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向けられる眼差しには気づいていた。質量のないそれがじりじりと白い痩躯を焼いて胸の奥を焦がしていくようで、被り物を被った顔は前に据えながらも鈍色の視線はあちこちをさまよって落ち着かない。
彼はいつもこんな目をしていただろうか。こんなにも熱をはらんでいただろうか。否、隠されていたのだ。彼曰く惚れた女を囲い込むために、荒れ狂い湧き上がる感情を抑えつけて静けさを前面に出すよう努めていた。それを「やめた」と宣言通りにしたのはゾロで、そうさせたのは自分だと分かっている。
「ハリー……」
ぎりぎり己の相棒に聞こえる声量で情けない呟きを落として肩に乗るハリーに視線を向けるが、ハリネズミはちらとつぶらな瞳を返して肩をすくめるだけ。
昨夜の自分が翌日の自分にすべてを託しはしたものの良い考えなど思いつくはずもなく、ひたすら南へ向かって足を動かして進む
クオンは、いつの間にかルフィとゾロが道を外れても、それに気づいたロビンが2人に道を戻るよう伝えてきてくれる?とチョッパーに頼む様子にも気づくことなくいつの間にか先頭に出ていた。
† 探索組 2 †
道を正されたルフィとチョッパーが何やらいい雰囲気の棒を拾って戯れる様子を微笑ましげに眺めるロビンの隣を
クオンは歩く。視線はひたすら真っ直ぐ前に、目的地である“髑髏の右目”がある南へ据えているため背後を横切る不穏な影には気づかない。
地面や樹の根に棒をすりつけて遊ぶチョッパーがにこにこと相好をくずして口を開いた。
「でもおれはこの森、もっと怖いとこかと思ったんだけど、なーんだ大したことねぇな~~~」
「へ~、チョッパーお前今日は強気なのか」
内心戦闘員である4人が揃っていることが心強く、ゆえに気も大きくなったチョッパーにルフィが笑って返す。そうなんだがははとさらに笑って返すチョッパーの様子を見たハリーが半眼になってため息をついた。こいつ、何かトラブルがあっておれ達と離れ離れになったら絶対泣く。ハリネズミには確信があった。
「だが確かに正直拍子抜けだよなぁ。昨日おれ達が森へ入ったときも別に何も出なかったぜ。神官のひとりとも会わずじまい」
どこか残念そうにこぼすゾロが「お前の気持ちも分かるぜチョッパー」と続け、この森に脅威がないと見たチョッパーがさらに肩から力を抜く。
「なぁ
クオン」
「ええ、そうですね。こうも何も起こらないと肩透かしを食らったようです」
ゾロに水を向けられて
クオンが前を向いたまま軽く肩をすくめる。どう見ても緊張感が皆無の4人を軽く振り返り、ロビンは口元におかしげな笑みを刷いた。
「おかしな人達ね。そんなにアクシデントが起こってほしいの?」
ロビンの呟きにもチョッパーは笑顔を返す。その可愛らしい笑声に鳥の鳴き声と羽ばたきが重なり、小さな物音が耳朶を打った。が、サウスバードがいたように青海のジャヤ同様この森は生き物が多い。しかもそれぞれが空島の影響で巨大化している。物音の正体も森に棲む虫や動物達だろうと誰も気にしなかった。
─── 目の前に、あまりに巨大な蛇があぎとを開いて向かってくる光景が広がるまでは。
突然現れた大蛇にぽかんとして動きを止めたのはほぼ一瞬。
明らかにこちらを捕食対象としてぬらりと濡れる
眼を見据える青い大蛇を見上げ、真っ先に声を上げたのは当然のごとくルフィだった。
「逃げろ~~~!!ウワバミだ~~~!!」
逃げろと言いつつもだっはっはっはっはっは!!と楽しそうにルフィが笑い、目の前に現れた巨躯に余裕と強気を引き剥がされたチョッパーが「ギャ~~~!!!」と目を剥いて悲鳴を上げる。
何て大きさと目を瞠り顔を強張らせるロビンの隣で、
クオンはあらあらまあまあと感心した風情で大蛇を見上げた。保護色とはかけ離れた体色は水色よりは濃い青で彩られ、それだけでこの大蛇が他の生物の頂点に近しい存在だと判る。ふたつに割れた赤い舌を伸ばす蛇の口は、人間など数十人はまとめて呑み込めるほどに大きい。……捌いたら食料何人分、あるいは何年分になるだろう。つい計算してしまう
クオンだった。
「ナマズみてぇな奴だな…ブッた斬ってやる…!」
