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 エネルの雷にやられると覚悟したナミは、次の瞬間視界を覆った白に目を見開いた。次いでウソップの怒号と共にエネルが炎に包まれてさらに驚く。


クオン、ウソップ!!」


 思わず2人の名を呼ぶ。クオンは視線こそ返さなかったものの、エネル相手によく耐えたと言うように優しく頭を撫でられた。
 白手袋越しに伝わる少し低い体温がナミに心からの安堵を招く。まだ安心してはいけないというのに、クオンとて血を吐くほどに満身創痍だと分かっているのに、思わず肩の力を抜いたナミの瞳に涙の膜が張った。





† 黄金の鐘 8 †






 なぜだか怪我をしている様子のウソップを見やり、エネルは貴様だったのかと感情の窺えない声音で呟いた。船で会ったな、と続けたから、もしかするとウソップの怪我の原因がこの男なのかもしれないと考えたクオンの鈍色が厳しさを増す。

 ウソップは甲板をきょろきょろと見回し、「あ…あれ!?サンジは!?」と訝しげに眉を寄せた。それに反応したのはナミだ。クオンの痩躯から顔を出し、「サンジ君!?来てるの!?」と驚きと喜びをにじませ、しかしウソップはまだ来てねぇのかと不安げだ。
 ウソップはクオンを見た。一見してはどこも怪我をしていない、しかし口元には赤がにじんでいる。秀麗な面差しは血の気が引いて、青を通り越して紙のように白い。呼吸も怪しく、時折濁った吐息をこぼしている。能力を使って反動に苛まれているのは間違いなかった。つまりは、クオン頼りにはできないということで。


「そうか……」


 こちらを見据えるエネルを睨み返し、ごくりと唾を飲み込んだウソップは─── ぱたん、と扉を閉めて逃げた。こらーッ!!!とナミの怒号が轟く。クオンは気が抜けたように小さく笑った。まぁ、そうでしょうねえ。

 それはともかくとして、とクオンは改めてエネルを見る。
 気を失う前と比べ、随分とくたびれている。あちこちを怪我している様子で、満身創痍とは言えないがそれなりに痛めつけられたらしい。いったい誰が。思って、クオンはナミが持つ麦わら帽子を一瞥した。
 そういえばルフィはゴムゴムの実を食べたゴム人間。電気を通さない体に雷は効かず、苦戦を強いられたのかもしれない。しかしそのルフィがこの場にいないということは、果たしてどういうことか。

 クオンが霞みそうになる意識を思考することで繋いでいると、突然「ゴッドが何だ!!!」と勢いよく扉を開けてウソップが飛び出し、そこに容赦のない雷が落とされた。
 間一髪逃れたウソップがごろごろと転がりながらこちらへ逃げ出してくるのを、クオンは左脚で受けとめた。


「おぶっ!」

「大丈夫ですか、ウソップ」


 間抜けな声を上げて止まり、そのままひっしとクオンの脚にしがみつくウソップをエネルが冷ややかに睨む。そのこめかみに青筋が浮いているのを認めたが無視してウソップに手を貸した。当然のように腕に縋りついてクオンの背に隠れたウソップがエネルの形相に気づいて引き攣った悲鳴を上げた。


クオン助けてくれ!!!」

「そうですね。まぁ、何とかしますとも」


 あなた達のことは、とは言わずに鈍色の瞳をやわらげて優しく微笑む。
 被り物をしているときと違い、男にしては少し高い声音は感情に満ちて余すことなく相手に届く。白の中で際立つ鈍色はあたたかくやわらかで、いかにこの美しい雪色の生き物がウソップに心を許しているのかを如実に表していた。

 一方、素の声と瞳の色を知りたがっていた男は、それを知れたことに喜び、しかし仲間にばかり向けられている現状に腸が煮えくり返る思いだった。
 なぜ私を見ない。なぜ私に声をかけない。私は全能なる神であり、この世は私のものであり、お前の伴侶が私である。その瞳も声も、美しい肉体も、私のためにあるべきだ。それが世の理というもので、道理から外れることまかりならん。

 そうしたエネルの感情の動きを、クオンは何となく感知していた。開かれた・・・・感覚で男の悋気と怒りを読み取っている。分かっていてウソップとナミを気遣うクオンはそれを控えなかった。内心を端的に表すならば「そんなもん知るか」だ。口と態度の悪さはおぼろに見た記憶に引きずられているのかもしれない。


「私の伴侶ものに─── 気安く触るな!!!」


 分かりやすく激昂したエネルが怒りのままに雷を降らせ、3人は蜘蛛の子を散らすようにそれぞれ三方向へ逃れた。ギャ───ッ!!とウソップとナミの悲鳴が上がる。
 クオンはその場から後方へ、ナミとウソップはクオンよりさらに後ろで左右に別れた。ひとまず巨大な電気管に隠れたウソップが聞き捨てならない単語に目を剥いてクオンとエネルを交互に見やる。


