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エネルは呼吸も忘れて
それに見入っていた。魂が吸われたのかと錯覚するほどに見惚れ、そして歓喜した。
ほんの僅かに幼さを残した人外じみた秀麗な顔立ちは中性的であり、絶美と評して尚足りず。極上の陶器さえ劣るだろう白くなめらかな肌は血の気が引いて人形的な美しさを際立たせている。薄く開いた形の良い唇に散る鮮血は舐め取れば甘露の味がすると思われたが、今ここで自分の唾液で汚すのはあまりに惜しい。何より一度味わえば場所もわきまえず獣のように貪り尽くす確信があった。それだけは、神としての矜持が許さない。
星を散りばめたように煌めく短い雪色の髪は触れずとも判るほどに細く艶やかだ。これが陽の光を浴びれば自ら光を放つ星そのものと見紛うだろう。前髪の間からは髪と同色の柳眉が覗き、伏せられた瞼を縁取る長い睫毛は固く閉ざされている。ああ、その下にある瞳の色は果たして何色なのか。そしてその目はどんな感情を浮かべて自分を見つめるのか。
嫌悪に歪む瞳が、快楽に濡れたなら─── そう考えるだけで男の背筋を快感にも似たものが駆け抜けた。
† 黄金の鐘 6 †
「ヤハハハハハ……!素晴らしい、これこそ神である私に相応しい!!」
男は哄笑した。狂喜の笑みを広げ、手に入れた生き人形の思わぬ美しさに快哉を叫ぶ。己が神であるという絶対の意志がなければ、この生き人形を抱えて小躍りすらしただろう。
それほどまでに、まさしく神の愛そのものによって生み出されたとしか思えない白い生き物は美しく、黄金の輝きすらこれの前では霞んでしまう。
「生き人形─── いや、
クオン、そう、
クオンといったか。よい、許す。お前の今までの無礼、不敬、不遜、そのすべてを私は許そう」
湧き上がる情欲をくべて執着の炎を激しく燃やすエネルは、
クオンの胸倉から手を離して肩を支え、もう片方の腕を膝裏に回して丁寧に抱え上げた。意識を落とし脱力した体はこうして抱き上げてみれば見た目よりも軽く、そして細い。少し低い体温が自分の肌と触れて混ざり合っていくのに愉悦が隠しきれなかった。
片腕に抱えて唇に散る鮮血を拭う。触れた唇はやわらかく、紅を差したように掠れた赤で彩られたそこは男を誘うようだった。今にもしゃぶりつきたくなるのを必死にこらえ、興奮に上擦る声音で男はうっとりと腕の中にいる
クオンを見つめて言った。
「喜ぶがいい、
クオン。お前を私の伴侶としてやろう」
「え……!」
唐突に上がった女の声に、エネルはようやくまだひとり残っていることを思い出した。このまま足取り軽く
クオンを連れていくつもりだったのに、横から水を差された気分だ。
表情を一転させ、不愉快げにエネルはじろりと地面にへたりこむ女を見下ろした。最初から戦う意思を見せなかった青海人───
クオンの仲間だ。
そういえばこの女の意思はまだ聞いていない。打算的な女とシャンディアの戦士、緑髪の剣士は反逆の意思があったため消えてもらったが、これはどう答えるのだろうか。……そういえば、結果的にあれは消しておいて正解だったなと、
クオンに気安く触れていた緑髪の剣士を思い浮かべてすぐに興味を失くす。
制限時間を越えて生き残ったならば連れていくと自分が決めて宣言した手前、まだ何の意思も示していない者を問答無用で消すのは神の流儀にもとる。
明らかに怯え、恐怖を隠せずエネルを凝視することしかできない女を黄金の棍を持ち直して無表情に見下ろせば、女ははくはくと空気を食み、エネルが抱えて離さない
クオンを見て、ごくりと唾を飲むと唇を震わせた。
「……私……あ……、……私……!……連れてってくださいっ……!!」
果たして、女は引き攣った笑みを浮かべ、片手を上げて宣言した。
「ついていきます!!あなたに…夢の世界っ」
だめですか、と小さく付け加えた女にすぐには答えず見下ろす。女の体は恐怖に強張りびくびくと怯えて震え、顔色を窺うように見上げてこちらの答えを待っている。
「……世話係は必要か。気心が知れた者が傍にいた方がこれも喜ぶ」
ぼそりと呟き、浅い呼吸を繰り返す
クオンの頬を撫でる。やわらかくなめらかでもっちりと吸いつくような感触に目を細めて小さく笑み、まぁいつまでもいらぬ反抗心を抱くようなら女を目の前で痛めつけてやろうと内心で冷たく続けて
クオンの人質にもなりえる女を見下ろした。
「ヤハハハハ…よかろう、ついてこい…それでいいのだ。恐怖に支配されぬ心というものもまた、時に難儀なものだ」
「……!!……え…ええ、本当ですね…!」
クオンを抱えたまま踵を返したエネルに、ナミはほっと安堵の息をついて愛想笑いを浮かべると適当に頷き、男の体に隠れて見えなくなった仲間に唇を噛んだ。
(待ってて、
クオン…!絶対にあんたをそんな奴に渡したりなんかしないから……!!)
