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 舟はさらに高度を上げていく。途中にあった神の社を雷で撃ち落とし、雲を突き破ったそれはその下にある都市シャンドラへと降り注いだ。


「……!」


 反動で苛まれることも厭わず必死にシャンドラを護ったクオンが顔色を変えてエネルを睨む。しかしエネルはクオンの心を占めるものを損なわせて笑うだけで。たとえ怒りでも憎悪でも自分に向けられるものがあれば嬉しいと言わんばかりに冥く輝く目に、背筋がぞくりと冷えた。





† 黄金の鐘 11 †






 エネルがこの国で欲しているものはあとひとつ。黄金の大鐘楼のみ。
 既に巨大な蔓の頂点は近く、しかしそこには目的のものは見えない。だがクオンには聞こえていた。─── 近い。

 そして、舟の下に“声”がふたつ。
 エネルも感じ取ったようでいささか気分を害したように視線を鋭くした。


「この期に及んで“声”が…ふたつ…」


 ひとつは間違いなくルフィだろう。だがもうひとつは誰だ。クオンは船べりから顔を出して蔓を覗いた。エネルがクオンを見やり、逃げ出す様子はないと見て視線を舟の外に戻す。近づいてくる“声”はあるが、今は黄金の鐘の在処が気になるようだ。


「さて……巨大豆蔓ジャイアントジャックを越えた……」


 蔓の先端に辿り着き、エネルはいまだ姿の見えない黄金の鐘を探して空を見晴るかす。額に手でひさしを作って視線をめぐらせ、「確かに神の社のその上空にまで何かを探しに来る者などいまい」とひとりごちた。

 “声”が聞こえるクオンには、鐘がある大体の方角は判る。ゆえに、適当なことを言ってまったく違う場所をエネルに探させて時間を稼ぐかどうかを悩んでいた。正直に教えるつもりはさらさらない。
 騙されたと気づいて激昂したエネルに舟から放り出されたとしても構わない。この肉体を砕かれたとしても文句はなかった。この男と共に行くくらいならばその方がましだ。

 普段の判断が早いクオンならば、躊躇うことなく口を開いただろう。たとえ信用されずとも、エネルは間違いなくこちらの話に耳を傾ける。その時間は稼げる。しかし─── クオンは唇を固く閉ざしたままじっとしていた。迷っていた。

 もし、ここで命を落としたなら。
 死への恐怖はない。そんなものは記憶を失くして目覚めた瞬間から持ち合わせていなかった。
 今のクオンにあるのは、死んでしまえば二度と言葉を交わすことも、触れ合って体温を感じることも、心を通わすこともできないという事実に対する心残りだ。未練、と言えるのかもしれない。……そんなものが自分にあったことにも、驚いた。


「うんががががぎががぎが!!!うがぁ!!!」


 ボフン!!と雲を突き破って神の社跡地に現れたルフィに、クオンははっとして思考に沈んでいた意識を引き揚げた。
 なぜかルフィの右腕に巨大な黄金の玉がついていて目をしばたたかせる。気を失っている間にエネルと一度戦ったらしいが、そのときにつけられたものだろうか。

 エネルもまたルフィを見下ろし、あいつか……と呆れまじりのため息をついた。あの重りをつけたままとは恐れ入る、とどこか感心したように呟く。その声を聞きとめたか、あ!!とエネルに気づいたルフィが声を上げ、ギッと視線を鋭くした。


「いたな!!クオンも!!!」


 目が合ったルフィに思わず肩の力を抜いたクオンが小さな笑みを浮かべてさらに身を乗り出そうとすれば、それを音もなく棍が阻む。思わず振り仰いでかち合ったエネルの瞳は冷えていた。そこで待ってろ!!と叫ぶルフィへエネルは隠し切れない苛立ちを浮かべた視線をやり、「くどい」と冷酷に吐き捨てる。雑に薙がれた片手から迸る雷が雷雲を通じて的確にルフィが登る蔓の先端を貫いた。


「わっ……!わっ…わっ」


 雷に撃たれた箇所が焼かれ、メキメキと音を立てて折れていく蔓にルフィが慌てる。手を滑らせて落ちていくルフィを見てクオンが咄嗟に右手を掲げてルフィの体を巨大豆蔓ジャイアントジャックに引き寄せ、反動が右脚の神経を引き裂く音を聞いた。麻酔針を打っていたから僅かな痛みで済んだのは幸いだったのかもしれない。


クオン、今あいつに何をした?」


 不自然に蔓へと寄っていったルフィを見逃さず、眉を跳ね上げたエネルに問いに、クオンは答えない。ただ不穏に煌めく鈍色の瞳で睨み、濁った呼吸を繰り返す形の良い唇の端を吊り上げて不敵に笑うだけだ。
 ふむ、とエネルは顎を指でさする。ちらと視線を下ろせば、神の社のすぐ下辺りで蔓に引っ掛かっているゴム人間が見えた。


