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 ルフィとウソップの顔面をぼこぼこに殴るナミに恐れを抱いたか、唯一制裁を逃れたチョッパーが顔を青くして安全地帯であるクオンのもとへと駆け寄ってきた。脇にひっしと抱きついて怖々とナミを見つめる姿は傍から見れば全身があらわになっていてまったく隠れていない。逆では?と思いつつクオンは何も言わずに帽子を撫でて宥めた。
 と、ふいにむくりと上体を起こしたゾロがチョッパーを振り返り、その小さな体を存外優しい手つきで抱えると今まで自分の頭があったクオンの膝に置く。目を瞬いたチョッパーのちょうど足の間にハリーがおさまる形となり、片目を開けたハリーは無言で再び目を閉じた。


「もういいのですか?」

「ああ」


 ぐっと伸びをして立ち上がるゾロにクオンも腰を上げようとして、膝の上にハリーとチョッパーがいてはできずに体から力を抜く。どうやら言外に座ってろと言いたいことは察した。
 クオンがチョッパーの顎を優しく撫でればくすぐったそうに身をよじってくすくすと笑い、チョッパーも手を伸ばしてハリーの背を撫でて、目を閉じたままのハリーはチョッパーが撫でやすいよう針を倒している。和やかな仲の良い大中小の生き物を見つめる剣士の瞳はあたたかく、僅かに口角が上がっているのを認めたクオンは被り物の下で笑みを深めた。






† ジャヤ 9 †






 クリケットが語る空島へ行く方法はただひとつ、“突き上げる海流ノックアップストリーム”に乗って空へ飛ぶこと。
 しかしそのための条件はいくつもある。
 ひとつ、その災害海流が生まれるのは月に5回、時間は1分。毎回場所は違い、上空に空島がなければただの飛び損・・・、何に引っ掛かることもなく海面に叩きつけられて全員が海の藻屑となる。


(これに関しては私の能力を使えば死ぬことはありませんが……)


 巨人を支えることもできたのだ、小型帆船の一隻程度ならば多く見積もっても四肢のひとつかふたつが砕ける程度だろう。それくらいなら問題ない。再挑戦は難しいだろうが、生還はできる。
 素早く算段をつけたクオンは話の腰を折らないよう口にするつもりはなかったが、ゾロからじろりとした視線を受けて固く唇を閉ざした。考えを読まれた気がする。
 生死を賭けての強行突破な方法に顔を引き攣らせ青褪めたウソップが空島を諦めようとルフィを説得にかかろうとするが、当の船長は「大丈夫さ、行こう」と笑って呑気なものだ。

 次の条件はメリー号。既に素人な修繕を繰り返しぼろぼろになって痛々しい姿で、あれでは到底災害に立ち向かえない。だがこれに関してはクリケットをはじめマシラやショウジョウが船の強化と進航を行うと言う。
 そして“記録ログ”の問題。この島の“記録”がたまるまで精々があと1日。月に5回起こる海流とその上空に積帝雲が重なる日はいつになるのか─── ウソップがまさかそんなすぐ重なるわけもないと笑って問い、クリケットはあっさりと答えた。


「明日の昼だな。行くならしっかり準備しろ」

「間に合うじゃねぇかぁ~~~!!!!」


 思わず目を剥いて絶叫したウソップに、「? なんだ、そんなに嫌ならやめちまえ」とクリケットが胡乱げに返す。
 クオンは被り物の下で鈍色を瞬かせた。それはそれは、そんなに都合の良いことがあるとは。確かに風に身を任せてみようと思いはしたが、こうもあっさり叶えられるとは思わなかった。


「すごいなクオン!明日行けるんだって!!」

「ええ、かなり幸運なことですね」


 膝の上ではしゃぐチョッパーを撫で、ウソップの叫びに目を覚ましたハリーが起き上がってくしくしと顔を洗う。そのままクオンの右肩の上までのぼったハリーの顎をクオンの指が優しくくすぐった。


「ウ…ウソだろ!!!」

「あ?」

「大体おかしいぜ!今日初めて会ってよ!!親切すぎやしねぇか!?」


 クリケットを指差し、不審に満ちた声音でウソップは叫ぶ。ルフィが止めようと名を呼ぶが、それを「おめぇは黙ってろ!!」とウソップが制した。
 ふむ、とクオンは被り物の顎に指を当てる。だがまぁ、ウソップの不審ももっともだ。空島という伝説級の不確かな場所に行く機会が明日であり、そのための船の強化や進航の補助をしてくれると言われて、それはありがたいと素直に信じられるほど世の中は甘くない。ウソップのびびりは慎重とも言えるのだ。


