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 慰霊碑にはシャンドラの都市部の地図が記されていたようで、クオンを追い抜いて先を行くロビンの足取りに迷いはない。
 遠目からも見えた、互いに絡み合い天に向かって伸びる2本の蔓は近づくにつれかなりの大きさを有してクオンの視界を埋める。蔓を見上げれば上部に数ヶ所まとわりつくように島雲が広がっているのが見えて、さらに薄っすらと建物の影も捉えられた。
 きょろきょろと訝しげに辺りを見渡すロビンに気づいて「どうしました?」とクオンが首を傾げる。ロビンは苔むした遺跡に視線を向けたまま答えた。


「ここはもう都心部のはずなのに、慰霊碑にあった地図とまったく噛み合わないのよ」


 空に来た衝撃でバラバラになってしまったのかしら、と残念そうにこぼすロビンにクオンもつられて辺りを見渡す。しかし考古学者でもないクオンに分かるはずもなく、ただ仲間の姿が見当たらないことしか分からなかった。
 まだ到着していないのでしょうかと内心呟く。方向音痴な2人の到着はあまり期待していなかったのでいいとして、チョッパーならば着いていてもおかしくはないと思ったのだが。まさか上まで行きはしないでしょう、と蔓にまとわりつく島雲を一瞥したクオンはすぐに意識を逸らして遺跡を歩くロビンに無言でついていった。






† 探索組 8 †






 巨大な蔓の根元にも一部は損傷しながらも遺跡は広がっていたがロビンが期待していたものではなかったようで、遺跡を調べれば調べるほどロビンの表情が曇っていく。怪訝な色はますます深まり、難しい顔でメモ帳とにらめっこして黙り込む姿に声をかけるのははばかれて適当な推測も口にできなかった。ゆえに、クオンは自分の耳に届く“声”とひとり向き合う。


 ─── シャンドラの灯をともせ


 ここに近づくにつれて頭の中に響く“声”が大きくなっているから、ロビンの言う通りここは確かに都心部であり、この地に残る“声”の主の想いが色濃くにじむ場所だ。しかしここを都心部というには違和感が強いようで、聡明な考古学者は納得がいっていない。
 ふむ、と遺跡の階段に腰掛けるロビンを一瞥したクオンは目を閉じた。己の意識を、耳を、感覚を“声”に集中させる。灯をともせ、と願う“声”に覆いかぶさる奇妙なもうひとつの大きな“声”を意識の外に追いやって。

 閉ざされた瞼の下では何の像も結ばない。黒い闇がそこにあり、それを塗り潰すように無数の光の粒やおぼろな白い筋が瞼の裏で踊っている。
 “声”を聞く。悲痛に願い、ひたすらに叫び続ける戦士の“声”を。彼らの想いはここに向けられ、あるいは遺され、聞き届けられる者に訴えている。
 それにゆっくりと感覚の手を伸ばしたクオンは─── 瞼の裏に、遺跡を見た。ほとんどが黒い影に覆われた、さざなみのように小さく波打つ無数の“声”が横たわるそれ。ここではないどこか。

 ふいに、聞こえる者を認識した“声”が救いを求めるようにこちらに一斉に手を伸ばした。雪色に触れた“声”が言う。
 聞け、聴け、我らの“声”をきけ。聞き届けよ、繋げよ、紡げよ、認めよ、伝えよ、たとえこの地に滅びがあろうとも───


 夜明けを告げろ、イブリース。


「─────、…………ここではない」

「え?」


 ぽつり、真っ直ぐ背中を伸ばして佇む白い人間が言葉を発する。その声音は被り物を通して低くくぐもり抑揚を欠いて、淡々とした響きが傍らの女の耳朶を叩いた。
 クオンは開いた双眸を虚ろに下に向けた。被り物に隠されて見えない、鋼が揺らぐ瞳が己の足を通してさらにその下へと注がれる。
 下を向く被り物を見ていたロビンが視線を辿るように首をめぐらせ、瞬間目を瞠ると「まさか…!」と声を上げた。


「執事さん!」

「え、あ、はい。どうされました?」


 勢いよく立ち上がったロビンの呼号にクオンがはっと我に返る。……あれ、今私は何を視て、何を聴いたのでしたっけ?
 鈍色の瞳をしばたたかせたクオンの手をロビンが掴んで引っ張った。


「行きましょう!」

「うん???」


 突然駆け出したロビンに引っ張られるまま、特に抵抗もなくクオンはついていく。
 ロビンは蔓のすぐ傍にある大きな遺跡の階段を駆け上がり、中に入ると荷物をクオンに預けて内部を満たす島雲に膝をついた。取り出したナイフを躊躇いなく島雲に突き立てる。
 ザク、と深く刃を沈めたナイフで四角形を描いて島雲の一部をくり抜くと傍らに放り、その動作を何度も何度も繰り返していく。真下へトンネルを掘るように、どこか鬼気迫る表情で一心不乱にナイフを振るうロビンに手伝いを申し出ることもできずただ眺めるクオンは、荷物をしっかりと抱え、ロビンがくり抜いた島雲を邪魔にならないようぽいぽいと上に放る作業に徹した。

