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 本来ならば誰も立ち入ることを許されない、神聖なる禁域の一角に、賑やかな笑い声が響いていた。雲に覆われたおぼろな月が見下ろす先で赤々と大きな炎が立ち昇る。


「お!!おめぇらいけるなぁ~!!」


 誰かの楽しそうな声が燃える組み木が爆ぜる音と混じる。力強い炎をともすキャンプファイヤーを中心にひとと空に棲む獰猛なはずの獣が輪になり、歌えや踊れ、飲めや食えやの宴が繰り広げていた。





† 黄金前夜祭 2 †






 酒が入った樽ジョッキを手に涙がにじむほど笑うナミの声が上がり、ルフィが狼によく似た獣の遠吠えを真似て、それに応えるように狼もまた大きく、しかし友好的な色を隠さず弾む声色で吼えた。それが合図になったように、大きな樽を改造して太鼓に仕上げたウソップがリズム良く叩いて音頭を取る。


「ノッて来いノッて来い!!黄金前夜祭だ~~~!!」


 ドンドットット、ドンドットット、と太鼓の音が響く。リズムに合わせてキャンプファイヤーの周りを軽快に踊りながら回る輪の中に、当然のように被り物を外したクオンもいた。いつもの定位置である右肩に相棒のハリネズミを乗せ、前後にいる獣が二足歩行で踊りめぐるさまを手本ににこにこと秀麗な顔をゆるませて楽しそうに踊る。とはいえ、誰もが各々好きに足を上げ手を上げ時に叩き、あるいは跳ねるように踊っていて、手本から外れたとしても誰も指摘することはない。そもそもとして手本などあってないようなものだ。
 本格的なダンスならばイガラムに習って修得していたが、こんなふうに好き勝手に踊るというのは初めてだ。屈託なく笑うクオンの横顔をキャンプファイヤーの炎が赤く照らして輝かせていた。
 輪を外れたゾロも空の獣を隣に据えて仲良く酒盛りに興じ、静かに腰を下ろして踊る彼らを眺めるロビンの顔もやわらかくほころんでいる。それにまたクオンの頬はゆるみ、楽しそうな相棒にハリーも上機嫌に短い手足を動かして踊り、クオンの周りにいる獣達もウオウオと笑うように吼えた。

 ドンドットット、ドンドットット。太鼓の音が響く。ここが敵地であることも忘れて賑やかな笑い声が響く。燃え盛る炎が、月の光がおぼろにしか届かない島を眩しく照らしていた。


「……雲ウルフも手懐けたか」


 ふいに老人の感嘆がにじむ声が耳朶を打って、クオンはそちらに顔を向けた。しわが刻まれた顔をゆるめ、小さな笑みをこぼして「エネルの住む地でこんなにバカ騒ぎをする者は他におらぬぞ」と続けたガン・フォールがゆっくりと歩み寄ってきていた。いまだ重傷の身だが、歩けるまでには回復したようだ。


「ありがとう、楽しかったですよ」


 近くにいた雲ウルフを撫でて礼を言い、そっと輪を外れてクオンはゾロの隣へ戻る。クオンを一瞥したゾロは無言のままガン・フォールへ視線を戻した。
 助けるつもりが結局助けられ、迷惑をかけたと言って腰を下ろす老騎士に、ゾロが真摯な表情で「何言ってる、十分さ。ありがとうよ」と礼を紡ぐ。ゾロ越しにクオンもひょっこりと顔を出して優しげな笑みを見せた。


「ええ、本当に。お陰で私達の仲間も船も失うことにはなりませんでした」

「うむ………おおお!?顔が良い!!?天使か!?女神か!?あっ我輩もしかして死んだ?」


 人外じみた秀麗な顔を目にした瞬間限界まで目を見開きのけぞって叫んだかと思えばすっと真顔になった老騎士である。


「生きてますよ、空の騎士殿。まだまだあなたには生きていてもらわねば困ります」


 挙動不審な様子を慣れた様子で流したクオンがにっこりと笑う。鈍色の瞳に浮かぶ労りと優しさは望外の喜びを湧かせ、キャンプファイヤーの炎に照らされ一本一本が星のように煌めく雪色の髪はどんな宝石よりも価値のあるもののように思えて、その眩しさを、歳を召した空の騎士は反射的に目を閉じて遮断した。
 これ以上見ていれば良くない感情が湧きそうになるほど、この白い生き物は生涯で目にしたものの中でいっとう美しい。見続けていれば「これは危険だ」と警鐘を鳴らす本能すら塗り潰されるだろう。


