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 “髑髏の右目”に近づくにつれ、点在する人工物の数が目に見えて多くなってきた。
 時折現れる敵は2人で無造作に薙ぎ払い、クオンはそのたびに敗者へ恋とは何かと詰問し、ほぼすべてに明確な答えをもらえずがっかりした様子で容赦なく意識を叩き落としては木のツルで簀巻きにして森の彼方へ放り捨てた。


「おや、ここは……あ、ロビン。あそこに大きな石碑が」


 やがてロビンと共にひらけた場所に辿り着いたクオンは、辺りを見渡すと視界に大きく入ったものを指差した。一部が欠け、苔むしてその巨体を傾がせた石碑にロビンが目を瞠る。海雲がたまって浅い池のようになったそこへ、考古学者は迷うことなく足を踏み入れていった。






† 探索組 5 †






 古びた石碑の検分と考察をロビンに任せ、クオンは辺りの警戒に努める。ここに来るまでに書き記した記録と目の前の石碑を見比べるロビンは滅びた歴史に夢中になっているようで、クオンがひょいと後ろから覗き込んでも特に反応はしなかった。


「都市そのものの……慰霊碑……都市が滅んだあとに…子孫が建てたのね」


 興味深そうにひとりごちるロビンの呟きを何となしに聞く。クオンからすれば何が記されているのかさっぱりな石碑、もとい慰霊碑を上から下まで眺めるがやはり何も分からない。しかし、次いで紡がれた古代都市の名には反応を示した。


「『シャンドラ』……」

「シャンドラ?」


 ─── シャンドラの灯をともせ


 ふいにクオンの耳を音なき“声”が叩く。絶え間なく耳朶を打ち続ける魂の叫びがまた強く形を得た気がした。
 シャンドラの灯。今は滅びた古代都市の存在を轟かせるもの。それの正体はいまだ分からないままだが、もしかしたらここにその手掛かりがあるのかもしれない。
 クオンはロビンの傍らに佇み考古学者の言葉を待った。


「海円暦402年……今から1100年以上も前。都市は栄え、滅んだのは……800年前……!」

「800年前?ええと、それは確か…“空白の100年”にあたる時期では?」

「そう、世界中のどこにも残っていない歴史よ。─── もしかして、この島は……」


 慰霊碑を見上げ、知的な瞳を湧き上がる好奇心に煌めかせたロビンが興奮に声を上擦らせる。


「地上で途絶えた“語られぬ歴史”を……知っているのかもしれない…!!」


 きらきらと美しく輝く瞳を見上げ、クオンは慰霊碑に視線を戻す。考古学など修めていないクオンにはどこをどう見てもさっぱりだ。変な顔、変な文字らしきもの、けれど分かる者にとっては胸を弾ませるそれ。
 眼前の慰霊碑に集中し手に持ったメモ帳に素早くペンを滑らせるロビンは横顔に注がれるクオンの視線に気づいていない。取り繕ったものでも装ったものでもない、心からの自然な笑みを微かに浮かべるロビンを見つめていたクオンは、ロビンが楽しそうで何よりだと口元をほころばせた。

 やわらかく鈍色の瞳を細め、しかし次の瞬間刃のように煌めいて背後へ剣呑に向けられる。同時、パキッと地面に落ちた枝を踏んで2人への接近を教えた者がいた。
 クオンが針を右手の指に挟んで身構え、ロビンがはっとして振り返る。


「誰!?」


 ロビンの鋭い誰何に、木の影から巨体を揺らして現れた敵は答えない。明らかな敵意をもってこちらを見据えている。相手が口を開くよりも先にクオンが声を発した。


「ご機嫌麗しゅう、“ゴッド”に仕える高位の方とお見受けいたします。私の名はクオン、つい先日青海より参りました。失礼ですがお名前を伺っても?」


 至極丁寧に、相手を刺激しないよう低くくぐもった声を被り物越しにかけながらクオンは問う。男はクオンの倍近くある縦に長い背丈に加え横にも長く、寸胴体系で太ましいが、道中でクオンとロビンが倒した者達より明らかに強いと見て判る。油断がならない。
 男は眉を跳ね上げてクオンの愛嬌があるようで間の抜けた猫を模した被り物を見やった。厚い唇が笑みの形に歪む。


「ンフフフ、お前、青海人のくせに礼儀を尽くす心はあるようだメェ~。いいとも、答えてやろう。私は神兵長ヤマ!!“神”の命によりお前達を排除しに来た!」


 神兵長。おそらくは神官の下に位置しているのだろうが、メーメーうるさかった者達の長と見ていいだろう。
 さて、どう戦うか。相手は空に住む者だ。当然様々な“ダイアル”を駆使してくる。空の戦いに慣れていない自分達では明らかに不利。それでなくとも、今ここで戦うわけにはいかないというのに。
 背後で顔を強張らせ、無意識か慰霊碑を庇うように立つロビンを一瞥したクオンは、針を構えたまま神兵長ヤマと向かい合った。


