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「おう、向こうに何か工事現場みてぇなのがあるぞ!」
長い階段をのぼる道中、物珍しそうに周囲を見ていたウソップが中腹辺りでそう言い、パガヤが「“雲切場”のことでしょうか?」と返した。石切場ならぬ雲切場とは何ぞやと首を傾げながらも何となく察しがついた
クオンの予想通り、加工するための雲を切り出す現場とのこと。
雲が切れる、という彼ら曰く青海人である自分達からすると常識外の事実にそろそろ驚くこともなくなってきた。確かビーチの東屋には雲でできたイスがあったし、あれも切り出したのち加工されてできたものなのだろう。
「マットレスにとても良さそうですし、いくらか持ち帰れないでしょうか」
「ああ、それ使って甲板で昼寝したら気持ちよさそうだな」
思わずこぼれたひとり言にゾロが同意し、ぽかぽか陽気の下で眠る自分を想像した
クオンは、できれば折りたたみ式、難しいようならいくつかに分けてでも手に入れたいと半ば本気で考えた。
† エンジェル島 4 †
パガヤは親切にも色々と教えてくれた。白海からここ白々海まで至るきし麺のような帯状の海路はミルキーロードといい、人工的な雲の運河だという。
元からある自然の雲は2種類。船で進んできた“海雲”、そしてそこにふかふかと浮く歩ける“島雲”。
普通の雲ではありえない、泳げたり乗れたりする空島の雲は凝結核が他と異なるらしい。つらつらと淀みなく詳細に語られるパガヤの説明では、青海では海楼石という鉱物に含まれる成分が空に運ばれ水分を得たとき、その密度の差によって2種類の雲が形成されると。
成程、海雲─── 空の海ではその成分が水に溶けているから青海同様能力者は沈んでしまうということか。島雲の場合は他の成分が表層にあるから触れても平気なのだ。
クオンは得心がいったように頷いた。
少し話は逸れたが、つまり
クオン達が通ってきたミルキーロードやビーチのイスは、雲切場で切り出した島雲をさらに圧縮するなどして密度を変えることで人が作り出した雲なのだとパガヤは締めた。
そうして然程間を置かず、麦わらの一味は一件の家へと辿り着いた。大変に見晴らしのいい立地に建てられた立派な家は大きく、内装も広く調度類も綺麗に整えられている。
「まずは座ってください。お茶を用意しますので」
「それでは私も手伝いを」
「いや、いい。おれがやるから
クオンは座ってろ。マリモはちゃんと
クオン見とけよ!」
リビングに案内されてキッチンに引っ込もうとしたパガヤに申し出た
クオンにサンジが首を振り、ゾロを子供の世話を言いつけるように念を押すとさっさとパガヤと共にキッチンへと足を向けた。
コックにそう言われては我を通すことは難しそうだし、何よりがっちり掴まれたままのゾロの手が離れる様子もないので
クオンは抵抗することなくリビングのイスに腰を下ろした。まふっとする感触のイスは雲でできたものだろう、大変に座り心地が良い。
「なぁ!さっきお前が言ってた“ダイアル”って何だ?」
背の低い丸いテーブルにそれぞれお茶が出されたが、それには手をつけず早速コニスに訊くルフィにコニスは笑顔で頷いてひとつの貝殻を渡した。それに向かって何か言葉を発してくださいと言われてルフィが考える間もなく口を開く。
「ウソップのアホー!」
「いや何でおれだよ」
突然の罵倒に流れるようなきれいなツッコミをウソップが入れた。コニスは2人の漫才じみたやり取りにふふと笑みをこぼすと次に貝の殻頂を押すように言い、言われるままルフィはそこを押した。するとどうやら殻頂はやわらかいようで、抵抗なくべこっとへこむ。それに軽く驚くルフィだったが、それよりもさらに驚く事態にぎょっと目を剥いた。
『ウソップのアホー!』
『いや何でおれだよ』
『ふふっ…、じゃあその』
「うわ!!ウソップが貝にバカにされた!!」
「違うだろお前の声じゃねぇか!!」
たった今目の前で行った3人の会話を丸々繰り返した不思議な貝に、ほほうと
クオンの目が興味津々に輝いた。すっと立ち上がりルフィ達に近づこうとしてびんと伸びきった腕が動きを阻む。「……ゾロ!」と許可を求めて名を呼び繋がった手を軽く振れば、仕方がねぇなというような顔をしたゾロがあれだけ固く握っていた手をあっさり離して
クオンは自由を得た。
被り物越しでも判るほど喜びもあらわに残像も残さずルフィ達の輪に
クオンの痩躯が入る。突然現れた
クオンに驚くことなくルフィがほら見てみろよと貝を掲げてみせた。
一見するとただの貝だが、先程確かにこれがルフィとウソップとコニスの3人の声を発したのをこの耳で聞いた。いったいどうなっているのだろう。
まじまじと矯めつ眇めつする
クオンを一瞥し、貝が音を記憶したことに驚き、この貝が“ダイアル”か?と問うゾロにコニスが頷いて“
音貝”というのだと教える。
音を録音・再生する習性がある白々海産の貝殻で、主に音楽を録音して使うらしい。
