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「おれは!鐘を鳴らすんだァ~!!!」


 ルフィの怒号が耳朶を打つ。バリバリと脳を引っ掻くような雷の音に混じってなお、その声ははっきりと届いた。
 鈍色がゆっくりと輝きを取り戻していく。痛みは消えない。跳ねる体も止まらない。雷の檻から脱出などできそうにもない。
 けれど目の光だけは二度はなくしはしないと決めて、クオンはこちらに背を向けるエネルを剣呑に睨みつけた。





† 黄金の鐘 12 †






 雷雲の下、雷ではない輝きを認めたエネルはそちらへ舟を移動し、厚い雲の上に立つ黄金の大鐘楼を見つけると「見事!!!」と声を張り上げた。
 苔を生やし木の根が這っていてもなお、その輝きは褪せることなく、またシャンドラの遺跡に劣らぬ雄大さを残している。
 この国の400年の戦いの始まりを告げた鐘を前に、興奮もあらわにエネルが上擦った声で言う。


「素晴らしい……これをもって私は“神”として“限りない大地フェアリーヴァース”へ到達しよう…!!」


 ─── あれが、黄金の鐘。シャンドラの灯。

 クオンは痺れる右腕を伸ばした。雷の檻は触れた手をばちりと弾いて白手袋を焼く。その音を耳聡く聞きとめたエネルが振り返り、はっきりとした自我を瞳に宿してこちらを睨むクオンに満足そうに笑った。


「起きたかクオン。見ろ、これがお前の目的でもある黄金の大鐘楼だ。素晴らしいだろう。これを手に入れた以上もう用はない。夢の世界へ共に行こうじゃあないか」

「……私は」


 痺れる口を必死に動かし、眼光はゆるめないままクオンは吼える。


「私は─── 絶対に、お前を認めない…!!」


 この国のとしても。この世の神としても。伴侶などともってのほか。
 クオンという存在がエネルを認めることはない。

 まさしく獣のように爛々とその目を光らせ、牙を剥いて唸る雪狗を雷の檻に閉じ込めた男はしようのない子供を見るような目で小さく笑うと息をついた。ついと手を翳し、応じた雷の檻が烈しい雷撃を狗に放つ。仕置きを受けてがくんとのけぞった体はしかし、膝をつくこともできず檻の中で荒い息を繰り返した。

 苦悶に耐えるクオンを見ていたエネルだったが、ふいに姿を消し、かと思えば突如として真上の雷雲が晴れた。─── 否、その形を変えていったのだ。
 ゆっくりと球状を象っていくそれはあまりに巨大な黒いボールの塊のように見える。しかしその内側は凄まじい気流と膜放電の巣窟だろう。ひとの力ではどうにもできないと思わされる、人工的な自然現象。

 ……もし、あれが落とされたら。
 クオンはエンジェル島があった場所に大きくあいた穴を見下ろした。あんなふうに、眼下の島もひと呑みにされてスカイピアは終わりだ。


クオン。まだ心は変わらないか」


 いつの間にか戻ってきたエネルが雷の檻に囚えたクオンを見て嗤う。クオンは答えず、無言のまま、左腕を上げて中指を立てた。嘲笑を浮かべるつもりだったクオンの唇は鋭い不敵な笑みを刷く。
 そうして反抗的な態度で平静を取り繕いながら、クオンにはもう言葉を発するだけの余裕はなかった。痺れる口は呼吸をするだけで精一杯で、それも奔る電気が肺を痛めつけるから不規則に濁る。クオンは紡ぐはずだった言葉を胸中で呟いた。


(うちの、船長と、仲間を、なめるな)


 たとえどれほどの絶望的な状況だろうとルフィは諦めない。蔓から離れたここにはやって来れないとエネルは思っているのだろうが、ルフィが諦めなければクルーもまた諦めることはしない。クオンがこうしてここで自我を保ちながらルフィが来ることを待っているように。だから彼は、必ず来る。

 不敬な左手の白手袋を雷が焼き、感覚をなくした左手が力なく落ちる。おもむろに上がったエネルの腕に応じて檻が威力を増すかと覚悟したが、予想に反して雷雲から降らせた雷が蔓の根元を貫いた。
 眼下を見下ろし、エネルがヤハハハと嗤う。


「虫けらどもが…今更何をチョロチョロと。サバイバルに挑んだ時点で貴様らの運命は決まっていた」


 エネルの嗤笑を無視し、クオンは自身を苛む電気に体を跳ねさせ、意識を集中せずとも頭の中に叩き込まれる“声”を聞いた。
 無惨に打ち捨てられた神の社に留まるルフィと、……この気配はおそらくナミだ。そして蔓の根元にいる仲間達。シャンドラの戦士と小さな子供。エネルに乗っ取られてからこの国を想い憂い続けてきた元神。そして、じっとこの舟を見上げているクオンの相棒。


(私は)


 力の入らない両腕を、ゆっくり、時間をかけて持ち上げる。


(神なんて信じない)


 ぬくもりをなくした右手を左手で包む。


(成し遂げるのはこの世に生きる者達。たとえ真実神が在ったとして、ただ在るだけの神、何するものぞ───!)


