193





「撃て!!!雲の矢ミルキーアロー!!!」


 号令と共にマッキンリー達の部下が放った矢が、物理的な白い軌跡を空中に描いてルフィへ迫った。
 それを見て、ルフィが「ナミ!!邪魔だ船に行ってろ!!」とナミをメリー号へと軽く突き飛ばす。突然押されて小さく悲鳴を上げたナミだったが、文句なく素直に頷いて海を走った。一目散に駆けるその横を2人の男がすれ違っていく。


「ナミ、こちらへ」

クオン!!」


 空の海の上に立ち、しぶきひとつ上げずに駆けつけたクオンへ安堵に頬をゆるめたナミが手を伸ばす。その手をエスコートするように優しく取り、流れるような慣れた動作で横抱きにすると一足飛びでメリー号へと飛び乗った。






† エンジェル島 8 †






 ナミを甲板にそっと降ろしたクオンは、被り物越しにビーチの戦闘を眺めていた。
 放った矢の白い軌跡は雲の道となり、スケート型のウェイバーを履いた男達の足場となって瞬く間にルフィへ肉薄する。一斉に襲いかかってきた男達に、矢を避けて空中へ跳び上がったルフィが「なーるほど!!」と緊張感の欠片もなく納得の声を上げた。
 空中ならば逃げ場はないと左右同時に振りかぶられたナイフはしかし宙を切る。近くのヤシに似た背の高い木へ腕を伸ばしてさらに高く飛び上がることで回避したルフィは興味津々に男達を見下ろした。


「面白ぇもん持ってんなぁ、お前ら!!」

「何!?」


 明らかに普通の人間のものではない手の長さに男達が驚き、「何だあいつは…!?」と目を見開いて叫ぶ。手が伸びたことにパガヤとコニスも驚いていて、どうやら空島では青海ほど悪魔の実の知名度は高くなさそうだ。ただひとり、マッキンリーだけがはっとして「まさか…悪魔の実…!!」と顔を歪める。
 しかし、ルフィが悪魔の実の能力者だと気づいたときには既に決着はついていた。


「ゴムゴムの…花火!!!」


 まさしく大きく花開く花火のように、空中で回転したルフィは己の両手両足を縦横無尽に突き出して周囲の男達に容赦なく叩き込んだ。マッキンリーはその固めた拳が眼前に迫ったことを何とか視認できたが、結局はなすすべなく顔面に叩き込まれて吹っ飛んでいく。

 何とかルフィの攻撃を逃れた男達が矢を番える。しかし彼らは目の前の“敵”にだけ集中しすぎである。視界外から迫った剣士とコックに気づく間もなく地に伏せさせられ、マッキンリーとその部下達がすべて倒れるビーチを眺めたクオンは惜しいですねぇと内心でため息をついた。
 統率は取れていた。戦法も悪くはない。戦闘能力も決して低くはないだろう。未知の能力にうろたえて隙ができたのは減点対象だが、仲間がやられても逃げ出すどころか討ち取ろうと戦意を失わなかった点は称賛すべきだ。勝てる道理はどこにもありはしなかったが。なぜなら彼らよりもルフィ、ゾロ、サンジの方が圧倒的に強いので。こればかりは仕方がない、運が悪かったと思ってほしい。
 被り物の下、涼しい顔で内心飄々と嘯くクオンひとりでも制圧は難しくないことを、右肩に乗るハリネズミは当然知っていて「76点、悪くありませんね」とこぼれた呟きを聞き流した。


