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 大蛇に丸呑みされていたはずのナミが無事脱出していたことに驚きつつも安堵したのも束の間、実はあの中にはルフィもいると知って頭を抱えたゾロは、エネルが落とした雷によって焼かれ倒れた大蛇にさらなる頭痛を覚えた。何であいつはそうなんだ!!心底の叫びにナミが知らないわよいたんだもん!とすかさず返す。
 ルフィの生存は気にかかるが、とりあえず今はあれ・・だ。たった今一撃で大蛇を倒した男を見据え、ゾロは抱えていたクオンをナミに預けた。その隣でロビンもまたチョッパーをナミに渡す。

 そうして腰の刀を抜くゾロに続くロビンの背を見ていたナミは、ぴくりとも動かないクオンの被り物を外して様子を見るべきか考え、被り物に乗って首を振るハリーを見てクオンの頭を己の膝に置くとチョッパーを抱えた。






† 黄金の鐘 4 †






 “ゴッド”・エネルが始めた“生き残りサバイバルゲーム”。
 3時間が経過したときに何人が無事立っていられるかというシンプルな内容だが、己の予想である生き残り人数5人を違えられては困るという、何とも自分勝手が過ぎるものだった。神が「予言」を外すわけにはいくまい、と。
 現状この場で意識を保っているのは6人・・と言い当てたエネルの目が、ふいにナミが隠れる壁の向こうに注がれた。


「娘、その白い生き人形を傷つけぬよう護っていれば消える順番を繰り下げてやろう。それは私の予言に含めぬ特例、私の人形、神の持ち物。それがあるべきは私の手の中だ」


 まるで世の理を優しく教えるがごとく語るエネルに、その場の空気が一変した。ただでさえ張り詰めていたものが氷のような冷たさと刃物のような鋭さをまとう。
 ふざけたことをのたまうエネルに眦を吊り上げて壁から顔を出して睨みつけようとしたナミはしかし、ゾロのこめかみに太い血管が浮いているのを認めてひっと息を呑んだ。慌てて逸らした視線の先にいるロビンも僅かに見える横顔から完全に表情が消えていてとても恐ろしい。ガン・フォールのエネルを睨む目も冷ややかで、そしてなぜかワイパーという物騒なゲリラもまた、包帯が巻かれていない左手を血管が浮き出るほどに固く握り締めて怒りに震わせていた。

 ─── え、いや何でよ。ナミは思わず真顔になり内心でツッコんだ。
 たぶんあの男もクオンを狙うエネルに怒っているのだろうが、クオンとの接点など白海で遭った一瞬だけのはずなのに、なぜああも怒りをあらわにできるのか。
 ナミこと青海人に躊躇いも容赦もなくバズーカを放つほど過激な男だ、森の中でクオンと出会いほだされたのならそんなことはしてこない。だってクオンは麦わらの一味を心から愛しているので。自分の仲間が危険な目に遭わないよう言葉を添えることは忘れないひとだとナミは疑わなかった。


「……いったい何したのよ、クオン……」


 壁に顔を引っ込めて眇めた目を己の膝の上に注ぐ。ワイパーもそうだが、特にエネルがああも執着するとはまさか素顔を見せたのか。一瞬そう考えてすぐに否定する。ハリーが被り物を外されないようにしていたからその可能性は低い。では本当に何をしでかしたのか。まぁ訊いても「さぁ?」と首を傾げられそうな気しかしないが。
 この浮気性な天然無自覚ひとたらしめ。いや自覚してるとこあったわ。なおたちが悪いじゃない。
 だから目が離せなくて困ると、ナミは深々とため息をついた。






 さて誰が消えてくれる、と問うたエネルにロビン、ゾロ、ワイパー、ガン・フォールはそれぞれ己の得物を目の前の敵へと向けて答えた。即ち───


「「「「お前が消えろ」」」」


 不届き、と神は冷酷に笑った。

 そして語られる神の目的、これから成す所業、成してきた悪逆。
 国と民を想って激昂した元神を無造作に打ち捨てたエネルは残った5人を前に、これから旅立つ夢の世界“限りない大地フェアリーヴァース”へと連れて行こうと宣言した。

