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巨大なエビがメリー号ごと
クオン達を連行してきた場所は、やはり予想通り“
神の島”だった。
ここでの恐怖が甦ったか体を震わせたナミが抱きついてくるのを好きにさせ、チョッパーを抱えたまま
クオンは周囲を観察する。
太陽の方角からみるにビーチの北東に位置するこの島は、島雲ではなく土でできていた。この空に青海と同じ島があるという違和感を覚えはしたものの、何より目を引くのは連なる巨大樹だ。ひとつひとつが樹齢千年はあるだろう木々が所狭しと林立した森はひどく大きくて広い。さらに多くの獣も棲んでいるようで、あちこちから鳴き声が響き渡っている。
空の海から人工のミルキーロードを通り、さらに奥深くへ。道中いくつもの土製の像が並ぶ場所を過ぎ、視界の端を朽ちた武器や人骨の一部が流れていく。当然のように船の後を追って空魚達は絶え間なくがちがちと大きな口を開いては閉じ、ずらりと並ぶ鋭い歯を見せつけていた。
「さて、どこまで行くのでしょうか……おや?」
進行方向であるメリー号の船尾を振り返った
クオンは、視界いっぱいに広がる大きな森を認めて軽く目を見開いた。そして眼前に迫るのは小規模な祭壇のようなもの。
狭い階段を器用に駆け上がったエビは半ばほどでメリー号を放り投げ、船底が勢いよく祭壇に叩きつけられる寸前、左手を掲げた
クオンの能力によって被害はまぬがれた。
一瞬空中で停止したメリー号がゆっくりと祭壇へと底を下ろす。船体についた空の海を構成する海雲の一部がクッションとなり、メリー号は傾ぐことなく腰を落ち着かせた。
† 神の島 1 †
辺りの気配を探ったところ、獣や空魚の気配はあるものの明らかな敵意は感じられない。
クオンはふむと瞬きひとつ、次いで抱えていたチョッパーを下ろしてナミの方を振り向いた。
「ナミ、私は少し周辺の探索を」
「ロビン!!クオン確保!!!」
言葉が終わる前に有無を言わせぬ却下にぶった切られ、ナミの指示に応えたロビンが甲板から咲かせた手で
クオンの足をがっしと掴む。ナミの制止と華奢な女の手を無理やり振りほどくことはできず、まぁ最初から期待値は低かったので然程気を落とすこともせず軽く肩をすくめて力を抜いた。
動きを封じられた
クオンを半眼で一瞥したゾロが首根っこを掴もうとした手を下ろして「おれが行く」と言いながらブーツを脱ぐ。ゴーグルをかけ、腰の刀を三本とも抜き空の海に飛び込んでいく背中に
クオンはいってらっしゃいませと声をかけて見送った。
「着替えを用意しなければいけませんね。ロビン、手を離していただいても?」
許可なく単独行動はしないとナミと交わした約束もあるので勝手に飛び出していかないと手を振れば、一応納得をみせたロビンが胸の前で交差した手を下ろして能力を解いた。
自由を取り戻した
クオンがさっさと男部屋に入ってゾロの荷物に手をかける。ゾロの服はあまり多くない。おしゃれに興味などまったくないのは見て分かるが、元が良いのだから色々試してみてもいいかもしれない。あまり派手過ぎないのであれば然程文句も言わないだろう。今度どこか島に降りたらショッピングにでも誘ってみようと決め、とりあえず今は動きやすいようタンクトップでいいかと1枚を抜き取りついでにタオルも腕に抱えて甲板に戻った。
「ゾロ!!」
「サメだ!!空サメにゾロが負けてる!!」
前方甲板への階段をのぼっていればそんな声が聞こえて、おや、ゾロはそんなに弱くはないはずですがと首を傾げつつも何も言わずに空サメと戦っているらしいゾロを見守る3人のもとへと戻った。
戦っているわりに凪いだ空の海を眺める
クオンに気づいたナミとチョッパーが左右から慌ててしがみついてくる。
「
クオン、
クオン…!ゾロが上がってこないの…!食べられちゃったのかな…!!」
「ゾロが食われたぁ~~~!!!ゾロを助けてくれよ
クオン~~~!!!」
「「……食べられたのなら雲が赤く染まるはず」」
ですが、とロビンと声を揃えて呟いた
クオンの視界は白一色だ。ねぇ、と顔を見合わせて仲良く頷き合う2人に「なに怖いこと言ってんの!?」と叫ぶナミである。
「あァうざってぇ!!!!」
ボカァン!!!
