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 メリー号は雲の道を抜け、やがてひらけた場所に出た。抜けたみたいと安堵の息をついたナミがすぐに先程ルフィ達が言っていた“門”に気づいて目を瞠る。
 「HEAVEN’S GATE」─── 天国の門と看板が掲げられたそれの後ろには雲でできた滝が流れていて、ここまでの海路に立ちふさがっていた雲とはまた別の性質を持っていそうだ。

 クオンは滝を見上げた。首が真上になるほど見上げても果てがよく見えない。確か老騎士曰くここは白海、上層にある白々海はさらに3000mは上にあると言うから見えなくとも当然か。


「見ろあそこ、誰か出てきたぞ」


 ウソップの声に意識を引き戻され、クオンは門へと視線を滑らせた。ウソップが指差す先を見て、ひとりの小柄な老婆を認める。その背に大きくはない白い翼を生やした老婆は、手に持ったカメラのシャッターを押し写真を撮りながら「観光かい?それとも…戦争かい?」と問い、しかしすぐにどっちでも構わないと己が吐いた問いを切り捨ててこの国の“法律”を口にした。







† 白海 5 †






「上層に行くんなら、入国料1人10億エクストル置いていきなさい」


 それが“法律”、と淡々と告げた老婆は、世間一般的におそらく天使と呼ばれるものなのだろうが……老婆と同じように翼を生やした見目麗しい人物を見た誰かが天使と言って後世に残した方が正しいのでは、と被り物の下で真面目に考えてしまうクオンである。
 まぁ何があってもおかしくない常識外れの“偉大なる航路グランドライン”だ、背中から翼が生えた人間はいくらでもいるだろうし、何なら腕や足や頭に生えていたとしてもおかしくない。

 頭の中の常識をごりごり削りながらクオンは首を傾ける。入国料10億エクストルとは、ベリー換算でいくらになるのだろう。8人で80億エクストルだとして、ハリネズミもひとり分扱いされるのだろうか。あまりに法外な値段であったならば困ったことになる。生死を賭けてここまで来たのに門前払いは何としても避けたい。

 麦わらの一味の航海士であり陰の権力者であり金庫番でもあるナミは顔色が悪い。それもそうだろう、ローグタウンからずっと航路を共にしたが、クオンは彼らが金を稼いでいるところを見たことがない。適当な海賊にでも出会えれば相手の持つ財宝を奪うこともできただろうが、幸か不幸かそんな事態に陥ることはなかった。
 クオンが以前ナミに船賃として渡した額は安くはないが決して高くもない。ロビンが差し出した宝石とて精々が数十万ベリー程度。クオンの個人的な資産もそれほど余裕はなく、現金で払えと言われたら何とか交渉するしかないだろうか。強行突破するにも、あの雲の滝をメリー号身一つで駆け上がるのは無理だろう。


「あの、お金…もし…なかったら……?」


 ナミが恐る恐る老婆に問い、億単位の入国料を求めた老婆はしかし、あっさりと答えた。


「通っていいよ」

「いいのかよっ!!!」


 すかさずビシッとツッコミを入れたのはウソップだ。


「─── それに、通らなくても・・・・・・……いいよ」


 老婆はおもむろに、そんな物言いをした。どこか意味深な言葉に、老婆は薄い笑みを浮かべてさらに続ける。


「あたしは門番でもなければ衛兵でもない。お前達の意志を聞くだけ」


 ふむ?とクオンは被り物の下で目を細めた。老婆は入国料を払うのが“法律”だと言った。しかし金がなくとも門を通ってもいいとも言う。けれど支払わなくともいいとは決して口にしない。となれば、約束されたトラブルのにおいがして─── まぁいいかとクオンは軽く肩をすくめた。
 今までの航海がトラブルだらけだったのだ、大変に今更であるし、血相を変えて止めたところで他に上層へ行くすべがない以上勝手に通すしかない。おそらくこの滝の上には人のいる島があるのだろうし、事情を話して何とか事をおさめてもらおう。そのためなら多少のペナルティも致し方ない。


