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「しかしですね店主殿、仲間に手を出されかけては黙っていられません。彼らも手を出すのなら命を懸けるべきですし、逆に首を斬られることになっても承知の上でしょう」
「おれの店で血生臭い真似はやめろっつってんだ。やるなら外でやれ」
「む…確かにこの店を血まみれにするのは気が引ける……仕方がありませんね、処遇はロビンに任せます」
「任せておいて」
「おい、本当にこの女に任せて大丈夫か」
「命は取らないと思いますよ?」
「…………そうか」
被り物をしていても分かるほどあっさりと軽く頷いておでんに箸を伸ばす
クオンに何も言えなくなった店主は、この白いの、あの時とんでもない奴らに巻き込んでくれた男によく似てやがると内心で呻いて額を押さえ、あの黒髪の女がああも攻撃的なのは標的が自分だけではなくこの白いのにも及びそうになったからじゃねぇのかと思って、しかし結局何も言わずに深いため息をついただけだった。
† ジャヤ 3 †
酒場の海賊達からモンブラン・クリケットの居所をロビンが聞き出す傍ら、被り物をきちんと被り直して食べきれなかった分とは別に仲間達の分を持ち帰りを
クオンは頼み、面倒だから鍋ごと持って行けと大きな鍋を店主に押しつけられた。「ついでにこいつもな」とジャヤの地図も雑に投げ渡される。地図の方をロビンに渡した
クオンが丁寧に礼を言い、飲食代に加え鍋代と迷惑料に色をつけて渡せば商売人らしく店主は何も言わずに受け取った。
大きな風呂敷に包んでもらった鍋を片手で持ち、反対の腕には酒瓶が入った袋を抱える。情報を搾り取られて床の上で震える海賊達を横目に、用を済ませた
クオンはロビンにひと声かけて彼女と共に店を出て行った。
真っ白い背中が扉の向こうに消え、震えていた海賊達がよろよろと起き出した頃。
まだあんな奴がいるのか、と感嘆にも似た思いで店主は内心呟き遠い記憶を遡る。
もう20年以上も前、とある海賊船のクルーである男が情報を集めるためにこの店を訪ねてきた。黒く短い髪の男は海賊らしく雑な口調ではあったものの人懐こい雰囲気をまとい、友好的ではないと自覚している自分の懐に数度言葉を交わしただけですんなりと入り込んでいた。適当に作って出したつまみを気に入り花咲くように笑ったその顔にほだされたのかもしれない。
……そういえば、あの白いのと黒髪の男、笑った雰囲気がよく似ていたような気がする。だからだろうか、初対面の相手に情報や地図、さらに客に出すためのおでんをすべて渡してしまったのは。まぁ迷惑料含めた金を多めにもらったから決して損はしていないのだが。ああそうだ、あの時の男もろくな情報は得られなかったというのにうまいメシが食えたと糸目を付けず気前よくぽんと金を出したのだ。
「あの男も確かツレがいたんだったか」
芋づる式に湧いてくる記憶を辿りながら、無意識にひとりごちてふと思い出したのは黒髪の男と共にこの店にやってきた、子供の体躯には少し大きな麦わら帽子を被った赤い髪の少年。まだ見習いだという少年の名を、あの男は何と呼んでいたんだったか。あの男の名を、見習いの少年は何と呼んでいたんだったか。
彼らの海賊団は船長が海軍に捕まり処刑されたことで解散したと聞いたが、生きていればあの男は結構な歳で、少年の方はすっかり大人の男に成長しているだろう。それだけの年月が流れていることに今更気がついた。
男の仲間が町で何やら暴れ始め、何がどうなってか盛大に巻き込まれて鍋を囲むまでに至った経緯はいまだ色褪せず鮮明に思い出せるが置いといて、記憶の底から戻ってきた店主は深く息を吐いた。
(ロジャーの野郎が海賊王になったんなら、空島はあったんだろうよ)
訊かれなかったから言わなかった海賊団の船長の名を口の中で転がし、店主は目を細める。
久しぶりにこの町に似合わない客が来た。
現実主義者ばかりの無法者が集うここに、“夢”を叶えるために。
もう海賊に巻き込まれるのは御免なのであの白い執事みたいな人間と黒髪の女が所属する一味の名は聞かなかったが、何となく、過去の黒い男と先程の白い人間に奇妙な符合を覚えた店主は根拠のない確信を抱く。
(どうやって空島なんて場所に行けるのかは知らん。だがお前のような人間が認めた船長のいる海賊なら、空島への道は自ずと開かれる)
そういう海賊を、船長を、その船長を唯一と戴く男がいたことを、夢を見ない町の酒場の主は確かに知っていた。
酒場を出た
クオンはロビンと共にもうひとつの目的地である服屋へ向かい、その道中で若い娘と中年頃の女性がどう見ても小物そうな海賊に絡まれているところに遭遇して、綺麗に着飾った若い娘を背に庇う気丈な中年女性が追い返そうとしているのを横目にスルーしようとしたが、激昂した海賊が銃をホルダーから抜いたのを認めた瞬間、
「
お引き取りを」
問答無用で海賊の男を掌底でぶっ飛ばした。武装していないか弱い女性相手に銃はやりすぎである。
