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 神兵長ヤマは、油断できない戦闘力を有した“ゴッド”の配下であると、過小せずクオンは評価している。─── 真正面から特に策もなく相対したら、という注釈はつくが。
 つまり、それなりの策を講じて、あるいは悪魔の実の能力を用いれば然程脅威を感じない相手だ。
 クオンの能力の法則と青海人2人が遺跡を庇っていることに気づきながらもそれを盾に戦おうとしないあたり、そんなことをしなくとも自分より小さく痩身な2人に負ける可能性など微塵も考えていないようで、こちらを侮りすぎている慢心さは憐れみすら覚える。
 10個の“斬撃貝アックスダイアル”を縫い付けた攻撃も一度見たならば対策が取れる。そしてその使い方もわざわざ教えてもらえたのだから、負ける道理がなかった。

 クオンは回転をかけた巨躯を勢いよくロビンへ突っ込ませるヤマを眺めながら神兵から奪い取った“斬撃貝”の使い道を考える。脳内でいくつか使用例をシミュレートするも、自分の戦闘スタイルではなかなか使い勝手が悪そうだ。


「ううん、両手が潰れたときに口に咥えて使えるよう、ちょっと加工くらいはしておいた方がよさそうですかね」


 脳内に刀を咥えて振るう三刀流の剣士を思い浮かべながらぼそりとひとりごちれば、またお前はそんな無茶をしようとする、とでも言いたげな相棒の視線が右肩から突き刺さってきたが気づかぬふりでスルーした。






† 探索組 7 †






 牛のように突っ込んでくる以外に芸がない神兵長は、文字通りロビンの“手”にかかればものの数分で動かなくなった。
 神兵長の必殺技だろう突進と同時に襲いかかる10連斬撃アックスもあっさりといなされ逆に自分がその餌食となって倒れ込んでいた。うーん、容赦がない。しかしその鮮やかな手腕に拍手で無言の称賛をおくった。

 白目を剥いて血を流し呻くばかりの神兵長を見下ろすロビンの瞳は絶対零度そのものの冷たさだ。ウイスキーピークで敵として顔を合わせたときでもあれほどの冷たさはなかった。つまりそれほどロビンは遺跡を破壊しようとしたヤマに腹を立てていたのだろう。
 私が遺跡を庇ったからあの程度で済んでいるのですよ、神兵長殿はロビンに感謝せねばなりません。としかつめらしく胸の内で呟いたクオンに神兵長への同情心など欠片もあるはずがなかった。

 ロビンはヤマのもとにゆっくりと歩み寄ると、うつぶせに倒れ込むヤマの頭を自身の手と咲かせた手で掴み上げた。考古学者として文句を言わねばならなかったのだろう、その瞳と同じく冷徹な女の声で言葉が紡がれる。


「あなたが壊そうとした遺跡あれは、“無価むげの大宝”…歴史は常に繰り返すけど、人は過去には戻れない……あなたには分からないのね」


 口調こそ穏やかだが、ゆえに温度のない声音はより鋭く鼓膜に刺さる。静かな怒りがそら恐ろしさを掻き立てた。
 ロビンは怒らせないようにしよう、としっかり心に刻むクオンの肩の上でぶるりと震えたハリネズミも己の頭にロビンの序列がナミと同位置であると叩き込む。

 意識は残っていたヤマが途切れ途切れに分かりました、二度としませんから、と掠れた声で絞り出し、ゆるして、とさらに言い募ろうとして、ロビンは表情を変えず「許さない」と切り捨てた。
 ヤマからロビンの手が離れる。なすすべなく地面に倒れ込むかと思ったヤマだったが、何とか手をついて体を支えると荒く呼吸を繰り返した。
 ─── そのまま戦意を喪失して倒れ込んでいればよかったのにと、クオンはヤマから立ち昇る怒りに満ち満ちた気配を感じ取りながらため息をついた。
 そしてクオンの予想通り、「ならバ、オ゛マエを殺すまで!」と叫び不気味な笑い声を上げたヤマは眼前に佇むロビンの腰元を片手でがしりと掴み、もう反対の手で握り潰そうとしたのか細首をくびろうとしたのか、容赦のない手を伸ばし─── ヤマの背に、たおやかな手が咲いた。


ア~~~~~!!!! ゆ……指 ユビバ!!!」

「執事さん、耳をふさいでいた方がいいわ。牛より醜い鳴き声なんて聞くものではないでしょう」

「うーん、辛辣すぎてもはや尊敬の念を覚えます。そしてすべてが手遅れとはまさにこのこと」


 不埒なヤマの両手の指が手ごと背中側へとひねり上げられ、容赦なく指の一本一本が鈍い音を立てて確実に潰されていく。余計なことをしなければ、道中の遺跡はほとんど無事だったこともあって見逃されただろうにとクオンは同情を─── さっぱり抱くことはなかった。実力差を理解できぬままロビンに突っかかった自業自得でしかない。


