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 鐘が鳴る。美しい荘厳な調べが響き渡る。

 赤く長い髪の戦士が笑っている。
 栗のような髪型をした探検家が笑っている。

 酒を酌み交わして。
 巨大な炎を中心に踊って。
 時に競うように狩りをして。

 ─── あれは、かつての記録だろうか。
 それとも再びを果たして喜ぶ2人だろうか。

 槍を、剣を、相手の命を刈り取る武器を地面に置いて笑い語り合っている。
 鐘が鳴っている。戦う必要はどこにもないのだと歌っている。


『またいつの日か』

『またいつか』

『鐘を鳴らして君を待つ』

『必ず会おう』


 そして、鐘が、鳴って。
 涙を流して笑い合う2人に、クオンはそっと微笑んだ。






† シャンドラ 1 †






クオンクオン起きろ!宴だ!宴するぞ!!」


 ぺちぺちぺちぺち、と優しく両頬を叩かれる感触と満面の笑みを疑わせない声音が意識を引き揚げる。まだ眠り足りないが、無視できない声にゆるゆると重い瞼を押し上げたクオンは、視界いっぱいに広がる満面の笑みのルフィを見つめて小さく首を傾げた。


「……うたげ?」

「そうだ!宴だ!おれ達は海賊だからな!海賊なら宴をするもんだ!」


 あたたかいものに凭れて座り込んでいたクオンに当然のように言い放ち、すっくと立ち上がったルフィは「キャンプファイヤーもやるぞー!」と楽しそうにウソップを連れて折れて根元だけが残った巨大豆蔓ジャイアントジャックのもとへと走る。それをぼんやりと見送り、ゆっくりと瞬いて、クオンはずっと自分の背凭れになってくれていたゾロを見上げた。
 こちらを見下ろす男とぱちりと目が合う。武骨な剣士の手が目許を覆うように額に触れた。


「ルフィはああ言ったけどな、眠いなら寝てていい」

「いいえ、……せっかくですから起きますよ」


 ルフィはクオンも一緒にとわざわざ起こしたのだ、そのうちまた眠りに落ちてしまうかもしれないが、起きていられる間は起きて彼らと宴を楽しみたい。アラバスタでの賑やかな会食を思い出して笑みを深めたクオンはゾロの手を額から外して握り込んだ。


クオン起きたか?なら先にこいつを食え」

「内臓が結構なダメージ受けてるからな、ゆっくり少しずつ時間をかけて食べるんだぞ!」


 あらかじめ用意しておいたのだろう、酒や食料など宴の準備を進めていたサンジが底の深い皿を差し出し、すかさずハリネズミを帽子に乗せた小さな船医がクオンをあぐらの上に抱えたゾロの傍に寄ってきた。
 クオンは2人に素直に頷いて皿を受け取り、じっとこちらを見つめるハリーに指を伸ばす。おいで、と優しく言えばつぶらな瞳を潤ませたハリーはぐぎゅうぅうと濁った声で呻いてクオンの手を伝いいつもの右肩に落ち着いた。首筋に縋りついてきゅいきゅい泣くハリーの針がたたまれた背を撫でる。

 さて、また心配をかけて泣くハリーは慰めてやりたいが、サンジが用意してくれたパン粥も食べなければならない。ハリーを撫で続ければ片手がふさがってスプーンを持てず、かといってここで皿を支えるために能力を使えば怒られるのは間違いない。ううん、いったいどうしましょう。
 なんてハリーを撫でながら内心で嘯いていれば、ひょいとパン粥が入った皿が後ろから伸びてきた男の手にすくい取られた。反対側からも男の手が伸びてきてスプーンを取り、少量だけ掬って口元に寄せられる。それを躊躇いなく口を開いて迎え入れ、ちょうどいい温度にあたためられたそれをゆっくりと嚥下してちらと上目遣いに頭上にあるゾロの顔を見上げた。


「やめたのでは?」

「時間をかけるのはな」


 そうでしょうね、知ってます。内心呟いたクオンは当然分かってて訊いたし、再び寄せられたスプーンを前に口を開いた。うん、とてもおいしい。流石サンジ。ゆるんだ唇が深い笑みを描いたのは、おいしいパン粥だけが理由ではない。

 ハリーをひたすらに撫でて慰めながら給餌されるまま時間をかけて食事をするクオンと甲斐甲斐しく世話をするゾロを置いて、麦わらの一味は着々と宴の準備を整えていく。そういえばサンジが準備していた食糧はどこから持ってきたのだろうとゾロに訊けば、ルフィがここに戻ってくる間に神官達の食糧庫を見つけていたのだと言う。その中には当然のように大量の酒もあったのだとか。

