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 積帝雲に突っ込んだメリー号は、それでもまだ勢いを殺さず雲の中を突き進む。
 積み重なった雲のせいで陽の光が届かないのだろう、辺りは薄暗く視界不良となり、同時に体が濡れる感触と共に力が抜けた。


(これは……!)


 唐突にクオンは思い出した。そうだ、空に浮いているのは島ではない。「海」だ。海に嫌われた能力者はなすすべなく沈むしかなくなる。
 被り物のお陰で呼吸は確保できているが、慌てて他の能力者の様子を見ようにも力の抜けた体は鈍く、首をめぐらせることも難しい。さらに握り締めていた手から己の手が離れ、まずいと思ったそのとき、力強い感触が手首を掴み直して体勢を崩した肢体を引き寄せた。
 太い腕が腰に回りしっかと支えられる。男の体に密着して得られた安定感に被り物の下でほっと息をつき、しかし自分以外呼吸ができず苦しいだろう仲間を思って、早くこの雲を通り抜けてくれないかと薄暗い空の海を睨んだ。






† 白海 1 †






 重い衝撃と共にドカァン!!と鈍く大きな音がして、視界が白く塗り潰されたクオンは空の海を抜けたことを知った。
 勢いを殺しきれず宙に高く浮かんだメリー号に取り付けていた翼が折れて空の海に落ちていく。一瞬の浮遊感ののちメリー号もまた空の海に落ちていき、クオンは逡巡することなく左手を掲げて呟いた。


斥力アンチ、オン」


 船底を下にしたメリー号が空の海に叩きつけられる寸前、空中でぴたりと動きを止める。それから能力を少しずつゆるめればメリー号はゆっくりと空の海に下りてその体を泳がせた。
 クオンは素早く視線を走らせる。まずはけほけほと小さな咳をする己の相棒のハリネズミがしっかりと右肩にしがみついているのを確かめ、船首から前方甲板へ滑り落ちてはいるがすぐに身を起こしたルフィ、そして中央甲板に苦しげな呼吸をしながらもひとりとして欠けずに転がる他の仲間達を視界に入れてようやく肩の力を抜いた。
 深く息を吐いていまだ抱き寄せたままのゾロに凭れ、ずっと支えてくれた礼を言えば、少し荒く息をつきつつも徐々に呼吸を整えていくゾロが小さく頷く。腰に回っていた腕が離れた。


「まいった…何が起きたんだ」

「雲の中に海があったのですよ。私としたことがすっかり失念していました」


 突然呼吸が奪われれば苦しさもいっそうのしかかったことだろう。苦しげに唸るゾロに答えたクオンが「それでも、誰一人欠けずに無事辿り着けたようです」と安堵をにじませて続けるのとほぼ同時、ルフィの興奮と喜色に満ちた声が飛んできた。


「おい!!おい、みんな見てみろよ!!船の外っ!!」


 ルフィに促されるまま全員が前方甲板へ上がって船の外を見る。
 そこで、全員の目に飛び込んできたものは─── 一面の、白。上も下も左右も、どこを見てもどこまでも続くような白が広がっていた。
 ふわふわと壁のように浮いているものは雲だろう。そして、メリー号が泳ぐものもまた、雲だ。決して空の下では見られないような光景に誰もが絶句し、何だここは、真っ白だと驚愕の声が上がる。
 クオンも初めて見る光景に目を奪われながらも、手すりから身を乗り出すチョッパーが船から落ちないようさりげなく肩を掴んだ。

 雲の上に何で乗ってるのかという当然の問いに「そりゃ乗るだろ、雲だもんよ」とルフィが何言ってんだとばかりに返し、イヤ乗れねぇよ!!と手を振って否定するゾロとサンジとチョッパーがツッコんで、クオンは被り物の下で苦笑はしたが何も言わずにおいた。

 前方甲板に現れなかったウソップが呼吸をしておらず慌てて人工呼吸だおれはナミさんと人工呼吸だと騒ぐ男どもはさておき、クオンは自然と集まったナミとロビンと顔を見合わせた。背後でサンジに「アホか」と悪態をついたゾロに「アホっつったかコラ」と突っかかるサンジとの戯れも今はスルーである。


「─── つまりここが、“空の海”ってわけね」


 理解が早いナミにクオンとロビンが同時に頷く。


「でも見て、“記録指針ログポース”はまだこの上・・・を指してる!」

「どうやらここは積帝雲の中層みたいね…」

「となれば、まだ上へ行かねばなりませんね。どこかに上へ繋がる道があればいいのですが」


 ナミ、ロビン、クオンと言葉を繋ぎ、どうやって上へ行くのかと不思議そうなチョッパーが首を傾げる。クオンは首をめぐらせて辺りに目を凝らすが、こうも一面真っ白ではどこに道らしきものがあるのかが判然としない。“記録指針”の指針に従おうにも、指す先は上ばかりであまりあてにはならなさそうだ。
 右肩に乗ったハリーの顎をくすぐって思考に耽ったクオンは、ここで考えるより空の海を駆け回って探った方が早いかと思い、実行に移そうとする前に仲間へ一応声をかけようとして、


