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 厚い雲に覆われて判然としないが、赤みがかった雲が暗い影をにじませているのを見たクオンは日が暮れかけていることに気づいた。
 さすがに夕闇にチョッパーをひとり残すわけにはいかない。一度メリー号に戻りましょうと提案したクオンに誰も否やを唱えず、一同は元来た道なき道を戻った。行きと同じようにクオンがナミを横抱きに抱えて先導する。

 暫くしてふいに巨大な樹々の狭間から覗くメリー号が見え、異変はないようだと安堵の息をつきかけたクオンはしかし、ひらけた視界に映ったメリー号のメインマストが完全に折れてなくなっていることに気づいて顔を強張らせた。同じものを目にしたナミもまたクオンの腕の中で血相を変える。数歩遅れて辿り着いたゾロとロビンも目を瞠った。


「チョッパー!?どこ!?何があったの!?チョッパー!!」


 仲間の安否を案じて叫ぶナミをその場に置いて残し、クオンは一足飛びにメリー号へと飛び移った。






† 神の島 5 †






 メリー号のメインマストは根元からもぎ取られ、よく見れば船体のあちこちが焦げている。どう見ても敵襲を受けたのは間違いなく、ぐるりと視線をめぐらせて小さな仲間を捜したクオンは、目を見開いてこちらを見上げているトナカイと目が合った。体に包帯を巻き、こびりついた血に顔を汚したチョッパーのまんまるに開かれた目が、ふいにぐしゃりと歪んで潤んだ。クオンが小走りに駆け寄って膝をつく。


「チョッパー、よかった、ひとまず命があったようで何よりです」

「おいクオン、チョッパーはそこにいるのか!?何かあったのか!?」


 被り物越しでも判る優しい声音に続いてゾロの声がかけられ、クオンに飛び込むようにして抱きつこうとしてぴたりと動きを止めたチョッパーがひぐっと喉を鳴らす。「~~~~~!!!」と喉から迸りそうになった泣き言を歯を食いしばって必死に呑み下し、岸で待つ仲間にも己の姿が見えるようにして柵の隙間から顔を覗かせた。ぐしゃぐしゃに顔を歪め、滂沱の涙を流し、全身を震わせながら。


「…べ…、別にな゛んもコワイことながったぞ」

「よく頑張りましたねチョッパー、流石は強くて頼もしい私の仲間です。さあおいでなさい」

クオン~~~!!!」


 両腕を広げて安心させるようにやわらかく微笑み、被り物によって表情も声音も隠されたが向けられた心は一片も欠けることなく伝わったようで、堪えきれなくなったチョッパーはどばっと勢いよく涙をあふれさせるとクオンの腕の中へと飛び込んだ。
 小さな蹄がぎゅうとジャケットを握り締めておうおう泣くチョッパーの背中を白手袋に覆われたクオンの手が優しく撫でてさする。さすがのハリーもひとり頑張ったチョッパーに何も言えないのか、クオンの右肩に乗ったままやれやれと小さく息をついただけで許容した。


「チョッパー、私達が出掛けている間にいったい何があったのか、すべて話していただけますね?」

「う゛ん゛……!」


 濁った声で頷くチョッパーが乱暴に涙を拭おうとする手をやんわりと止めて懐から取り出したハンカチで優しく拭う。自分の胸に凭れさせて支え、はいちーん、と言ってハンカチを鼻に沿えた。素直に鼻をかむチョッパーをよくできましたと慈愛に満ちた声音で褒めて優しい手つきで撫でるクオンの仕草は素顔でやれば間違いなく新たな扉を全力で開け放つほどの威力があったが、トナカイであるチョッパーはえへへと嬉しそうに健全な笑みを浮かべただけだった。
 その一連のやりとりを眺めて成程これがバブみ、と知見を深めたハリーは、幸運なことにハリネズミの性癖には引っ掛からなかっため「やべぇなこいつ」と自然且つ軽率且つ無意識にひとの性癖を歪めにかかる相棒にひっそり恐れおののくだけだった。チョッパーじゃなかったらどうなっていたことか。まぁチョッパーではなかったらこんなことはしなかっただろうからいいのか。ハリーは考えるのをやめた。