「シチューがまだあるみたい、いかが?」

「いやいやせっかくだが……今は無理である」


 横からかけられた女の問いはまるで救いのようにもガン・フォールには聞こえた。そちらに視線を向け、白い生き物を無理やりに意識の外に追い出す。遠慮と礼をこめて目礼を返した。
 そんな2人をよそに、危うくひとりの老人をまったく無意識に堕としかけたクオンは既に関心を目の前の賑やかな宴に向け直していて、ゾロの左手を取るとドンドットット、と武骨な手の甲を軽く指で叩いてくすくすと笑っていた。


「ゾロも踊りませんか?」

「おれァいい。お前は行ったらどうだ、楽しいんだろ」

「ええ。なので次はあなたと楽しんでみたいと思いまして」


 他意なく、心から正直に言葉を重ねるクオンに貸した手を好きにさせながら、ゾロは口を苦く歪めた。眉間に深いしわが寄る。


「……おれは行かねぇぞ」

「だから私がここにいるんですよ」


 どうやら一瞬でもあの輪の中に入ることを考えてくれたらしいと悟ってクオンが噴き出すようにして笑う。しつこくねだって手を引いて行けば踊らずとも輪に入るくらいはしてくれそうだが、こうして2人並んで楽しそうな彼らを眺めるのもなかなかどうして悪くない。
 顔を覗き込むように軽く首を傾け、目を細めて甘く笑うクオンを見下ろし、酒瓶に口をつけたゾロが喉を鳴らして飲み下すと「ならいい」と短く返した。
 そのとき、ガン・フォールが目覚めたことに気づいたルフィとチョッパーがわっと声を上げる。


「おお!?変なおっさん!!起きたのか!!ありがとな!踊ろう!」

「踊ろう!空の騎士!!」

「お前医者だろ」


 ルフィはともかく船医であるチョッパーの重傷者に対するものとは思えない台詞にゾロがツッコむが、浮かれた彼らは気にも留めない。そのまま足を止めることなく笑い声を上げて楽しそうに踊り続けた。


「おう!おっさん、コニスちゃんはどうした!?無事か!?」

「うむ、親子とも我輩の家におる。安心せよ」

「そ~~~か、よかった。それが心配でよ」


 次にガン・フォールに声をかけてきたのはサンジで、優しい彼らしく、“神”の怒りを買ったコニスをずっと気にかけていたようだ。彼女を助けた当人から無事を伝えられて心底ほっとしたように笑うとまた輪に戻っていく。
 コニスが間一髪助けられたことは聞いていたが、連座でパガヤも罰されるのではと内心案じていたクオンもアフターフォローに余年のない老騎士に小さく安堵の息をつき、無意識にゾロの手を握り締めれば軽く握り返され、目を瞬いて唇をほころばせた。白手袋越しに伝わるぬくもりは心地好く、しかし少しだけ物足りないような気もする。それを埋めるように両手で武骨な剣士の手を包んだ。


「……さっきのおぬしらの話を聞いておった」


 ふと、人も獣も関係なく全員が楽しそうに沸き立つさまを見つめていたガン・フォールがおもむろに口を開く。


「この島の元の名をジャヤというそうだが、何故今……ここが“聖域”と呼ばれるか……分かるか?」


 静かな問いにクオンが首を傾げる。同じようにハリーもまた首を傾けて「きゅ?」と小さく鳴いた。
 確かに、言われてみればなぜ空島に住まう“神”はここを“聖域”としたのだろう。禁足地としたからには余程重要な何かがあったのか。遥か昔、クオンに届く“声”の主達からこの地を奪い取っただけでは飽き足らず、その上で今の“神”が独占したがるほどのものが。
 青海人からの答えは期待していなかったようで、独白のように老人は語る。