 最初の数回は勢いよくナイフを突き立て、しかしすぐにナイフの先で島雲に埋もれた遺跡がないか慎重に探りながら数mは掘り進めた頃。
 ふー……と長く息を吐いてひと息ついたロビンが腰を伸ばすと、ふいにぐらりと足元が揺れた。おや、とクオンが被り物の下で微かに目を瞠り、はっとしたロビンが島雲にナイフを突き立てる。─── 雲の下に、空洞が見えた。


「ビンゴですね」

「ええ、下へ行けるわ」


 ロビンがナイフを大きく動かして人一人通るには十分な大きさの穴を広げる。クオンが私が先にと声をかけるよりも早くロビンが飛び出していき、それを見たクオンは被り物の下で苦笑した。どうやら遺跡を前にした考古学者は、未知の冒険に目を輝かせるルフィとあまり変わらないようだ。

 先に降りて辺りを見渡すロビンの隣にクオンも足をつける。用がなくなったナイフを仕舞い、荷物を受け取るために伸ばされた女の手に抱えていた荷物を渡した。
 バッグを背負い、帽子を被り直したロビンが島雲に侵食された遺跡を見て「……こんなに広い……」と静かにひとりごちる。傍らのクオンに聞かせるようでいて、目まぐるしく動いている自分の思考を整理するために口を動かすロビンの言葉をクオンは黙って聞いていた。

 ロビンの話を聞くに、この遺跡にはまだ奥があるらしい。青海の遺跡であるはずなのに一部が島雲であることがずっと引っ掛かっていたようだ。
 上にあった遺跡は島雲に侵食されたほんの一部、都市の上部にすぎないもののようで、まだ下へ行けそう、と。


「行くわよ執事さん」


 あ、よかった存在を忘れられてなかった。遺跡の奥に目を向けながら声をかけられたことにクオンは内心安堵の息をつく。
 半歩後ろについてロビンの顔を覗き込む。真っ直ぐ前を向く彼女の目は好奇心と探求心、そしてこの先に広がっているはずの遺跡を思って輝いていた。

 ロビンの後を追って進む遺跡は、建物の中ということと島雲に陽の光が遮られてどうにも薄暗い。視界を確保するためには篝火のひとつでも作ればいいが、木の根があちこちに張っている内部では火気厳禁なことくらいは素人のクオンでも分かるため諦めた。風が流れる音がするからどこかが外に通じているのは間違いなく、ロビンもとりあえずは外を目指しているようだ。


「……おや?」


 行く手を阻む木の根をナイフで最低限取り除いてひたすらに先を進むロビンの後ろで、ふいにクオンが声を上げる。どうしたのかと振り返ったロビンに視線を返すことなく白手袋に覆われた指で前を指差した。


「あそこの通路の前、薄っすらと光がこぼれていますね。外へ通じているのかもしれません」


 途端、クオンが指差した方へロビンが小走りで向かう。その先にあった木の根をナイフで切っていたロビンが「光……?」と呟いた通り、そこには通路の形をした白い光が立っていた。
 それを見るやさらに早く駆けていくロビンを追っていたクオンだったが、ふいに一足跳びで前に出ると腕を横に上げて彼女の足を止めさせた。


「お待ちを、ロビン」

「!」


 突然止められたロビンが驚いてクオンを見下ろし、次いで足が空を切ったことに慌てて足元を見る。次の一歩を踏み出そうとしたそこには何もなく、脆くなった石のふちががらりと崩れて転がり落ちていった。一瞬見えた地面は遠く、常人が落ちればただではすまなかっただろう。
 ふ、と短く息を吐いたロビンが一歩下がったのを確かめて腕を下げる。そうして横にずれて場を譲れば、促されたロビンはそこから見える光景を目にして─── ああ、と感嘆の息をついた。

 クオンも眼前に広がる、既に滅びた巨大都市を見た。
 今自分達がいる巨大な建物を中心に人工的な建造物が林立するこの地は、たとえ深く苔むし木の根があちこちに張っていたのだとしても、その一部が崩れ欠けていたのだとしても、かつて大いなる栄華を誇ったことを疑わせないほどの荘厳さと雄大さを堂々と残していた。

 ここで多くの人が生き、生活を営み、文明を発達させ、文化を創ってきた。その様子を見る者すべてにまざまざと思い描かせるようで、まったくの素人であるクオンが見ても驚嘆に値する。この遺跡は800年もの長い時の中で静かに眠り続け、その眠りをかつてこの島に住んでいたシャンディアが護ってきた。黄金都市シャンドラの灯を絶やすことなくともし続けてきたのだ。


「シャンドラの灯を、ともさなければ」


 争乱に満ちたこの島に、この都市に、再びの安息を。消えた灯をともさなければならない。


 ─── シャンドラの灯をともせ


 願う“声”とクオンの決意が、重なった瞬間だった。







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