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 この島のどこかに黄金の鐘があることを確信し、エネルは笑う。


「素晴らしい!じきにゲームも終わる頃。あと8分だ…事のついでに国中を探してみようじゃあないか!ヤハハハ…!!」


 あと8分で終わる、ゲーム。不穏なものを感じたクオンが何のことだと訝ると同時。
 神を名乗る男と、被り物越しに目が合った、気がした。






† 黄金の鐘 2 †






「ところで、そこのお前」


 笑みを消してクオンを指差すエネルを真っ向から見据え返し、何か?とクオンは被り物越しに低くくぐもった声で問う。エネルはじぃとクオンを見て、眉間に深いしわを刻むと不可解げに首を傾げた。


「お前、人形か?それとも既に瀕死…ではなさそうだが……お前は何だ?」

「……?」


 何だ、と問われても、私は私ですが、としか答えようのない問いに、しかしクオンは無言を返す。何となく、それは男が望んだ答えではない気がしたからだ。
 だから言われている意味が分からないと言うように微かに被り物を傾ければ、ふぅーむ、とエネルは訝しげな声をもらす。


「お前からは“声”が聞こえない……いや、あまりにも聞こえにくい。お前を前にしても本当にそこにいるのか分からなくなるほどにな。こうして向き合ってもやはりノイズが走っていて聞こえない。肩に乗っているネズミは確かに聞こえるというのにだ。動いている以上生きてはいるのだろうが、“声”が聞こえないお前は人形としか思えない…不可思議、異端、異物……本来ならば排除すべきものだが」


 “神”の冷ややかな視線が突き刺さるが、クオンは微動だにせず見返した。
 エネルが訝っているのは、確か生贄の祭壇に至るまでにルフィ達が相対した神官が使っていたマントラとかいう能力のことだろう。他人の挙動を察し、存在をはっきりと把握できるもの。それがクオンにはうまく機能しないことを訝っている。
 しかし目の前にいるのは間違いなく白い服を着た妙な被り物を被った痩身の人間だ。特に強そうには見えない、脅威になろうはずもない脆弱な存在。それを確かめたエネルは傲岸な笑みを浮かべた。


「私は全知全能の神、寛大にも特例を認めよう。生き人形のお前はゲームの参加者と認めず、ゆえに私が予言した生き残りの数にも含めない」

「……何を…」

「人形には持ち主があるべきだ。神の持ち物となることを許そう。光栄なことだろう?そうだな、まず……その無粋な被り物を取ってもらおうか」


 なに、余程不細工でなければ顔が理由で殺したりはしない、と笑うエネルについに堪忍袋の緒をぶった切ろうとしたクオンはしかし、後ろからしなやかな女の手に強く腕を取られて反射的に手の主を睨みつけた。被り物越しでも判る刃のように酷薄とした凄まじい眼光に貫かれたロビンが顔を強張らせ、それでもクオンを止めるための手は離さずに小さく首を横に振る。今は耐えてほしいと、そう告げる真摯な眼差しに雪色の狗は理性の欠片を取り戻した。
 取り戻してしまったのなら、今更必死にクオンを止めようとするロビンの手を振り払うこともできない。クオンは一度固く目を閉じ、深く重いため息を深呼吸と共に吐き出して、左手の指に挟んでいた針を消した。

 反抗的な生き人形をいっそ微笑ましげに眺める男にはいまだ腹の虫がおさまらない。しかし今ここで事を構えれば遺跡もただではすまないとも思い至った。せめて場所を変えたいが、この男が素直に従ってくれるわけもないだろう。どうするべきか、そう考えることで頭を焼き尽くしそうな怒りから意識を逸らした。


「……! ……島の端に…ウジ虫が1匹いるようだ」


 ふいにどこか遠くを見晴るかすように視線を向けたエネルが不快さを隠しもせず低く呟く。え、とロビンが目を瞬かせ、クオンもまた被り物の下で訝しげに柳眉を寄せた。
 おもむろにエネルが右腕を空に掲げる。バチリ、光が弾けて。─── 刹那、男の右腕が青白い光芒を伴って迸った。


「─── 稲妻サンゴ!!!」


 烈しい雷電と目を灼く光が蔓を伝って駆け上がる。ゴロロロロ……と重い響きが空気を震わし、あれが雷そのものだと理解した。
 エネルは自然ロギア系の能力者、それもかなり上位の悪魔の実の使い手だ。数ある能力の中でも無敵と謳われる能力のひとつ。成程、あまりに厄介が過ぎる。クオンは奥歯を噛んだ。

