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 あのサルベージ現場で知り合ったサル男と同じような海賊─── あのサル男がゴリラ寄りだとすれば、今度のサル男はオランウータンの様相をした海賊は、話を聞けばあのサル男と兄弟・・だと言う。それを聞いたクオンは似た者兄弟ですねぇと思わず深く頷いてしまった。
 そしてウソップとチョッパーが言うには、“永久指針エターナルポース”を盗られたサル男もクオン達が出掛けている間にジャヤへ戻ってきていたらしい。ということはあのサル男、蹴り飛ばされたあともきちんと船に戻れたようで何よりだ。

 しかしルフィがマシラという名らしいサル男を蹴り飛ばしたと口にした瞬間オランウータン男は突如として激昂した。まぁ兄弟をよその海賊に害されたと聞けばさもありなん。
 マシラの仇だと叫び、敵意もあらわにマイクを掲げたオランウータン男が己の声をマイクで増幅して反響させ、その音波が物理的な衝撃を伴って周囲のものを破壊していく。─── 主に自分の船を。

 オランウータン男の船は大きい。船首付近とはいえ最も被害を被るのは当然のようにオランウータン男側の方で、怒りで我を忘れた船長を慌ててクルーが止めようとするも近づく端から吹き飛ばされていくさまがよく見えた。自滅していくオランウータン男達にサンジが呆れた顔を隠さない。
 とはいえあの衝撃波の影響圏は声が届く範囲だと予想がつき、メリー号の方に影響がまったくないとは思えずクオンはすぐさま手を叩いて指示を出した。


「さぁ皆様、彼らのことは放っておいて、急いでここを離れますよ。これ以上メリー号を傷つけさせるわけにはいきません」


 その言葉に誰も否やを唱えることはなく、クオンの言った通りにメリー号の補修箇所を中心に外装が剥げていくのを見て血相を変えたウソップを筆頭に、誰もが慌ただしく動き出した。






† ジャヤ 5 †






 クオンとロビンが仕入れた情報を元に、次の目的地であるモンブラン・クリケットが住む東の海岸に着くまでの間、オランウータン男に傷つけられたメリー号の修繕に手があいている者達で取り掛かることになった。
 麦わらの一味の中で最もメリー号に思い入れがあるウソップと手先が器用なクオンを中心に、ゾロにはメインマストの補強を、チョッパーには手伝いを、ルフィにもウソップがトンカチを渡したが、クオンはそっとそれを取り上げてチョッパー同様お手伝い係に任命した。修繕しようとして逆に破壊する未来を見た気がしたもので。

 船の内側─── 甲板をウソップ達に任せ、クオンはひとり船の外側に能力を使って足をつけると傷ついた箇所に手を入れる。
 トントンテンカン、トンテンカン。ついでにガンガンゴン。船の内側と外側から、波音に混じって修繕の音が響く。
 釘や板を渡してもらうために船の手すりに待機させたルフィが身を乗り出して船体に屈み器用に板を打ちつけていくクオンを眺め、便利だなーと本心からの声を上げた。きゅきゅーぃ、と被り物の上に乗ったハリーが誇らしげな鳴き声を返す。「どうだおれの相棒はすごいだろう、だって」と訳してくれたチョッパーの声が聞こえた。

 ゴーイング・メリー号はウソップの故郷に住む友人の少女から譲ってもらった船だという。元は遊覧を目的とした船だというのに、この“偉大なる航路グランドライン”のめちゃくちゃな海に傷つきながらもよく耐えてくれている。クオンはいたわるように船体を優しく叩いた。


(メリー、まだまだ未熟者な私達です。きっとこれからもあなたにさらに負担をかけることになる。それでもどうか、最期のそのときまで私達をあなたに乗せてください)


 理性的な部分で、クオンはメリー号での航海はそう長くはないと判じていた。
 “偉大なる航路”は先に進むほど敵対する海賊も強さを増していく。ルフィ達はいい、彼らは戦うほどに強くなっていく。たとえ大怪我を負ったとしても命さえ失わなければ傷を癒やして先に進める。
 けれどメリー号は違う。傷つけば損なわれ、回復することはない。既に継ぎ接ぎだらけのメリー号は敵から巨大な一撃を受ければその瞬間に崩壊するだろう。それを何とか回避したとしても、人体に急所があるように立体構造である船にも急所はある。そこを砕かれれば“船”としての生が終わるのだ。現状は細い糸の上で綱渡りをするような航海だと、分かっているのはおそらくクオンだけなのかもしれない。
 この小型船で、どこまで行けるのか。どこまで連れて行ってくれるのか。それは判らないが、いずれ訪れるその時を予感しながら希うようにクオンは胸中で囁いた。