「じゃあ行くぞおれ達は空島に!金はねぇけど通るぞばあさん!!」

「そうかい。8人と1匹……まぁペットの分はサービスだよ、8人でいいんだね」


 入国料は免除されたがペット扱いされたハリーが気分を害して低く唸り背中の針を逆立てる。クオンはよしよしと相棒の顎を指で撫でて宥めた。そうして、そういえばはじめにハリーを相棒と紹介したためか、誰もハリーをペット扱いしませんでしたねとルフィ達を眺めやる。人間の指など簡単に食いちぎる歯を剥き出しにウソップを追いかけ回したことも多分にあったのだろうが。

 老婆に人数を確認されて不思議そうにしながらもはっきりと頷いたルフィが「でもよ、どうやって登ったら」と言い、その言葉は唐突に両側からメリー号の折れた翼の根元を巨大なハサミに掴まれたことで途切れた。


「え!?」

「ギャ───!!ギャ~~~!!」

「何だ!?何か出てきた!!?」


 ナミの驚く声と、ウソップの恐怖に震える声、空の海から出てきた甲殻類の巨大なハサミに目を白黒させるルフィの声を背景に反射的にメリー号から引き離そうと能力を使いかけたクオンだったが、発動するよりも早くメリー号が前へと進んだことで動きを止めた。
 どうやってあの雲の滝を登るのかと思えば、まさか生き物を使ってとは。被り物の下で目をしばたたかせたクオンが船首近くの手すりに近づいて下を覗き込む。雲の合間から覗く赤い体に黒い斑点が散るその姿はエビに間違いないだろう。太いハサミは、もしかしたらタコのように中は空気が詰まっているのかもしれない。


「この空の海では生物との協力関係が欠かせないのかもしれませんね」


 徐々にスピードを上げ、ものすごい勢いで滝を登っていくメリー号に慌ててクルーが船体にしがみつく中、手すりに掴まるゾロの腕に抱きつくようにして己の体を支えるクオンが感心してひとりごちる。離すことも忘れた右手に力をこめれば絡んだ指が同じ力で握り返してきて、絶対の安心感と共に浮き立つような心地を抱いた。

 メリー号はスピードを衰えさせることなく登っていく。遠目に滝のように見えた雲は実際は帯状で、渦巻くそれはねじれてたわみ、滝と言うよりも川と言うべきなのかもしれない。何によせ、空中に浮かぶこの雲は明らかに自然にできたものとは思えない人工物だ。ということは、この帯状の雲を作り出すだけの技術が空に住まう民にはあるのだろう。それが空島特有のものなのか聞いてみたいところだ。

 やがて帯状の雲は雲のトンネルへと入った。その終点だろう白い点が遠く見え、それも近づくにつれ大きくなっていく。と、出口に置かれた看板に何やら書かれてあるのが見えると同時、「何か書いてあるぞ!」とチョッパーが叫んだ。


「神の国─── スカイピア」


 文字を読んだクオンが目を瞠る。スカイピア、とは確か、ルフィが拾った地図に書かれていた島の名前だ。あの地図は随分と古く年季が入っていたが、この一致は偶然ではないだろう。やはりあのガレオン船は空島に辿り着き、そして200年の時を経て空から落ちてきたものなのだ。クオンの鈍色の瞳がいっそう輝きを増す。


 ザバッ!!!


 メリー号を運ぶエビは勢いを殺さぬまま水音を上げて飛び出し、一瞬全員の視界を白く灼いた。
 だがすぐに視力を取り戻し─── 目の前に広がった光景に、ルフィの歓声が響き渡った。


「空島だ~~~!!!!」


 大昔の伝説、空想の産物、夢幻の御伽噺と思われていたものが、今まさに目の前に在る。






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