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 出航準備を整えていたナミが待つメリー号へと飛び乗り、パガヤとコニスの案内によってスカイピアの下層─── 白海へと降りた麦わらの一味は、中央甲板に広げられた大量の黄金を前に盛り上がっていた。
 黄金!黄金!!黄金!!とルフィ達が満面の笑みではしゃぐ。


「ついにおれ達は大金持ちだぞ!何買おうか!?でっっっけぇ銅像買わねぇか!?」

「バカ言え何すんだ。それでここは大砲を増やすべきだ!!10門買おう!」

「ナミさん♡おれ鍵付き冷蔵庫が欲しい~!」

「おれなぁ!おれはなぁ!!本が買ってほしいんだ!!他の国の医学の本読みてぇんだ」

「酒」


 三者三様ならぬ、五者五様の様子を微笑ましく眺めるクオンはひとつ提案はあれど今は口にせず、ゾロの隣でにこにこと相好を崩していた。
 ちなみに単独行動の件はロビンの口添えによって誤魔化され何とかナミの雷は避けられたものの、眉間に深いしわを刻みまったく信じていない様子のゾロによってクオンは右手をがっちりと握られた上に指まで絡んでいたりする。






† 雲の果て 1 †






 自分の要望を口にして騒がしい男どもを前に、一味の金庫番でもあるナミは「お宝の山分けはまずここを降りてからよ!」と一喝してまとわりついてくるチョッパーの両頬を片手で挟んだ。それでも「本買ってくらはい」と食らいつくチョッパーは余程新しい医学書が欲しいらしい。あんたらの好き放題買い物したら何も身にならなそう…と続けたナミのぼやきには内心で賛同するクオンだった。まぁ、チョッパーの希望は医者として、ひいては麦わらの一味に大変役立つものでもあるので一考の余地は十分にあるが。


「皆さん!前方をご覧ください!」


 ふいにメリー号と並走するウェイバーからコニスの声が上がり、見えましたと示された先に視線を滑らせれば、そこには雲の海に造られた建物があった。
 スカイピアへと至るときに通った門とはまた違う、まるで駅のような赴きをした建物が大きく口を開けて通過者を待ち構えている。あれが“雲の果てクラウド・エンド”らしい。
 へぇと興味を引かれたクオンがよく見えるよう前方甲板へ上がってみれば、繋いだ手に引かれるままゾロも続いて手すりに腰掛けた。


「あー、降りちまうのかーおれ達」


 羊の船首に寝そべって名残惜しげにルフィがこぼし、サンジもいざ降りるとなると確かに名残惜しいと呟く。それに同意するように「この真っ白い海ともお別れだ」とゾロが言って、手すりから身を乗り出したチョッパーが「空島楽しかったなー。恐かったけど」と正直な気持ちを紡いだ。


「また来ることができれば、新しく生まれ直したこの国を巡ってみたいものですね」


 やわらかく鈍色を細めたクオンの声は被り物を通して低くくぐもり抑揚を欠いて感情を窺わせない。だがクオンの性格を存分に知っている麦わらの一味ならば、愛嬌があるようで間の抜けた猫を模した被り物の下にある秀麗な顔がどんな表情をしていて、どんな声音で言葉を紡いだのかが手に取るように判る。
 指を絡めた手に力がこめられたのを感じて、クオンは船の外に向けていた顔を自分の右手へと向けた。そこに重なる男の手から腕へと辿り、眉間にしわを刻んで見上げてくるゾロの顔を見る。


「………」


 クオンは無言で少し考えた。ゾロから伝わってくる感情の揺れは、おそらく嫉妬の類と思われた。
 ワイパーを改めて「良いもの」と定めたことは、宴の際にクオンが素顔でジョッキを交わしたのをゾロは少し離れた場所で目にしていたから知っているはずだ。クオンは青海で生きる麦わらの一味として、ワイパーは空で生きるシャンディアとしての決別を交わしたことも。
 それについては何も言われていない。けれど先程の発言がワイパーを思い浮かべてのものと思ったのか、今伝わってくるゾロの内心がこの浮気者めとなじっているようで、口にはしないが隠し切れなかった嫉妬を浴びせられたクオンは甘く眦をゆるめた。


「……ふふ」


 小さな笑声をこぼし、立ったまま船の外を見ていたクオンが手すりに腰掛けるゾロの隣に腰を下ろす。向けられた目に揺らめく熱があるのを認めたクオンはゾロと同じだけ、絡める指に力をこめた。僅かに首を傾けて下から覗き込むようにしてゾロを見つめる。被り物越しに目が合った気がした。ふにゃり、形の良い唇がゆるんで鈍色が甘く細まる。


「いけませんね、私、あなたの嫉妬が嬉しいと…そんなことを思ってしまう」


 秘密を囁くように、ゾロにだけ届く声量で紡がれた言葉に男の目が瞠られた。次いで口元が苦く歪む。開かれたまま閉じる様子のない感覚が、自分が抱いた嫉妬を悟らせるつもりはなかったのだと男の気持ちを伝えてきて、それが隠される前にクオンは言葉を継いだ。