 雷の檻の外で起こっていることに目もくれず、クオンはこの胸を灼いた光に願った。


(ルフィ、どうか、鳴らして)


 傾ぐ巨大豆蔓ジャイアントジャック。降り注ぐ雷の集中砲火を浴びるジャヤの片割れ。シャンディアの故郷、滅びた古代都市。高笑いする神を名乗る男。
 舟へと飛びかかるルフィとナミ。それを迎え撃つ巨大な雷雲の球。その中に迷うことなく飛び込む男を、クオンは痛みも忘れて見ていた。

 球状の雷雲の表面を烈しく奔る電気。放電していく。落とされていく。国を消さんとする。

 けれど。

 ─── クオンは笑った。美しく、やわらかに。


「晴れろ~~~!!!!」


 ドッパァン!!!


 けたたましい音と共に、巨大な雷雲が弾け飛ぶ。
 空中で粉々に崩れたそれは再び形を得ることなく消えていき、残るは眩しく晴れ渡った空。
 大きく吼えた男が黄金の球を片手にはめたまま迫る。余裕をかなぐり捨てた神を名乗る男が冷や汗を流した。


「じゃあな!!お前ごと鳴らしてやる!!!クオンも返してもらうぞ!!!」

「おのれ…雷迎を…!!その上クオンも…!青海のサルが…!!!」


 不敵に笑って宣言するルフィを忌々しげに睨んだエネルが激昂もあらわにその身を雷へと変じていく。巨人と同等の体格となって相対するエネルの体は、触れれば相手を焼き尽くすだろうが─── ゴムゴムの実を食べた能力者には意味をなさない。ルフィを貫いた雷の腕は何ら影響を与えなかった。
 神を名乗る男の、唯一の弱点。クオンはそれを見て無意識に呟く。閉ざされた記憶のほころびからこぼれたものが、静かに落とされた。


「…………“D”の意志を継ぐ者…神の…天敵……」


 自分が何を言ったのかも分からず、記憶にも残らないクオンの呟きは、熾烈を極める2人の戦いに掻き消されていく。

 ルフィがエネルの顔面を蹴り飛ばし、だがその背後に迫るものを認めたクオンが咄嗟に能力を使おうとした、そのとき─── 檻を貫通した細い雷がクオンの心臓を射抜いた。
 見開かれた鈍色にこちらへ指先を向けた雷の男が映る。一瞬心臓が止まり、次の瞬間全身を駆け巡った電流による痛みと共に無理やり再起動された。


クオン!!何もするな!!そこで見てろ!!!」


 電熱の槍を間一髪掴んで串刺しを避け、同時に雷の檻の中で苦しむクオンが能力を使おうとしてエネルに阻まれたことに気づいたルフィが叫ぶ。
 しかし、このまま何もしなければルフィは串刺しにされるかまた落ちてしまう。それだけは、ダメだ。
 だがクオンが再び能力を使う前に、槍から逃れたルフィは重力に従って落ちていく。何もするなと言われたがそうしないわけにはいかず、痛み軋む心臓の悲鳴を無視して能力を使おうとしたクオンはしかし、ナミが乗る雲のふちを掴むルフィを視た・・。はっとすると同時、視界に映らないルフィの怒号が上がって、再び舟の傍へと回転しながら戻ってくる。

 クオンは何もせずに見続ける。
 また繰り返す気か!?と苛立つエネルに、鐘が鳴るまでとルフィが叫ぶ。
 ならばと、電熱の槍を両手に構えて迎え討とうとするエネルが繰り出すよりも早く、あまりに速く、ルフィの右腕が弾丸のように放たれた。


「黄金回転弾ライフル!!!!」


 凄まじい速度と勢いで黄金の球がついた右拳がエネルへと肉薄する。槍で防ぐこともできず正面から受けたエネルの巨体が、まとう雷を散らして元に戻っていくのをクオンは見た。


「……鳴らして」


 ぽつり、クオンは願う。振りかぶった両の拳を雷の檻に叩きつけ、ばちばちと弾けて痛むのも構わずに叫ぶ。


「鐘を鳴らして─── ルフィ!!!」


 黄金の鐘を鳴らして、シャンドラの灯をともして。
 どうか届けて。この白い空から、青い海に生きる彼らへ。黄金郷は確かにあったのだと。彼の祖先は、決して嘘つきなんかではなかったと。

 遥かな昔、空にやってきてしまったことで親友との再会叶わず、せめて鐘を鳴らして自分達の居場所を伝えたいと願った男がいた。その強い想いはいまだ色濃くこの地に残されている。
 彼らのために、どうかどうか、鐘の音を響かせて。

 おれ達はここにいると、ただそれだけを伝えたかった男のために。
 お前達はどこにいると、ただそれだけを知りたかった男のために。


「届け~~~!!!」


 ルフィが叫ぶ。エネルごと拳が鐘へと伸びる。黄金の球が粉々に砕けてしまうほどに強く、その場から吹き飛んでいくほどに強く、大きく鐘を揺らした。

 そして──── 鐘が、鳴る。







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