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「メリャ~~~腹部満点ストマックマウンテン!!!」


 回転を加えた体当たりが勢いよく迫る。クオンは能力を使わずそれを躱して横をすり抜け、振り返りざまに簡易爆弾の針を放った。


「ンメッ!こんなもの効きませんねぇ!」


 側頭部に着弾して爆ぜた針はヤマの動きを止めて多少髪と肌を焦がしはしたがその程度。
 いびつな笑みを浮かべてせせら笑うヤマに、クオンは無言を返す。そもそも簡易爆弾の針は元から威力を低めに設計してあるのだ。火力が必要ならば火針ひばりを使えばいい話で、こちらはヤマの気が引ければよかった。
 果たして、思惑通りにぐるりと体をこちらに向けたヤマを見上げたクオンは、


「あ!?待てこの野郎!!ンメ~~!!!」


 白い尾をたなびかせて一目散に逃げ出した。






† 探索組 6 †






 ただ倒すだけならば、クオンにはいくらでも手段があった。神兵長なだけあってなかなか頑丈だがそれくらいで、然程苦労もしないだろう。
 なのに使う針を制限しヤマに背を向けて駆けているのは、ひとえに遺跡を壊されたくないからという理由でしかない。

 クオンはちらと背後に視線を向けた。しっかりとヤマが追ってきている。が、道中の障害物─── 遺跡も構わず破壊しようとするのはいただけない。
 視界をよぎる遺跡を叩き壊そうとする両手足が遺跡に触れないように僅かに距離をあけて止め、ただでさえ大きな体を力任せに通すために砕こうとすれば上空へ無理やり引っ張り上げて隆起した木の根に転がし、そうして細かく調整して能力を使えば使うほど反動のダメージがじわじわと積み重なっていく。それでもクオンは呻きひとつ上げずにひたすらに駆け、能力を使い続けた。

 ヤマが追える速さで、しかし決して追いつけないほど距離をあけて駆けるクオンに痺れを切らしたか、道中の八つ当たりもことごとくが阻まれたヤマは「メ~~エェエ!!」と苛立たしげに鳴いて勢いよく地面を蹴ると瞬時に肉薄した。その右手が大きく振りかぶられる。
 クオンはそれを一足飛びで避けようとして、刹那足元に石碑のようなものがあることに気づくと被り物の下で顔色を変えた。“シャンドラ”の名が刻まれていたらしい慰霊碑とよく似たものは、クオンが避ければなすすべなく粉砕されるだろう。


拳満点パンチマウンテン!!!」

斥力アンチ!」


 ボコォン!とクオンの引き離す能力とヤマの拳がぶつかり合って重い衝撃を生む。ぶわりと旋風が起こり土煙を巻き上げた。
 クオンは第二撃が来る前に針を放った。鋭い針はヤマを深く貫いて呻かせ、のけぞった隙を突いて横腹に蹴りを叩き込む。遺跡から大きく距離を取らせると、すぐに身を起こして刺さった針を抜くヤマにまた背を向けて駆け出した。


「メ~~~!!!鬱陶しい!!」


 眦を吊り上げたヤマが追いかけて来ながら黒い帯状の布を広げる。それにいくつもの“ダイアル”が縫い付けられているのを認めたと同時、ヤマが弾丸のように一直線に飛びかかってきた。
 あれが何なのかは分からないが、避けるよりは止めた方がいいかと左手を構え─── 瞬間、ぞわりと悪寒が背筋を駆け上がった。


「食らえ10連斬撃アックス斬撃満点アックスマウンテン!!