「隠さないで、ちゃんと教えてください。言ったでしょうゾロ、私に教えてと。やわらかくあたたかいものだけを今の私は望みません」


 あなたもそうでしょう、だから私に恋を思い知れと言ったのでしょう。あなたが言い出して、私が希って、それに頷いたのだから教えてくれなければ困る。
 クオンの表情は被り物に覆われて誰の目にも映らない。けれどクオンの素の声と性格を存分に知っているゾロに重なる手から伝わるものは確かにあったようで、眉間のしわが深くなった。


「私は嬉しいと思ったのです、あなたの嫉妬が私を想うゆえのものだと分かりましたから。だからどれだけなじってくれてもいいのです、隠されて分からなくなる方が嫌ですから。……ねぇ、ゾロ」


 密やかに、どこか甘さを含んだ声音で名を紡いで、クオンは男と肩が触れ合うほど近くに身を寄せて囁いた。


「あなたの恋心は、私のものでしょう?」


 恋心由来の熱も欲も醜さも、全部全部ぜぇんぶ余すことなくすべて私のもののはずだと、絶対的に信じるクオンはそうのたまって、だからいずれ育ちきった私の恋心もあなたのものだと言外に告げた。


「…………は───…」


 自分の発言が間違っているとは露ほども思わない様子のクオンを呆然と凝視していたゾロが肺の空気すべてを吐き出すように深く重いため息をついて片手で顔を覆う。そのまま項垂れるようにして俯くゾロにクオンは首を傾げた。指が絡んだ手にさらに力がこもり、触れ合う箇所から伝わる体温が熱を増した。


「ゾロ?どうしたのですかゾロ?私、何か変なことを言いました?」


 俯いたきり何も言わず微動だにしないゾロの肩をクオンが白手袋に覆われた左手でぺちぺちと叩く。
 がっちりと重なる手は離れる様子はないから気分を害したというわけではなさそうだが、力なく項垂れる様子が途方に暮れているようにも見えてどうしたらいいのか分からない。
 そんなクオンの右肩に乗ったハリーが「これでまだ無自覚なんだからおっそろしいなこいつ」と言わんばかりの目を相棒に向けているがクオンが気づくことはなく。クオンがずっとこの調子ならいつかゾロの理性がブチ切れても仕方がない、そのときは相棒でも見捨てようと男への同情から心に決めたハリーだった。


「…………お前、本当に……」


 肩を叩いていた手を何かしらの反応を求めるようにさする動きに変えたクオンへ、男の低い呻きが届く。ぐっと唇を引き結んだゾロが途中で止めた言葉をもし続けたなら、たちが悪すぎる、と繋がれるはずだが、それはハリーにしか予想がつかず、クオンは疑問符を浮かべて目をしばたたかせただけだった。
 その鈍色の目が、ゾロの首筋と耳を映してはたと瞬く。隠すものがなくあらわになったそこはほのかに赤い。クオンはもうひとつ瞬いて、そしてぺろっと口を滑らせた。


「ゾロ、もしかしてあなた、照れ───」

「もう黙れ」


 言葉と共に横に薙がれた男の右手が被り物を容赦なく回す。くるくると回る被り物だが目が回るものではなく、少々見にくいが顔を上げたゾロの頬に赤みが差しているのを目にしたクオンは、んふふと楽しげに肩を揺らして指で被り物の回転を止めた。
 眉間にしわを刻み、恨みがましげに半眼でじとりとこちらを睨むゾロの眼光も何のその、男の眼差しが熱を帯びているのが分かれば気分が上向くだけだ。恋心を隠すことをやめたゾロに、じりじりと焼かれたように熱くなる心臓が鼓動を増していく。きゅーん、と心臓が引き絞られたように甘く痛んで、能力も使っていないのにこれは何だろうと思いながらゆるんだ口から言葉を落とした。


「かわいいですね」


 誰が、とは言わなかったが、正確に伝わったようでゾロの口角が歪む。だが嫌そうではない。嬉しいのか。どんなものであれ、クオンの好意的な気持ちは嬉しいものらしい。それはクオンにも理解できる気持ちだった。
 そういえば、確かゾロは私が「かわいい」顔をすれば煽られるんでしたっけ、とふと思い出す。二度言われたときはどちらもいっぱいいっぱいな状況で意味をよく理解できなかったが、今なら分かる気がする。「かわいい」顔をしているのを見れば、もっとそんな顔をさせたいような、意地悪をしてみたいような、どこまでも甘やかして愛でたいような、さらに深い場所に触れて許されたいような、色んな欲求がふつふつと湧いてくる。


(かわいい……うん、ゾロはかわいい)


 故郷の海で魔獣と呼び恐れられた、どう見ても可愛らしさの欠片もない筋肉自慢の強面な男をつかまえてそんなことを思うクオンの内心は誰にも届かない。本当は声に出して言おうとしたが、それを誰かに聞かれて同意されたらと思うと何となくもやっとしたから呑み込んだのだ。ゾロが「かわいい」ことは、自分だけが知っていればいい。
 それが独占欲というものだと恋を学んでいる最中の女はまだ気づかないまま、あとでこのよく分からないもやっと感は今度ゾロに聞いてみようと呑気に考えた。







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