから何があっても問題はないだろう。


「まさかここから青海までフリーフォールとはならないでしょうし」


 最後までわいわいと賑やかな甲板から門を眺めて呟いたクオンは、いい加減自分が一級フラグ建築士だという自覚を持つべきである。






† 雲の果て 2 †






「では皆さん!私達はここまでですので!」

「お元気で、皆さん!!」


 門の両脇にある島雲にウェイバーを停めて降りたパガヤとコニス、そして空島産の狐であるスーがゆったりと泳ぐメリー号と並走して声をかけてくる。
 それに麦わらの一味もそれぞれ手を振り返してここまでの礼を言う。何だかんだ、エンジェル島のビーチに辿り着いてからこの父子には世話になりっぱなしだった。クオンも前方甲板の手すりから身を乗り出して「本当にありがとうございました」と礼を紡いだ。

 麦わらの一味からの礼を受け取ったパガヤはすぐに帆をたたんで船体にしがみつくよう言い、それに誰も文句を言わずに従う。クオンとゾロもどちらからともなく手を離すと動き出した。
 ゾロが帆をたたみ、他の男達とクオンで奪ってきた黄金を部屋へと運び入れる。

 途中逃がしたはずのサウスバードが何やら怒りながらメリー号へと駆け込み乗車ならぬ飛び込み乗船を果たしたが、まぁこれは些細なことである。さすがに同族といえどあまりのサイズ差に順応できる気がしなかったのだろう。


「─── さて…船長キャプテン。次の島への“記録ログ”もバッチリ!」

「んんそうだ!ここから降りたら、また新しい冒険が!!始まるんだ!!」


 “記録指針ログポース”を掲げるナミにルフィが弾む声音で返す。クオンは被り物の下で目を細めて笑みを浮かべ、続く船長の言葉を待った。


「野郎共!そんじゃあ……!!青海へ帰るぞぉ!!!」


 おお!!!とクルーの声が揃う。片腕を空に突き上げたルフィにゾロ以外の全員が倣い、その中にロビンも含まれていることを認めたクオンはさらに笑みを深めた。ルフィ同様短い腕を突き上げていたハリーの顎をくすぐる。
 そこに、コニスの声が届いた。


「皆さん、落下中お気をつけて!!」

「落下中???」


 スポーン、と、門の向こう、途切れた雲の川ミルキーロードから、メリー号は勢いのまま飛び出した。


「あら、まぁ」


 一瞬の浮遊感、のちの自然落下。何ということでしょう。クオンは目玉を飛び出して掠れた断末魔のような声を上げコニスとパガヤに取り縋ろうとする仲間の中でただひとり、のんびりと感心した。ハリーも目玉を飛び出しかけたが相棒の能力を思い出してはっと我に返ってクオンの肩にしがみつく。よしよし、何の不安も感じさせない優しい指に撫でられてハリーが気持ちよさそうに目を細める。


「「へそ!!!」」

「へそ!」


 笑顔で手を振る2人に、空島特有の挨拶をクオンも笑顔で返した。


「あああああクオン~~~~!!!!!!!!!!」

「ぎゃぁあああクオン助けて!!!!!!!!!」

「死ぬ!!!!これは死ぬ!!!!!!!!!!」

「いやぁああああああ死にたくない!!!!!!!」

クオン~~~~!!!!』



 クオンの悪魔の実の能力に何度も助けられてきた経験から、ルフィ、チョッパー、ウソップ、ナミが一斉に痩躯へしがみついた。ルフィはクオンの胴体に巻きつき、チョッパーは被り物に飛び乗って、ナミが腕に、ウソップは脚を抱き込むようにして縋りつく。クオン以外には聞こえない“声”が救いを求めて絶叫した。ロビンは悲鳴こそ上げなかったもののさすがに顔色を悪くして燕尾服の裾を掴み、クオンの肩の上で大丈夫だと言うように彼女に向かってハリーが頷いていた。
 目を剥いて今にも死にそうな彼らにクオンがくすくすとおかしげに笑って肩を揺らす。そうして、空島へ昇る前に思ったことと同じ感想を抱いた。


「成程これが阿鼻叫喚」


 しみじみと呟くクオンに、今度は怒声は上がらない。そんな余裕もないのだろう。
 ひとり平然と佇むクオンを見て、ゾロとサンジが少しだけ落ち着きを取り戻した。それでも顔色が悪いサンジが早口で訊いてくる。