「あ。ロビン、少しお待ちを。その方にお訊きしたいことが」


 胸の前で両手を交差させ、今にも追撃という名のとどめを刺そうとしたロビンがクオンの制止に動きを止める。ちらりと向けられた瞳が冷ややかでないことに密かに安堵したクオンの意図を察したようで、ひとつ瞬くとすぐにヤマの方へと顔を戻すとクオンの代わりに問いを口にした。


「ひとつ、聞かせてほしいことがあるの。あなたは恋とは何か知っているかしら」

「ア…ァ……こい……?…恋、ナ゛ドと……」


 息も切れ切れにヤマが唸る。何とか拘束から逃れようとするが、暴れようとすればするほど深く重くなる痛みに大きく顔が歪んだ。
 質問に答えるよう傍らの女から静かな圧がかけられる。さらに指の関節を抑える手に強い力がかかって激痛が脳天を貫き、せめてこの痛みから解放されたくて神兵長ヤマは必死にろくに働かない頭を何とか軋ませながら回転させる。

 恋とは何か。そんなもの知らない。どうでもいい。だがこの女は知りたいらしい。ああよく見ればこのお嬢さんは綺麗な顔をしている。ならば神官か、畏れ多くも“ゴッド”を恋い慕うべきだろう。そう、そうだ、何なら私が口添えしてやってもいい!ならばならば、やはりその身と心を奉げるべきは!

 恋とは何か、という問いであったはずなのに思考は途中で逸れ、誤った出口の先にある答えを手にしたヤマは口を開いた。


「恋ヲ゛するならば“ゴッド”こそがふさわ───」

「もう結構ですよ」


 感情の一切が窺えない、抑揚がなく淡々としたくぐもった低い声音は、丁寧な口調であったはずなのに「黙れ」と副音声付きでヤマの耳朶を突き刺し発言を強制的に止めた。
 ぞわりと背筋に悪寒が走る。針のような鋭い圧が全身を貫き、呼吸が乱れていく。ひゅっと息を呑んだ。
 ヤマは声の主へ無意識に視線を移す。少し離れた樹に凭れて佇むひとりの白い人間。上部には三角形が2つ、頬部分には左右対称に3本の線が、そして黒い2つの目とωな口元だけを描いた猫を模した被り物がこちらを向いていた。見慣れないきっちりとした白い服を身にまとい、その両腕には女の荷物が抱えられている。白い痩身は女よりも低い。確かに人間の形をしているそれ・・は、しかし冷酷に牙を剥いて神兵長を睨む雪色の狗であるとヤマの本能が理解した。


 ─── 間違えた。間違えた。間違えた。間違えた!答えを間違えた!!!


 そう気づいても遅い。


百花繚乱シエンフルール


 女の静かな声が響く。
 地面に咲いた手が列をなす。ヤマの服を掴んでろくに抵抗ができない丸い巨体を転がし、一直線に崖へ向かって運んでいく。
 ふいに、回る視界の端に白い獣が映った。獣の姿勢は変わらないが、あれの視線はもう自分に向いていない。一片だけ残されていた興味さえも潰えたのだと唐突に理解して─── 浮遊感を覚えた神兵長ヤマは、どこか遠くで、あるいはすぐそこで、音もなく迫る滅びの足音を聞いた気がした。






 神兵長から吐き出されたまったく見当違い且つ不愉快極まりない返答を遮り、同時に彼からすべての意識を外したクオンは被り物の中に小さくはないため息をとかした。特に良質な答えを期待はしていたわけではなかったが、あんな答えが返ってくるとも思わなかった。
 崖の向こうから昇る、断末魔にも似た悲鳴が鈍く重々しい轟音に紛れて消えるのすら認識もしないクオンが形の良い唇を曲げる。
 いくつか通りすがりを当たってみたが一向にサンプルが集まらない。今のところ参考になるのはロビンの話だけで、彼女が言った通りやはりここにいる者達には期待できないのだろうか。それとも自分達が神の地を荒らす青海人だから答えてくれないのか。クオンは大変真面目にここが敵地である緊張感もなく不満を抱いていた。

 何の成果も得られず小さく肩を落とすクオンのもとに歩み寄ってきたロビンが荷物の礼を言ってバッグを背負い帽子を被る。気を取り直してお疲れさまでしたと言えばロビンが「体重だけが厄介だったわ」とほのかに笑ってじぃとクオンを見下ろす。静かな瞳は見透かすように凪いでいた。


「どこが痛むの?」

「……お気になさらず。移動に支障はありません」

「ということは、戦闘には多少の支障があるほどには痛むってことね」


 取り繕った言葉を切り返され、的確に急所を突かれて思わずクオンの喉が詰まる。ロビンと被り物越しに目が合って、そのあまりに真っ直ぐな視線に誤魔化しの言葉も紡げず微かに肩をすくめた。
 ロビンが唇を開き、しかし何も言わずに閉ざして目を伏せる。ため息というには細い息を吐いた彼女はすぐに開いた瞼からあたたかな瞳を覗かせた。鮮やかな花が美しい花弁を広げるように口元をほころばせる。