 「ファイヤー!」「「ファイヤー!!」」と巨大豆蔓ジャイアントジャックに火を点けて叫ぶルフィとウソップとチョッパーに、目許を優しくゆるめたクオンが「ふぁいやー」と呟く。火をまとい大きな炎に変じていく蔓は赤々と燃え盛り、眩しいほどの光が辺りを包んで、滅んだシャンドラに生気を与えていくようだった。

 突然蔓を燃やして何やら始めようとしている青海人達に、何だ何だと空の住人達が不思議そうにしながら集まってくる。それはスカイピアの住人もシャンディアの戦士達も入り交じったもので、ルフィ達に誘われるまま炎の周りに集まって輪を形成していくさまは、これからの空の行く末を彷彿とさせた。
 まだ幼いシャンディアの子供が「ナミ、何をするの?」と目を輝かせながらナミのもとへと駆け寄っていくのが見える。
 と、ふいにどこからか現れた大蛇がきょときょとと目を瞬かせ何かを始めている人間達を見下ろして首をひねった。森で出会ったときは気性が荒くひとを捕食しようとしていたはずの蛇だが、今はそんな気配が微塵もない。元々がこうだったのだと言わんばかりに大人しく忙しない人間達の様子を窺っているのを眺め、クオンは鈍色の瞳を細めた。










「……ごちそうさまでした」


 クオンが多くはなかったパン粥の最後のひと口を食べ終え、ゾロがからになった皿を傍らに置いたときには、古代遺跡に太鼓に似た音が響き渡っていた。ドンドットット、ドンドットット、太鼓に見立てた樽が奏でる軽快で賑やかな音が鳴り響く。
 炎を囲む輪は大きく、誰も彼もが発する笑い声が明るい夜闇をたゆませる。シャンディアがスカイピアの住人を輪に誘い、比較的軽傷なシャンディアをスカイピアの住人が支えて宴に顔を出していた。
 誰からともなく踊り出し、それがどんどんと大きく何重にも重なっていく輪の中で広がるさまを見て微笑むクオンのもとへ、ふいに輪の中から飛び出したひとりの男が駆け寄ってきた。クオンは目の前で足を止めたルフィを見上げて首を傾ける。


クオン!宴だ!メシ食ったんだろ?行こうぜ!!サンジにクオンがメシ食い終わるまで待てって言われてたからよ、待ってた!」


 きらきらと目を輝かせたルフィがクオンの手を引く。それでも無理やりに引っ張り立たせるようなものではなく、首を横に振れば残念そうにしながらも分かったと頷いてクオンの意思を汲むような力加減だった。
 笑みを深めたクオンがルフィに何かを返すよりも早く体が浮く。クオンの脇をひょいと持ち上げて立ち上がり、ゆっくりと地面に足をつけさせたゾロが無言で背中を押した。思わず振り返ったクオンが鈍色の瞳を甘くゆるめて頷く。手を握ったままのルフィへ顔を向けた。


「エスコート、よろしくお願いしますね、ルフィ」

「おう!」


 手を引かれるままクオンは歩き出す。浮き立つ心のまま少し小走り気味に輪へと向かえば、締まりなく笑うクオンの素顔を見た者があまりの美しさにぎょっと目を剥き、あるいは口を開けたまま瞬きも忘れて見惚れた。中には無邪気な笑みを浮かべているのを直視しぎゅんとした胸を押さえて膝をつく者もいたが、やはりクオンとルフィは気にもとめなかった。

 炎を囲み、思い思いに好き勝手踊る人々の輪に混ざってクオンも踊る。クオンの手を握る者は最初こそどぎまぎとしていたが、ドンドットットと響く音に合わせているうちに自然と笑い声を上げるようになっていた。


「おい兄ちゃん!ほら飲め、こういうときは飲まなきゃな!!」


 どこからか回ってきた酒が入った小振りの樽ジョッキを渡され、クオンは拒むことなく礼を言って受け取った。酒も入って宴もさらに盛り上がり、そのただ中でルフィがひと際大きな声を上げた。


「宴だ~~~!!!」


 笑うルフィに応え、あちこちで樽がぶつかる音が響く。ドンドットット、ドンドットット、誰も彼もが笑い、解放に喜び、かつての敵も味方も関係なく肩を組み、そこには恩讐も遺恨もなく、また今後の憂いすらもなかった。ここから新たに始まるのだと、誰も彼もが希望に目を輝かせている。

