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 他にも何か病変はないかと細かく診察するチョッパーと冷やしたタオルを替えるナミを眺めていたクオンは、特にやることもないので間を埋めるように視線をめぐらせて家の中を見回した。
 先程覗いたときと当然変わりはない。そのひとつひとつを茫と見やれば、ふとナミの後ろにある1枚の写真が目についた。ぱちりと鈍色の双眸を瞬かせる。


「サルが3人」

「は?」


 凭れかかったままぼそりと発されたクオンの呟きを聞きとめたゾロに見下ろされるが、視線は返さずその写真じっとを見つめる。
 サルベージ現場で会ったサルとここに来る前に会った声の衝撃波を放ったサルが肩を組み、ベッドの上に横たわるサルが2人に囲まれるようにして真ん中に立っていて、サルもとい人間3人が仲良く満面の笑顔で映っているそれに、被り物の下でクオンの口元にゆるい微笑みが浮かんだ。






† ジャヤ 7 †






 家の前にやってきた者の気配を感知したクオンがぴくりと肩を小さく震わせてゾロから身を離す。組んでいた腕も解いて体の横に垂らすと同時、外からどこかで聞いたような声がして、すぐに家のドアがけたたましい音を立てて開かれた。


「「おやっさァん!!大丈夫かぁ!?」」


 どこか切迫した様子で現れたのは、やはりどこかで見たことのあるような─── というよりたった今まで眺めていた写真に写っていた2人で、海で遭遇してしまった2人だった。
 全員の目が大きな体を屈めてドアをくぐろうとしたところで動きを止めた2人に向く。2人の男曰く「おやっさん」以外誰もいないはずの家の中にいた見たことのある人間達に男達は驚いて動きを止め、その見開いた目に疑問符を浮かべていた。


「うわ~~~!!おれ達を殺しに来やがったぁ!!」

「ギャ~~~!!!」


 突然現れたサル男×2に驚き慌てたのはウソップ、チョッパー、ナミの3人だ。その叫び声に我に返ったサル男達が「おめぇらここで何してんだぁ!!」「おやっさんに何をしたぁ!!」と目を吊り上げて怒鳴る。まぁ確かに、彼らから見れば、ナワバリに踏み込んで荒らした海賊が「おやっさん」の家に上がり込んでいて、「おやっさん」はベッドに横になって意識がない様子。すわこいつらが、と冷静さを欠くのも仕方がない。
 それはそれとして、クオンは音もなく無言で指の間に針を構えた。ベッドで眠る男を慕っていることがよく判るサル男達には悪いが、今は看病中なのだ。静かにしてもらいたい。あと何やら騒ぎ立てる3人も。


「ウソップ、チョッパー、ナミ。こちらに」

「はいクオン!!!」「クオン助けて!!」「でも無理はしちゃダメよ!!」


 顔を向けることなくひと声かければさっとクオンとゾロの後ろに揃って隠れる3人は大変素直でよろしい。クオンの身をしっかり案じて釘を刺したナミの頭を軽く叩くようにして撫でて大丈夫だと言外に告げておいた。
 そうした騒がしい中、敵意を剥き出しに今にも飛びかからんとしているサル男2人に、水を替えるために洗面器を持ったルフィが眉をひそめた。


「何だお前ら、今このおっさんを看病してんだからどっか行けよ」

「バカ!まともに話なんか聞いてくれるか!!相手は野生なんだぞ!!」

「「いい~~~奴らだなあ」」

「聞いてるよ!!!」


 感謝の念に涙を流しながらルフィの言い分を聞いてくれたサル男2人にウソップが大きなツッコミを入れて叫び、テンポの良いコントを見た気分になったクオンは、ふはっと空気をもらしたような小さな笑声を被り物の中にとかして指の間から針を消した。






 己が慕う「おやっさん」を介抱してくれたという恩を感じて鉾を納めたサル男達は、彼が目覚めるのを待つ間、広くはない家に全員が詰めておくと狭苦しいからと家の外に場を移してルフィと共に賑やかな会話に興じていた。
 サルベージ現場にいたのはマシラ、声の衝撃波を放ったのはショウジョウというらしい。名前もサルっぽいなと思いながらも口にはしない。マシラとショウジョウはそれぞれ己の海賊団を持つが、その上に「おやっさん」ことモンブラン・クリケットを頭に据え、「猿山連合軍」を組織しているようだ。
 連合軍とは言いつつも、実質は家族のようなものなのだろう。先程の彼らの激昂具合とクリケットを助けてくれたと知って瞬時に深い恩を覚える様子から読み取れた。