「─── ところでナミ、うちの船の今の経済状況は?」


 刀を鞘に納めたゾロが問い、クオンの隣に佇むナミが短く答える。


「残金5万ベリー」


 海賊にしては少なすぎる金額に、驚いたゾロがそんなにねぇのかと唸る。ナミは表情を変えず「そうよ、もってあと一日二日ね」と続けて、それに声を上げたのはルフィだった。


「何でそんなにビンボーなんだ!?船長としてひと言わせてもらうけどな……おめぇらも少し金の使い方ってもんを考えて」

「「「「お前の食費だよ」」」」


 ルフィの真っ当そうな意見は青筋を浮かべたゾロ、サンジ、ナミ、ウソップの当然のツッコミにばっさり切り捨てられた。クオンは何も言えずに被り物の下で苦笑するだけ。


「ハ…ハハハ、バカ者どもめ……」


 罪を重ねたというのに悪びれた様子も緊張感も微塵もない海賊達に、立ち上がれず地に伏したままマッキンリーが低く笑う。


「我々の言うことを大人しく聞いていればよかったものを…我々ホワイトベレー隊はこの神の国の最も優しい法の番人だ」


 どこか同情すらにじませて、マッキンリーは言葉を重ねる。


彼らは・・・こう…甘くはないぞ……!!」

「!」

「ナミ?」


 ふいに息を呑んだナミがクオンの右腕を掴む。ぎゅうと縋るように抱きついてきたナミの顔は強張り、揺れる瞳には怯えが浮かんでいる。小刻みに震える手を燕尾服のジャケット越しに感じて、あいた左手で彼女の頭を優しく撫でれば、ぱちりと瞬いたナミはオレンジの髪を梳く白手袋に覆われた手を見て、一度クオンの腕を放すとはっしと掴んだ手から白手袋を取って再び自分の頭に置いた。そうして再び腕に抱きついてきて、ふふ、と小さな笑声を被り物の中にとかしたクオンは望みのままに撫でてやる。
 目を細めて気持ちよさそうにうっとりと笑むナミが腕にこめかみを押しつけてくるのがまるで猫のようだ。随分と大きく、そして可愛らしい猫にクオンの笑みも深まる。
 そこに、無粋な男の声が飛んできた。


「これでもはや第2級・・・犯罪者。泣こうが喚こうが……ハハハハハハハ…“神の島アッパーヤード”の神官達の手によって、お前達は裁かれるのだ!!!へそ!!!!」


 マッキンリーの物騒な発言を、負け犬の遠吠え、虎の威を借る狐、などと一蹴することはできた。しかしこちらを睨み据え、指差して断言する男の顔に冷や汗と確かな怯えがにじんでいることに気づいてしまえば、彼が自分の部隊に下した「優しい」という評価は間違っていない気もする。

 配下からも恐れられる“神”とは、果たして。鈍色の瞳をひとつ瞬かせ、クオンは白い雲が広がる空を睨んだ。






 マッキンリー率いるホワイトベレー隊が素早く撤退し、再びビーチに戻ってきた一同はまずナミが見たものについて話を聞いた。
 やはりパガヤとコニスの懸念通り“神の島アッパーヤード”に辿り着いてしまった彼女は、突然現れたゲリラ─── つまりは白海で麦わらの一味を襲った戦士と、血を流しながら逃げていたひとりの男、そして前触れなく男に墜ちた暴力的な光の柱、さらにおそらくは男を追っていたのだろう複数の人間が交わす不穏な話に、慌てて戻ってきたのだと言う。
 楽園のような空島を満喫しているさなかの出来事に、クオンの瞳が同情を帯びてナミを見下ろす。


「成程、それはさぞかし怖い思いをしたでしょう」

「うぅ……クオンについてきてもらえばよかった…!」


 そのときの恐怖を思い出したか、涙目になったナミが腕に縋りつくのを好きにさせて頭を撫でて慰める。天から攻撃を落とされた男の追手が、もしかしたらマッキンリーが言っていた「“神の島”の神官達」なのかもしれないと考えながら。


「私達ハメられたんだわ!!あのおばあさん言ってたじゃない、『通っていい』って。それで通ったら『不法入国』!?詐欺よ!!こんなの!!」


 クオンの腕に抱きつきながらナミが言い、まったくだぜと頷いたウソップが「まぁあそこでもし『通っちゃダメだ』って言われてもどうせ力ずくで入国しただろうことはおいといてよ」と続けて「お黙り!!」とナミに睨まれ一喝された。図星だったらしい。


「─── とにかく、大変なことになりました」


 冷や汗をにじませたパガヤが固い声で言う。麦わらの一味からめちゃくちゃ距離を取りながら。


「第2級犯罪者となってしまわれては、私達はお力には…」

「何でそんなに離れて話すの!?」

「まぁ、仕方がないでしょう」


 なにせ好き放題に暴れたのだ。明らかな重罪人相手に今まで通り接してくれる方がおかしい。だがナミの悲壮なツッコミを受けた2人はそろそろと近寄ってきて、どこか不安そうではあるが麦わらの一味に対しての恐怖心があるわけではないらしい。それだけで十分すぎる。


「まぁでもいいじゃねぇか別に。追われるのには慣れてんだしよ」


 闊達に笑ったルフィが「そんなことより、お前何で帰って来ちまったんだ?」と不満そうな顔でナミに訊き、それに「は???」と低く返した彼女がルフィに凄む。だがルフィはまったく気にした様子もなく、これから“絶対に入ってはならない場所”、即ち“神の島”へ大冒険に繰り出すつもりだったと言おうとして何とか「いや…お前を捜しにいくとこだったのに」と取り繕ったがそれで誤魔化せるはずもなく。
 あまりの分かりやすさに呆れた顔を隠せないナミがクオンから離れてルフィへと詰め寄っていく。手刀でルフィの額を突きながら「何が大冒険よ!」と口火を切るナミを横目に、クオンはコニスの方へと静かに歩を進めた。