「え!?伴侶!?クオンが!?あいつの!!?」

「勝手なことを言ってるだけよ!クオンもそれを許すわけないでしょ!!」

「イヤ ムリ キライ」

「────!!!」


「ひぃ」


 やっと自分を見たかと思えば氷そのもののような冷たい眼差しと声音で淡々と吐き捨てられ、エネルの顔が凄まじいものになってウソップは恐怖に鳴いた。次いで嫉妬にまみれた眼光を向けられてあまりの恐ろしさに泣く。クオンに優しくされた自分以外の男は絶対に消してやると言わんばかりの眼光だった。
 やめてクオン!おれを巻き込まないで!!と叫んだのは内心でだ。何か言えばクオンはあてつけのように眦を優しくするに決まっている。それがまったくの無意識で心からのものであるからたちが悪すぎる。優越感を覚える前に明確に迫ってくる命の危険を察知する方が早かった。


「と、時にナミ…!その帽子」


 話題を変えたくてさっとナミが持つ麦わら帽子を一瞥するウソップに、ナミは麦わら帽子に手を添えると「ええ、ルフィの!」と答える。どうやらさっきまでいたようだが、ここから落とされたらしい。落とされた程度では死なないだろうからそこは安心していいだろうが、この舟は空を飛んでいるためルフィの助けは期待できない。

 クオンは気絶している間の経緯を何となく把握した。
 空飛ぶ舟とは厄介だ。万全の状態ならともかく、今の自分では全力を出しても舟を墜とすことはできそうにない。その前にこの命が潰えるだろう。


クオン、こっちへ来い。お前は私の伴侶だ。私の傍にいるべき人間。私と共に来るならば、そこの2人は捨て置いてもいい」


 たった今明確に冷徹に拒絶されたはずの男は、ちらと無力な青海人の男女を一瞥してクオンに笑ってみせた。右手を差し出して誘い、怖気が走るほど粘着質な情欲を隠さない様子にクオンが無表情を向ける。先程のように即答はしないクオンを見て、脅しの材料になったウソップが思わず電気管から飛び出して叫んだ。行かせはしないとばかりにクオンの腕を掴む。


「はぁ!?ダメに決まってんだろ!!クオンはおれ達の仲間だぞ!それに───」

「触るなと言ったはずだ」


 冷酷な声と共にウソップ目掛けて雷が奔る。クオンはウソップを突き飛ばして避けさせた。寸前逃れた男にエネルが舌打ちして憎々しげにウソップを睨む。
 慌てて電気管の陰に隠れたウソップに、ナミが「ウソップ、あれ見て!!」と声をかけてウェイバーを指差した。あれで飛ぶしかないと思うの、と。

 クオンはエネルと真っ直ぐ睨み合いながら2人の会話を聞いていた。ここから飛ぶとなると相当な高さがあるが、森の中央には島雲の部分がある。そこへ届けば死ぬことはないだろう。クオンが考えたことをナミが言い、一縷の望みを見出したウソップが「そうか!」と声を上げる。

 当然2人の考えはエネルに筒抜けであり、こちらから視線を外さないまでも意識を割かせている眼前の男に、クオンは短く息を吐くと2人が滞りなく準備ができるよう口を開いた。


「あなたの提案には一考の余地がありました」


 ぴくりとエネルが反応を示す。クオンの言う「提案」が、エネルのもとへ行けば2人を見逃すというものであることを指すと気づいたのだろう。
 隠せぬ期待を浮かべた男の燃える目がクオンを射抜く。クオンは唇を吊り上げて笑ってみせた。秀麗な顔に美しい笑みを浮かべ、ふんわりと鈍色の瞳をゆるませる。


「ですがお断りします。たとえいっときの時間稼ぎのための偽りだとしても、それを紡ぐことはできません」


 ─── エネルは、気づいてしまった。
 クオンの微笑みが、確固たる意志に満ちた鈍色の瞳が、揺るがないやわらかな声音が、その心が、自分には一片たりとも向けられていないことに。
 こうして目を合わせて対峙しているというのに、美しい雪色の人間の脳裏をよぎっているのは自分ではない誰か。
 直感が断言する。疑いようのない確信があった。クオンは自分を見ていない。その鈍色の瞳は確かにエネルを映していながら、心までもは向いていなかった。よそ見をしているその目は、自分を見ていない。


「─── 誰だ」


 地を這うような低い唸りがエネルの歪められた口元から吐き出される。
 クオンは微笑んだまま答えない。心を定めたように、動かない。


「許されんぞ、誰が私からお前を奪う……!」

「私はあなたのものではありませんし、私が誰といたいかは私が決めます。そしてそれは、あなたではない」


 笑みを消したクオンは煌めく鈍色の瞳でエネルを睨みつけて断言した。エネルが怒りに顔を歪め、「誰だ、誰だ!誰だ!!誰だ!!!」と吼える。棍で甲板を何度も叩き、執着に狂って瞳孔が開いた目でクオンを凝視した。抑えきれぬ激情が電気となって男の体から迸り、片手で顔を覆った男は指の間から血走った目を覗かせる。


「答えろ、お前の心にあるものは誰だ…!」

「嫌ですよ。言ったらを殺すつもりでしょう」

「「言うなバカ!!!」」


 うっかりぺろりと口を滑らせたクオンに鋭いツッコミが重なって飛ぶ。あ、と両手で口を押さえるも遅い。いやまだです、彼としか言ってません名前は出してませんセーフセーフと両腕を左右に広げてジェスチャーをするクオンにウェイバーに乗ったナミとウソップは顔を見合わせ、


「─── あの、剣士か……!!」


 古代都市遺跡でクオンを我がもののように抱えていた緑髪の男が“彼”だと確信したエネルの忌々しげな唸りに、アウトのジェスチャーを返した。







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