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 彼らなりの褒め言葉を用いたクオンによりすっかり上機嫌になったサル男軍団だったが、海底へ“ゆりかご”らしきものを仕掛けに先行して潜っていたクルーが何者かに殴られしばき倒されたことにすかさず「誰か海底にいるってのか…!?」と警戒を示し、その原因を察したクオンは脳裏に3人の姿を思い浮かべ、状況的にこちらへ怒りの矛先が向けられる─── ことはなかった。


「オイお前らぁ!!!海底に…!誰かいるぞ!!気をつけろ!!!」

「なんと、それは恐ろしい…!ご親切にありがとうございます。まったく恐ろしいことですね、サルおとこ殿もそちらのクルーの皆様もどうぞお気をつけください」


 その「誰か」がうちのクルーであり船長であるとはひと言も口にせず、しれっと返したクオンの右肩に乗っていたハリーは「よく言う」という意思を含んだ声で小さく鳴いた。






† 空への指針 7 †






 気を取り直してクルーに“ゆりかご”を仕掛けてこいと命じるサル男は人がいいというか、単純というか、バカというか。いずれにせよ見ていて悪い気はしない。
 そちらのクルーを殴り倒したのはこちらの身内であることを心苦しく思わないでもない気がしたが別にそうでもなかったクオンはご愁傷様ですと内心で合掌するくらいの優しさは持ち合わせている。
 なに、あちらは海賊、こちらも海賊。海での諍いは日常茶飯事のお互い様、恨みっこなしである。そんなクオンはルフィ達に何かあればサル男達の船を沈めることも厭わないが。

 何はともあれ、見学の許可を得たクオン達はひとまず様子見となった。嬉しそうに手を振ってくるサル男達はこちらに対する警戒心が微塵もなく、むしろ珍しい見学人達に良いところを見せようとガチガチになっている。サル男が何とかクルーの緊張をほぐそうと声を上げるが、その本人が緊張しているのでどうにも格好がついていない。クオンは被り物の下で小さく笑みをこぼした。


「愉快な方達ですねぇ。……さて、ナミ、ウソップ、チョッパー。彼らのお相手を少々お願い致しますね」

クオン?」

「私は少し用を済ませてきますので」


 簡潔に言い残し、その場に3人を残してクオンは輪の外から眺めていたロビンのもとへ歩いていく。ぱちりと被り物越しに目が合って瞬いた彼女の傍らに立ち、ロビンにだけ聞こえる声音で囁いた。


「ロビン、あなたの能力で彼らの持つ“永久指針エターナルポース”のありかを探せますか?」

「……ええ、可能よ。私もそのつもりだったから」


 彼らはこの海域が己のナワバリだと言った。つまりはこの近くにある島を拠点としているはずだ。おそらくは元々ナミの“記録指針ログポース”が指していた島だろう。
 ならばそこへ戻るための“永久指針”が彼らの船に常備されているはず。空島に関する情報を得るためにも、今の麦わらの一味に必要なアイテムだ。つまりこれから2人が行うことは紛うことなき窃盗行為だが、海賊に法など唱えられても鼻で笑うしかない。さらに言えば海賊でもないときにも色々としてきた過去があるので今更罪の意識が芽生えるはずもなく。


「あなたが“永久指針”のありかを特定してくだされば、あとは私が何とか致します。こういうことは得意なので」


 サル男達も見学人達に良いところを見せようと張り切ってサルベージに集中しているから、目にもとまらぬはやさで駆けることのできるクオンにとっては朝飯前だ。ついでにいくらか金目のものもあさってこようかと思って、拠点から来たばかりだろう彼らの船には期待できそうにないかと思い直した。

 海底にいる3人をサル男達に気取られないよう対応はナミ達に任せ、着々と進んでいくサルベージを背景にロビンが胸の前で腕を交差させて目を閉じる。目抜咲きオッホスフルール、と小さく呟いて能力を発動させた彼女が探してくれている間に、クオンもサルベージの様子を眺めることにした。

 猿を模した船首が何やら軽快な音楽と共に駆動音を立てて動き出し、海へと沈んでいく。それに目を輝かせるウソップとチョッパーがすげぇ!!と声を揃える横でナミは「何が?」と白けていた。


「よ───し!!吹き込みいくぞぉ!!」

「ほぉ、息を吹き込んで船を持ち上げるつもりですか。なんとも豪快な」


 そして想像だにしない無茶苦茶な手法だが、当然のように手慣れた様子で給気ホースを持つサル男を見ればあれがいつもの工程なのだろう。
 限界まで長く息を吸ったサル男が勢いよく給気ホースに口をつけて息を吹き込む。給気ホースが獲物を丸呑みした蛇のように大きく膨れ上がるさまを見て、サル男の尋常ではない肺活量にさしものクオンも目を瞠った。これはただ者ではない。