「不作法者ではありますが、お相手つかまつります。しかし、よろしければ場所を変えませんか。このように瓦礫が密集した地帯では双方不利でしょう」

「ン~~~フフフ、そうですねぇ、それもいい。しかし─── それに応える道理がない」


 ヤマの低い声音が、交渉の決裂を告げた。


「メ~~~~!!!」


 巨体に似合わず素早い動きでヤマが回転を伴って瞬く間に肉薄する。クオンは躊躇わず左手を掲げて能力を発動した。


斥力アンチ、オン!」

「メッ!?」


 ぴたり、ヤマの巨体が空中で停止する。同時に反動で内臓が絞られたようにぎしりと痛み、それで目の前の神兵長が相当な重さがあると知って内心で舌打ちした。
 一足飛びでヤマのもとへ迫り、大きく振りかぶった左の拳を叩きつける。空中に留められ避けるすべのないヤマはもろにそれを食らって吹っ飛んでいった。


「メ゛ェ~~~~~!!!!」

「は…、……!」

「執事さん!」


 元々痛めていた左腕の肘部分の骨にびしりとひびが入る音が聞こえ、鋭い痛みが脳天を駆け抜ける。左腕を押さえるクオンにロビンが慌てて駆け寄ってくるが、それを右手で制してヤマが飛んでいった方を睨んだ。


「ロビン、急いで後を追いましょう。あれは遺跡を破壊することを躊躇わないタイプです。できる限り遠くまで飛ばしましたが、広がる森とあの巨体ではおそらくはそう離れていない場所までしかいけない。そしてこの遺跡群は広範囲に渡って残されている。あれが怒りに任せて近くのものを壊さないうちにさらに遠くへ追いやらなければ」


 いつになく早口でまくし立て、先に行きます、と言い残してクオンは目にもとまらぬ疾さで駆け出した。クオンの姿はロビンの目には映らないが、ヤマが吹き飛んでいった軌跡は巨体がぶつかって薙ぎ倒された木々が示しているから案内は不要だろう。


「メ~~~!!!おのれ、おのれ、おのれェエエ!!!」


 森の中を駆けるクオンの耳に、怒りに満ちたヤマの声が突き刺さる。やはりあの程度では気絶すらしなかったか。分かっていたこととはいえ、手加減をしたつもりもなかっただけに口惜しさがあった。
 クオンが予想した通り、ヤマは森の樹に叩きつけられて止まったようだ。根元から折れた樹が横倒しになっている。
 地団太を踏んで足下の石畳を割ったヤマの、苛立ちに任せた右手が傍の遺跡に叩きつけられる─── 寸前、クオンは己の能力でそれを阻んだ。ぴたりと振り下ろした拳が途中で止められたことに気づいたヤマが憎々しげに顔を歪める。トッ、と軽い足音と共にその場に足をつけたクオンを怒りに燃える眼差しで射抜いた。クオンも被り物の下で鈍色の瞳を冷ややかに据える。


「貴様!許さンメェ~~~!」

「大人しく私に従っていればよかったものを、無駄に反抗するからそうなるのです。何より、この地に残された遺跡の破壊は許されざることと思い知りなさい」

「何様のつもりだメ~~~!!」


 クオンがヤマのもとに辿り着くまでに遺跡のいくつかが壊されたようで、彼の足元には荒く砕けて瓦礫となった遺跡の残骸が転がっている。ざっと見たところ石碑のようなものが混じっていないのは不幸中の幸いか。
 しかしクオンは考古学については素人だ。その判断が誤っていないのかすら分からない。これを見ればロビンの顔はきっと翳を落とすかもしれない─── そう思えば、鈍色の瞳はいっそう冷たさを増した。


「ンメ~~~!!腹部満点ストマックマウンテン!!!」


 頭上で両手を合わせ、回転を加えた体当たりが勢いよく迫りくる。クオンは慌てることなく左手を掲げた。


斥力アンチ───!」

「んんん!!またか!!!」

「さっさと気絶のひとつやふたつ、してもらえると助かるんですけれど、ね!」


 再び空中で動きを止めたヤマを今度は右足で蹴り飛ばす。怒りと憤りと悲鳴が入り交じった叫びが森を駆け抜けていった。ボールのように勢いよく樹に当たって跳ね、地響きと土煙を上げて転がっていく。
 クオンはそれを追い、一度目と比べて然程離れていない場所でひっくり返っているヤマを見つけた。みっしり詰まった巨体のくせに俊敏な動きで体を起こしたヤマがぎろりとクオンを睨む。


「二度目はあまり飛ばなかったですねぇ!!あれだけ大口叩いてこの程度ですかあ!?やれるもんなら何度でも!やってみろメェ~~!」

「まったく、無駄に頑丈なのは困りものですね」


 遺跡がない場所へ移動させようにも、木々が密集するここでは障害物が多くなかなかうまくいかない。
 それに、あの巨体を空中に留めてぶっ飛ばすたびに反動に苛まれる肉体ではいずれ限界が来る。我慢比べはこちらの不利だ。
 クオンの肩の上でハリーが背中の針を逆立てて威嚇するが、ハリーの針では威力が足りない。火針ひばりならば通用するだろうが、それではこの森まで焼いてしまう。それはダメだった。
 さてどうするか。冷たく光る鈍色の瞳をヤマに据えながら思考して─── 答えは、すぐに出た。







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