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 歴史の本文ポーネグリフとロジャーが残した文章から何かの答えを導き出したロビンは、常に努めてまとう穏和な気配を拭い去ると真剣な顔を酋長へと向けた。


「酋長さん。この歴史の本文は、もう─── 役目を果たしているわ」


 そして優秀な考古学者は語る。世界中に点在する、情報を持ついくつかの歴史の本文は、それを繋げて読むことで初めて“空白の歴史”を埋めるひとつの文章になる。
 繋げて完成する、いまだ存在しないテキスト─── 真の歴史の本文リオ・ポーネグリフ
 海賊王ゴール・D・ロジャーは確かに、この文を目的地に届けていると。
 だからもう…と続けようとしたロビンの言葉を遮るように、「では…」と酋長は口を開いた。肩を小さく震わせ、眉間に深いしわを刻み、長く続いた戦いの報いを確かに得た喜びをにじませて。


「我々は…もう…戦わなくていいのか…?」


 どこか呆然と呟いた酋長は、戦士の一族を統べる者として今までに何度も仲間を戦地へ送り、そしてその死を見届けてきたのだろう。
 酋長と近い年齢の者はシャンディアにはあまり見当たらない。こぼれ落ちた涙にどんな想いが詰まっているのか、いったい何人の同士をなくしてきたのか、クオンには想像することしかできなかった。


「先祖の願いは……!!果たされたんだな……!?」


 堪え切れず涙を流してくずおれる老人が絞り出すように紡いだ言葉に、ロビンが優しい笑みを浮かべて「ええ…」と頷く。クオンは酋長を囲むシャンディアを眺め、被り物の下でそっと微笑んだ。






† シャンドラ 6 †






 涙を拭い、ぴんと背を伸ばして立ち上がった酋長は、おもむろに折れた巨大な黄金の柱へと近づくと柱の根元を杖で軽く叩いた。


「時に娘……あんた達オーゴンを欲しがっていたな。青海では大地ヴァースより価値があると…この折れた鐘楼の柱をどうだ。鐘の方はやれんが…」


 酋長に続き、他のシャンディア達からもそれは良い考えだと声が上がる。元々何とかして礼をしなきゃならんのだから、と。


「いいの?それはみんな喜ぶわ!」

「ナミが目の色変えて喜びそうですねぇ」


 現在麦わらの一味の半数はノラの腹の中で黄金回収に勤しんでいるが、あの中にある量とこの黄金の柱では文字通り桁違いだ。
 ロビンが嬉しそうな笑みを見せ、クオンも肯定的な姿勢を示すとその場にいる者達が早速遺跡まで運ぼうと動き出した。わいわいと賑やかな空気にクオンの頬もゆるみ、ああも大きければ持っていくのも大変だろうからと白手袋に覆われた左手を掲げた、そのとき。
 その手を握り締める、しなやかな女の手。


「………」


 視線を上げればにっこり笑うロビンと目が合う。大変な笑顔だ。花咲くような、反論の一切を許さない凄みを帯びた微笑みだった。


 ─── ダメよ、執事さん。


 声なく制するロビンはにっこり笑っているのに目がまったく笑っていない。クオンはそっと左手を下ろした。懸命な判断をしたクオンの右肩の上でハリーが何度も深く頷く。ロビンに手を引かれるまま運搬作業の輪から引き離されていくのに抵抗はしなかった。


「ロビンがナミみたいに容赦がありません……」

「はりはりぃ」


 ぼそりと呟けば自業自得じゃね?と言うように短くハリーが鳴く。ロビンは涼しい笑顔で黙殺した。
 怒られたくはないので大人しくしておこうと決めたクオンが手を離されてもその場に佇んでいれば、ふいに横からかけられる声があった。


「女よ…─── あの麦わらの小僧だが、かつてのロジャーと似た空気を感じてならぬ。吾輩の……気のせいか…?」


 そう問うたのはガン・フォール。振り向いたロビンがやわらかな笑みを浮かべて答える。


「彼の名はモンキー・D・ルフィ。私も興味が尽きないわ」

「“D”…成程、名が一文字似ておるな…!」

「そう…それがきっと…歴史に関わる大問題なの」


 意味深に言葉を繋げたロビンに、どういう意味だろうとクオンは隣で首を傾ける。ロジャーとルフィに共通するDがいったい何だというのか。


「そういえば、執事さん」

「?」


 唐突に視線を向けられ、クオンは首を傾けたまま被り物越しに視線を返した。ぱちりと目が合った気がする彼女が薄く微笑んだまま、真剣な光で聡明な瞳を輝かせて問う。


「ロード歴史の本文ポーネグリフとは、何かしら」

「……ああ、ゾロとのしりとりで私が言った単語ですね」


 一瞬何のことだと思いはしたが、すぐに思い出してひとつ頷く。そして返した言葉は。


「さあ?」


 間。


「…………そんな顔をしないでください。私にも本当によく分からないのです」


 笑みを消したロビンの真顔はさすがに怖い。軽くふざけただけだから許してほしい。禁忌と知りながら歴史への探求心が強ぎて諦めきれなかった、一度は死を望んだくせにロジャーが残した一文を見た途端水を得た魚のようになった考古学者にこの手の冗談は絶対NGだと心に刻んだクオンである。
 本能的にちょっと距離を取って視線を宙に泳がせたクオンは被り物の頬を指で掻いた。


「あのときは頭にぽっと浮かんだ単語を言っただけです。たぶん、過去の私が知っていた何かだとは思いますが、今の私では何の意味があるのかさっぱりです」

「そう……」


 肩をすくめるクオンが嘘をついているとは疑っていないようで、ロビンは「じゃあ、あなたの記憶が戻ったらまた訊くわ」と綺麗な笑みを刷いた。それにクオンが目を瞠る。じっとロビンの横顔を見て、彼女が視線に気づく前に意識して外した。


