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「おいクオン、ナミ!ちゃんと話せ!!いったい何を見たんだ!」

「いいから黙ってついて来て!!何とか海岸へ出るのよ!!」

「あ、そこ枝が折れやすくなってますのでお気をつけて」

「いいわね航海士さん、とても楽そう」


 ナミを抱えて樹から降りてきたと思えば何も言わずに真っ直ぐどこかへ向かうクオンを慌てて追いかけながらゾロが問い質すが、ナミはひっしとクオンの首に腕を回して抱きつき一蹴し、都度注意を促してひょいひょい枝から枝へ危なげなく軽やかに渡っていくクオンにロビンがひとり呟く。
 最短ルートで海岸へ出るために途中から大きな根がはびこる地上ではなく樹の上を進むクオンとナミの目的地は一致しているようで、詳細は不明だが2人が意見を合わせているのならとロビンは後を追いながら「海岸へ行けば分かるのね?」と問うた。ええ、とナミが硬い表情で頷く。その強い眼差しが、いまだ深い森に閉ざされた果てに向けられた。


「とにかく、ちゃんと近くで確かめなきゃ…!私だってまだ自分の目を疑ってるのよ!!」





† 神の島 4 †






 ─── 果たして、そこにそれ・・はあった。

 目的地に着いたクオンがナミを降ろす。礼を言って地に足をつけたナミは先程自分が目にしてしまったそれに近づき、石造りの壁にそっと手を這わせた。


「見てこれ…!見覚えがあるでしょ……!?」


 ナミが口にした通り、それはよくよく覚えのある建物だ。青海、ジャヤの東の海岸にて、見栄っ張りのように城の形をしたベニヤ板を張りつけた半分・・の家。稀代の正直者“うそつきノーランド”の子孫モンブラン・クリケットの居住地。
 それと同じ─── 否、もう半分・・・・の建物を目にして、驚愕に目を見開いていたゾロが「……どういうことだ?」と呻くように声を絞り出した。


「何で地上にあったもんがここに…同じものだろ?」

「…いいえ違うわ!これは地上で見たものの“片割れ”よ」


 同じく驚いて目を瞠っていたロビンが冷静さを取り戻して正解を告げる。それでもその知的な瞳の奥には動揺にも似た高揚がにじみ、つまり、とナミとクオンが至った結論を口にした。


「この島は元々地上にあった島なのよ…そもそも…この島は“島雲”でできていないことが不思議だった」


 雲でできた空島に、青海固有のものである“土”が存在するはずがない。多少は“突き上げる海流ノックアップストリーム”などの自然現象によって空の上へ運ばれてくるものもあっただろうが、島規模のものが自然とできるはずもないのだ。
 静かに佇み、大きな根や苔に覆われたそれを眺めるクオンの前で、ナミが言葉を続ける。


「……おかしな家だとは思った…あの家・・・には2階があるのに、2階へ上がる階段がなかったから」


 そして、あんな絶壁にわざわざ半分の家を建てる理由もない。違和感はあれど、クリケットにわざわざ問うほど重要な事柄だとも思わなかったから気にするほどのことでもないかと流していたのはクオンも同じだ。


あの海岸は・・・・・島の裂け目・・・・・だったんだ……!」


 恐る恐る、いまだ信じられないというように、しかしどうしようもない確かな物証を前に否定もできず、じわじわと興奮を募らせながらナミは真実を告げる。


「ここは引き裂かれた島の片割れ、この島は……!! “ジャヤ”なのよ!!!