とにかく今は何としても生き延び、隙を突いて
クオンを取り返さなければ。
ナミの嫌な予感は当たり、エネルは
クオンの素顔を見た瞬間目の色を変えた。執着はいっそう激しく、その瞳を彩るのは冥い狂気だ。奪い返すのは容易なことではないと分かっているし体は恐怖に震えるけれど、だからといってみすみす
クオンを渡してたまるものか。
エネルの後を追うナミはパガヤに修理してもらったウェイバーのハンドルに手をかけ、それに気づいたエネルが「何だ、それを持っていく気か…?」と訝しげに振り返った。気分を害したかと青褪めたナミが「いえ…あ…ダメなら、別に……!」と慌てて取り繕えば、特に興味もなさそうな男は我々が行く場所では使えんと思うが、と言いつつも好きにしろと許可を出した。ナミが反射でありがとうございますっと礼を紡ぐが、エネルはどこかへ淀みなく足を進めながら既に腕に抱えた
クオンへと意識を移していた。
「……ああ、お前はどんな目の色をしているのか……どんな声でさえずるのだろうな…」
眠る
クオンに向けられた、あまりに優しく甘い響きにぞっとする。端的に言って気持ち悪い。私の仲間に、
クオンにそんなもん聞かせんじゃないわよと思ったが口には出せなかった。
かなうならば今すぐこの男をウェイバーで轢いて
クオンを奪い返したい。何でウェイバーには海楼石がついていないのか。パガヤのおじさんに修理ついでにつけといてと頼んでおけばよかった。ナミは怯えながらも割とかなり真面目に本気だったりする。
「あの……!
クオン、運ぶの、つ、疲れませんか……?ウェイバーで、わた、私が運び…ましょうか…?」
せめて
クオンが自分の手元にあれば、ルフィが大蛇から脱出して追ってきてくれたときに逃げやすいのだが。
しかしそんな意図は見せず、ただ純粋にエネルを案じているふうを装いながら恐る恐る提案するナミを振り返ることなくエネルは「必要ない」と冷たく一蹴した。
「
クオンは私の伴侶だ。少なくともこの国から出るまでは誰にも預けるつもりはない」
これ以上はまずい、と敏感に察知したナミは「分かりましたっ」とすかさず返し、だがちらちらとエネルの背中を見て言葉を継いだ。
「その、あの…伴侶、と言いますが…
クオンは、男で……」
「それがどうした」
「え?」
言いにくそうに事実を告げようとするナミの言葉を、エネルは心底どうでもよさそうに遮る。それに驚いたのはナミだ。目を瞠るナミを振り返り、エネルはくったりと弛緩した体を自分の胸元に凭れさせている
クオンの顎を優しくすくってみせる。
「これが男だろうが何の問題もない。女ならば孕ませられただろうが、男ならば男で多少乱暴に扱ってもそう簡単に壊れはしないからちょうどいい」
「……!」
「抵抗する体をねじ伏せて己の立場を分からせ、私に逆らう気力も湧かなくなるほどに犯し尽くして。快楽に染め上げ、絶対の服従を誓わせ、己が誰のものであるか淀みなく宣言できるよう躾けるのが愉しみだ」
(─── そんなの)
そんなの、
クオンなんかじゃない……!
ナミは内心で絶叫した。ウェイバーのハンドルを握る手に力がこもって指先が白くなる。不穏な気配をにじませるナミに気づく様子もなく浮かれ切ったエネルはヤハハハハと笑って
クオンを抱え直した。心なしか早まった足が男の欲望を表しているようで吐き気がする。
何も、この男は
クオンのことを何も分かっていない。
クオンは自由だからいいのだ。己の立場は己で決めている。
クオンは仲間を愛しているから大体のことは許すが、自身が定めた「悪」に転がり落ちればルフィでさえ躊躇いなく武器を向けるだろう。誰のものか、なんて、あんたが決めることじゃない!
何より
クオンの浮気性は魂にまで根を張っていて、矯正して直るようなものではない。息をするようにひとをたらしこんでは“浮気”する
クオンを相手にするならそれを許容できるほどには心が広くないとダメだ。広くなくとも受け入れるだけの器がなければ全力でお引き取り願う。けれどこの男の執着はひどく、
クオンがよそ見をすることを決して許さない。そんな男は最初から除外の対象外の排除対象である。
(ダメダメダメダメダメ!!絶ッッッッッ対
クオンは渡さない!!!)
誰か、誰でもいいから私にこの男をぶん殴れるだけの力を……!
ナミは血管が浮き出るほど固く拳を握り締め、その瞳を物騒な光で爛々と輝かせた。
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