『船体浮きました───!!!』


 空気が無事沈没船へと送られたのだろう、サル男軍団のクルーから報告が上がり、すぐさま彼らは引き上げ作業に入った。巨大フットポンプを数人がかりで踏んで空気の追加も続ける様子は傍から見ても順調そのもので、しかし今引き上げようとしている船にはルフィ達がいるからこのまますんなりとは上がってこないだろう。
 できれば何もしないで大人しく船ごと引き上げられていただきたいのですが、と思ったクオンの願いはサル男の伝声管から轟いた『ギャアアア~!』という悲鳴に打ち砕かれた。やっぱりかぁ。思わず遠い目をしてしまったクオンである。


「見つけたわ、執事さん」


 ふいに耳朶を打ったロビンの声にすぐさま意識を切り替える。目を開けて腕を下ろしたロビンに正確な場所を聞き、ひとつ頷いたクオンは次の瞬間にはメリー号から姿を消していた。
 瞬く間もなくその白い姿がサル男の船に現れる。マストの陰に隠れたクオンの存在は誰の目にも映らない。それほど速すぎることに加え、特に海の下で異常事態が生じている今は誰も他に意識を割く余裕もないだろう。

 丁寧に行き方まで教えてくれたロビンに従い“永久指針エターナルポース”のある場所へ痩躯を走らせる。人が密集している場所じゃなかったのは幸いか。たとえその状態だったとしてもやろうとすれば誰の目にも映らずやり遂げてみせるが、今回はそうではないので余計な体力を使わず反動も最小限に済みそうだ。

 さっくりと目的の“永久指針”を入手し、島の名前を確認する。ハリーが短い手を伸ばして触れた「ジャヤ」の名は、確かアラバスタ王国近くにある島のひとつにあったはずだ。アラバスタ宮殿の図書室で見た地図の縮尺から計算するに、ここからあまり離れていない。これで間違いない。
 拝借した“永久指針”を手にクオンはサル男の船からメリー号へと戻る。何の前触れもなく突然目の前に現れた白い燕尾服をまとうクオンにさすがに驚いたようで、ロビンの目が軽く瞠られた。


「ただいま戻りました」

「……おかえりなさい。流石ね、執事さん」


 白手袋に覆われた手に持つもの見たロビンが薄く微笑む。と、彼女の瞳がクオンを素通りして船の外へ向けられ丸くなった。怪訝に思ったクオンが振り返れば、そこにあったのは─── あまりに巨大すぎる、亀の姿。
 ガレオン船が突然空から降ってきたときほどの驚きはないが、それでも目を見開いたクオンは思考することなく見たままを口にした。


「わあ、大きいですねぇ」

「きゅあはりゃあ……」


 メリー号の何倍も大きなサル男達の船よりもさらに何倍も大きい、島とも見紛うほどの巨躯を持った亀を見上げ、思わず何を食べたらここまで大きくなれるのでしょうかと感心してしまうクオンの右肩でハリーが呆然と鳴いた。
 突然海面から巨躯を覗かせた亀にナミ達が盛大にうろたえ、サル男達のクルーがひっきりなしに船長を呼んで取り乱す。
 あまりに非現実的な存在を前にこれは夢だと現実逃避をする仲間3人へクオンが足音を立てて歩み寄り、その横に並ぶロビンが何かを噛み潰すように口をもごつかせる巨大な亀を見て目を瞬いた。


「……あら、あの子達全員─── 船ごと食べられちゃったの?」

「みなまで言うなぁ~~~!!!」


 逃れたい現実に引き戻すロビンにウソップが涙を流して叫ぶ。それを気にしたふうもなくロビンが「給気ホースが口の中へ続いているから決定的ね」と無情に続け、聞きたくないウソップが「や~~~め~~~ろ~~~!!!」と叫んで何とか掻き消そうとした。まあそう叫ばれてもロビンの嫌な推測はきっちりしっかり被り物越しに耳に入ったのだが。

 さて、どうするか。ルフィ達はやっぱり食われたんだ~~~!とじたばた慌てるチョッパーを視界の隅に、クオンは被り物の顎に指を当てて黙考する。
 状況的に生存は絶望的と思われるが、亀の口の隙間から覗く船はだいぶ噛み砕かれてはいるものの場所によってはまだ生きている可能性がある。少なくともゴム人間であるルフィは死なないだろう。けれどまあ、考えてみれば亀に船ごと噛まれたからといってそう簡単に死にそうにない彼らのことだ、心配はいらないのかもしれない。
 しかし完全に呑み込まれては脱出も難しくなる。そうなる前に、あるいは海の中へと戻る前に自力での脱出を待つかこちらからの何かしらのアクションが必要だろう。

 よし、あの亀ぶっ飛ばして口の中のものを吐き出させましょう。それが一番手っ取り早い。
 脳筋さながら緑髪の剣士かやることなすことぶっ飛んでいる船長じみたことを考えた聡明なはずのクオンが即座に結論を出して行動を移そうとしたそのとき、ガクンとメリー号が大きく揺れた。体勢を崩したナミを咄嗟に支える。

 沈没船を捕食した亀が海底に戻ろうとしているのだろう。亀の口に続く給気ホースがピンと張り、このままでは海底へ引きずり込まれる。その事実をロビンが冷静さを残した口調で告げ、クオンにしがみついたナミが「いやあああああ!!!」と悲鳴を上げて縋った。