 クオンは鈍色の瞳を細めた。2階に上がるための階段を一瞥して、青海に留まる、ひたすら10年もの歳月を海底に注いできた男を思う。汚名を着せられた祖先とのケリをつけるために、無いと言われ続けた“黄金郷”を探し求めている男を。


「……何らかの理由であの島は2つに割れ、そしてその半分が空へ来たのでしょう」


 到底信じられそうにない事実をゆっくりと呑み込んでいく2人を横目にクオンが呟く。
 かつて地上にあり、モンブラン・ノーランドが確認した“黄金郷”は、海に沈んだわけではなかった。400年間、黄金郷は─── ジャヤは、空を飛んでいたのだ。


「何とかしておやっさん殿に報せることができればいいのですが」


 宣言通り全力を尽くして空島へ至るために協力してくれたクリケット達に青海で再び会うことができれば一番だが、まずは無事に成すべきを為すことを考えなければならない。青海に無事降りたらひとりででも会いに行こうかと思考をめぐらせるクオンの呟きを聞きとめたロビンがあらと目を瞬かせる。


「そういえば、執事さんは寝ていて黄金の鐘の話を聞いていなかったわね」

「黄金の鐘?」


 被り物の頭を大きく傾げるクオンに、ロビンはクリケット達と盛り上がった宴で繰り広げられた昔話を教えてくれた。

 モンブラン・ノーランドの日誌曰く、ジャヤ到着の1122年5月21日。
 ─── その島に着き、我々が耳にしたのは、森の中から聞こえる奇妙な・・・鳥の・・鳴き声と、大きな、それは大きな鐘の音だ。巨大な黄金からなるその鐘の音はどこまでもどこまでも鳴り響き。あたかも過去の都市の繁栄を誇示するかのようでもあった。
 広い海の長い時間に咲く文明の儚きによせて、たかだか数十年を生きてすべてを知るふうな我らには、それはあまりにも重く言葉を詰まらせる。我々は暫しその鐘の音に立ち尽くした───。


「歴史から見ても、青海のジャヤで黄金の鐘は見つかっていません。いえ、鐘形のインゴットはおやっさん殿が見つけました。しかし『巨大な黄金からなる鐘』は、いまだ……」


 被り物の顎に指を当て、ひとりごちたクオンは思考に耽る。何やらナミが唐突に諸手を上げて満面の笑みで神への感謝を叫んでいるが聞き流し、400年経っているにしては巨大になりすぎている森を振り返った。
 モンブラン・ノーランドが再び自国の王や兵士と共に青海のジャヤに辿り着いたとき、かつての黄金都市や山のような黄金はどこにもなかった。だから「うそつき」として処刑された。ならばその黄金郷がここなのだろう。つまり、巨大な黄金の鐘が、この島のどこかにあるのかもしれない。


 ─── シャンドラの灯をともせ

 ─── おれ達は、ここにいる


 伝えてくれ、届けてくれ、灯のかがやきを─── 我らを。
 聞こえる“声”に、クオンは小さく頷いた。喚く赤子をあやすように、逸る子供を落ち着かせるように、猛る戦士を宥めるように。
 遥かな時を経ても褪せぬほどに強い想いを抱いた、この鈍色の瞳に映ることはない者達。きっとモンブラン・ノーランドとも深い親交を築いたのだろう。だからこその願いで、叫びだ。
 代を重ねてジャヤに辿り着いた子孫がいるように、おそらく“神の島”として奪われこの地を追われたのだろう先住民の子孫もこの空のどこかにいる。もしかしたらこの島の奪還を狙っているのかもしれない。そう考えて、クオンの直感が確信した。


(あの、戦士───)


 この空に到達してすぐに出遭った空の戦士。あれがこの地の先住民の子孫だろう。あの戦士をきっかけにこの“声”が届くようになったのだから間違いない。
 さて、となれば。神に逆らい好き勝手にこの地を動き回る青海人の存在は、こちらが意図せず彼らの絶好の機会を生んだはずだ。敵の敵は味方、などと都合の良いように事は進まないだろうが、まあ手を出してこなければこちらからも手を出すつもりはない。
 遥かな時を経ても深く親友を想う者は当然「良いもの」で、その子孫であるなら暫定「良いもの」枠としてもいい。よって助力を乞われれば貸してやるのもやぶさかではないクオンはそっと笑みを浮かべ、森に向けていた顔を前に戻せば、こちらを振り返りじっと見ていたゾロとばっちり目が合った。眉間にしわを寄せて目を眇めたゾロが口を開く。


