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「この島には神がいるんだろ、ちょっと会ってくる」


 簡単に言い放つゾロを、ナミが「やめなさいったら!!あんな恐ろしい奴に会ってどうすんのよ!!」と慌てて止めるが、行く気満々のゾロはそいつの態度次第だと口の端をにっと不敵に吊り上げた。神様より偉そうだ……といっそ感心するチョッパーにクオンの肩の上でハリーが深々と頷いた。


「ではナミ、私もゾロと共に行きますね」


 単独行動ではないからいいだろうと被り物の下でにっこり笑ってナミを見上げたクオンが告げ、ちらりと向けられたゾロの視線は流す。表面上落ち着いているが内心の激情は一切おさまっていないクオンを見下ろしたナミがますます顔色を悪くした。穏健派に見せかけた過激派な内心ブチ切れたままのクオンが神に会いに行くゾロと行動を共にすると言う、ならばもし本当にこの国の“神”に会えばどうなるか、真っ先に飛び出るのが針か拳か脚かの違いなだけだ。たとえ言葉が先に出てくれたとしても、それこそゾロの言うように「そいつの態度次第」で結果は変わらない。


「神官だってこの島にいるのよ!?とにかく“神”は怒らせちゃいけないもんなの!!世の中の常識でしょう!?」


 神の怒りを買えば自分達の命が危うい。もし出会ってしまえば暴れるに決まっている2人を必死に説得するナミに視線を据え、不敵な笑みをそのままに、ゾロは言葉の刃を振り上げてぶった斬った。


「悪ィがおれは、“神”に祈ったことはねぇ」






† 神の島 2 †






 まことなる全知全能神、などと、いるはずもないというのはクオンも同意見だ。“神のような何か”、あるいは“神と呼ばれている何か”ならば掃いて捨てるほどあるだろうが、結局何かを成し遂げるのはこの世界で生きる者達でしかない。物理的に救ってくれる神があれば、この世界はもっと生きやすかっただろう。


「信じてもいねぇしな、だから何の義理もねぇ」

「うお~~~!!!」


 頭を掻きながらきっぱり言い捨てるゾロをチョッパーがきらきらとした眼差しで見つめている。ナミが両手を組んで「ああ神様、私はこいつと何の関わりもありません」と許しを乞うのを眺め、クオンはふと、果たして記憶をなくす前の私はどうだったのだろうと考えた。
 敬虔な信者だったのか、ゾロのように一蹴していたのか、それとも都合の良いときだけ讃えたり貶したりしていたのか。自問して、すぐに答えは出た。たとえ信じていたのだとしても、もう神などというものがいないことを知っていた。無音の闇にひとり遺されたあのときにそれを痛感したのだ。


「……あのツルが使えそうだな」


 メリー号の頭上に伸びる太い枝にかかるツルを指差してゾロが言い、指先を辿って見上げたロビンが「あ…ほんとね、良い考え」と言ってクオンとゾロに視線を戻す。


「私も一緒に行っていいかしら?」

「ああ!?」

「ええ、私は構いませんよ」


 予想外の申し出にゾロが眉を寄せるが、一方のクオンは快く即答すると伺うようにゾロを見上げて首を傾けた。別にいいじゃないですかとでも言いたげに薄く微笑む秀麗な顔がそこにあることを疑わず、ゾロは被り物を一瞥して小さく息をつくと「……いいが足手まといになるなよ」と棘を隠さぬ声音で許可を出した。
 ロビンをメリー号に残すよりは目の届く場所に置いた方がいいとも考えていることはクオンはもちろんロビンも容易に見抜きはしたが何も言わない。

 しかし、それに慌てたのはナミだ。ロビンまでどこ行くの!?とメリー号から身を乗り出す。だがロビンは浮かべた微笑みを変えないまま「これ見て」とメリー号の後ろにある壁画を示した。クオンもまた壁画に視線を滑らせてああと頷く。


「随分と古いものですね。考古学者として惹かれるものがありましたか」

「ええ…この祭壇、作られてから軽く1000年を経過してるわ。こういう歴史あるものって…疼くのよね、体が…」


 知的な静けさを湛えていた瞳が好奇心と探求心に輝きを帯びる。こぼれた言葉は本心からのものだ。
 案外ロビンと冒険は相性が悪くないのかもしれない。考古学者とは文献を片手に机にかじりつくものではなく、フィールドワークの方が割合を占めるのだからそれも当然かと素人ながら納得する。
 ロビンはさらに「宝石の欠片でも見つけてきたら、少しはこの船の助けになるかしら」と麦わらの一味のウィークポイントを的確に突き、それを聞いたナミの目がきらりと光った。


「私も行きマス」

「ええ!!?」


 真っ直ぐ右手を高く掲げ、笑顔で言い切ったナミにチョッパーが目を剥いて驚く。あんなに恐がってたのに……と呟くチョッパーを振り向き「歴史☆探索よ!」と建前を口にしたナミの目がベリーになっているのが誰の目にも明らかだ。

 さて、探索用の道具とバッグをそれぞれ準備し、ロビンの能力で枝の上からツルを落としてもらう。見張り台のふちに立ってそれを手にしたゾロが数度咳払いをして喉を整えるのを、ヤードに佇むクオンは何をしているのだろうと首を傾げて眺めた。


「ア───アア───…」


 決して轟くほどには大きくはなく、けれど森に余韻を残す声量を上げてスイー…と空中を滑り岸へ渡っていくゾロに「それは何、言う決まりなの?」とナミはすんとした表情でツッコんだ。
 ゾロが岸に降り立ち、次いでツルを能力で手元に戻したロビンが臆することなく渡っていく。クオンは渡ってきたナミを受けとめるために先に岸へ行こうと見張り台のふちに立って再び戻ってきたツルに手をかけた。