「第1のコ~ス!!キャプテン・ウソップ泳ぎま───す!!」

「おう!!やれやれ!!」

「おいおい無茶すんな、まだ得体の知れねぇ海だ」

「海は海さ!はっはっはっは───」

「はいそこお待ちをステイ

「ほぎゃ!?」



 甲板から空の海へ飛び込もうとしたウソップを能力を使って側面に引き寄せることで阻止した。ちょっと勢い余って叩きつけるようになってしまったのは不幸な事故だ。そんなつもりはなかったのです。
 びびりのくせにクオンに負けず劣らず行動が早いウソップの足を掴んだクオンが無造作に甲板へ引っ張り上げる。


「空の海には何があるか判りませんからね。最低限の準備はしておくべきです」


 軽く潜ってみる程度なら、とりあえずロープで繋いでおけば十分だろう。ウソップの腰と自分の腰を長いロープで繋ぎ、呼吸は被り物を被せることで確保させて、と懐から取り出したスペアを被せようとすれば特徴的な長い鼻が引っ掛かった。


「……折れば…」

「やめろ!?」

「ほんの数cm折りたためば…」

「やめてください!!!」


 被り物越しにくぐもり抑揚が削がれた本気の声音を全力で拒否されれば諦めるしかない。渋々スペアを懐に仕舞い、「いいですね、すぐに戻ってくるように」と念を押して全力の頷きを得たのでよしとした。

 では改めてと手すりに乗って頭から空の海へ飛び込んだウソップを全員で見送る。甲板でとぐろを巻いていたロープがするすると滑り落ちるように海へ吸い込まれていくのを暫く見ていたクオンは、普通の海とは違って然程抵抗がないのかもしれないと考えた。となれば、意図せずどんどん下へ潜ってしまいそうだ。視界の悪さも拍車をかけるだろう。


「あまりに長く潜っていたり、ロープが張り詰めたら引き上げましょう。ゾロ、お手伝いをよろしくお願いしますね」


 そう言って麦わらの一味の中で最も膂力のある男を見やれば、被り物越しに目が合ったゾロが視線ひとつで言葉なく応える。能力を使えばひとりで何とかすることは可能だが、反動の件は仲間全員に知られていることだし、自分でなくとも対応できるのなら任せようと決めていた。


(……そういえば)


 ふとクオンはある疑問を覚えて真っ白な空の海へ視線を滑らせた。
 自分達はこの下からやってきたのである。空の海を突き抜けてここにいる。となれば─── 果たしてここに、“海底”などというものが、あるのだろうか。
 視界の悪さゆえに勢い余って空の海から落ちてしまえば?当然、ただの人の身は重力に従ってなすすべなく真っ逆さまだ。


「思うんだけど…………ここには……“海底”なんてあるのかしら」


 クオンが被り物の下で顔色を変えるのと、空の海を見下ろしていたロビンの呟きがこぼれるのと、その呟きに仲間達がまさかと焦燥のにじむ声を上げたのと、そしてクオンの痩躯が張り詰めたロープに引かれるまま傾いだのは同時だった。
 たたらを踏んで転倒を避けたクオンの肩をゾロが掴む。ぴんと張り詰めたロープがクオンをも空の海に引きずり込もうと腰に食い込むが、空の海に繋がるロープを掴んだゾロがそれを許さなかった。自分の絶対的な安全は保障されたが、どうやら嫌な想像が当たってしまったようだ。


「あの野郎、雲から落ちたのか!?」


 空の海を睨むゾロには答えず、クオンはルフィとロビンそれぞれに顔を向けた。


「ルフィ!ロープに沿うように真っ直ぐ腕を伸ばしてください!できるだけ遠くに!ロビン、ルフィのアシストを!!」


 分かった、と2人の声が重なるより早く、ルフィの腕が空の海へと叩き込むようにして伸ばされる。次いでロビンが胸の前で両手を交差させて能力を発動した。
 あとは彼らに任せれば大丈夫だろう。クオンは自分を支えてくれているゾロを見上げた。


「ゾロ、ルフィとロビンがウソップを確保したら一緒に引き上げてください」

「今じゃねぇのか」

「途中でロープが切れる可能性が否定しきれません」


 ウソップがおそらく空から海へ落ちている現状、最悪の想定はしておくべきだ。まずはウソップを確保し、ルフィの腕とロープで素早く回収、もし途中で何者かが邪魔をしてくることがあれば─── それは自分が対処をする。クオンは無言で左手に針を構えた。






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