(『記憶が戻ったら』……少なくとも私の記憶が戻るまでは、一緒にいてくれるつもりはあると。─── 麦わらの一味のもとに)


 そして、記憶を取り戻した元海軍本部准将だったクオンを相手に問うて、何かしらの答えが必ず返ってくると、そうロビンは疑っていないのだ。おそらくは無意識に。
 開きそうになる口を努めて閉ざす。きっとこの考えをロビンに投げかければ、彼女は改めて自分と麦わらの一味の間に引いた線を強く引き直すかもしれない。だから今はまだ、これを口にしてはならない。そう思って、けれど形の良い唇は湧き上がる感情にほころぶ。ロビンがそう思えるようになっていることがとても嬉しいと素直に思った。










 クオンとロビンが先頭を歩き、黄金の柱を運ぶ空の住民達を率いるようにしてシャンドラの遺跡に戻ってきたときにはどうやら黄金回収は終えていたようで、いまだ眠り続ける大蛇の傍らにナミ以外の麦わらの一味が揃っていた。
 何やらぎゃんぎゃんと騒いで軽く喧嘩もしているようだが、いつもの通り仲が良さそうで何よりである。クオンは被り物の下でほけほけと花を散らして笑った。
 こちらに気づいたウソップが「おい見ろクオンとロビンだ!!」と声を上げ、そのひと言で喧嘩をやめたルフィがぱっと満面の笑みを描いて両手を上げる。


「お~~い!クオン、ロビ~~~ン!!急げ急げ!逃げるぞ、黄金奪ってきた!」

「アホ!!言うな!後ろ見ろよ、みんな一緒に帰ってきてる!」


 正直に大声で言うルフィにサンジが慌ててツッコみ、布を巻いた黄金の柱を巨大な大砲と勘違いしたウソップが顔色を変えて「やべ───!」と叫ぶ。それにチョッパーも慌てて悲鳴を上げ、「こりゃ一気に帰ってきたな」とゾロがため息をついてクオンにじとりとした目を向けた。何も言わずに出てきたから、心配もかけてしまったのだろう。クオンはゾロに向かって上げた手をひらりと軽く振った。

 クオンが後ろの布に包まれたものは大砲ではなく、と説明する暇もなくルフィが慌てたように担いだ袋の口から覗く黄金の数々を見せて「船に乗れ!もうここにはいられねぇ!」と急かした。ほら見ろ大漁っ!と続けた通り、少なくとも男4人が担ぐ袋いっぱいに黄金が詰まっているのだろう。


「「………」」


 クオンはロビンと顔を見合わせた。お互い無言で視線を交わし、再びルフィ達へと戻す。
 空の住民達がまさかもうここを出る気では、と察してどよめき、慌てて「おい待てお前ら!!待ってくれ!!」と制止しようとするが、ルフィ達は黄金を奪ったことを責められると勘違いして逃げようとする。
 鈍色をしばたたかせ、クオンはちらと背後を一瞥した。巨大な黄金の柱と比べれば、ルフィ達が得たものはほんの僅か、小銭程度。しかしあれらはルフィ達が集めたものだ。空のお宝を奪い、そして逃げようとしている。捧げられるようにして得たものではない。─── 麦わらの一味は、海賊であるからして。

 今まさに逃走しようとするのに何やら大声で口上を紡ぐウソップに微笑み、クオンとロビンの2人を急げ捕まるぜと急かすサンジに笑みを深めて、クオンはブーツの底を鳴らしてロビンの前に歩み出ると彼女を振り返った。


「行きましょう、ロビン」


 白手袋に覆われた手を差し出す。被り物越しに、真っ直ぐに鈍色を据えて。右肩に乗ったハリーも同じようにロビンを見上げた。
 本当は黄金回収を終えたらすぐに逃げるつもりだったのだろうに、麦わらの一味は誰一人として仲間を置いていこうとはせずぎりぎりまで待っていた。ナミがこの場にいないのはおそらく船をすぐに出せるようにしているからだ。たとえクオンがロビンと共にいなかったとしてもそれは変わらない。まぁ、まだロビンへの信頼度が高くないゾロなら先に船に乗ってる、くらいは言いそうだが、それでもルフィ達がロビンを待つこと自体に文句はないのだ。

 大丈夫、私達は、あなたを決してないがしろにしたりはしない。
 言葉にはせずそんな思いをこめてクオンが差し出した手をロビンはゆっくりと瞬きをして見つめ、瞼を下ろし、すぐに開いて、ゆるやかにつぼみが花開くようにして微笑むと己の手を重ねた。


「捕まるって何の話だ!?おれ達は礼を……」

「おいあんた達…!このオーゴン受け取ってくれるんじゃ」


 ルフィ達が背を向けて駆け出していくのを見て、わけが分からずうろたえる空の住民達を振り返ったクオンとロビンは、同時にふふっと笑みをこぼして声を重ねた。


「「いらないみたい」」

「……ですよ」


 ねぇ、と顔を見合わせて2人は笑い合う。ああ、とてもおかしくて、とても楽しい気分だ。
 ええ!?とショックを受ける彼らを置いて、ロビンの手を引いたクオンは駆け出す。


「逃げろ~~~!!」

「待てぇ~~~!!」


 片や捕まってたまるかと一目散に逃げ出し、片や礼をさせろと追い縋る。
 双方真剣な様子で、ゆえの奇妙なすれ違いにこぼれる笑みをそのままにして、真実を知っていながら口を噤むことを選んだ2人は振り返ることなく笑顔で仲間のもとへと駆けていった。







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