残像も残さず町の果てに消えていった男を見送ることもせず、手をあけるために一時的に宙に放り投げていた酒瓶が入った紙袋が落ちてくるのを受け止めた
クオンは、突然横から海賊の男を瞬殺した白い燕尾服の人間に呆然とする2人へと声をかける。
「この辺りにアパレルショップがあると聞いて来たのですが、ご存じですか?」
「……あ、それなら、うちがそうだよ……」
「この通りの、あそこの横道を入ってすぐのところ……」
「おや、それは僥倖。よろしければ案内していただいても?」
どう見ても男ひとりをぶっ飛ばせるほどの力があるとは思えない、愛嬌があるようで間の抜けた被り物を被った痩躯の真っ白い人間に周囲が目を剥いているがまったく気にせず、軽やかに
クオンは伺いを立てて2人から頷きを得た。その横で、思慮深げで慎重かと思いきや意外と手が早い
クオンに目を瞠っていたロビンが苦笑し、ハリネズミはいつものことだと器用に肩をすくめる。
我に返り命の恩人であり商売相手でもある
クオンに礼を言って先導する中年女性と若い娘と連れ立って行けば、然程歩かず大きめのアパレルショップに辿り着いた。
ただのアパレルショップにしては大きい造りの店に、店主だという中年女性が服屋を兼ねた女性派遣所なのだと教えて
クオンが成程と頷く。若い娘はその店の店員らしく、改めて礼を言われて
クオンは大したことはしていないと首を横に振った。
店内に入ったロビンが自分の買い物を済ませる間、特に用はない
クオンは荷物を地面に置いて店の前で佇立し彼女が出てくるのを待つ。
海賊の男を軽く吹っ飛ばせるほどに強いが所作は丁寧で雰囲気が穏やかな
クオンを良い商売相手と見たか、商魂逞しい中年女性が暫く町に滞在するならイイ娘を都合すると持ち掛け、先程海賊に襲われそうになったというのに海賊に勧めるその逞しさに感心しきりの
クオンは、気を悪くすることなくすぐに出航予定なのだと丁重に断った。
心底残念そうな女性に苦笑して空島について何か知らないかと問えば、夢を見ない町の住人はそれでも命の恩人の言葉を笑い飛ばすことはできず残念そうに首を横に振ろうとして、ふと記憶を辿るように宙を見て瞬き、何か思い当たるものがあったか「少し待ってておくれ!」と言い置いて店内に駆け込んでいった。ばたばたと駆け足で行き、そしてすぐに戻ってきた女性の手には1冊の本。
「これこれ、これに空島について書いてあるよ。自分の冒険譚を題材にした小説で、信憑性は低いけど、ここは“
偉大なる航路”だ。全部が嘘とは言い切れないだろう?」
自分はまったく信じていないだろうに、夢を見る人間に夢を持たせるようなことを情感こめて囁く女性は確かにしたたかな商売人である。
渡された小説をめくれば、女性が言った通りの冒険譚だ。空島についてのページにはあまり尺が割かれてなさそうだが、ないわけではない。
ところどころ傷んで日焼けした本は古いものだ。発行年を見れば22年前。作者は聞いたことのない名前─── ではなかった。
クオンは被り物の下で僅かに目を瞠る。この作者の名前の小説を、
クオンは1冊持っている。そう、海賊王ゴールド・ロジャーの船員視点で描写された、ロジャーを差し置いて冥王シルバーズ・レイリーのことばかりを書き連ねていた、あの本だ。
「……この本、おいくらで譲っていただけます?」
「いいよいいよ、持っていきな。安いお礼になっちまうが、そんなんでよかったら好きにしてくれ。随分前にお客さんから押しつけられたもんだからね」
軽く手を振って愛想の良い笑みを浮かべる女性に礼を言い、あとでゆっくり読もうと酒瓶が入った紙袋に小説を入れる。
それから少しだけ他愛のない話をしていれば、店の扉を開けてロビンが出てきた。借りていたナミの服から買った服に着替えたようで、レインベースで被っていたものと似た形の黒い帽子が目に入る。革製の艶のある黒い上着が理知的な彼女の雰囲気をよりいっそうミステリアスに仕立て上げていた。
「お待たせ、執事さん」
「良い買い物ができたようですね。似合っていますよ」
「あら、ありがとう」
2人の和やかな会話を聞いた女性が買い物の礼を言い、またのお越しを、と短く言葉を添えて頭を下げる。一歩引いてきれいな礼をする女性の、容姿だけではない美しさと引き際の良さに笑みを深めた
クオンは荷物を抱え直すとロビンと共に店を離れ、メリー号へ帰るための道へと戻る。
「ところで執事さん、あの女性から何をもらったのかしら」
「ええ、小説を1冊。信憑性の低いフィクション小説ですが、空島についての記述が少々あると譲っていただきました」
かけられた問いに淀みなく答える
クオンの被り物の横顔を見て、その腕に抱えられた希少な1本を含んだ酒瓶が入った紙袋、そして大きな風呂敷に包まれた鍋へと順に視線を滑らせたロビンは、成程貢がれ上手と内心呟き、でもお金を払ってはいたから正確には違うのかもしれないと思って、けれど当の本人は良くしてもらったことを当然のように受け取っていたからあながち間違いではないわねと自分の直感を疑わずに微笑んだ。
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