 談笑するルフィ、マシラ、ショウジョウの3人を眺めながら、家の壁に凭れて座り込むゾロの隣に腰を下ろしたクオンは被り物の下でゆるやかな笑みを描く。
 看病の手は足りているからクオンは外でゆっくりしてて、できればあいつらが変なことしないよう見張っててとナミに追い出されたのだが、実際は多少能力を使ったクオンの反動を慮ってのことだと分かっている。確認はしていないから誰にも見られていないが、ナミの懸念通り左肘の痣は濃くなっているだろう。

 ハリーは後学のためにチョッパーにつくと言うのでそのまま置いてきた。トナカイが医者をできるのならハリネズミが医療に手を出すことも不可能ではないと考えているのか、最近ではハリーがチョッパーと共にいる姿を見るのは珍しいことではなくなっている。相棒であるクオン以外に目を向けるのは世界が広がるから良いことだ。自分の意思に基づいた行動は、きっと彼の力になる。

 そんなわけでいつもならハリーをくすぐったり撫で回したりして相棒を愛でるクオンは手持ち無沙汰となり、頭の後ろで手を組むゾロを見やると無言でその手を取ってにぎにぎと手遊びを始めた。ちらりとゾロがクオンに一瞥をくれたが、小さなため息だけで好きにさせる。
 嫌がる気配は微塵もなく、ただ仕方ねぇなと言うような甘やかしを含んだため息だったのでクオンも遠慮なく武骨な手の平に白手袋で覆われた指を這わせた。
 固い男の指の感触を撫でながら、クオンはウキキキキウォッホホホだはははと笑い合う3人に目をやる。


(そういえば、サルの被り物をしていた人もいましたっけ……)


 ふとそんなことを思い、細めた鈍色の瞳は脳裏によぎる少ない記憶をさらう。今はすべて滅んだカオナシのみんなも、ああして賑やかに笑っていたことを思い出した。そこにクオンが寄っていけば手招いて会話の輪に入れ、ひとり被り物をせず素顔をさらしていたクオンの頭をがしがしと雑に撫でくり回して愛でられたものだ。
 彼らを過去とするには時間が少なすぎる。いまだ族長の首は見つからないままで、無音の闇はクオンを苛み、よぎる思い出は胸を引き攣らせた。
 クオンがカオナシの一族から与えられた愛を疑うことはない。どうしてたまたま拾った記憶喪失の人間をそこまで愛したのか、疑問に思わなかったと言えば嘘になるが、愛を与えられた理由を考えるよりも真っ直ぐ受けとめて抱えて生きていく方が呼吸がしやすく、きっと彼らも喜んでくれる。クオンの知るカオナシの一族はそうだった。
 だから、たとえ血の繋がりがなかろうとも、今は亡き彼らを彷彿とさせるように“家族”を純粋に心から想う2人はきっと「良いもの」だろうと形の良い唇が笑みを深める。


(「良いもの」がここに2つ。ならば、おやっさん殿の方も期待できそうですね)


 上機嫌に秀麗な顔をほころばせるクオンの表情は誰にも見えない。しかし“浮気”の気配を敏く感じ取ったか、「お前本当に節操なしだな」と呆れた表情を隠すことなくゾロが表情通りの声音で言い、クオンはそれに躊躇いなく肯定してみせた。


「自慢ではありませんが、私は男女種族美醜問わずどなたでもいけます」

「明け透けが過ぎる」

「ふふ、口が滑りました」


 あまりに正直すぎる上に節操なしが際立つ発言だが、既に「本命」は決めてあるとクオンは明言している。いずれ友となるビビと麦わらの一味以外はすべて、たとえクオンがどれだけ目をかけ心を傾けようとも“浮気”まで。「本命」が揺らぐことはない。


「お前ほど厄介な奴はいねぇな」


 今まで何度も思いはしたが本人には言ったことのない言葉をこぼされ、振り向いたクオンはきょとりと目を瞬かせる。ゾロの手を取ったままじっとその顔を見つめれば、物言いたげではあるが嫌悪の影ひとつない男の半眼と目が合って、ふっと吐息のような笑みがもれた。


「そんな私を、あなたは許すのでしょう?」


 傲慢、不遜、あるいは小悪魔、しかし他者を見下すような色はない。ただ純然たる事実を述べたような軽やかな声が綴られ、甘くたわんだ鈍色は見た者すべての思惟を刈り取って深く頷かせるほどだが、やはりそれは被り物に覆われて誰の目にも映ることはなく。


「……それがお前だろ」


 正直で、素直で、どこまでも一途で、節操なしの浮気性。すべて己の心のまま生きるクオンを今更誰が咎められようか。そうであれと許され愛されてきたクオンに、“愛”を捨てるなと言ったゾロが言えるはずもない。
 だからそう返すしかないゾロの返答をお気に召したクオンは、ぱっと花を散らして笑った。






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