 白手袋越しに触れる船体は降り注ぐ陽光を受けてあたたかい。目を閉じて意識を集中させれば、被り物をすり抜け、直接頭に響く優しい“声”が聞こえた気がした。もちろんさ、と胸を張って応える、自分以外誰も気づいていないもうひとりの仲間の“声”が。

 甲板で乗り換えを示唆したゾロに勝手なことを言うなとくわりと牙を剥くウソップの声と、メリー号もおれ達の大切な仲間なんだ、頑張っておれ達で直してやろうぜと笑うルフィの声が優しく耳朶を叩く。自然と浮かぶ笑みをそのままに瞼を開けば、嬉しそうに笑う“声”が波間にとけていった。
 ゆらり、被り物に隠された鈍色を揺らす鋼が誰にも認知されることなく消えていく。


「できれば、船大工がいる町で一度ゆっくり見てもらいたいものですね」


 いつまでもこんな応急処置にもならない拙い継ぎ接ぎを繰り返した船では安心して航海はできないし、何よりメリー号の姿が痛々しくてたまらない。
 船首の向こうを見晴るかすクオンの被り物越しに低くくぐもった声は抑揚がなく他者に感情を窺えさせないが、その言葉は心からのものだと被り物に乗ったハリーが疑うことはなかったし、メリー号もその呟きを聞き逃すことはなかった。






 メリー号の修繕がひと通り済んだ頃、麦わらの一味は目的の人物が住まう東の海岸へと辿り着いた。
 海岸に建てられた、城のような家─── ではなく、城の形に切り抜いて色をつけたベニヤ板が目立つ。
 随分と見栄っ張りなのか、それともただの遊び心なのか。ルフィとウソップとチョッパーが騙されたのはお約束というものだろう。陸にあがって裏側から見てみればすぐに真実に気づいた。

 ゾロが錨を下ろし、サンジが帆をたたんで、特に仕事のないクオンは前方甲板に佇みながら周囲の気配を探る。が、どこにも人の気配はなく、もしかしたら運悪く不在なのかもしれない。

 モンブラン・クリケットなる人物がいったいどんな夢を語って町を追われたのかとナミがクオンを振り向いて問い、その答えを持ち得ないクオンはロビンに顔を向けて、ロビンは薄く微笑みながら詳しくは分からないけれど、と前置いて答える。


「このジャヤという島には、莫大な黄金が眠っていると言ってるらしいわ」

「黄金!?」

「どっかの海賊の埋蔵金か何か!?」

「さぁ…どうかしら」


 ウソップが驚愕の声を上げ、ナミが詳細を知りたがるが伝聞しか知らないロビンはさらりと流す。クオンは成程そんなことを口にすれば町を追い出されるのも分かりますねと内心納得していた。
 何はともあれ、本人に話を聞いてみるべきだ。黄金と聞いて目の色を変えたナミがチョッパーに地面を掘るよう指示を出して素直にチョッパーが従うのに苦笑したクオンは特にツッコミを入れることなくベニヤ板が張りつけられた家に足を向ける。

 古びた2階建ての家は然程大きくない。だが明らかに人が住んでいる形跡は家の周りにあり、「こんにちは───!お邪魔します!!」と遠慮なく家のドアを開けたルフィの後ろからひょっこりと中を見てみれば、やはり生活感に満ちていた。
 大きなベッドと壁にかけられたいくつかの武器、貼られた島の周辺地図、部屋の端に据えられた本棚にぎっしりと詰まった本。ふと目についた大きな服から推定するに、モンブラン・クリケットは結構な大柄の男のようだ。
 広くはない部屋を見渡してもやはり人の影はどこにもない。不在の夢を語った男は己の“夢”を追いかけて黄金を探しているのか、それとも食料を得に狩りでもしているのか。いずれにせよ、待っていればいつか帰ってくるだろう。