クオンはそろりと伸ばした白手袋に覆われた指で再度殻頂を押して録音した声を再生し、面白いですねぇと笑った。と、ふいに疑問が湧いてコニスを振り返る。
「白々海の貝とはいいますが、海底がないのにどうやって生きているのです?」
軽く傾いだ被り物越しに伝わる声は低くくぐもり抑揚を削いで感情を窺わせないが、白い痩身から放たれるわくわくとした空気と隠されることのない素直な言動は
クオンの感情を如実に表していて、コニスは微笑ましげに目を細めると「浅瀬の漁礁で採れるんです」と笑顔で答えた。
「これがダイアルなら…でも、これでウェイバーが動くとは思えないけど」
どんな仕組みなのかと音貝を裏表まじまじと観察するウソップの隣で
クオンも同じように眺めていればロビンがそんな疑問を口にして、しかしコニスはひとつの貝を手に取ると「いいえ、ウェイバーの動力はこっちです」と返した。これは小さめですけど、と補足をまじえつつその貝の名を告げる。
「“
風貝”。たとえば30分風に当てておけば、30分分の風を自在に排出できるんです」
早速コニスから渡された貝を腕を回して風を送り込み、音貝と同じようにやわらかな殻頂を押したルフィは、貝殻の口から勢いよく吹きつけられた風に「うお~」と楽しげな声を上げた。満面の笑みで風貝の口を
クオンとウソップに向けたルフィが殻頂を押し、正面から風を受けたウソップが分かっていても驚く。飛ばされないよう
クオンの右肩にしがみついたハリーもぱちぱちと目を瞬いた。
「大きさにより風を蓄えられる容量は違いますけど、これを船尾に取りつけることで軽い船なら動かせます」
つまりはそれがウェイバーだ。自然のエネルギーを用いているので、
貝自体の破損にさえ気をつけていれば燃料の残量やエンジンの消耗に気を尖らせなくてもいいのは移動手段として羨ましくもある。これが青海でも使えればナミは諸手を上げて喜ぶだろう。
コニスは自分はウェイバーが精一杯だけど他にも色々あるのだと続けた。スケート型のもの、ボード型のもの─── それを聞いて、白海で遭ったあの戦士が海を自在に走っていたのもスケート型のウェイバーを履いていたからなのだと知る。
あれはあれで扱いが難しそうだ。体そのものが振り回されるし、足だけ前へ投げ出されて背中からしたたかに打ちつける、また操作を誤ればなすすべなく空の海に沈むだろう。使いこなせるまで頑張ってもんどりうちながら訓練したのかと思えばちょっと笑いがこみ上げてしまう
クオンだった。
「いいな~ウェイバー乗りてぇな~あいついいな~せっかく1個持ってんのにな~~~」
「持ってるったって、ありゃぼろぼろじゃねぇか。それに200年経ってんだ、動くわけねぇよ」
空の海で遊んでいるナミを羨ましそう且つ恨めしげに眺めながら大きくため息をついたルフィにウソップが言い、それを聞いていたコニスは「それは分かりませんよ?」と微笑みながら否定した。おや、とコニスを振り返った
クオンが目を瞬く。
クオンもウソップ同様、さすがに200年も前のウェイバーが動くとは思わなかったのだが、コニス曰くそうではないらしい。
「元々
貝は貝の死骸を使いますから、殻自体が壊れていない限り半永久的に機能するんです」
「へぇ、それはすごい」
素直に驚きの声を上げてまじまじと風貝を見下ろす
クオンに、コニスが得意げに笑う。
ウェイバーが手に入るかもしれないとなるや「本当か!?ほら!!」と喜ぶルフィに、「でも乗れねぇだろ」とウソップは辛辣に現実を突きつけた。いい~~~な~~~~とルフィががくーんと落とした肩を
クオンが優しく叩く。しかしルフィへの慰めもそこそこに己の好奇心のままコニスを振り返った。
「お嬢さん、他にはどんなものがあるのです?色んな種類があるのでしょう?」
「ふふ、ええ。たとえばこちらですが」
ツバメの尾を翻して
クオンはテーブルに近づくコニスの後に続く。テーブルに置かれた貝殻の形をした大きな照明を指して「“
灯貝”です。光をためて使います」と彼女が言い、チョッパーが手を伸ばして触れるとパッと貝が光った。
「直接の資源じゃないですけど、空島の文化は
貝エネルギーと共にある文化ですから。他にも炎を蓄える“
炎貝”、香りをためる“
匂貝”、映像を残せる“
映像貝”、色々あります」
「面白いな~~~面白いな~~~!」
「これらは、空の生活とは切り離せないものなのですね」
「その通りです」
きらきらと笑顔が眩しいチョッパーを撫でながら
クオンが感慨深く言えば、コニスがにっこりと頷く。調理器具にも
貝を使うらしく、キッチンにも何種類かあるらしい。
何やらぎゃーぎゃーと騒がしい声がキッチンに続く扉から漏れて聞こえるが、あちらもあちらではしゃいでいるのだろう。色んな意味で。
クオンは自分をまるっと棚に上げて微笑ましげに鈍色の瞳を細めた。
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