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 ゾロの手を無心で揉んでいれば良いマッサージになったのか、無言で逆の手も差し出されたクオンは無言で握り締めて熟練のパン職人よろしくもみもみもみもみもみもみもみもみと揉みしだきながらルフィと2人のサル男達を眺める。
 と、ふいにその被り物が凭れている家のドアに向けられ、一拍遅れて中から開かれたそこからチョッパーが顔を出した。


「ルフィ!気がついたぞ!!」


 チョッパーの報告に、ルフィはすぐにサル男達から意識を外して立ち上がり家へと向かう。その後ろではルフィにできるできると煽られて“兄弟”であるマシラを蹴り飛ばすショウジョウの姿があったが、ルフィもクオンもゾロもウソップも、チョッパーでさえ気にすることなく家の中へと入っていった。






† ジャヤ 8 †






 目を覚ましたルフィ曰く「ひし形のおっさん」ことモンブラン・クリケットは、倒れる前の激しい敵意を霧散させ、煙草をくゆらせながら麦わらの一味に静かな眼差しを向けた。
 いつもの金塊狙いのアホ共だと思ったと素直に詫びを口にする彼に、クオンも不在をいいことに勝手に家に入り庭に留まっていた非礼を口にする。
 金塊と聞いて目をベリーにするナミはいつものことと流し、用件を問われたルフィが空島についての話を聞く。途端隠すことなく大笑いされたが、その口元に浮かぶ笑みにも声音にもこちらをバカにするような色は何一つなかったためクオンはモックタウンでの嘲笑を思い出して怒りに拳を握り締めるナミをウソップと共にどうどうと抑えた。


「だってクオン!!」

「まぁ、まずはお話を最後まで聞きましょう」


 よしよし、ぽんぽん。鮮やかなオレンジの髪を撫でて軽く叩いて宥めるクオンに、ナミは頬を膨らませながらも顎を引くようにして頷いた。良い子良い子とクオンが穏やかに褒め、ぐっと奥歯を噛んだナミが口内で唸る。
 気を抜いたときはがんぜない子供みたいにふわふわしているくせに、こういうときは大局を見定め隙あらば甘やかすような振る舞いをする。いやこの甘やかしはもしかしたら無意識か。ビビが毎度甘え倒してきた末にもはや無意識的になっているのかもしれない。ギャップがえぐいわ、今度は逆の意味で。どのクオンも素なのだからたちが悪かった。


「は~~~……やっぱりクオンはしまっておくべきでは……?」


 ナミの心から漏れ出た小さな呟きをクオンは慣れた様子で聞かなかったふりで流した。こういうのは掘り下げない方が吉だと経験から知っているので。

 抱きついて匂いを嗅ぐような真似をしない分ナミの相手を楽に思いながら、クオンはクリケットの話を聞く。
 己が「うそつきノーランド」の主人公の子孫であると告げたモンブラン・クリケットは、伝え聞いた類稀なる正直者だったらしいノーランドの当時を遠い目で語り、しかしここにいるのはモンブラン家の汚名返上のためでは決してないようだった。
 ノーランドの血を引いているからと見ず知らずの他人から罵声を浴びせられた子供時代を経て、ノーランドを擁護する一族を恥じ呪縛から逃げ出すように海賊になって家を飛び出した自分だけが絵本に記されたこの地に辿り着いてしまったと苦み混じりに吐き出した。何の因果か、400年もの間、一族の名誉のために“偉大なる航路グランドライン”へ乗り出した多くの全員が消息不明となっていた中で、モンブラン家を、ノーランドを、最も嫌い続けたおれだけが、と。


「絵本の通り、黄金郷など欠片も見当たらねぇこの島の岬に立つと、これも運命さだめと考えちまう。――― もう逃げ場はねぇ……」


 そして海賊船長であった男は、400年前に実在した己の祖先にこう啖呵を切った。


 ――― 決着ケリをつけようぜ、ノーランド


 それから10年、男はひたすら海に潜り続けているという。
 あるのならそれもよし、ないのならそれもよし。黄金を見つけてノーランドの無実を証明したいわけでもない。


「おれの人生を狂わせた男との、これは決闘なのさ」


 窓から外を見つめる男の瞳は静かで、しかしその奥底には苛烈に輝く鋭い光が見えた。
 決して若くはない男は自分がくたばる前に白黒はっきりさせたいと烈しさをにじませた声音で告げる。

 一族の宿命、あるいは運命さだめ、もしくは業。呪いとも言えるのかもしれないそれに男は抗った過去を持ちつつも、逃れられないと悟って真っ向から向き合う覚悟を決めた。誰のためでもない、己のためだけの闘いに挑んだのだ。その決闘を土足で踏み荒らす者には容赦はしない。

 クオンは目を細めた。これは「良いもの」か。自問するもすぐに答えは出た。ああ、これは「良いもの」だ。
 その覚悟が、真っ直ぐに貫いた信念がクオンの頬をゆるませる。上機嫌に揺れたクオンの気配に気づいたハリーが定位置の右肩の上でクオンの被り物を見上げたが、相棒の“浮気”は今に始まったことではないのでひとつ瞬くだけで何も言わずにクリケットへ顔を戻した。

 元クルー達と袂を分かち、ひとりこの地に残ったクリケットだが、では彼を「おやっさん」と慕うサル男達はなぜここにいるのか。当然の疑問をルフィが口にして、クリケットは簡潔に「あいつらは絵本のファンだ」と返してクオンの笑みを誘う。ナミが随分簡単な繋がりねとこぼしたようにクリケットと彼らの出会いは単純明快なものだったのだろうが、何やら外で賑やかに仲良く喧嘩をしている2人と築いた絆は固いことは疑えない。
 毎日のように暗く冷たい海に潜り続けるクリケットの孤独は、押しかけ同然にやってきた彼ら─── 「良いもの」を得て薄まり、昏い陰を落としていた心に光を射した。正直救われるんだと胸の内を吐露したクリケットの瞳は優しく、クオンは被り物の下で笑みを深める。ああやはり、「良いもの」はここに3つ。自分の目は間違っていなかったらしい。


