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 800億エクストルとは、青海の通貨ベリー換算で800万ベリーとなる。
 空島の通貨の方が青海の通貨より低レートであることは幸いしたが、だとしてもあまりに法外だ。血相を変えて「米何トン買える額だコラァ!!」とサンジが怒鳴るが、マッキンリーはならば本来の入国時に80万ベリーを支払っておけばよかったのだと言って譲らない。まぁそれはそう、とクオンは思うものの思っただけだった。


(入国料、そして法で定めた罰金の裁量はあちら側にあるのは当然)


 天国の門に至るまでにいくつかの空島を経由してきたならば、通貨の問題や入国料については情報を得る機会はあっただろう。しかし麦わらの一味は“突き上げる海流ノックアップストリーム”でやってきた。知らなくて当然である。
 マッキンリーの主張は正しい。彼らはこの国の法に従って動いている。罰金は法外な値段ではあるが、それを責めたところでどうにもならない。


(しかし─── 何でしょうね、この、違和感は)


 直感ともいうべき場所が、まるで臓腑をざらつく手でなぞられているような不愉快さを覚えた。







† エンジェル島 7 †






 物々しさを増した気配を感じて前方甲板へやってきたゾロが隣に並んでも、クオンは思考を止めなかった。
 確かに覚えた違和感。不愉快に感情を逆撫でする何か。
 ――― 絶対に見逃すな。己の深い場所が冷たく命じ、その正体を探るべくマッキンリー率いる治安部隊を見つめていた。


「きゅ」


 クオンの右肩に乗っていたハリーがふいに短く鳴いて左側を見る。横目に見やればウェイバーに乗ったナミが戻ってきているのが遠くに見えた。一見して怪我の類がないことを確かめ視線を戻す。


「先に言っておきますが、我々ホワイトベレーは神官の直属にある部隊。反論は罪を重くしますのでご注意を」


 麦わらの一味に罰金を支払う気がないと知りいっそう厳しい態度を固めるマッキンリーが言う。まさしく反論の余地がない。許しもしない。法外な罰金を払うか否か、求めている結果はそれだけだ。
 門での説明不足というあちら側の不手際含めてこちらの事情を一切汲むことなく、用意した救済措置はどう考えても厳しい。この場で、と言うくらいだ、支払いは現金のみ、支払い猶予はなく、ゆえに空島で何かしらの手段で稼ぐこともできない。相応の宝石や貴金属もあの様子では拒否するだろう。ホワイトベレー部隊の全員が固い表情でこちらを睨み、譲歩の気配は欠片もない。
 その、あまりの頑なさが、クオンに囁いた。あの表情は、彼らのまとう気配は、その心は─── 職務をまっとうするという、この空の民を何としても護るという、高い志ゆえか。


 ――― 否。


 被り物に覆われて誰の目にも映らない、が揺れる。鋭い硬質の色は鈍色にとけてその残滓すら残さず、クオンの中には根拠のない、しかし明確で疑問の余地もない答えだけが残された。
 凪いだ鈍色の双眸がマッキンリーを映す。青海から持ち込んだウェイバーを壊したのであれば器物損壊罪にあたり、元々青海には存在しないはずのこれが空島での窃盗贓せっとうぞうであるならさらに重くなると彼はつらつら並べ立てている。


 ――― あの男は、違う・・な。


 クオンは内心で見定める。彼は職務をまっとうしているだけだ。少々頭が固そうだが、その性根は腐ってはいない。彼はしな・・ければ・・・なら・・ない・・こと・・を、しているだけ。
 冤罪を被せるかのごとく罪状を告げるマッキンリーにルフィが気分を害して「うっさいなーお前、ぶっ飛ばすぞ」と苛立ちをあらわにして、そこにナミの制止の声が大きく割って入った。


「ちょっと待って!!!」


 無事ウェイバーに乗って戻ってきたナミに、サンジが素早く反応してナミの無事を喜ぶ。しかしナミはサンジに目もくれずマッキンリーと対峙するルフィに向かって叫んだ。


「ルフィ!!その人達に逆らっちゃダメよ!!」


 近づいてくるナミの顔色は悪い。それを認めたクオンは、現在どういう状況なのか判らないはずの彼女が、さて、いったいどこで、何を見てきたのやら、と凪いだ瞳を細めた。


「逆らうなって、おいナミ!!じゃあ800万ベリーの不法入国料払えるのか!?」


 航海士兼麦わらの一味の金庫番は、ウソップのその言葉を聞いて「……よかった、まだ罰金で済むのね…」と安堵の息をつく。しかしウェイバーは止まらない。ビーチに一直線、目標は白いベレー帽を被った隊長格の男。800万ベリーって、と続けたナミはまるで助走をつけるようにウェイバーを一気に加速させ、高く跳ねて───