 クオンは輪から少し外れ、手に持った酒に口をつけた。目の前の光景を肴にゆっくりと飲み下す。
 ルフィをはじめとした麦わらの一味もそれぞれ空の民と手を合わせて踊っているのが視界に入る。少し離れた場所で、シャンディアの戦士から酒を受け取ったゾロが口角を上げて笑っているのが見えた。彼らはどかりと腰を据えて互いに一気に呷り、同時に干した樽ジョッキを逆さにして合わせ、その後ろで引き分けを示すように両手に持った旗を挙げるガン・フォールの部下だったのだろう神官にクオンの頬はまたゆるんだ。


「ジュララララ!」

「ご機嫌ですね、空のヌシ殿」


 傍らで青い巨躯を踊るようにくねらせ、大口を開けて音楽に合わせて鳴く大蛇は誰が見ても上機嫌だ。嬉しい、楽しい、そういった感情をあらわにしている。
 自分にかけられた声を聞きとめた大蛇が「ジュラ?」とクオンを見下ろす。樽ジョッキに再び口をつけて見上げた白い人間をじっと見ていた大蛇だったが、何かに気づいた様子でぱっとさらに表情を明るくするとジュララァ~と鳴いてクオンに顔を寄せた。


「うん?どうしました?」

「はりーきゅっきゅぁはりぃはりり?」


 小首を傾げるクオンの右肩の上でハリーが何やら大蛇に話しかけるようにして鳴く。それに大蛇はジュラジュラジュ~ラララと言葉を返すように鳴いて、ハリーがさらに言葉を返し、またそれに大蛇がにこにこと返してと、そんな2匹を頭が酒精にひたされつつあるクオンは「おやおやおやおや大変に可愛らしい」と微笑ましく見守った。
 大蛇がハリーと視線を合わせるように巨体を屈める。凶暴な光を宿していたはずの爬虫類の瞳は理性を有して輝き、獣が頭をこすりつけるように寄せられた鼻先をクオンは優しく撫でた。


「きゅーいはりはりきゃぁい」

「ジュララ!ジュジュララジュラララ!!」

「んふふふ何を話しているのかさっぱりわかりませんねぇ」

「はりきゅ?ハリー!」

「ジュラララ!ジュ!ララァ~!」

「はりぃ……きゅ!はりはりきゅぁはりぃ!」


 大蛇と話をしていたはずのハリーが突然クオンを見上げて鳴き出し、クオンは「ん?」と目を瞬かせた。何かを伝えたいらしいことは分かるが、チョッパーがいないので正確なところが分からない。小さな前足で自分を指してハリーハリーと鳴き、次いで大蛇を指してはり!はり!と鳴く。その一生懸命な様子にううん?と首を傾けた。


「ハリー?どうしました?よしよし、撫でてあげましょうね」

「はりゃぁん……はっ!ハリー!!」

「ええ、あなたはハリーですよ」


 優しく撫でられ顎をさすられて至福にとろけかけたハリーが我に返って自分を示して鳴く。クオンはにこにこ笑ってうんうん頷くだけで、通訳ことチョッパーを呼びにいこうとしないあたり酔っているのは明らかだ。白皙の美貌には赤みが差しているが、それは炎に照らされて一見では分かりにくかった。
 酒を数口飲んだだけで既に酔っ払いな相棒に何やら必死に訴えかけてくるハリネズミに、クオンは瞬きひとつ。
 自分を示してハリーと言い、次いで大蛇を指してきゅら!と鳴く。ハリーはハリーだ、間違いない。自分の名前を連呼したあとに短く鳴いて大蛇を指し、正確に意図が読めないままクオンが鈍色の瞳で大蛇を見やって首を傾ければ、大蛇もまた同じように首を傾けた。顔を見合わせ、にぱー、と白い人間と青い大蛇が笑い合う。


「うんうん、ハリーはハリー、私のたよれるかわいい相棒、すてきで無敵でちゃーみんぐ、どうだすごいでしょう」

「ハリー!きゅら!」

「うんうんハリーはハリー、そらのぬし殿はきゅら、…きゅ…?」

「きゅら!」

「ら……?」


 もしかしてハリーは大蛇の名前を言っているのではと酔ってぼんやりとした思考で思う。まさか、だとして誰が名前を与えたというのか。しかしハリーが相棒に嘘偽りを言うはずもない。クオンはじぃと大蛇を見つめた。
 巨大な体躯を持った青い蛇。おそらくは400年前にこの島が空へ飛んでくる前からこの地に住んでいて、そして確か、エネルによって自分が落とされた場所がシャンドラだと気づいて涙を流していた。
 段階を踏まずクオンの頭が直感的に答えを出す。そうか、この蛇はカルガラ達と共にあったのだ。もしかすると、こうして懐いてくれているのはこの都市を護ろうとしたからか。結局はエネルの雷によって損壊してしまった部分もいくらかあるが、クオンの献身が嬉しかったのかもしれない。