(「良いもの」はここにあり、そして彼らなりの“愛”もまた、ここにある。良いですね、大変に良い。……まぁそれはさておき、そろそろ本題へ入っていただきましょうか)


 満足そうに内心深く頷くクオンがそう考えて口を開くより先に、無理やり話題を矯正するために声を上げたのは、当然のごとくルフィだった。


「おれは空島に!行きてぇんだよおっさん!!!」


 すぎるほどに真っ直ぐな、疑いことなく夢を追い続ける若者の目を見て、クリケットは眩しそうに口角を吊り上げて笑った。
 ルフィに応えてノーランドが本棚から一冊の分厚い本を手に取る。投げ渡されたナミがそれを読み上げ─── 結論から言えば、空島の情報は手に入った。

 クリケットに見せてもらったノーランド本人が書いた400年前の航海日誌には空島へ至ったという記述はなかったものの、その存在を思わせる物証が確かにあったらしい。スキーのような一人乗りの船、そして奇妙な魚「空魚」を実際に己の目で見たと。一族が名誉を回復させるために危険な海に出るほど正直者だった彼の記録だ、嘘だとは思えない。
 そして当時では空島の存在が今ほど夢物語扱いはされておらず、物証も合わせて「ある」前提での話なことが窺えた。空島と、空の海。ロビンが言った通り「海」が浮いているのか。

 一気に空島がある可能性が高まって、ルフィやウソップ、チョッパーの目が輝く。ナミも「空の海だって…」と期待に声を弾ませ、「やっぱりあるんだ!!」「やった~~~!!!」と沸き立つ面々を笑みを浮かべて眺めていたクオンは、視界の端で静かに家の外へと出て行くクリケットを見送った。


(空島はやはり実在する。では次に、そこへ至る方法を見つけねば)


 確証がなかろうと「ある」とは思っていたが、変わらず不明瞭なのは空島への行き方だ。“記録指針ログポース”の指針が空を指しているからと言って、空島へ至る道まで案内してくれるわけではない。“記録ログ”が書き換えられる前にどうにかしなければ。
 酒場の店主は、20年以上前にクオンと同じように空島の情報を求めてやって来た男がいたと言っていた。空島へ至る方法は知らないが、その海賊達はのちに世の中に名を轟かせたと言うのだから、おそらくはどうにかして行ったのだろう。……そういえば、海賊の名は何と言うのだったか。聞くのを失念していた。20年前から活動していた名高い海賊となると限られるが、今はそれを予想していても仕方がない。瞬時に脳内で候補を挙げたクオンはしかし、いつか知ることもあるだろうと思考を流した。


(船を押す風はこちらに吹いている。今は流れに身を任せてみましょうか)


 クリケットはある程度語ってくれたが、あの様子ではまだ何か空島に関連する情報を持っていそうだ。それが空島へ至るヒントになればいいのだが。
 そう考えて、クオンは肩の力を抜くと肩の上のハリネズミの顎を優しくくすぐった。






 外に出ていたクリケットが家に戻ると、まだ話があると言ってルフィ達を外に連れ出した。サンジは食事を作るとキッチンを借りるために残り、マシラとショウジョウがそれに付き合って、ロビンはとりあえず好きにさせ、我先にとクリケットについて家を飛び出していったルフィとウソップ、チョッパーに続くナミの後ろをクオンはゾロと共について行った。

 切り株のテーブルの周りに据えられた小さな丸太のイスにルフィ、ウソップ、ナミが腰掛け、チョッパーが切り株に凭れて4人の前に立つクリケットを見上げる。
 クオンは4人の後方に佇み話を聞こうかと思ったが、


クオン、膝貸せ」


 ゾロのそのひと言に頷いて腰を下ろした。白いスラックスに覆われた脚を伸ばせば若草色が膝に乗る。目を閉じたゾロの顔の横に肩の上から飛び降りたハリーが着地して横になった。
 右手でゾロの額から頭部をゆっくりと撫で、左手でハリーの針がたたまれた背中を撫でる。と、すぐに健やかな寝息をゾロが立てた。おやすみ3秒。ここでも変わらず寝つきがよろしくて何よりである。

 講義を行う教師のように4人と向かい合って口を開いたクリケットの話を、ほほうふむふむへぇ不思議なものですねぇそんなものが成程興味深いと聞きながらクオンは愛でるような手つきで膝の上の1人と1匹を撫でる。
 空島があるのなら積帝雲と呼ばれる雲だと聞いて確かに可能性としてはそこが妥当かとクオンが考えていれば、クリケットの推測を一切疑うことなくナミ以外の3人が勢いよく立ち上がった。


「そうか!!よし分かった!!その雲の上に行こう!ゾロ起きろ!」

「お、朝か」

「いいえ、まだ夕方すら遠い時刻ですよ。もうひと眠りなさいませ」


 ルフィに声をかけられて意識を浮上させたゾロの目許を白手袋に包まれた手で覆って僅かに浮いた頭部を膝に戻す。ハリーは小さく鳴いただけで目を開ける様子もない。


「おいみんな支度しろ!雲舵いっぱいだ!おっさん教えてくれてありがとう!!」

行き方・・・が分かんないって何度言わすの!!?」


 はしゃぐルフィとウソップに話が中断されてぶち切れたナミが怒りに任せた鉄拳を2人に叩き込むのを、クオンはあーあーと苦笑しつつも楽しそうに眺めていた。






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