 突然雷撃を放ったエネルにロビンが血相を変えて「何を!」と叫ぶ。見上げれば蔓の周りが雷に焼かれてぽっかりと穴をあけていた。蔓にまとわりついていた島雲もただでは済んでいないことは明らかで、確かそこには遺跡らしき建物があったのを知っているクオンが目を見開く。
 呆然とする青海人2人に、エネルは高らかに己の意図を教えた。


「ヤハハハハ!招待したのさ、貴様らの仲間らを!!このシャンドラへ!!!」


 クオンの顔色が変わる。
 エネルの言葉に嘘はない。つまり、本当にたった今この男が焼き砕いた島雲の上には青海人が─── 麦わらの一味がいるのだ。それはルフィか、ゾロか、チョッパーか、全員か、それとも。
 なすすべなくシャンドラまで降ってくる瓦礫の山。誰かの悲鳴が聞こえた気がした。


「ヤハハハハハハ!!!終曲フィナーレといこうじゃあないか!!!」


 ああ、ならば。この島を奪還せんと乗り込んでいただろうシャンドラの戦士達もまた、そこにいるはずで。


「執事さん、そこは危ないわ!」


 重力に従って落ちてくる遺跡の残骸を見上げてロビンが袖を引く。しかしクオンは従わなかった。降ってくるものの中に、緑髪の剣士を確かに視認したからだ。

 このまま真っ逆さまに落ちればどうなる。
 ひと、もの、歴史。それらを、この神を名乗る不届き者に傷つけられてたまるか───!
 クオンは考える間もなく左手を掲げて能力を発動した。


「─── 斥力アンチ、オン…!」


 音もなくクオンを中心に能力が展開される。己が認識できる数多のものに能力は作用し、明らかに遺跡の残骸の落下速度が落ちた。
 しかし、落下範囲が蔓の周りだけといえどクオンの認識が及ばない場所は当然ある。視界の端で、意識の外で、まだ速度をゆるめないまま落ちてくるものがあった。
 それらひとつひとつ捉えて能力をかけようにも物理的に追いつかない。加えて小さな羊船だけを護ればよかったときとは比べものにならないほどの負荷がクオンの肉体を加速度的に傷つけていく。それでも能力の行使をやめず全力を振り絞っているというのに、護り・・きれる・・・はずの・・・ものが・・・護れ・・ない・・事実・・に顔を歪めた。

 ふざけるな。護れるはずなのだ。私ならできると知っている。
 この程度の範囲くらい・・・・・・・・・・何て・・こと・・ない・・はずだ・・・

 被り物の下、クオンの瞳が苛烈に輝く。なまくらの色は拭われ、鋼の刃文を覗かせた。
 自分の能力の処理限界を超えれば脳がオーバーヒートを起こして焼き切れる。けれどいまだこの頭は鮮明だ。つまりはまだ余裕がある。限界には遠く及んでいない。
 だというのに、届かない。及ばない。至らない。できない。護れない。護る・・すべを・・・確かに・・・知って・・・いる・・というのに!


「私の体なら!私の言うことを聞け───!!


 腹の奥で煮える鬱憤すべてをのせて怒号する。
 刹那、白い痩躯を取り巻くように音もなく黒い光が弾けた。ばぢぢ、何かに抵抗するように鈍い音が響いて、ぎぎぃ、何かが軋み開くような音が頭の奥で鳴る。

 ─── “覇王色”発動……閉止機能一部解除
 ─── 機能同期/エラー発生/エラー発生/エラー解除不可
 ─── 機能限界/強制起動/重篤エラー誘因/制御不能/再起動不可
 ─── 機能損傷/稼働限界減退加速/自動修復機能減退

 ─── “見聞色” 発動

 半瞬意識が白く潰れ、意識が飛んだことに気づかぬまま、黒い光が霧散すると同時にクオンは研ぎ澄まされた感知・・能力・・を広範囲に広げた。
 視界の届かない場所が視える。知覚の外にあるものが判る。
 降り注ぐ遺跡の残骸。気を失い“声”を途絶えさせた肉体。意識を保ち“声”を発している肉体。人間。トナカイ。犬。大蛇。雲。木。その他。そのすべてを、クオンは捉えた。


斥力アンチ───」


 冴え冴えと煌めく鋼をそなえた雪色の狗が左手を空へ向けて文言を口にする。
 オン、と結んだその瞬間、時が止まったかのように、降り注ぐすべてのものが動きを止めた。







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