「ロビン!!おめぇ強ぇんだろ!?何とかしてくれぇ!!」

「あれは無理よ…おっきいもの」


 さすがの元バロックワークス副社長も、巨大な亀相手には分が悪すぎるのも当然だ。関節技が効くにしても単純に力が足りない。
 ロビンがダメだとなれば、クオンを頼るしかない。かかる反動がいかほどになろうともこの状況を何とかできるのはクオンしかいないのだ。
 向けられた4対の目に、クオンは躊躇なく頷いてみせた。縋るナミの手を離そうとして、逆にぎゅっと強く握られる。


「……大丈夫よ。あいつらなら、大丈夫」


 その小さな呟きは、クオンとハリーにだけ届いた。2人に聞かせるつもりもなかったのだろうあまりに小さい、己に言い聞かせる言葉を無意識に紡いだナミがキッと眦を強めて顔を上げる。


「ウソップ、クオン!!」

「おう!!」


 クオンから手を離したナミの呼号に、船長を救おうと一致団結するサル男軍団に触発されたウソップが気合い十分に応え───


「ホースを切り離し安全確保」

「悪魔かてめぇは!!」

「悪魔だ~~~!!!」

「かしこまりまして」


 ナミの無情な判断にウソップとチョッパーが叫び、即座に針を放ったクオンは亀と船を繋ぐ給気ホースを断ち切った。信じられないものを見る目をウソップとチョッパーに向けられたが無視する。
 3人の現状がどうあれ、そう簡単にくたばるような男達ではないので今は自分達の身を最優先にするべきだ。というわけで、まずは給気ホースを切ってメリー号の安全を確保し、次いで先程思いついたように亀をぶっ飛ばそうとしたクオンは、唐突に視界が暗くなったことで動きを止めた。


「へ??」


 間の抜けたウソップの驚きの声が耳朶を打つ。
 ─── 夜になった。そう言うしかないほど辺りは暗く、闇の帳が下りている。だが夜というには闇は薄く、隣のサル男軍団の船影もはっきりと見えた。
 空を仰いでも陽は完全に姿を消して見えない。星も月もない。だが仲間の表情が判るほどには明るさを残している。奇妙なぬっぺりとした薄闇に、クオンは不可解げに目を眇めた。
 夜になった!?と驚愕するチョッパーに、懐中時計で時間を確かめたナミがまだそんな時間じゃないわと返す。ではいったい何だというのか。クオンの内心を代弁するようにウソップが「じゃあ何なんだ!!」と声を上げ、いまだ姿の見えないルフィ達の名を呼んだ。


「ロビン、この現象に覚えは?」

「いいえ…私も初めて」


 慌てふためくナミ、ウソップ、チョッパーを視界に入れながら問うたクオンにロビンが思慮深げな顔をして短く返す。異常こそが常識、とは言うが、それにしたってこうも不可解な現象が立て続けではさすがに思考も鈍くなる。
 この現象を僅かに知ってはいるらしいサル男軍団の怯えに震える言葉を聞くに、どうやらこの「突然来る夜」は怪物が現れる前兆らしい。だがそれらしきものはどこにも見えず、とりあえず何が出てきてもいいように白手袋に覆われた手をひらめかせて指の間に針を挟んだ。
 そのとき、「ふん!!」と知った男の声と共にざばっと水が跳ねる音がして、海からメリー号へと放り投げられた人間に気づいたクオンは反射で能力を発動した。

 弧を描いて甲板に落ちてきたルフィが叩きつけられる前にぴたりと止まり、そして静かに降ろされる。何やら大きな袋を担いでいるルフィにナミ達も気づいて目を瞠ってその名を呼ぶ。
 「ルフィどうしたの!?死んじゃったの!?」とナミが気を失っているらしいルフィの顔を叩いて起こそうとするのを任せ、間を置かずルフィと同じように大きな袋を担いで船に上がってきたゾロとサンジを認めたクオンはすぐさま身を翻した。
 3人が戻ってきたのであればここに留まる理由はない。不可解な現象は気になるが、気を張り巡らせても亀以外に喫緊の危険が引っ掛からない以上、とりあえずこの海域から離れるべきだろう。前方甲板へ向かうクオンの耳にゾロとサンジの声が届く。


「亀?いや海には猿がいたんだ!」

「きっと海獣の一種だ」

「そいつが途中までルフィと仲良くしてたんだが」

「サル同士だからな」

「おれ達が船から拾ったこの荷物見て急に暴れ出しやがったんだ」

「暴れることゴリラのごとしだ!」


 能力を惜しまず使って錨を上げたクオンは、とりあえず沈没船であったことを察しつつ、ゾロの話に妙にテンポの良い合いの手を入れるサンジに相変わらず仲が良いですねぇと本人達が聞いたら思い切り顔を歪めて全力否定することを思いながら笑みをこぼし、


「「ウオオ!!!何じゃありゃあ!!!」」

「気づけよ!!!お前らあれに食われてたんだぞ船ごと!!!」

「んっふふふふ」


 巨大な亀を見た2人の驚愕の叫びとウソップのツッコミにたえきれず吹き出した。






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