「おいクオン、お前ならこのまま落ちても大丈夫なんだろうけどよ、本当にこれどうにかなる高さなのか!?」

「まぁ……この高さなら精々が四肢の一本か二本程度では?大丈夫でしょう」

「「「「「全然大丈夫じゃねぇな!!?」」」」」

「いやぁああクオンが傷つくのはいやでも死ぬのもいやああああ」

「ハリネズミ君、どうにか執事さんが傷つかないで済む方法はないかしら」

「きゅきゅーぁ」


 さらりと何てことないように答えれば絶叫する男ども、涙を流して腕にしがみつく力を強めるナミと、クオンの相棒なら良い案はないかと問うて無情にも首を横に振られるロビンを順に一瞥したクオンは、「まぁ、まさか本当にこのまま自然落下はさせないでしょう」とコニスとパガヤの様子を思い出しながら呟いたが、残念なことにその言葉を聞きとめたのはハリーだけだった。


「……ん?何か来ますね」


 クオンの鋭敏になった感覚が何かの生き物の気配を察知して目を向ける。一拍遅れ、目の前に広がる雲の壁からバフッ!!と巨大な何かが飛び出してきた。


「おや、これはこれは大きなタコではありませんか」

「ぎゃああタコォ~~~!!!」


 メリー号に跳びかかった巨大なタコはそのまま船体を包むように触腕を伸ばしてまとわりつく。ウソップが悲鳴を上げ、クオンにしがみついていた面々がさらにぎゅうぎゅうと強く抱きついてきた。
 こんなときにすわ襲撃かと刀の柄に手をかけたゾロをクオンが止める前に、メリー号が唐突に落下速度を落とした。船体ががくんと一度大きく揺れ、体勢維持に意識を割いていなかった全員がバランスを崩して床に倒れ込む。
 ルフィ達にしがみつかれていたクオンも同様にしがみつかれたまま自身を下敷きにべしゃりと背中から倒れ込んだ。寸前で能力を使ったためにしたたか背中を打ちつけることはなかったが、胴体に巻きついていたルフィの衝撃がそのまま入って「うぎゅ」とくぐもった悲鳴を小さく上げ、ぎゅ───!と同じく下敷きになりかけたハリーが抗議するように高く鳴いた。

 何なんだ、と言いかけたルフィがクオンの胸元から顔を上げて頭上を仰ぎ、巨大なタコの触腕が船を覆っているのを認めて即座に身を起こすとよく見るために船べりへと駆けていった。


「おい見ろすげーぞコレ!!」


 途端目を輝かせたルフィが楽しそうに笑う。巨大なタコはバルーンのように頭を大きく膨らませているようで、メリー号の落下速度を極限まで落としている。しがみついていた面々が立ち上がって確かめるのを視界の端に置き、クオンは甲板に横たわりながら触腕を眺めて「空島という場所は最後まで飽きさせませんねぇ」とのんびり呟いて上体を起こした。いまだしがみついて離れない、がくがくと死の恐怖の余韻に震えるウソップの背を優しく叩いて撫でる。


「おいクオン、怪我はねぇな」

「ええ、問題はありません」


 床に座り込んだままでいれば傍に寄ってきたゾロに訊かれ、即座に偽りなく返す。能力の使用は微量だったため本当にどこも痛んではいない。
 クオンの脚から腰に腕を回して抱きつくウソップは怖々と巨大なタコを見上げてはいるもののもう暫く離れてくれそうになく、震える背中に手を添えて一瞥を落としたクオンは、次いでゾロを見上げた。
 と、何かを察したゾロが眉を上げる。クオンは被り物の下で唇をゆるめると両腕をゾロに向けて伸ばした。


「ん」

「…………」


 ものすごく物言いたげにゾロが半眼になってクオンを見下ろす。ゾロの恋心を分かっていて甘えるように抱っこを要求するクオンの肩の上から素早くハリーが降りていった。その小さな背中がおれは絶対関わらねぇと語っていることに、見つめ合う2人は気づかない。
 ゾロの沈黙はほんの僅か、目を逸らすことなく身を屈めて慣れた動きでクオンを片腕に抱えると腰を伸ばした。クオンに縋りついていたウソップが一番の安全圏でもある仲間と引き離されて「ああっ……」と情けない悲鳴をこぼしたが、2人はまるっと無視をした。
 ゾロの首に腕を回して抱きつくクオンは、確かに頼りになる仲間にこうしていれば安心感がすごいと気づきを得て、じとりと無言で見つめてくるゾロと被り物越しに目を合わせた。形の良い唇が弧を描く。