「絵本…随分年季の入った本ね。『うそつきノーランド』だって」


 笑みをこぼして切り株のテーブルの上に置かれていた絵本を手に取ったナミの声に振り返る。興味が引かれてそちらに寄れば、近づいてきたクオンにも見えるよう絵本の表紙を差し出してくれた。題材が気に入ったらしいウソップが目を輝かせ、クオンは表紙に描かれた、船首に立って先を指差す男の絵を見下ろす。


「『うそつきノーランド』?へー懐かしいな。ガキの頃よく読んだよ」

「知ってんの?サンジ君。でもこれ、“北の海ノースブルー”の発行って書いてあるわよ」

「ああ、おれ生まれは“北の海”だからな。みんなにゃ言ったことなかったか?」


 何てことないように平然と笑って言うサンジを被り物越しに見やり、少し意外に思う。クオンがルフィ達と会った“東の海イーストブルー”で既にサンジは麦わらの一味の仲間になっていたから、生まれも育ちもイーストだと思っていた。
 育ちは“東の海”だと言うサンジはそれ以上己の故郷を深掘りすることなく流し、ナミの持つ絵本を指差してノースでは有名な話なのだと教える。童話ではあるが、このノーランドという人物は昔実在したという。成程、過去の人物を題材に本を書くのは童話に限らずよくある話だ。クオンが町でもらった冒険譚のように。それが真実かどうかは置いておいて。
 いつまでも地面を掘り続けるチョッパーをうるさいと理不尽に一喝したナミは、じぃっと絵本を見下ろす視線に気づいてちらりとクオンを見上げる。


「……読みたいの?クオン

「ええ。絵本はウイスキーピークで子供達向けに取り揃える際に多く読みましたが、これは初めて見る話です。気になりますね」

クオンが絵本なぁ。そういや、おれもよくたまねぎ達に読み聞かせしたりしたけど、クオンもしてたのか?」

「そうですね。臨場感をつけて読み聞かせをしたり…ああ、幼い子は膝の上に乗りたがったりしたものですから……ふふ、よく子供相手に張り合っていたりしてましたね」


 誰を思い出して笑っているのか、クオンの呟きを聞いた者は全員が悟りつつも何も言わず、ダメよクオンの膝は私のよ!!!とクオンに抱きついて大人げなく叫んだ少女がいたことを疑わなかった。
 みんなが思い浮かべたことを思い出しながらクオンは目を細める。戦闘シーンは実際に大人を巻き込んで実演したりしたものだ。それが戦闘訓練も兼ねていたので大人達は完璧にこなすスパルタ真っ白執事にNGを食らってさらなる鍛錬を課されないよう死にそうになりながら演じていたが、まぁこれは些事である。


「……よし!じゃあクオンに私が読み聞かせてあげる」

「うん?」

「ここに座りなさい。そう、いい子ね。じゃあ始めるわよ。んん、『むかしむかしのものがたり』……」


 イス代わりの小さな丸太にクオンを座らせ、その隣に座ったナミが絵本を開いて挿絵が見えるようにしながら読み上げる。読み聞かせをしてもらうような年齢ではないが、誰かに絵本を読み聞かせてもらったかもしれない過去の記憶を失くしているクオンを慮るその気遣いが嬉しくて、つらつらと淀みなく紡ぐナミの声を聞きながらクオンはゆるむ頬を抑えることはしなかった。
 甘えるように僅かに体をナミに寄せて凭れれば、ナミもくすぐったそうに笑みを深めて身を寄せぴったりとくっつく。クオンの右肩に乗っていたハリーは絵本にあまり興味がないのか既にうとうとと船をこぎ、今にも寝落ちしそうな相棒をクオンが両手に抱えて膝の上に置いた。

 視界の端でサンジが羨ましそうに目を吊り上げて歯を食いしばっているが、ナミの優しさを台無しにはできないのか声にならない呻きを上げるだけで、「子供子供子供子供クオンは子供今のクオンはガキみてぇなもんだガキだからノーカンいやでも男だでも子供子供子供子供……」と己に言い聞かせるための呟きは口の中にたまっては呑み込まれ、誰の耳にも届くことはなかった。






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