「!!!」


 本能に従ってクオンが跳び退り、半瞬遅れて元いた場所が不可視の斬撃に斬り刻まれる。
 クオンは大きく目を瞠った。地面を抉った斬撃は、おそらくヤマを止めただけでは防げなかっただろうとひと目見て判る。まともに食らえば10個もの“ダイアル”から放たれた斬撃に全身を刻まれる。
 これが、“貝”を用いた空の戦い、その一端。……成程、と瞬時に理解したクオンは口の端を笑みの形に歪めた。

 攻撃を無理やりに躱したために体勢を崩したクオンが地面に左手をついて転倒だけは避ける。それを見逃さなかったヤマは「メリャ~~~!!」と鳴いて地面を蹴ると“斬撃貝アックスダイアル”を縫い付けられた布を仕舞いながらその巨体から繰り出される重い蹴りを白い人間に叩き込まんとして─── その場から動かないクオンと迫るヤマの間に、滑り込む影があった。


二十輪咲きベインテフルール金盞花カンデュラ !!」

「メ~~~!!!」


 ガウン!!!


 己の両手に円盤のように多くの手を咲かせたロビンがヤマの蹴りを受けとめた。森に鈍く重い音が反響する。女の細身には相当な負担がのしかかり、ロビンは低く呻いて苦悶に顔を歪めた。
 ヤマの勢いを殺しきれず後ろに庇ったクオンごと吹き飛びそうになった彼女をクオンは慌てることなく抱えて大きく跳び退る。


「ロビン、大丈夫ですか」

「ええ。……ここまでの遺跡やあの書記像、護ってくれてありがとう、執事さん。ハリネズミ君も」


 努めて呼吸を落ち着けたロビンが真っ直ぐにクオンを見つめてやわらかく微笑んだ。
 クオンはぱちんと瞬きひとつ。へぇ、あの石碑は書記像というのですね。新しい知識を得たが、慰霊碑とどこがどう違うのかはさっぱりなため軽く肩をすくめてどういたしましてとだけ伝えた。同じくハリーがきゅぁいとひと鳴きする。


「メ~~~エ!貴様ら、いつまでこんな枯れた・・・都市・・を庇い続ける気ですかあ!?」


 逃げるばかりで大した反撃もしてこない2人に侮蔑を隠さずヤマがせせら笑う。シャンディアからこの島を奪い取っただけでなく、彼らが積み重ねた歴史を踏み躙る言動にロビンが顔色を変えた。
 クオンへ向けていたやわらかな微笑みは消え、温度のない冷えた瞳がヤマを射抜く。クオンはロビンから手を離しそっと数歩下がって相対する2人を眺めた。


「あなたには先人の足跡そくせきを尊ぶ気持ちがまったくないようね」

「私は過去にこだわらないたちなのだ!」


 明らかな嫌味と清々しい即レスを聞いていたクオンは、過去にこだわらないのと過去をないがしろにするのは違うでしょうにと内心で呟き、ビビの執事をしていたときは己の失くした記憶過去に一切の興味も関心もなかったがあれは別にないがしろにしていたわけではなく……と誰も聞いていないのについ言い訳じみたことを考えてしまった。


「─── 愚か者はきまってそう言うわ」

「私を誰だと思っているのか!!」


 ロビンの軽蔑に染まった物言いにカチンときたようで、ヤマは怒号を上げると拳を振り上げた。
 クオンは簡易爆弾の針でその拳を弾き、ロビンの肩を押すとヤマに背を向けて駆け出した。まだこの辺りには遺跡があちこちに点在している。ここで戦うのは得策ではない。


「ロビン、先を行ってもらえますか。私はあの暴れ馬を少々躾けてやらねば」

「じゃじゃ馬にもほどがあるものね、あのおバカさん」


 笑みも浮かべず冷ややかに返ってきた声を是と受け取り、僅かに速度を落としたクオンは両手に針を構えると苛立たしげに追ってくるヤマを振り返った。
 ちょうど遺跡群に差しかかり、樹に大半が呑み込まれた遺跡が道なき道に広がる。それらに躊躇いなく振り下ろされるヤマの手を、クオンは左手を向けて能力を使い寸前で止めた。さらに足で踏み割ろうとすれば足を、その巨体が目の前の遺跡に突っ込みそうになれば瞬時に背後へ回って高く蹴り上げて地面に転がし、足を止めようとすれば都度針を飛ばして注意を引き怒りを煽って走らせた。
 それはまるで、暴れ馬をせめてただ走る馬に仕立て上げる調教師のようで、見境なく暴れる牛を御する闘牛士のようでもあると、背後を一瞥したロビンは思う。ただし怒りに震えて迸る鳴き声はヤギか羊のそれだ。