「おお、素晴らしい右ストレート」
怒声と共に強烈な右拳の一発を受けて真上に吹っ飛ぶ空サメを見上げ、ぱちぱちぱちと拍手をして
クオンが心からの称賛をおくる。
空サメが白目を剥いて空の海へと落ち、ぷかりと浮かぶのが視界の端に映った。
海面から顔を出したゾロが苛立たしげに階段をのぼってくる。少々息が荒いのは慣れない海中戦を繰り広げたからだろう。お疲れさまでしたと甲板から降りた
クオンがねぎらえば、この祭壇からの脱出に失敗して戻ってきたゾロが深いため息をつく。そして祭壇の周りを囲む空の海を睨んだ。
「まいった、これじゃ岸へも渡れねぇ…いったいどこなんだここは」
「さて。間違いないことは、ここが“
神の島”の内陸の湖ということでしょう。青海で拾った古い地図にあてはめてみますと、……島の北西辺りと考えられます」
となれば、ルフィ達と合流するまで暫く時間がかかりそうだ。
クオンが被り物の下で小さく息をついてタオルを広げた腕を上げれば、意図を汲んだゾロが素直に身を屈めて頭を寄せる。
まずは首、顔、と順に押し当てるようにしてタオルで拭う。ゴーグルを外して自分の手首に通し、こめかみから滑らせるようにして撫でて優しく鮮やかな緑色の髪を包んだ。
正面から粗方拭い、一度タオルを離して男の頬を両手で挟んでまじまじと見る。心配はまったくしていなかったが、どこにも空サメ相手に掠り傷ひとつついていないことを確かめて手を離した。腰を伸ばしたゾロの背後に回り、うまく拭いきれなかった後頭部にタオルを押し当ててわしわしと撫で回す。
「まるでここは生贄の祭壇ね」
周囲が気になるのか、祭壇やメリー号の後ろにある壁画、両端に鎮座する儀式的なトーチに視線をめぐらせたロビンが呟き、白い波の合間から覗く縞模様を目にしたチョッパーがまだ空サメがうようよいるぞと声を上げた。
「えらいとこに連れてきてくれたもんだ、あのエビ……」
クオンに髪を拭かれながら濡れそぼったシャツを脱いだゾロがそれを絞って盛大に水を滴らせる。
タオルを離し、白手袋を外した指で乱れた髪を軽く梳いて整える
クオンの顔は真剣そのものだが、被り物のせいで誰の目にも映ることはない。
「よし、とりあえずはこれで十分でしょう」
まだしっとりと湿ってはいるものの、雫ひとつ垂らさない緑の髪に
クオンが満足げに頷く。かぽっとゴーグルをかけ直してゾロの正面に戻り、準備していたタンクトップを渡して、代わりに水は絞ったが濡れて重さを増したシャツを受け取る。能力を使い水分を飛ばそうとした
クオンだったが、じとりとした無視できない強い視線を感じてそっと左手を下ろした。よし、とゾロがひとつ頷く。
「過保護だと思いませんか、ハリー」
「きゅいきゅぁ」
確かにこの空島で数度と言わず結構な回数悪魔の実の能力は使ったが、反動は微々たるもので、今更濡れたシャツの水分を飛ばす程度どうということはない。けれど止められては強行もできず、丁寧にしわを伸ばして手すりにかけて干した
クオンが右肩に乗った相棒にだけ聞こえる声量で言えば、自業自得じゃね?という意味をはらんだ小さな鳴き声が返ってきた。心当たりがありすぎて何も返す言葉がない。
「……ここで飢えさせることが天の裁きかしら」
「そんな地味なことするもんなのか?神ってのは」
「さぁ…会ったことないもの」
ぽつりと呟いたロビンに顔を向けたゾロが疑問を口にするが、彼女の答えはどうにも味気ない。しかしそれは仕方のないこと。
“神”などというものが実在するとは
クオンも思っていない。それに似た何か、あるいはそう呼称されるものならば海を捜せばいくらでもあるだろうが。
そう考えると、エネルという名の“神”はそう大した人物ではない。6年前に今の地位に就いたという話だから、コニスの反応を思い出せば、大方その地位も奪い取ったものだろう。それで全知全能とは片腹痛い。今も
クオンは“
神・エネル”を鼻で笑い、内心で中指を立てて不敬極まりない態度を取っているというのに。
ついつい物騒な方へ思考を走らせた
クオンは、小さく息をつくとひとつかぶりを振って思考を払った。今はそんなことを考えている場合ではない。とにかくルフィ達と合流するのが先だ。
「船底がこのありさまじゃ船降ろすわけにもいかねぇし、とにかく船を何とか直しとけチョッパー」
「え!?おれ!?分かった」
クオンが都度着地の衝撃をやわらげたとはいえ、“
突き上げる海流”に突き上げられエビの硬い殻に長く押しつけられと、メリー号の船底はいびつにたわみ所々ひび割れて、修繕しなければまともに海を泳ぐことはできそうにない。
突然ゾロに指名されたチョッパーは戸惑いながらもしかと頷いた。私もチョッパーを手伝うべきかと思いはしたが、形の良い唇は別の言葉を紡ぐ。
「やはり行きますか、ゾロ」
「ああ。どうにかして森に入る。……お前は最後の手段だ」
タンクトップを着ながら即座に返したゾロが、ふと唇の端を歪め苦い顔をして
クオンを一瞥した。アラバスタで壁をのぼるために抱えられたときのことを思い出したのだろう。確かに
クオンならば能力を使えば一足飛びで岸まで行ける。それを選ばないのは、湧き上がる羞恥と男としてのプライドの問題だ。
クオンとしてはどちらでも構わないのだが。
クオンから視線を外し、ゾロが言葉を重ねる。
「ここは拠点にしといた方がいいと思うんだ。きっとルフィ達がおれ達を捜しにここへ向かってる。言うだろ、『道に迷ったらそこを動くな』」
「あんたが一番動くな」
無自覚とんでも壊滅的方向音痴の堂々たる発言にナミの的確なツッコミが飛び、
クオンはそのやりとりを肩を震わせておかしげに眺めた。
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