「高すぎるわよ!!!」


 見事、ウェイバーの先端をマッキンリーの顔面に叩き込んだ。思わずぱちぱちぱちと拍手をするクオンとその右肩に乗っているハリーだった。それでこそナミ。


「「おい」」


 ゾロとウソップが声を揃えてツッコみ、マッキンリーがビーチの奥、東屋の土台─── おそらくは高密度の雲の塊に突っ込んでぐあ!!!と濁った悲鳴を上げる。隊長~~~!!!とマッキンリーの部下達が慌てて駆け寄った。


「はっ!!!しまった!!理不尽な多額請求につい……!」


 ウェイバーでビーチに乗り上げてようやくナミが我に返るが時既に遅し。
 やってしまったものは仕方がない。こうなっては逃げるしかないだろう。いや、ルフィの性格を考えればその前に追手となる彼らを叩きのめすのかもしれない。そもそもとしてない袖は振れないので、どの道そうなっただろうが。

 礼を言ってウェイバーを返すナミに、マッキンリーへの暴挙に青褪めたパガヤが「いえいえどうもすみません、そんなことよりあなた方、大変なことに…!!」と慌てている。しかしそれには構わず、ナミは鬱憤が晴れてスッキリ大笑いしているルフィの手を掴むと「さぁ逃げるのよルフィ!!」と急いでメリー号へと踵を返した。


「わ!!何でだよお前、ケンカ仕掛けたんじゃねぇのか!?」

「“神”とかってのに関わるとやばいのよホントに!今のは事故よ!!」


 やはり暴れるつもりだったルフィが抗議の声を上げるも清々しくばっさり切り捨てたナミは構わず足を進める。


「待て~~~い!!!」


 逃げ出す2人にそう叫んで制止したのは、鼻血を垂らしながらもゆっくりと立ち上がったマッキンリーだ。堪忍袋の緒がぶっちり切れた彼は太い青筋を浮かべてルフィとナミを、そしてメリー号に佇む面々をぎらりと睨み据えた。


「逃げ場など既にありはしない!!我々に対する数々の暴言。それに、今のは完全な公務執行妨害、第5級・・・犯罪に値している…!!! ─── “ゴッド・エネル”の御名において、お前達を“雲流し”に処す!!!」


 さて、雲流しとはいかに。コニスが「“雲流し”、そ…そんな!!」と声を上げたから相当なもののようだが、こちらとしてはさっぱりだ。島流しとは違うのだろうか。
 一見響きだけで気持ちよさそうだなと笑うルフィに、コニスは「よくありません!」と即座に返す。曰く、逃げ場のない大きさの島雲に船ごと乗せられて、骨になるまで空をさまよい続ける刑のことで、つまりは死刑だ。


「成程…それで何もない空から船が」

「ああ、あのガレオン船ですか。彼らも200年前にその刑を受けたのかもしれませんね」


 合点がいったように呟くロビンにクオンが頷く。
 だとするならば、その刑罰は遥か昔から存在するものと考えていい。ふむふむと思考を更新していくクオンは、骨になった自分を想像したのか顔色悪く唾を飲むウソップを横目に、まぁそれくらいなら生還は難しくはありませんねと内心で呟いた。クオンの能力を使えば、適当な場所で島雲を散らしてそのまま青海へ落下したとしても生還は難しくない。ウソップを安心させてやりたいが、また妙に罪を増やされても面倒なので今は口を噤んでおく。


「ひっ捕らえろ!!!」


 マッキンリーが部下へ鋭く命じ、部下達も素早く応えて一糸乱れぬ動きで携えていた弓に矢を番えた。よくよく見れば矢尻には小さな貝がついている。よく統制が取れている部下達にマッキンリーの評価を上げながら脳内に記憶した図鑑を開けば、確かあれは小型の雲貝ミルキーダイアル


「逃げてください!!敵いません!!」


 身を乗り出して叫ぶコニスを、「よしなさいお嬢さん」と間髪いれずマッキンリーが制する。それは、犯罪者を庇う言動に聞こえますよ、と。


(…………うーん)


 マッキンリーの忠告は、コニスにあなたも罪を負うことになると忠告している。それは間違いではないだろう。けれどやはり、クオンの中のどこかが引っ掛かりを覚えた。
 彼の真意はそれだけか。否、と直感が断ずる。そう、彼の言はまるで、職務をまっとうせんと、この空島の民のために罪人を捕らえようとする彼が、罪なきはずの空の民に、何も罪を負わせないようにするような───。


(ああ……、成程)


 違和感の一角が氷解していく。パズルマットに散らばるいくつかのピースを遠目に見て、完成された絵の一部を見たような感覚にも似ていた。
 しかし、まだ足りない。完成させるにはあまりに足りなさすぎる。パズルの完成図を知るために、せめてもういくつかのピースが必要だった。
 あてはある。それを持っているのは彼らだ。クオンの凪いだ鈍色の双眸がビーチに立ち竦む父子を映す。


(そのためにもまずは、うるさい彼らを追い払わなければ)


 もっとも、実行するのはクオンではないが。
 矢尻をルフィに据える男達へ向かってゾロとサンジが飛び出していくのに数秒間を置いて、戦闘の邪魔になるだろうナミを回収すべくクオンもまた甲板から飛び出した。







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