「そらのぬし殿、あなたの名前は、カルガラたちに与えられたものですね?」

「ジュラ!」


 鈍色の瞳をゆるめて問うクオンに、そう!と答えるように大蛇が鳴く。やはりそうですかとクオンは笑みを深めた。そのやりとりを聞いたシャンディアの人々が一様にぎょっと目を剥いて注目していることには気づきもせず。
 クオンは周囲の様子に一切意識を割かず、さてこの蛇の名前は何だろうかと考える。モンブラン・ノーランドの親友、カルガラを筆頭としたシャンディアの者達に与えられた名。
 ふわふわとした頭で少し悩む─── ことはなく、しかつめらしい表情をしていたクオンはぱっと花咲くような笑みを大蛇に向けた。


「カルガラの親友、ノーランドからとって、ノラ、とかどうでしょう」

「ジュ……」


 目を見開いた大蛇が動きを止める。ノラ、ノラ、と彼の頭の中にカルガラ達が笑顔で自分を呼ぶ姿がよぎって、二度と呼ばれないかもしれないと思っていたそれを紡いでくれた白い人間を凝視した。
 堰を切ったように大蛇の目からぼろぼろと涙があふれる。白い人間は焦った様子もなく優しい眼差しで大蛇に微笑み、ああよかった、まちがわなかったのですね、と大蛇にとってとても小さな手を伸ばしてよしよしと眉間の辺りを撫でた。


「そうですか、おまえも、あいされていたのですね」


 大蛇の─── ノラの名付けの由来が本当にクオンが言った通りだとは限らない。けれどクオンはきっとそうだと信じた。次から次へと涙をあふれさせるノラを見れば、この大蛇がどれほどカルガラ達に大事にされていたのかが判る。そして、ノラがどれだけカルガラ達を大事に思っていたのかも。だから、そうであったらいいと信じた。


「ジュ…!ジュラ、ジュラララララ……!」

「ええ、ええ、よく400年も生きながらえてくれました。とてもかなしかったでしょう、とてもさびしかったでしょう、かえりたいばしょにかえれなくて、かねのねもきこえず」


 それでもおまえはわすれずに、このしまをさることもなく、ずっとずっと、さがして、まって……ああ、そうか、おまえはかえるばしょがわからなくなったから、このしまごと、まもっていたのか。
 謡うように囁くクオンの痩躯を青い蛇体が取り巻いていく。大蛇が濡れる鼻先を小さな肢体に押しつけても、白い人間はゆらゆらと鈍色に鋼を揺らして微笑むだけで。


「ノラ、どうかこれからもこのしまを、このちを、このとしをまもってください。カルガラたちはもういないけれど、かれらの裔がここにあり、あおいうみにもあるのです」


 やくそくをしましょう、と白は青にささやいた。


「かねはなります。シャンドラのひはたえず、しまのうたごえはいつまでも。だからどうか、かれらの裔をおまもりください」

「ジュラララ、ラ…ジュラララララララァ!!!」


 大蛇が吼える。大粒の涙をぼろぼろと流して、交わされる約束に頷いた。
 やわらかな眼差しでノラを見上げたクオンの目が、ゆっくりと細まり、そして白い瞼に覆われる。意識を落として力なく傾いだ体は青い体に受けとめられた。
 とぐろを巻く蛇体をベッドにして眠るクオンの頬にノラが鼻先を押しつける。この遺跡を護ってくれた恩人。再びこの名を呼んでくれて、長い長い孤独を知って違わぬ約束を交わしてくれた白いひと。



「─── イブリだ」



 眠る白い人間とそれに縋りつくようにして泣く大蛇を見て、ふいに誰かが声を発した。
 イブリだ、イブリ、あれは間違いなくそうだ、イブリ、シャンドラの神子みこ─── 呆然と言葉を落としたシャンディアの声音がやがて興奮を帯び、歓喜に染まって。
 沸き立つように轟いた歓声が、静まり返っていた宴の再開を告げた。







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