「……妙に加勢されても厄介か」


 シャンドラの遺跡を護ったクオンの能力を思い出し、ぼそりと呟いたエネルはクオンに向き直った。静かな表情に見据えられて嫌な予感を覚えたクオンが腰を滑らせて後退ろうとするが、僅かに身をよじらせることしかできない。
 棍が船べりを軽く叩く。雷轟に紛れた音は嫌になるほど鮮明にクオンの鼓膜を叩き、次の瞬間自分を囲む雷の檻を認めて瞠目した。慌てて逃れようとするも立ち上がることすらできない脚は動かず、檻は身じろぎすらままならないクオンを中心に球体を形成して中に囚えた獲物ごと宙に浮かぶ。
 球体を形成する雷がバチバチと弾ける。ピリピリと肌を刺す電気に雪色の髪が広がり、不敵な笑みを消して頬を引き攣らせるクオンにエネルは優しく言った。


「そこで、良い子にしていろ」


 バヂヂ、球体の雷の檻が不穏に爆ぜた、刹那。


 ……バリバリバリバリッ!!!


「─────!!!」


 檻の内側へと迸った雷に撃たれ、クオンは全身を不規則に跳ねさせた。
 悲鳴だけは歯を食いしばって堪える。だが体内外を駆け巡る電気に瞼が固く閉ざされ、鈍色の瞳は瞼の裏で弾ける光しか映さなかった。
 麻酔針を打ってはいたが、雷は直接神経を刺して脳髄へ至り痛みを引き起こす。刻まれる痛みに体が悲鳴を上げて跳ね、衝撃に耐えられず落ちた意識は次の瞬間雷撃を浴びて強制的に覚醒させられた。見開かれた鈍色の瞳が徐々に光を失っていく。
 断続的に続く雷にくずおれることすら許されず声もなく痛みに呻くクオンを痛ましげに見つめ、エネルは嘆息した。


「あまり乱暴な真似はしたくなかったが仕方がない。自我を失ってくれるなよ、クオン


 最初こそ生き人形を欲しはしたが、美しい雪色を伴侶にすると決めた以上本当に人形にするつもりはない。エネルは檻に手を翳して威力を弱め、それでも自力での脱出ができないように調整して、無理やり与えられ続ける苦痛の電気信号に震える痩躯にうっそりと笑った。


「お前───!クオンを放せ!!!」

「ヤハハハハ、クオンは私の伴侶だ。それをどう扱おうと私の勝手だろう。躾も伴侶の務めというもの」


 蔓に引っ掛かったまま喚くしかできない男を見下ろして笑い、どうここまで登ってこようというのだ、と続ける。悔しげに唸るルフィへ、面白いものを見せてやろうか、とエネルは凄惨に目を細めた。





†   †   †






 ─── 痛い。痛い。痛い。痛い。

 痛い。消えない、痛みが、ずっと、痛くて、痛くて、痛い、痛い。

 痛いのはいやだ。もう痛いのはいや。こころも、からだも、なんでこんなにいたいの。
 こどものように泣き喚くこともできずただ積もる痛みに喘ぐ。小さなやわいこころをまもるために、痛みを感じないようにこころを凍らせた。降る雪に埋もれてしまえば、傷つくことはない。凍えてまひしたこころは、痛みを知覚することもない。

 せいいっぱい見栄をはって背筋を伸ばし、表情をこころと共に凍らせて、こどもは癒えない傷が生む痛みから目をそらした。

 あわれなこども。痛いとなくこともできない白いこども。ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶなくしてしまったこども。痛みしかのこらなかったこども。凍ったこころでは■を受け取ることもできない。


 ─── 痛い、痛い、痛い、痛いよ、……父さん


 何のためにいきているのか、いきていていいのか、わからないのは。本当は炎ではなくて─── 私の方だった。
 いきなければならないからいきている。いきろと望まれたからいきている。痛みになくこともできずにいきている。
 このまま凍ったこころをくだいてしまえれば、きっとらくになるのに。何もかんじずに、痛みもわからなくなって、いきていけるのに。

 でも。
 そうしたら。

 ■が、わからなくなる。■を受け取ることができなくなる。■が得られなくなる。
 ■こそが、この雪色のけもののいきる糧だというのに。

 痛みをかかえてなけないこどもは、だから寸前で堪えていた。楽になる方法を分かっているのに、それだけは選ばなかった。
 たとえどれだけの痛みに苛まれていようとも。こころは凍っていようとも。欲するものが、確かにあったのだから。

 そんなこどもに、なまくらは問うた。


(痛いの)

 痛いよ

(■が欲しいの)

 欲しいよ

(泣きたいの)

 泣きたいよ

(ゆるされたいの)

 ……赦されなくていい、でも、許されたい

(全部、私は持ってるよ)

 …………

(だから、ちゃんと還す)

 ………………

(だから、あなた・・・を、私にも還して)


 なまくらはゆっくりと手を伸ばす。鮮やかな切れ込みに。広がるひびに。閉ざされたその向こうにいる自分に。
 爆ぜる雷がいびつにほころびを焼いていく。ほんの僅か、爪の先も引っ掛けられないほどに小さかったほころびが、広がった。


(戦えなくていい、ただ、この肉体が壊れないように─── まだ私は、消えるわけにはいかないから)


 ほころびの向こう。広がる深淵の闇の中で、煌めく鋼が星のように瞬いた。



(■=愛)







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