「─── ここでいいわ」


 ロビンに続いて駆けていたクオンは、ふいに耳朶を打った声に暴れ牛、もとい神兵長ヤマから意識を逸らした。振り返れば多少の地面の凹凸はありながらも戦闘に十分なひらけた場所が目の前に広がり、遺跡の類はどこにも見られない。
 さらに奥は高い崖になっている。常人ならば落ちればひとたまりもないだろうが、2人にとっては何の問題もなかった。
 おもむろに立ち止まったロビンに倣ってクオンも傍らで足を止める。右手の人差し指を曲げれば能力によって引き寄せられたヤマが木々の間からつんのめった姿勢で現れた。体勢を崩しつつもかろうじて転倒はしなかったヤマが眼前に佇む2人を睨む。


「逃げるのは……ここまでですか?」


 低く問うヤマに、ロビンは静かに「ええ」と返す。もうダメよ、と。
 「ダメ?」と訝しげにヤマが眉を跳ね上げる。ロビンは冷たくヤマを睨みながら背負っていたバッグと被っていた帽子をクオンに優しく押しつけた。これを持って離れていてほしいと言外に告げるロビンの意を違わずに汲み、丁寧に両手で抱えたクオンは2人から離れ周囲の樹のひとつに寄ると白い背中を預けた。
 クオンが安全圏についたのを確かめ、ロビンが再び口を開く。


「反省したって許さない」


 麦わらの一味の前では常に意識してほころばせ微笑みを絶やさなかったロビンの面差しは硬く、そして冷徹さを帯びていた。それほどまでの怒りが駆け巡っているのが見て取れて、クオンは遺跡を一切の躊躇いなくないがしろにする神兵長に激昂する考古学者の横顔に目を細めた。

 しかしヤマは許さないと断言したロビンの怒りも不可解げな様子で、深い歴史をはらむ遺跡を廃墟と言い、別に貴様のものでもあるまいと吐き捨てる。それに、ロビンはそうよと返した。
 遺跡は誰のものでもない。けれど遺跡は過去の人々が遺した想いの具現で、だからこそ個人がぞんざいに扱っていいものではなく、語り継がれる歴史は尊ばなければならない─── そんな真摯な思いを、この神兵長が理解する日は来ない。


「執事さんが身を削って護ってくれたから歴史は消えずに済んだけれど、あの子がいなければどうなっていたか…………つまり、あなたがあの子を傷つけたということにも、なるのよね……」


 すぅとロビンの目が不穏に細められる。低く重い呟きは物騒に空気を震わせ、「……許さないわ」と再度こぼれた声音は地を這うようだった。
 普段との変わりように、さすがのクオンも驚いて氷のような冷たさでヤマを睨み据えるロビンの名を呼ぶ。


「ロ、ロビン…?」

「そこでお利口さんに待っていてね、執事さん。すぐ終わらせるから」

「あっはい」


 にっこりと笑い、幼い子供に優しく言い聞かせるように語りかけるロビンについ反射で頷いて瞬時に引き下がる。
 これはあれです、たぶん今触れてはダメなやつ。ナミと同じで逆らわないのが一番、いい子で大人しくしているのが最善。クオンは空気が読めて判断がとても早かった。


「……ハリー、うちの女性陣はとても逞しくて強くて、ちょっぴり怖いですね」


 ロビンから目を離さぬまましみじみと呟くクオンに、人語を話せたならば「お前もな」と返したハリーは、人の耳にただのハリネズミの短い鳴き声だけを届かせた。







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