「ところでお嬢さん、お訊きしたいことが2点ほどありまして」

「あ、はい。何でしょう?」


 クオンを向いて首を傾けるコニスに、クオンは見えないと分かっていても被り物の下で穏やかな笑みを浮かべる。


「この国は、あなたが生まれる前から“ゴッド・エネル”が統治しているのでしょうか」

「いえ…あの方が“神”の座に就いたのは、6年前です」


 素直に答えたコニスにパガヤがはっとして身を乗り出そうとするが、それを能力を使ってその場に縫い留め動くことをクオンは許さなかった。被り物の顔はコニスから外れず、しかし彼女の視界に入らない位置で上がった右手がゆっくりと振られる。黙っているようにと針のような威圧と共に示されたパガヤは口を噤むしかなかった。
 身を硬くしている父親に気づかないコニスの答えに成程と頷いたクオンは、次いで大仰に両腕を広げると問いではない言葉を口にした。


「この国は素晴らしいですね。ホワイトベレー隊でしたか、彼らは非常に行動が早く、隊長殿も大変に職務熱心、民間人たるあなた達に危害が及ばぬように気を配り、彼らの言葉を聞く限り罪人を逃さないシステムが出来上がっている。ああ、もうひとつ、あなた達は私達に背を向けることなくこうして言葉を交わしてくれていることをとても喜ばしく思います」


 突然褒められて困惑するコニスだったが、礼を言って軽く頭を下げるクオンに「そんな!私達はこの国の者として当然のことを…!」と口を滑らせた。滑らせたことに、コニスはすぐに気づいて表情を凍らせた。
 だが一度発した言葉は取り消せない。途端に落ち着きなく視線をさまよわせる彼女の肩を、クオンは優しく叩いた。震える瞳で見つめてくるコニスに小さく、だがしかと頷いて安心させるようにさらに数度叩く。大丈夫だと、その少し低い体温を宿す手に心をこめて。


「それはありがたいことです。どうか、これからもあなたはあなたのなすべきことをしていただければ助かります。なに、ルフィも言ったでしょう。私達は追われることに慣れていますから、ここでも追われることになったとして、何も問題はありません」


 それでいい。あなた達は、それでいい。そうしなさい。そう、囁くように被り物越しに低くくぐもった声で紡ぐクオンの素顔と素の声を、パガヤとコニスは知っている。抑揚を削いで感情を窺えない声音がどこまでも真摯であることを疑えなかった。聡い青海人はこちらの事情をいくらか悟り、そうして、国民の義務を果たさねばならない2人を許そうとしているのだ。
 愕然として唇を震わせるコニスは、この世のものとは思えないほど美しいあの面差しが、その鈍色の瞳が、台詞通り優しいものになっているのを見た気がした。
 コニスが思い描いた通り被り物の下で優しく微笑むクオンは、彼女の肩に置いた手に少しだけ力をこめてもうひとつの問いを紡ぐ。


「ねぇ、教えてください、お嬢さん。この国は、あなたにとって素晴らしいものでした・・・か?」


 すぐにこの国を出るの出ないのと騒がしい声を背景に、目を逸らすことなく真っ直ぐにクオンを見つめるコニスの瞳が震える。はくりと唇が空気を噛んで、僅かに歪み、濡れる瞳に縋る色を宿したこの国の民は唇を噛み締めて何度も小さく頷いた。


「はい、はい…!とても……!」


 そうですか、それはよかったと、クオンは微笑む。ちらと娘の隣に佇む父親を見やれば、彼もまた言葉なく一度だけ小さな頷きを示した。
 それで十分だった。過ぎるほどに。パズルのピースははまり、全体図は明らかにならずとも見たいものが見れたのならばそれでいい。
 被り物の下、凪いだ鈍色の双眸が冴え冴えと剣呑に煌めいているのを見る者は誰もいない。氷よりも冷たい白刃のような気配が立ち昇り、しかしそれを瞬きひとつで呑み下して抑える。彼らを怖がらせてはいけない。


「ご安心を、お嬢さん。あなたの生活をおびやかすつもりはありません。大丈夫ですよ、たとえあなたが危険にさらされたとしても─── 私達・・が、何とかしますから」


 そう言って、雪色の獣は鋭い牙を微笑みの下に隠した。







  top