 しかしそれに素直に従うような者はここにはいない。
 ゆえに、この結末は─── クオンならば起こるべきして起こるものだと分かっていた。

 エネルの決定に異を示し、黄金の鐘の在処を交渉材料にしようとしたロビンは気分を害したエネルに雷を放たれて崩れ落ち、したたか地面に頭と背を打ちつける寸前にゾロに抱えられて事なきを得た。

 それを皮切りにゾロとワイパーがエネルへと攻撃を仕掛けるもそのことごとくは一蹴され、海楼石を仕込んだスケート型のウェイバー ─── シューターをエネルに触れさせて悪魔の実の能力者の弱点を突いたワイパーが決死の覚悟で“排撃貝リジェクトダイアル”を構えて叫ぶ。死んで本望、お前を道連れにできるのならな、と。そして。


「あれはシャンドラの神子みこ、イブリ!!お前に連れて行かせるものか……!!!」


 絶叫にも似た怒号と共に、己が身さえ砕く諸刃の衝撃がエネルの心臓へと叩き込まれた。
 エネルを貫通した衝撃が地面を砕き粉塵が舞う。視界を覆うそれが晴れたとき、その場に立っていたのはシャンディアの戦士だけだった。


「……ハァ…ハァ、…すまない……あなたがせっかく、護ってくれたというのに…!」


 あちこちに怪我を負い、顔色は悪く、荒く呼吸を繰り返す口からはぼたぼたと鮮血がこぼれ、ダイアルを仕込んだ右手は小刻みに震えて力なく体の横に垂れている。誰がどう見ても満身創痍で佇む戦士が敬意をにじませた声音でクオンへ詫びた。

 エネルは地面に倒れ伏して動かない。海楼石で弱体化された上でのあの攻撃だ、当然だろう。
 倒したのだと安堵したナミがクオンをその場に置いてロビンとガン・フォールへと駆け寄ろうとした、その瞬間。

 ─── エネルの肉体が、唐突に青白い光を放った。

 バリッ!!!と空気を弾けさせたのは雷だ。放電してエネルの体を包んでいる。正確には、左胸を─── 自分の心臓をマッサージしているのだと気づいたナミが愕然と目を見開く。
 終わったはずの悪夢が、晴れたはずの絶望が再び迫っていた。

 やがて放電がおさまり、むくりと立ち上がったエネルの前で顔を強張らせたワイパーが絶句して膝をつく。哀れな仔羊を見下ろして、エネルはせせら笑った。


人は・・を恐れる・・・・のではない…“恐怖”こそが、“神”なのだ」


 そこからは、復活したエネルの独壇場だった。
 故郷の奪還のために吼え、立ち上がるだけでもやっとだというのに必死に戦おうとするワイパーを鳥の形をした雷が貫き、ゾロもまた真っ向から飛びかかろうとするが、こちらもまた獣の形をした雷に牙を突き立てられてなすすべなく倒された。
 残るはナミひとり。しかし─── こちらを冷たく見下ろすエネルの向こうで、静かに立つ戦士の姿があった。

 雷に焼かれて全身を焦がしたワイパーにはもはや意識も定かではない。ただ戦うために、戦う理由のために、神と崇める先祖のために、立ち上がっている。その脳裏には走馬灯がよぎっていた。幼い自分が、大戦士カルガラが故郷をどうしても取り返したかった理由を長に聞かされている。

 頭上で閃光が走る。裁きという名を冠する雷が、その槌を振り下ろさんとしている。
 避けることもできない戦士は茫然とそれを見つめた。傲慢な裁きがこの身を貫く、その寸前。
 ─── 無数の細く長いものが連なって円盤を形成する何かが自分を庇って、しかしひと刹那のち粉々になった針の盾を視界に入れる前に、暴力的な光が意識を呑み込んだ。






 凄まじい衝撃とそれに伴う突風がおさまったときには、自分以外誰も立っていない事実にナミは呆然とした。
 頼れる仲間であるゾロとロビンは地に伏したまま動かない。神と名乗る男が淡々とした声をへたりこんでいるナミへと落とした。


「貴様ひとりだぞ…残ったのは…」

「いいえ」


 凛、と。
 エネルの言を即座に否定する静かな声があった。

 ナミがはっとすると同時に眼前に仲間を庇うようにして立つ白が現れ、その人物の名を驚きに染めた声が紡ぐ。


クオン!?」


 次いで、ナミはもうひとつ驚いた。
 エネルの周囲を取り囲むようにして無数の針が空中に浮かんでいる。
 鋭い切っ先が向けられた先に佇む男は片眉を上げてぐるりと針を見渡し、鼻で笑った。