「話がうますぎるぜ!!いったい何を企んでやがるんだ!!お前は『うそつきノーランド』の子孫だもんなぁ!!信用できねぇ!!」


 クリケットが麦わらの一味に尽くしてくれる理由が知りたいとウソップは言外に叫んでいる。他者から罵倒されてきた子供時代があったと本人から聞いていたのに「うそつきノーランド」を引き合いに出したのは、激昂させることで本音を引き出すことを狙う意図もあっただろう。たとえ彼を傷つけたとしても、麦わらの一味の生死が関わっているのなら彼の親切心の真偽を見極めなければならない。どれだけ彼が尊敬できて大好きになれる相手でも、あまりに都合が良すぎる展開は疑心暗鬼になって然るべきでもある。
 そうしたウソップの思考を、クオンはきちんと理解していた。だから何も言わず、物言いたげなチョッパーの両肩を安心させるようにさすって宥める。


(おやっさん殿に偽りや私達を害そうとする気配は微塵もない。彼から感じるのはどこまでも真っ直ぐな心、そして私達の“夢”に託そうとしている)


 被り物の下、鈍色に鋼を差したクオンにはクリケットの内心も読めていた。だがそれは漠然としたもので正確ではない、ただ判るのは彼が何一つ嘘をついていないことと、その魂が真摯な調べを奏でているということ。
 クオンがひとつ瞬けば鋼は誰に気づかれることもなく鈍色に沈み、凪いだ瞳がそこに残った。


「おやっさ───ん!!メシの支度ができたぜ───!!今日のは格別だぜ!!」

「こいつすげー料理うめーんだ!ハラハラするぜ!それに酒屋のおっちゃんのおでんもある!!」


 ひりつく空気を裂くように家から飛び出てきたマシラとショウジョウの賑やかな声が響く。2人のサル男にだから一流コックだっつってんだろ、と返したサンジが目を♡にしてナミを呼んで、そこで何やら空気がおかしいことに3人は気づいた。
 クリケットとウソップが険しい面持ちで向かい合っている。ウソップは反論しないクリケットに「何だよ…やんのか!?」と拳を固めて構えて挑発するが、クリケットは少しの無言ののち、静かに紫煙を吐いて口を開いた。


「マシラの───…あいつのナワバリで日中“夜”を確認した次の日には、南の空に積帝雲が現れる…」


 なぜ“突き上げる海流ノックアップストリーム”と積帝雲が重なるのが明日の昼だと判るのか、その理由を穏やかな語調でクリケットは教える。気負った様子もなくズボンのポケットに手を突っ込んだままウソップに向かって歩を進め、思った反応をもらえなかったウソップが虚を衝かれたように身じろいだ。


「月に5回の周期から見て“突き上げる海流”の活動もおそらく明日だ。そいつもここから南の地点で起こる。100%とは言い切れんが、それらが明日重なる確率は高い」


 ジャヤ周辺の海域をナワバリにする猿山連合軍は肉体派に思えてきっちり正確なデータを集めていたようだ。それもそうか、ナワバリで起こることは把握しておかねばならない。それが災害というのであれば、身の危険を察知するためにも欠かせないデータだっただろう。
 クリケットがウソップの横を通り過ぎ、叩きつけたはずの挑発を流されて呆気に取られたウソップが行き場のなくなった腕を下ろす。だがクリケットを振り返ることもできず佇むままの彼の背を、口角を上げ笑みを含んだ男の穏やかな声が叩く。


「おれはお前らみたいなバカに会えて嬉しいんだ。さぁ一緒にメシを食おう。今日はウチでゆっくりしてけよ。――― 同志よ」

「!!!」


 ウソップが絶句して身を震わせ、ルフィが歯を見せて嬉しそうに笑う。クオンも微笑み、メシだと叫ぶルフィを視界の端に置いて膝の上のチョッパーにロビンを呼んでくるよう頼んだ。うんと素直に頷いたチョッパーが膝から下りて走っていく。


クオンも早く来い。あのおでんより美味ぇの作ったからな!二度と浮気なんざできねぇ体にしてやる!!」

「それはそれで弊害が出るのでは?」


 やむにやまれぬ事情でサンジの料理が食べれない事態に陥ったらどう責任を取ってくれるつもりなのだろうとつい真顔になって考えてしまったクオンである。それでなくともサンジの料理が絶品であることはしっかりこの身に刻まれているのだから、いらぬ心配だとも思いながら立ち上がり砂を払った。
 ウソップがへなへなと脱力して腰を落とし、ナミが呆れた風情で声をかけるのを見てクオンは吐息のような笑みをこぼした。あの様子では不信感は払拭されただろう。そして代わりに湧いた罪悪感と自己嫌悪に肩を落としている。大丈夫だ、きっとクリケットは謝罪を受け入れる。それどころか、何も気にしていないのかもしれない。

 ゾロと並んで家へ向かう。クリケットに飛びついて全力で謝るウソップと、鼻水がついたことに怒って拳を振り下ろすクリケットの軽快なやり取りを背にちらとゾロを窺えば薄っすらと笑みが浮かんでいるのが見えて、クオンは胸がくすぐったくなるような心地にやわらかく目を細めた。






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