ゾロが腰の刀に手をかけて構える。巨大な森でその長い巨躯をくねらせジュララララララララ!!と鳴いて鋭い牙を剥き襲いかかってきた大蛇の口撃を、ルフィは笑って、チョッパーは悲鳴を上げて泣きながら避けた。
クオンも一足飛びに樹の上に登ってその場を離れ、ロビンも能力を使って樹の上に避難し、迎撃するのは難しいと悟ってゾロもまた樹の幹を伝って枝の上に跳び上がった。
人間を食らおうと飛びかかり、しかし何も得られなかった大蛇が太い樹に突っ込んで動きを止める。ドゴォン…!と鈍く重い音と衝撃が地面を揺らした。
巨体にも関わらず俊敏な動きをする大蛇は危険だが、次の瞬間その危険度は桁違いに跳ね上がる。
大蛇が突っ込み噛みついた樹が、ジュッ…!と不穏な音を立てて溶けた。不快な臭いと共に薄い煙が上がる。─── 毒だ。
「総員、退避!!」
クオンはすかさず号令を発した。これは戦っていいものではない。大蛇がまさしく蛇の生態をしているのなら、噛みつかれたら一巻の終わりなのは当然だが、毒を飛ばしてくる可能性とてあった。
クオンの肩の上でハリーが背中の針を逆立てて低く唸る。コエ~~~!と言いながらも笑うルフィはまぁ、いつものことだろう。
毒液で樹を根元から薙ぎ倒した大蛇がぐるりと巨体を振り向かせて小さな獲物を狙う。「毒液に触れるな!即死だぞ!!」と顔色を変えて警告するゾロに全員が気を張り詰めさせた。ただひとり、ルフィを除いて。
「お───い毒ウワバミこっちだぞ~!ついてこい!エサが逃げるぞ~~!アッハッハハハハハ!!」
「うーん、流石はルフィ、どこまでも緊張感がない」
樹の幹に手をかけ、腕を長く伸ばして振り子のように揺れ足を鳴らして注目を引かせようとするルフィに
クオンは思わず賞賛の拍手すらおくってしまう。
まぁ毒持ちといえど所詮は蛇、危険は危険だが
クオンからすれば特別脅威というわけでもない。
大蛇は一番近くにいたロビンに赤い舌先を伸ばして狙いを定めた。ロビン危ない!とチョッパーの悲鳴じみた声が耳朶を打つ。しかしロビンは迫る大蛇の口を軽やかに躱した。己の能力で樹の枝から手を連なって咲かせロープのようにして自身を受けとめる。
逃げられた獲物を目で追う大蛇の横面が、ふいにボンッ!!と爆発を起こした。
「いけませんね、おいたが過ぎますよ」
樹の上から大蛇に向かって簡易爆弾の針を放った
クオンが被り物越しに抑揚を削いだ言葉を落とす。しかし野生の大蛇には当然通じるはずもなく、顔をぶんぶんと左右に振って熱と煙を払った。ぎろりと爬虫類の鋭い眼差しを向けるが、白い痩躯は残像も残さずその場から掻き消えて見失う。
白い獲物を見失った大蛇はすぐに他の獲物へ狙いを定めた。走るトナカイ、緑髪の男、あるいは麦わら帽子の少年、ちょこまかと逃げ回っては鬱陶しい攻撃を加えてくる雪色の人間、捉えようにも軽やかに逃げる女。
「ジュラララララララ!!!」
ひとつも食えず苛立たしげに大蛇が吼える。巨大な樹を数周しても余りある巨体をくねらせて地面に叩きつけ、獲物を食らおうと牙を剥いた。
空高く樹に跳び上がっていた
クオンは、眼下の仲間達が大蛇に追われるまま散り散りになっていくさまを認めた。この島には現“神”やそれに仕える神官達、そしてシャンディアが入り交じっている。ばらばらになるのは危険だ。
分かってはいても、大蛇から逃れて瞬く間に姿を消していく仲間達を掴まえて集めるだけの余裕は
クオンにはなかった。あの巨体ならばどれだけ高い場所にいようと大蛇の口は届くから、ここが安全地帯ともいえないのだ。
むしろ、強襲を受けている今は散開した方がいい。まとまって動けば群れをひと呑みにせんとどこまでも大蛇は追ってくるだろう。倒すことは不可能ではないが、この島の状況を思えば大蛇から逃れて体力を温存するべきだ。
(……目的地は南、“髑髏の右目”。みんながそこに集まるのを待った方が確実ですね)
暴れる大蛇を見下ろして素早く判断を下す。
ここで、
クオンには選択肢があった。誰かひとりと合流することは可能であり、ではそれを誰にするのか。
東へ逸れていくゾロとチョッパー、あるいは西へ突っ切っていくルフィ。そして、いずれ確実に元のルートに戻ってくるだろうロビン。
「…………」
少しの黙考ののち、
クオンは鈍色の瞳をひとりの人間に据えるとその場から姿を消した。
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