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 小さなカップにきれいに盛りつけられたフルーツパフェにクオンが舌鼓を打っていれば、バルコニーから空の海を望んでいたサンジがナミの姿が見えないことに気づいて「ナミさんはどこ行ったんだ?」と声を上げた。
 ウェイバーが楽しすぎて少し遠くまで行ってしまったのかもしれない。帰りが遅くなるようだったら捜しにいこうかとクオンが考えていれば、パガヤとコニスがさっと顔色を変えて顔を見合わせた。


「ち…父上…大丈夫でしょうか…!?」

「ええ、コニスさん。私も少し悪い予感が…」


 冷や汗をにじませる2人に、ルフィが何だ?と訝しむ。コニスはうろうろと落ち着きなく視線をさまよわせて震える唇を開いた。







† エンジェル島 6 †






「このスカイピアには、何があっても絶対に足を踏み入れてはならない場所があるんです。その土地はこの島と隣接しているので、ウェイバーだとすぐに行けてしまう場所で……」


 成程、空の住民ですら立ち入ることを許されていない禁則地にナミが行ってしまったのかもしれないとパガヤとコニスの2人は焦っているのか。


「足を踏み入れてはならない、というのは?」


 クオンが問えば、コニスは唾を飲み込んで答えた。


「……聖域です。神の住む土地…“アッパーヤード”」


 ふぅん?とクオンは鈍色の瞳を眇めた。神、とは、ねぇ。内心で呟く。


「神がいるのか!?絶対に・・・足を・・踏み・・入れちゃ・・・・なら・・ない・・場所・・に……!」


 思わず食べることもやめて立ち上がり目を見開くルフィに、コニスは硬い表情で頷いた。


「はい、ここは“神の国”ですから、全能の神“ゴッド・エネル”によって治められているのです」


 とても重要なことを真剣な表情で語るコニスには悪いが、それはルフィにとっては逆効果だ。案の定きらきらと目を輝かせはじめたルフィにウソップが即座に気づいてはっとし、慌ててルフィに掴みかかった。


「おいルフィ!てめぇ今何考える!?話をよく聞けよ!!足を踏み入れちゃならないっていうのは、絶対にそこに入っちゃならないって意味なんだぞ!!ルフィ!!?」

「あーそ~~~入っちゃいけねぇ場所があるのか」


 言葉だけ聞くならしかつめらしいこともないこともない、いややっぱりどう見ても自分の好奇心を掻き立たせるように心ここにあらずといった様子で繰り返すルフィは、「そうか…絶対に入っちゃいけねぇ場所かぁ……」と再び料理を食べながら実に楽しそうだ。
 絶対の禁則地に入る気しかないルフィにクオンは実にルフィらしいと微笑むだけで。面と向かってパガヤとコニスにそこへ行くと言わないだけ気を遣えているのだからクオンとしては何も言うことはない。


(……しかし、全能の神、ですか)


 薄い笑みを刷きながらクオンは凪いだ鈍色の瞳をコニスに向けた。


「神様なら入っちゃいけねぇとことか入っても許してくれんじゃねぇのか?優しいだろ?」

「いえ…でも、神の決めたことを破るのは神への冒涜ですし…」


 問うルフィに唇をまごつかせながら返すコニスの瞳に浮かぶのは、紛れもない恐れだ。パガヤを流し見ればやはり顔色が悪い。直感とも言うべき第六感を叩く2人の感情が空島に来て浮き立っていた心を鎮めていって、しかしクオンは瞬きひとつで眦に浮かぶ不穏を散らした。
 国には国のルールがある。察するにその神と呼ばれる存在はここでの王のようなもので、王が定めた法律にたとえ多少の理不尽があったとしても、絶対王政の独裁政権であったとしても、世界的に見れば珍しいことではない。だから何を言うつもりもするつもりもなかった。
 ─── その法が、民を苦しめ涙を流させないでいるうちは。

 まぁ、もしルフィ含む麦わらの一味がその禁則地に勝手に入るようなことになれば、パガヤとコニスはまったくの無関係で、むしろ利用されただけの被害者であると思われるように海賊として振る舞う必要はあるかと、無法者であるくせにクオンは真面目に思考をめぐらせた。


「おし!とにかくナミを捜しに行こう!あ、でもちょっと待てこれ食ったらな」

「そんな悠長なこと言ってる間にナミさんの身に何か起きたらどうすんだお前。おいとけ、すぐ戻ってくるんだからよ」

 あわよくば禁則地に入れるかもしれないとナミを捜しに行きたがるルフィとサンジに、コニスはさらに言葉を重ねる。


「……ですけど、彼女が本当にそこへ向かったかどうかも分かりませんし、くれぐれも無茶だけはなさらないでください……!!“ゴッド・エネル”の怒りに触れては本当に大変なことに…」


 その神の怒りがどれほどのものか、クオンには分からない。けれど空の民が心から恐れるほどのものであることは理解した。
 うーん。クオンは瞼を下ろしてスプーンをかじる。何も言うつもりも、するつもりも、ない。今のところ。
 ちなみに余談だが、クオンには2年前からウイスキーピークを出るまでに潰した海賊団が3つ、とある国の騎士団が2つ、商船と町と王朝が1つずつという輝かしい実績があったりする。なにせクオンは、極寒の冬島でビビが語った通り「ワポルみたいな悪い王様とか指導者とか上司とか、そういうのが大っ嫌い」であるがゆえに。なお実績の大半が傭兵時代にカオナシの一族が止める間もなく本能が命じるままに重ねたものであるのはさらに余談だ。