「執事さん。私と賭けをしない?」

「賭け、ですか」


 唐突な提案に瞬きひとつ。首を傾けて訝りながらも聞く姿勢を見せれば、そう、と軽く頷いたロビンがやわらかく微笑んだ。


「賭けの内容もタイミングもあなたが決めていいわ。それを私に言わなくても構わない。選択肢は2つ、先に選ぶのは私」


 滑らかに賭けの条件を詰めていくロビンの意図はまったく読めないが、とりあえずは話をすべて聞こうとクオンは耳を傾けた。賭けをするからには得られるもの失うものはあるだろうが、おそらく自分の不利益になるような賭けではないという確信があった。ロビンの表情のすべてがそう物語っていたからだ。
 黙って聞き入るクオンを見つめ、ロビンは目を細めて笑みを深める。


「もしあなたが勝ったなら、私は今後一切あなたの恋について何もしないと約束するわ。けれど、私が勝ったなら─── あなたが恋について今考えていること、そのすべてを剣士さんに話してほしいの」

「──────」


 鈍色の瞳が大きく見開かれる。反射で開いた唇からもれた音は小さく、自身の耳にすら届かず被り物の中に消えた。
 クオンはロビンを凝視した。ロビンはやわらかな表情を変えないまま真っ直ぐにクオンを見つめている。嘘も偽りも企みも一切がない、真摯な思いがそこにあった。疑いようのない真心をそこに見た。だから自分もそれに応えるべきだと、クオンはロビンの提案を受け入れることをその瞬間に決めた。


「…………」


 しかし、だからといって即座に何か言えるわけもなく。
 ゾロがクオンに望む恋が何なのか、さっぱり理解が及ばないまま相対してもいいものなのだろうかと惑う気持ちは否定できなかった。こんなに中途半端な状態ではゾロに失礼ではないのかと懸念が消えない。
 迷う心を表すように視線をさまよわせ、ちらとロビンに戻す。賭けの提案を却下しないが頷くこともできずにいるクオンをロビンは黙って見下ろしていた。やわらかな微笑みを浮かべ、あたたかな眼差しで、決して急かさず黙って答えを待っている。


 ─── ロビンは、私に不利益なことはしない。


 改めてそう思う。ロビンは記憶が欠落したクオンよりも人生経験が豊富であらゆる知識を有していて、何よりひとのことをよく見ている。そんな彼女が提案した賭けの結果は、おそらく勝っても負けてもクオンにとって悪いことにはならないのだ。

 クオンが勝てばロビンは黙って見守ってくれるだろう。
 以前ほどには隠さなくなるゾロのアプローチをうまく受けとめきれずいっぱいいっぱいになれば一時避難場所に甘んじてなってくれる。何もしないと約束するとは言ったが、クオンが望めば何らかの言葉や助けはくれるはずだ。

 そして、ロビンが勝てば─── 惑うばかりのクオンの背中を強く押してくれる。
 容赦なく、無遠慮に、あたたかく、優しく、大丈夫よと笑って。
 それは能力の反動で自身が傷つくのも厭わず遺跡を護り続けたクオンに対する礼であり、あんまり深く真剣に思い悩むクオンを見かねた彼女なりの親切心だ。

 そう分かってしまったとき、クオンは無意識に言葉を紡いでいた。その脳裏をよぎるのは美しい朝焼けの色と、視界に色を差した鮮やかな緑。ぶり返した熱を持つ右手を左手で握りしめる。


「来るか、来ないか」

「来るわ」


 間髪いれず、ロビンは答えた。確信に満ちた表情だった。


「剣士さんは、必ずあなたのもとに来る」

「……私はまだ、誰がとも何がとも言ってはいませんが」

「ええ、そうね」


 完全に見透かされて少し悔しいような気持ちで唇をとがらせるクオンに、ロビンはまったく気にした様子もなく、そして自分の考えを撤回することもなく笑みをこぼした。思春期でやや反抗的な子供を微笑ましげに見つめる保護者の視線に近いものを感じて胸がむずむずとする。
 これは知らない感覚だ。気恥ずかしいような、今すぐ背を向けたいような、けれど離れがたいような、決して悪いものではない心の揺れ。初めての感覚だというのによく知っているような気もして、欠落した記憶の中に似たような体験があったのかもしれないと思い至った。
 基本的に素直なクオンが今は亡き傭兵団のみんなからそんな視線をもらったことはないので、どうにもそわそわと落ち着かない。


「い、行きましょうロビン!早く“髑髏の右目”に行かなければ。ルフィ達が先に着いているかもしれませんし」


 賭けは成立し、ここに用もないためクオンは燕尾服の尾を翻して足早に歩を進める。その後ろをロビンがついてくる気配を感じて僅かに歩調をゆるめた。

 先を行きながら、クオンは見晴るかすように森の奥へ視線を向ける。
 2人きりになれなくて壊滅的方向音痴なゾロの傍を離れる選択をしたというのに、こうして離れてみてからというもの、なぜだか無性にその姿が見たいという思いは、時間が過ぎるほどに強くなっていた。







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