 木々が巨大であるため岸への距離はそれほどでもないように思えるが、先に渡った2人の小さな姿を見ると相当離れているのが判る。クオンの次に渡るために見張り台で待つナミは、もし失敗したらと思わず考えて腰が引けた。ちょっと高いかも、とこぼれた呟きを耳聡く聞きとめたロビンに「50mくらいよ、失敗したら死ぬわ」と怖いことを言われて恐怖心を煽られ、だが次の瞬間天啓を受けて表情を明るくさせると勢いよくクオンを見上げた。


「……そうだわ!ねぇクオン、あんたの能力で私抱えて岸までひとっ跳びできない!?」

「えっ」


 ツルに両手をかけて今にも飛び出そうとしていたクオンは、その提案にゾロと同じように小さく咳払いをして整えていた喉から間の抜けた声を上げると動きを止めた。
 確かにクオンならばゾロが示唆した通り一足飛びで岸まで渡れる。けれどクオンがそうせずこうしてツルを手にかけて渡ろうとしているのは、ひとえにそうしたかったからに他ならない。なにせクオンは、ゾロが渡っていく様子を見て、なにあれ楽しそう、と被り物の下で子供のように目を輝かせていたので。


「…………そう…です…ね……その方が……安全に………渡れますし…」


 果たして、無邪気に楽しもうとしていたクオンは、誰が見ても分かるほどしおしおと肩を落として項垂れた。新しいおもちゃを取り上げられた子供のようにあからさまにテンションをだだ下げ、ツルを握り締めていた手から力を抜く。あーあーと非難がましい4対の視線が妙案を口にしたはずのナミに突き刺さった。特に鋭いのは相棒を落ち込ませたことに憤るハリネズミからの視線である。
 しかしどんよりとしょぼくれたクオンに一番血相を変えたのは当のナミだった。まさかそんなに落ち込むなんて、そんなつもりはなかったのよ、と内心慌てるが今更口で撤回したところでクオンはいいえ構いませんよ、一緒に行きましょうと言うだろう。被り物の下にある秀麗な面差しに翳を差して、柳眉は八の字、鈍色の瞳は輝きを失い、形の良い唇は仲間のために笑みを刷いたまま。


「あッッッとォ!!!やっぱり私めちゃくちゃものすっごくとっても誰よりも今すぐこれで行きたくなっちゃったなァ!!!というわけで先に行くわね!!!」


 クオンがそっと手を離したツルを横から奪い取り、これから渡る高さに気後れする暇も己に与えず、ナミは見張り台のふちを勢いよく蹴るとメリー号から飛び出していった。
 ブオンッと風を切って岸へ一気に渡っていく。しかしその速度は自分が想定していた以上のもので、しかも手にあるのはツルだけで当然ブレーキなどどこにもなく、瞬く間に眼前に迫る太い幹に別の意味で顔色を変えた。


「わあっ!!はや…速すぎ!!止まれない~~~!!」


 悲鳴じみた叫びを上げるナミを、自分の体から手を咲かせたロビンが受けとめた。うぶっ!とくぐもった声を上げるナミにロビンが感心したように「度胸あるじゃない」と笑ってみせる。腰が抜けすぐには立てず膝をついて荒い呼吸を整えるナミがご迷惑おかけします…と謝意を述べ、それにロビンはいいえと返してツルをクオンの手元に返してやった。

 突然飛び出していったナミにぽかんとしていたクオンだったが、にゅっと自分の手首から咲いたたおやかな手にツルを握らされて目をしばたたかせる。ハリーがきゅいきゅいと鳴いてツルをつつき、行こうと示されたクオンは鈍色の瞳を輝かせた。


クオン、早く来い」

「ええ!」


 ゾロに促されたクオンが弾んだ声を上げてツルを握り締める。一度咳払いをして、見張り台のふちを蹴って飛び出した。


「ア───アア───……んっふふふふ」


 燕尾服の尾が翻るほど切る風は強いが、心底楽しげに声を上げて渡ってくるクオンによろよろと立ち上がりながらナミが深く安堵の息をつく。
 空中滑走は短く、すぐに岸へと辿り着いた。器用にナミやロビンのいる位置から外れ、ゾロの近くに着地しようとしたクオンだったが、少し軌道がずれてゾロのもとへ一直線に向かっていくことに気づく。
 まあ能力を使わずとも少し早く手を離して降り立てば問題はない。ゾロのことだから何も言わずとも後ろに下がってくれるだろうと思ったが、ゾロは下がるどころか受けとめるように両手を広げたから、ひとつ瞬いたクオンは甘く唇と眦をゆるめた。
 ツルからぱっと手を離して勢いをゆるめることなく真っ直ぐゾロの懐へ飛び込み、体勢を崩すことなくしっかと受けとめた男の頭を胸元に抱き込んでくぐもった笑声を上げる。存外やわらかな緑に被り物の頬をうずめてねだった。


「ゾロ、もう1回!」

「じゃあチョッパー、船番頼むぞ」

「よろしくね!」

「すぐ戻るから!」

「おう!みんな気をつけて行けよ!無事に帰ってこいよ!!あとゾロ、クオンのこと頼んだぞー!」

「うーん一考の余地もなし!」


 これほど清々しい却下、もとい完全無視もあるまい。それでもクオンは随分と上機嫌で、余程楽しかったようだ。テンション高くわしわしと髪を撫で回して乱されたゾロは少し鬱陶しそうにしながらも口は閉ざされ、クオンを縦に抱え上げたまますたすたと歩き出した。







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