「ヤハハハ、こんなものが私に効くとでも?」


 自然ロギア系悪魔の実の能力者に物理攻撃は通らない。そんなことは当然クオンは知っている。知っていて、今こうして無数の針でエネルを取り囲んでいるのだ。檻のように、逃げられないように。


「無駄なことをするな生き人形。私はできるだけお前を傷つけるつもりはない」


 手に持った金色の棍を地面につけ、言葉通り戦闘の意思がないことを示すエネルに、しかしクオンは戦意をおさめない。
 被り物をしているため表情は見えないが、背に庇われたナミにはクオンのまとう空気が激昂していることに気づいた。ナミを気遣う言葉ひとつかけない事実がクオンの苛烈な怒りを如実に表している。ナミはクオンの邪魔にならないよう、ゆっくりと後退った。


「私はお前を許さない。私はお前を認めない。お前程度・・・・が神を名乗るなど片腹痛い」


 被り物越しに響く声音は低くくぐもり抑揚を欠いて感情を窺えさせない。しかし心からの侮蔑と冷笑は誰の耳にも明らかで、さすがにエネルの顔色が変わった。苛立ちを覗かせ、だがすぐに駄々をこねてわがままを言う子供を前にしたように眦をゆるめて優しげな笑みを浮かべる。


「あまりに不敬、あまりに不遜。しかし許そう。リンゴが熟れていくように、頑なであるほど屈したときの顔は甘い蜜を滴らせる」


 それを舐め啜り、甘い果実を齧り呑み下したときの快感はいかほどだろうか。エネルの瞳が不穏な熱を帯びてクオンを射抜いた。ささやかな興味、ゆるやかな関心、自分以外の者にもぎ取られるかもしれないという一抹の懸念が冥い執着を呼び起こし、いまだ顔も判らぬ白い生き人形へと注がれる。
 素顔を見せてもいないのに思わぬ興味と執着を抱かれたことに気づいたクオンは、被り物の下で面倒そうに柳眉を寄せただけで何も返さずに開いた右手をエネルに向けた。

 宙に浮いた針が揺らぐ。体勢を崩して僅かに切っ先を下に傾がせた細い針はしかしすぐに静止した。
 クオンの白手袋に覆われた右手が握り締められる。


「─── 魚虎ハリセンボン


 宙に浮かぶ針が音もなく速度もバラバラにエネルへと迫る。途中力なく落下しかけた数本の針が地面すれすれで持ち直した。
 たとえ反動の負荷に苛まれていようとも本来なら一糸乱れぬ動きで獲物を貫くはずだが、その違和感に悠然と佇むエネルは気づかない。気づかぬまま、最初に到達した針のいくらかが雷の体をすり抜け─── 唐突に、鋭い痛み・・が背中を貫いて目を見開いた。


「なっ!!?」


 見れば、背中に刺さる・・・針がそこにあった。まさか、バカな、そんなはずはない。だが事実として針はそこにある。そしてほんの僅かに力が抜けていく感覚に嫌な予感を覚えた。
 その間にも針は次々と迫る。エネルは慌てて棍で針を弾き、あるいは防ぐが、取り囲むようにしてそこにある針のすべては落とせなかった。的確に死角を突いて迫った針が腕を貫き、力が抜けていく。直感が針の正体を悟った。


「これは、まさか……!」


 呻く悪魔の実の能力者に、クオンは握り締めていた右手を再び開いた。クオンの頭上に新たな針が整然と隊を成して浮かぶ。
 エネルは奥歯を噛んだ。鋭利な切っ先すべてに見据えられ、この雷の身を得てから感じることのなかったものが背筋を駆け上がる。それは神として決して認められぬもの。あってはならないもの。目の前の矮小な生き人形に、抱いてはならないものだ。


「海楼石でできた針ですよ。どうぞ、とくとご堪能ください」


 真っ直ぐ背筋を伸ばして美しい所作で左手を高く掲げた白い生き人形は、優雅なコンダクターのように、あるいは厳格な軍人のように、もしくは断頭台に立つ処刑人のように、勢いよく白い腕を振り下ろした。







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