「ああそうだ、さっきからあなた方が仰っている古いウェイバー。よろしかったら私、見ておきましょうか。直せるものなら直しますし」


 まるでこれ以上禁忌に触れたくないように話題を変えるパガヤの声に耳朶を叩かれ、雪色の睫毛に縁取られた瞼を押し上げる。父は貝船ダイアルせんのエンジニアなんです、と告げたコニスに、ルフィは断るはずもなく「本当か!?頼む!!」と即答した。


(……まぁ、ひとまずは様子見ですね)


 このまま何事もなく空島観光ができればそれでいい。そうは思うが、麦わらの一味と共にした今までの航海を思い返すと儚い夢のような気がしないでもない。いいえ、きっと大丈夫です、希望は持つ者にこそ訪れる祝福であり、諦めたらそこで試合終了なのですから。
 ひとりしかつめらしく頷いてパフェを食べ終えた相棒をテーブルの上から見上げたハリーは、まぁた何かフラグ立ててんなァと小さく鳴いて肩をすくめた。






 ナミを捜しに行くのだとサンジにせっつかれるまま、食事の途中ではあるがクオン達は一度ビーチに泊めてあるメリー号へと戻った。
 ルフィはナミを捜しに行く間にサルベージで引き上げたウェイバーを見てもらおうとパガヤのもとへ持っていき、そこで何やら話している2人にサンジが咥えた煙草を揺らして「おいルフィ、行くぞ。早く乗れ!」と急かす。


「ウェイバーが直って、青海でも使えれば大変に便利になりますね」


 パガヤ達の家を出る際に被り物を被り直していたクオンがサルベージで引き上げたガラクタの中にダイアルかそれが付けられたものがないかを改めて検分しながら傍らに座り込んでいるゾロを振り返る。ゾロは寝てこそいないものの目を閉じたまま然程興味がなさそうに「そうだな」と返した。

 ルフィがメリー号に乗り込むまでは待機だ。出航までにナミが戻ってくればいいのですが、とクオンは周囲に気をめぐらせて仲間を捜すが、今のところ気配はどこにもない。ハリーも船べりに乗って沖の方を見てくれているがやはり今のところ見えないようだ。

 ガラクタの山をざっと見たところ、やはり目ぼしいものは見つからない。腰を伸ばしてふぅと息をついたクオンは無意識に体の横に垂らした右手の指を微かに動かし、だが何にも触れることなく空を切った感覚に違和感を覚えて目を瞬いた。
 今ゾロと手を繋いでいないから当然慣れた感触もぬくもりもどこにもない。ないのが普通なのだが、ここ最近触れ合うことが多かったせいかどうにも落ち着かない気分だ。何かが足りないような気がしてならない。ビビと別れるまでは隙あらば彼女が抱きついてきたりあいている手を握ったりしてきたから、それに慣れきっていたせいもあるのだろうが。


(成程、人肌恋しいとはこのことをいうのですね)


 しみじみとするクオンはひとつ学んだ。もし口にすればルフィ以外の全員から「それ絶対仲間以外の前で言わないように」と釘を刺され誓わされただろうが、口にはしなかったので誰の耳にも入ることはなくクオンが実感を伴う知識を得ただけだった。


「全隊、止まれ~~~!!!」

「……ん?」


 ふいにビーチの方から聞こえてきた声にクオンが振り向く。へそ!!!と大変に元気がよろしい男の挨拶が聞こえ、次いでパガヤとコニスがへそ!と返す声が聞こえた。誰か来たのだろうか。


「あなた達ですね!?青海からやって来られた、不法入国者8名というのは!!」


 男のよく通る大きな声は耳を澄まさずともクオンの耳朶を打った。不法入国とは穏やかではないが、心当たりがないわけではない。そして男が厳しい声音で語るのを聞くに、門で老婆に撮られた写真が証拠らしい。入国料を払わなかったら不法入国とは、払わない選択をしたのはこちらなので仕方がないとは思うが、それならば通さないか、それでなくともこのまま入国すれば罪になると忠告が欲しかったと思うのは贅沢だろうか。

 今ビーチにいる彼らは治安部隊の類だ。声を張っている男が隊長だろう。ここにやってきてから然程時間が経っていないのに証拠を手に隊を引き連れてくるとは、随分仕事が早い。この国での治安は憂慮せずにすみそうだ。などとクオンはのんびり称賛していたりする。

 階段をのぼり前方甲板に顔を出したクオンは、パガヤが麦わらの一味が不法入国者と知りショックを受け、しかしそんなバカな、何かの間違いではと男に食ってかかる姿を見た。だがパガヤの擁護とも取れる態度にマッキンリー隊長と呼ばれた男は揺らぐことなく、老婆が通ってもいいってとウソップが声を上げるのをぴしゃりと切り捨てた。


「言い訳はおやめくださいまし。認めてください。…ですがまだ、そう焦ることもありません」


 マッキンリーは告げる。
 不法入国とは、「天の裁き」における第11級犯罪でしかない、と。罰を受け入れればその場で安全な観光者となれると。
 成程、一応救済措置は用意されていたらしい。こちらとしては何の説明もなく通された結果罪人扱いされ少々心外ではあるが、不必要に事を荒げたいわけではないので従う気はある。
 ――― それが、妥当な罰であるのなら、だが。


「罰ってのはいったい何なんだ」


 不機嫌そうに腕を組んで紫煙を吐くサンジの問いに、男は表情を変えることなく言った。


「簡単なことです。入国料を10倍払ってくださいまし。1人100億エクストル─── つまり、8人で800億エクストル。この場でお支払いくだされば、あなた方の罪は帳消しにさせていただきます」


 鈍色の瞳が据わった。







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