「おォ!?ほら見ろ!!ゴーイング・メリー号だ!あれが祭壇だァ!!」

「おや」


 唐突に響いた聞き慣れた声に、全員の目がそちらへ向く。祭壇の湖と繋がるミルキーロードから一隻のボートが賑やかな声を乗せてやってくるのが見えた。
 ナミとロビンに“恋の試練”を越えてきたと叫ぶサンジはいつものことで、仲間が揃って気が大きくなり、このキャプテン・ウソップが来たからにはもう安心だと胸を張るウソップもいつものこと、試練ってあれだけだったのか……とあからさまに残念そうなルフィはどうやらもう少し試練という名の冒険を楽しみたかったようであれもいつものことだ。うん、3人共多少の怪我はしているようだがとりあえずは大変に元気なようで何よりである。






 さて、麦わらの一味全員が合流し、船番を務めたチョッパーの話を詳しく聞いたところ、唐突に空から燃える槍を携えた男─── 神官が現れたという。
 その強さは圧倒的で、燃える槍もそうだが、何よりこちらの行動を先んじて読んだように男はチョッパーの攻撃をことごとく躱したという。それはルフィ達がここ、生贄の祭壇へ辿り着くまでに受けた“試練”で遭った神官も同様だったらしい。

 チョッパーは神官の男が現れると同時にホイッスルを鳴らして空の騎士を呼んだと言うが、その騎士もまた、戦っている最中に突然動きを鈍くしたと思えば無抵抗に燃える槍の餌食となって湖に落とされた。チョッパーが助けなければという一心で己が悪魔の身の能力者であるにもかかわらず湖に飛び込み、騎士の相棒たる鳥もまた神官によって突き落とされたが─── なんとこの森に棲むサウスバードが助けてくれた、と。

 話を聞き終えたクオンは成程と内心でひとつ頷き、ルフィ達が老騎士の様子を窺っている間に湖に沈んだメインマストの引き揚げ作業に入った。
 マストを水面まで持ち上げるため飛び込んだハリーを餌と見て襲いかかる空サメは容赦なくクオンの針に貫かれて自分達が人間達の夕食に並ぶことになり、ハリーが持ち上げてきてくれたマストの一端を掴んで能力を使い上へ放る。くるりと回転して落ちてきたマストは落下地点にいたゾロが難なく受けとめて祭壇に寝かせた。


「メリー号はさらにぼろぼろになってしまいましたが、チョッパーの怪我は然程深くないようで安心しましたね」


 身を震わせて水気を払ったハリーを肩に乗せたクオンが祭壇で待っていたゾロに言えば、そうだなと短いながら本心からの返事があった。メリー号をひと一倍大切に思うウソップも燃やされたのがお前じゃなくてよかったと当然のように笑っていて、それを受けたチョッパーもまたもっと頼れる男になるんだと闘志を燃やしていたから、クオンの唇はほころんだまま引き締まる暇がない。


「ああ、ゾロ。空サメを獲ったので回収をお願いしますね」

「丸焼きにすればうまそうだな」


 漁に使う長く太い針に通した糸を渡し、大した苦労も見せず引き揚げてもらった3匹の空サメも祭壇に置く。と、ちょうどそのときルフィ達と共にラウンジから出てきたサンジが岸を指差して言った。


「─── とりあえず森へ下りて、湖畔にキャンプをはろう。もしものときはここよりいくらか戦いやすいだろ」

「うおー!!やったー!!キャンプだ~~~!!!宴だ~~~!!!」


 メリー号の外にいるため姿は見えないが、キャンプと聞いて喜びの声を上げたルフィの様子は容易に想像がついた。一応ここが敵陣だと分かっているウソップが慌てて止めようとするが、みんな揃ってキャンプをはればすぐに元の調子を取り戻すに違いない。