「おぬしらにとって……ここにある地面は当然のものなのだろうな」

「……ん?そりゃそうだろ」


 土が広がる地面は、青海に住まう者にとってあまりに当たり前すぎて特別なものと思う者はそう多くない。ゆえの台詞をゾロが不思議そうに口にし、その隣でクオンは彼が言いたいことを察した。
 老人は己の足下に広がる地面に手を伸ばし、無造作に土を掴む。


「だが、空には…これは元々存在しえぬものだ。島雲は植物を育てるが生むことはない。緑も土も、本来空にはないのだよ。─── 我々はこれを、“大地ヴァース”と、そう呼ぶ」


 老人は語る。空に生きる者達にとって、“大地ヴァース”とは永遠の憧れそのものだと。
 空にはなかったもの。時折“突き上げる海流ノックアップストリーム”によって地面の一部や植物の種が流れ着くことはあっても、ここで新たに生まれることはない。それを求めて青海に降りるということは、故郷を捨てるということだ。地面は存在せずとも安穏と生きていくことはできる空を捨て、見知らぬ未知の世界に降りていく勇気を持てる者はどれだけいるだろう。一度青海へ降りれば空へ戻ってくることはほぼ不可能となれば尚のこと。
 そうして長く永く続いた、夢見る憧れが積もるさなか、ジャヤはあまりに唐突に空へと現れた。現れてしまった。空の人々は天がもたらした奇跡の体現だと喜んだ。
 当時の“神”は思ったに違いない。


 ─── あれが欲しい。あれは空に、我々のもとに来たのだから、我々のものだ。


 そう思うことは責められない。夢のまた夢、一生のうちに触れることすら難しいそれを前にして欲望は弾けただろう。たとえこの島に先住民がいたとしても、そのすべてを薙ぎ払い、追い出して我が物にしたいと考えた。
 世界の歴史を思えば、空に打ち上げられたことは除外して、この島の悲劇はよくある話だ。戦争も侵略も略奪も、ありふれた、珍しくもない事実。先住民の子孫がこの島の奪還を悲願としていたとして、クオンにはそれを手伝ってやる義理も道理も本来はない。
 ただ、クオンの耳には切実な“声”が届いている。その“声”の願いを叶えてやると決めた。空に住まう民を見て、今の“神”をその座から引きずり降ろすとも決めた。成すべきは為すが、あとのことは空の者達でどうにかすればいい。

 憂うように手の中におさまる土を見下ろすガン・フォールを見やり、サウスバードが彼を“神様”と呼んでいた事実を思い返す。
 この国の“神”に、クオンは問いを口にすべく形の良い唇を開いた。


「ところで空の騎士殿、ひとつお聞きしたいことが」

「……何だろうか」

「“シャンドラ”とは、何でしょう」


 ─── シャンドラの灯をともせ。
 耳朶の奥、他者には聞こえない“声”が絶え間なく訴えている。その意味はいまだクオンには分からないが、空の民であり“神”であった彼ならば知っているのかもしれない。
 しかし、ガン・フォールは聞き慣れないものを耳にしたような、怪訝そうな顔でクオンを見やる。


「シャンドラ……という言葉は、すまぬ、聞き覚えがない。しかし、もしかすればシャンディアに関係しているのかもしれぬ」

「シャンディア?」

「おぬしらも白海で見たであろう。突然襲いかかってきたゲリラ……彼らのことだ」


 何を思っているのか、視線を遠くし、どこか苦しそうに老人は告げる。
 正確に語られずともクオンには分かった。ゲリラ、もとい、遥か昔の“神”が略奪したこの地に住んでいた者達とその子孫。彼らのことをシャンディアという。ならばシャンドラとは、シャンディアに関する何かだろう。
 根拠はないが、ともすべきシャンドラの灯と鳴らすべき黄金の鐘が深く関係していることは確信している。この島は先住民たるシャンディアがいた場所だ、必ず手掛かりがどこかにある。
 それを探るためにも考古学者であるロビンに協力してもらおうかと思案して、けれど今は宴を楽しもうかと、思考を切り替えたクオンは鈍色の瞳をキャンプファイヤーに向けた。







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