「本当に、私に甘いですねぇ、ゾロ」

「自覚があるようで何よりだ」


 副音声で「お前、マジで、覚えてろよ」と獣の唸りが聞こえた気がしたが、おそらくは気のせいではないだろう。
 緊急事態でもない今ならゾロは拒否しないだろうと分かっていて試すようにクオンは腕を伸ばしたし、クオンが分かっていてそうしていると分かっていてゾロは嫌な顔ひとつせずに応えた。甘やかせば甘やかすだけ、クオンはこの腕の中にいると知っているからだ。
 そんな男の下心も何となく分かっているクオンはにこにこと上機嫌で、この男に「よし」を告げたらどうなるのやらと思いはするがやぶさかではないのでそのまま流し、ゾロがひっそり「こいつ ぜったい ぶちおかす」と腹の底で決意を都度固めに固めていることまでは気づいていない。最大火力で煮込まれた恋心は既に煮詰めすぎてカラメル状どころではないのだが、恋愛経験など皆無なクオンはまったく知る由もなくあどけない子供のように無垢な顔して笑っていた。これにはさすがのハリネズミも無言で首を横に振って見捨てるレベルである。


 カラァ──…ン!! カラァ──…ン!!


 ふいに美しい鐘の音が響き、ゾロに抱えられたままクオンは空を仰いだ。他の麦わらの一味も同じく顔を上げてその調べに聴き惚れ、自然と笑みを浮かべる。
 クオンは無言で被り物を外した。高く澄んだ島の歌声を、鮮烈な輝きをもってともるシャンドラの灯を、ほんの僅かでも遮られないように。

 鐘が響く。空の上で鐘を鳴らしてくれている人々がいる。万感の想いを伝えて、青海まで無事に帰れと送り出してくれていた。


 カラァ──…ン!! カラァ──…ン!!


 何度も何度も、途切れることなく鐘が鳴る。
 耳を澄ますと聴こえる鐘の音は、今日も鳴り、そして明日もまた鳴る。きっともう、二度と絶えることはない。


 ─── どうか、どうか、この美しい音がいつまでも聴こえる、善き国でありますよう


 クオンは秀麗な面差しに慈愛のにじんだ笑みを浮かべ、鈍色の瞳をやわらかく細めて内心で言祝いだ。

 鐘の音が鳴り響く中、おもむろにクオンを抱えたまま動き出したゾロは中央甲板のマストに腰を下ろして凭れた。
 白い痩躯をあぐらに乗せる。クオンはおさまりのいい位置に座り直し、ゾロの胸板を背凭れに落ち着くと深く息を吐き出して瞼を閉じた。
 荘厳な音が耳朶を打ちつける。青海へ向かってゆっくりと落下しているからいずれは聴こえなくなるだろうけれど、それまではいつまでもいつまでも聴こえると疑わない澄んだ調べに、飽きることなく聴き入った。




 ■■■■■□□□□□


 ...... TO BE CONTINUED






























 ───── その女の最期を、誰も知らない。
 骨ひとつ、髪の毛ひと筋残さず、その命を散らした女が今際に何を告げたのか、知る者はこの世にいなかった。


「はぁ、はっ、は……あは、あははは、はははははははは」


 荒い呼吸と共に女は哄笑した。“神”の罠によって追い詰められているというのに、目の前に複数の敵を前に澄んだ声で高らかに嗤っていた。
 共に戦場へ出たシャンディアは逃がした。彼らはきっと自分が残した言葉に添って生きてくれる。報復のために滅びを選びはしない。女はそう信じた。だってまだ、それは早いでしょう?