「ということは……もう一度、あのツルで渡れる…?」

「本当に気に入ったのかよアレが」

「楽しかったので!」


 被り物越しにでも分かるほど声を弾ませて頷いたクオンはこのあと、宣言通り「ア───アア───」をしたし当然のようにルフィとチョッパーもやってきゃっきゃとはしゃぎ楽しんだ。










 麦わらの一味は手負いの老騎士とその相棒の鳥を連れて祭壇から移動し、湖にほど近い、比較的樹の根上がりが穏やかな場所をキャンプ地とした。
 まずは各自集めた情報の集約を行い、同時に軽い腹ごなしとしてクオンが獲った空サメを丸焼きにして主にルフィがおいしくいただきゾロも根に凭れながらつまむ。
 クオンはいまだ目覚めないガン・フォールのための薬をロビンの隣に腰掛けてチョッパーの指示のもと調合していた。


「それにしても、マントラ、ですか。こちらの動きを読めるというのは厄介ですね」


 ウソップが再度得た情報をまとめた黒板を前に説明する声を背景に、丁寧に細かく材料を砕きながらクオンが呟く。クオンの右隣に座っていたサンジが「まあ、読むだけだから避けられなかったら意味ねぇんだがな」と返して、成程と頷きつつ、動きを読んで避けるのと己の全速力をかけた攻撃はどちらが速いのだろうかという疑問が湧いた。もし遭遇することがあれば試してみよう。


「黄金かぁ、こんな冒険待ってたんだ!!」


 この島がモンブラン・クリケット率いる猿山連合軍が探し求めていた黄金郷だったことを知り、満面の笑みを浮かべてうずうずと拳を握り目を輝かせるルフィを皮切りに、各々思い思いのことを口にしていく。


「そう来なくちゃ、話が早いわ!」

「こらこらルフィ!!お前さっきのゲリラの忠告忘れたのかよ!!」

「神が怒るぞ!?」

「ふふ……面白そうね…!」

「まぁ海賊がお宝目前で黙ってるわけにゃいかねぇよな」

「敵も十分……!こりゃサバイバルってことになるな」

「私はモンブラン・ノーランドが日誌に残した“黄金の鐘”の響きをぜひ聴いてみたいですね」

「きゅぁー」


 己の欲望に正直なナミ、危険がはびこる島におびえるウソップ、神官の強さを目の当たりにしてそのさらに上の“神”に不安がるチョッパー、口元をゆるめて好奇心を隠さず微笑むロビン、紫煙を揺らして海賊らしく同意するサンジ、敵も敵の敵も入り交じった混戦必至の状況に口の端を不敵に吊り上げるゾロ、そして両手を合わせて被り物の下で期待に目を輝かせるクオンと、定位置の右肩でひと鳴きして相棒に同意したハリー。
 仲間の表情は様々だ。何なら危ないことは極力したくない者もいる。しかしこの島での冒険をやる気満々の船長を止められるはずもなく、勢いよく立ち上がり心底楽しそうに両腕を上げて高らかに宣言するルフィを全員が黙って見上げた。


「よ~~~しやるか!!!黄金探し!!!」


 うっはっはっは!!と笑うルフィを、クオンはやわらかく目を細めて眩しそうに見つめた。
 ……クオンがなすべきことは2つ。今の“神”をその座から引きずり降ろし、シャンドラの灯をともす。
 できればルフィには純粋に冒険を楽しんでもらいたいが、“神”の出方次第ではそういうわけにもいかないだろう。簡単に倒せるのであればあの父子は苦しまずに済んでいる。

 成すべきは為す。そのために全力は尽くす。けれどもし、どうしても己の力が及ばなかったそのときに。
 力を貸してほしいとルフィに乞うて、彼は─── 麦わらの一味は、それに応えてくれるだろうか。


(……などと、考える必要もないのでしょうね)


 ふふ、と甘やかに小さな笑みをこぼす。
 なぜならばクオンは、どこまでも仲間想いな彼らのことを、過ぎるほどに知っているのだから。







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