「よぉ浮気者、今度はどこのどいつだ」

「なぜバレた……?」

「やっぱりかてめぇ」

「まさかのカマかけ…!?」


 あの脳筋ゾロが!?と驚きを隠しもせず被り物の下でぎょっと目を剥くクオンに大股で歩み寄ったゾロが被り物を外してナミに投げて渡す。あらわになった秀麗な顔を武骨な両手で挟んでもちもちほっぺをぐにぐにと揉み込むと、その手を掴んで止め、いいじゃないですか少しくらい、ちょっと気を取られただけで、だってだってと浮気者そのものの言い訳を重ねるクオンにゾロの目が据わった。


「“浮気性”なのがお前だからうるさく言うつもりはねぇけどな、それを見てるこっちの身にもなれ」

「む……」


 真っ直ぐ見下ろしてくる眼差しは真剣だ。麦わらの一味への“浮気”から始まり、リトルガーデンやドラム島などで見つけた「良いもの」のためならば身を尽くそうとするクオンを見てきたからこその心配の言葉だろう。しかし、ゾロがそう懸念するほどの無茶は、…………するかもしれない。反論できずに視線を泳がせてしまうクオンだった。
 だが視線を逸らすことを許さないというように両頬を覆う男の手に力が入る。鈍色の瞳をゾロに戻せば、鼻先が触れ合うほど近くに顔を寄せて男は唸った。


「おれァお前に対して寛容でありたいと思ってるんだ、クオン


 幻聴か、ぐる、と獣が低く喉を鳴らす音が聞こえた気がして、こちらを貫く重い眼光が腹の奥底で煮える激情を表したように不穏な色を宿すのを、クオンは至近距離で見てしまった。
 それに思わず背筋が震えたのは怯えだろうか。頬から引き剥がそうとしても離れない、けれど痛みを与えることはない武骨な手に重ねた自分の左手─── 以前ゾロに噛まれた親指の付け根が熱を持って疼く。
 得も言われぬ圧に体を緊張させ、クオンは無意識に唇を数度開閉して空気を食むと、叱られることを恐れて惑う子供のようにへにょりと眉を下げて上目遣いにゾロを見上げた。


「で、でも、ゾロは」

「………」

「私が何をしても、許して、くれるのでしょう?」


 だって彼はそう言った。大抵のことは許すと。様子を窺うに、己の“浮気”はまだ許容範囲だ。まだ大丈夫なはずだ。
 なのにどうしてそんな目をするのだろう。知らない、そんな目は知らない。分からない。どうすればいいのか分からない。だって今まで、誰にもそんな目をされたことがなかった。


「─── ああ、許す」


 揺れる鈍色の瞳で見つめてくるクオンに、ゾロは異様なほど静かに淡々と返してクオンの頬から手を離した。自分より高い体温が離れて一瞬冷たさを覚え、しかしすぐに雪色の髪をぐしゃぐしゃに掻き乱されて頭をぐるんぐるんと回されたクオンが突然の暴挙に「わっ!?」と声を上げる。はぁー、と少しばかり重いため息が頭上から落ちてきた。


「本当に、仕方のねぇ奴だよ、お前は」


 好き勝手に回されて揺れる脳内へ男の声音がじわりと沁み込む。呆れたような、感心すらしたような、どこか優しくもある響きに肩から力を抜いてほっと息をついたクオンの乱れた髪を剣だこができては潰れて固くなった剣士の指が梳いて整えていく。
 一本一本が星のように煌めく雪色の髪を撫でるようにして梳く男に髪と同色の長い睫毛に縁取られた瞼を伏せて身を任せるクオンは、だから気づかなかった。
 無防備になされるがままのクオンを男がどんな目で見ていて、音にはせず唇だけでどんな言葉を紡いだのか、その一切に。







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