 日焼けを知らない真っ白な肌を血に濡らし、雪色の長い髪を揺らして、人外じみた美しい面差しを笑みに歪めて、灰がかかった鋼の瞳を爛々と輝かせた女は形の良い唇で呪いを紡ぐ。“神”に従い女を捕らえようとする敵に向けて、いずれきたる滅びを告げる。


「愚か、愚か!あまりに愚行!おぞましいほどの愚考!!この私を、“滅びの血族”たるこの身を欲するか、この国の王たる“神”よ!!」


 女は叫ぶ。己の死期をここに定め、両腕を広げ、芝居じみた口調で謡うように続けた。
 ついぞ戦場にすら現れず、遠くから女を見て己が身に湧いた欲望に燃える“神”への冒涜を綴る。


「我らが滅びの血族は呪われた運命に犯され、地獄の宿命に抗うこともできずにさまよう呪物である。長い永い時と共に怒りと恨みを積もらせ、怨嗟の念に魂を侵され、災厄と破滅をもたらす災害と化した私を不相応に求めるか!はははははははは、我らへの心からの愛なくして、お前達に待つのは滅びのみだというのに!!」


 女は語る。心から愛してくれたシャンディアには決して見せることのない、あまりに冷酷な嗤笑を添えて。
 ふ、と女の美しい貌に静けさが戻る。


「……ああ、でも、私には力が足りない。この国に滅びをもたらすにはあまりに足りない」


 もう少しでも力があれば。知略をめぐらせるだけの聡明さがあれば。常に最善を選べる判断の速さがあれば。
 しかし、たらればを考えてもどうしようもない。女はもうじきに死ぬと決めている。


「だから託しましょう。いずれこの国を滅びへ導く、我らの裔にして祖。私達の終わりの始まり。狂った螺旋をそそぐ者─── どうか」


 女は願う。
 この先に産まれ落ちる、血族が永い時をかけて待ちわびた最後の裔。
 どうか、どうか、この国に滅びをもたらして。私には聞こえないシャンディアの“声”を聞いて。彼らが希うシャンドラの灯をともしてほしい。


「私は先に逝きます。地獄への道連れを、少しばかり伴って」


 女をできるだけ傷つけずに捕らえるために、眼前で首を揃えるは屈指の精鋭達。彼らを一気に削れるのならば、この命の何が惜しかろうか。
 あまりに美しい微笑みに見惚れ、敵は動けない。女が命を懸けて抵抗をするつもりだと悟りはしたが、それをねじ伏せて捕らえ、“神”のもとへ連れ帰ればいいと思っている。あわよくば“神”に献上する前に少しだけ味見ができないかと考えていることも、女には手に取るように分かっていた。だから道連れにすることを躊躇わずに済んだのだ。


「どうかこの国に、安穏たる滅びをお招きください。私は滅びの血族─── イブリース・・・・・がひとり」


 続けて、女は自身の名を紡いだ。シャンディアの中でも知る者が少ない本名は、彼らの記録に残させなかったからこのままここで潰えることを分かっていて。
 シャンディアは女を“イブリ”と呼ぶ。かつてはじめにこの空へやってきた者がそう名乗ったからだ。欠けた名で伝わっているのなら、それを正そうとは女はしなかった。女の前に代々流れ着いたすべての血族も同様だろう。どう見てもワケありの自分達を快く受け入れてくれた彼らに、血族がもたらす不穏な種は残しておきたくなかったのだ。

 血族の名が紡がれたとき、そこには必ず滅びがやってくる─── などという不穏な逸話が青海でまことしやかに流れていることを、女は知っていた。すべてがすべて偽りというわけではない、ということも。

 やわらかな微笑みと共に呪いを紡ぎ、女は懐から手の平よりも大きな円筒形の爆弾を取り出した。青海で逃走する際に使ったものではなく、敵に捕まったときに自決するための殺傷能力が高すぎるそれ。放たれれば骨ひとつ、髪の毛ひと筋残さずこの命を散らしてくれるだろう。

 女は顔色を変えて飛びかかってくる敵を気にすることなく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
 数多くの血族がこの空に来ているから、縁を辿って裔はこの空までやってくる。滅びを連れてやってくる。まったく無意識でも、本人にそのつもりがなくても、いずれ血族すら滅ぼしてくれる裔は、必ず。


「この空の国に滅びを」


 そしていつの日にか、私達血族にも永遠とわの滅びを。滅びの血族は、気が狂いそうになるほどの長い時の中で、もたらされる自分達の滅びすらをも願っているのだから。


(どうかお願い致します、私の、私達の───)





























 ──── さいごの おうさま







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