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 航海士と船長の口論は然程時間をかけずにおさまった。というより、航海士の重い一撃によって床に沈められ問答無用で終わりを告げられたと言うべきか。いい拳です、と深く頷くクオンの右肩でハリネズミが船長を暴力でおさめる航海士クルーとは、と思うが麦わらの一味はこういうものだと今更気にしない。

 “記録指針ログポース”の指針が空を向いている以上、そこへ至るための方法を得る必要がある。そう判断したナミは何とかしてさっきの船に残っているはずの記録を引き出しましょうと言い、でも船はもう完全に沈んじまったぞとウソップが言って、確かにその通りだがそれで簡単に諦めるのならばナミは麦わらの一味の航海士などやっていられない。即ち、


「沈んだんならサルベージよ!!!」

「「よっしゃあああ!!!」」

「できるかァ!!!」


 うーん、その無茶ぶり具合はやっぱりナミも麦わらの一味ですねぇと、無理難題を言い出したナミに青筋立てて怒鳴ったゾロの隣でクオンは微笑ましげに笑い、ナミに応えて気合いの声を上げたルフィとウソップの持つアミと釣竿ではさすがに無理がある、と冷静に思いつつも言わなかった。






† 空への指針 6 †






 さすがにあの大きな船をサルベージするには無理がある。ということで、引き上げられないのならこちらが潜ればいいという考えのもと、ウソップがタルでできた潜水服を急遽こしらえてくれた。ルフィは能力者であるため全身を包む仕様となっていて、相変わらず大変に器用な狙撃手である。潜水服には給気ホースが繋がれているため水中でも空気の心配はしなくてもいいところはよく考えられていた。船上での給気が欠かせないため力業と言われれば否定できないが。
 探索に赴くのはルフィ、ゾロ、サンジの3人だ。沈没船が気になったクオンは行きたそうにしたが、全員から却下を受けてあえなく留守番となった。まあ、戦闘に長けた者が4人も欠けては船が手薄になるので仕方がないかと納得はする。お土産よろしくお願いしますね、とゾロに言えば頷かれたのでよしとした。

 探索のための準備が整い、潜水服を着込んだ3人とクオン含む探索除外メンバーが向き合う。
 能力者であるルフィを海に沈める選択をしたナミにルフィは「お前はほんとにムチャさすなー」と笑いながらも若干呆れ混じりに言い、ゾロは言いたいことはあるだろうが無言を貫き、サンジはおれが必ず空への手掛かりを見つけてくるぜとナミに♡を飛ばしながら気合い十分で、今から潜る海からふいに顔を出した巨大魚が空を飛ぶメリー号ほどの大きさの巨大鳥を捕食するのを見たクオンは「……十分に、気をつけて行ってらっしゃいませ」と3人に念を押した。あのサイズの巨大魚に襲われてしまっては気をつけるも何もないが、ルフィはともかく残る2人が何とかしてくれるだろう。


「じゃ、幸運を祈ってるわ」


 ナミの言葉を合図に、3人が海に沈んでいく。
 ゆっくりと給気ホースリールのハンドルを両手で掴んで回すチョッパーが伝声管に向かって「こちらチョッパー、みんな返事して」と言えば、それぞれ『こちらルフィ、怪物がいっぱいですどうぞ』『ここは巨大ウミヘビの巣か!?』『こちらサンジうわっ!!こっち見た!!』と緊迫した現状を伝え、それにナミがこくりと頷いて「OK」と言って「OKか!?」とウソップが目を剥くが、一度海に降ろしてしまった以上は余程のことがない限り探索は中止されない。ナミが「OK」と言ったのであれば尚のこと。
 ちょっと巨大ウミヘビが見てみたかったクオンがゾロに繋がる伝声管に寄って声をかける。


「ちなみにどんな種類ですか?大きさは」

『あ?クオンか。種類は知らねぇ、目ん玉だけでおれぐらいあるんじゃねぇのか』

「それは大層なものですね。気性は荒そうですか?」

『いや、こっち見てるけど襲ってくる気配はねぇな』


 被り物越しに発される抑揚のないクオンの声ににじむ好奇心を敏く読み取ったか、矢継ぎ早に飛んでくる質問を面倒がらずにゾロが答える。返ってくる声音に緊張感はないので、“偉大なる航路グランドライン”に棲む巨大ウミヘビは本当にただ海底へやってきた妙な何かを観察しているだけなのだろう。
 クオンは悪魔の実の能力者なので自ら海に入ろうと考えたことはない。海面に立つすべもあるから落ちたことすらなく、海の中から見る景色はどんなものなのかと興味はあった。今度余裕があるときに私も貸してもらえないでしょうか、と思う。


「海の底は暗いと聞きますが、本当に?」

『あー……まだ多少光は届いてるが、まあ暗いな。何も見えねぇわけじゃねぇが』

「ほうほう」


 質問をして返ってくる答えひとつひとつに感心したように頷き、精一杯海の中を想像しながらクオンは被り物の下で唇をゆるめる。『お、船が見えた』と声がして、僅かに身を乗り出した。
 と、そのときふいに不思議な歌声が聞こえてきて目を瞬かせる。顔を上げて首をめぐらせれば、軽快な笛とシンバルで奏でられた音楽にのって男の歌声が海を駆け、遠目から近づいてくる大きな船が見えた。


「……サル?」


 思わず呟きがこぼれた通り、現れた船は猿のイメージで彩られていた。
 船首はシンバルを持った猿が据えられ、船体の両脇にはバナナを模した柱が高く伸びている。帆に描かれているのはやはり猿の顔の後ろに骨の代わりにバナナが交差したマークであり、それとメインマストに掲げられた海賊旗から見て彼らが海賊であるのは間違いない。ちらほらとバナナの木のようなものが見えた。海賊にしては何とも間の抜けた外装だが、こちらも見た目が可愛らしい羊船であることを思えばひとのことは言えない。

 沈んだ船に辿り着いたゾロとの会話も忘れ、こちらが羊船ならあちらは猿船でしょうか、とどうでもいいことに思考が及んだクオンはとりあえず猿船の様子を窺うことにした。今のところあからさまな敵意は感じない。が、一応何が起きてもすぐさま対応できるよう身構えておく。

 クルーから園長ボスと呼ばれた、猿船にこれ以上ないほど似つかわしい猿のような外見をした大きな男が太い両腕を上げて「引き上げ準備~~~!!!」と叫ぶ。沈んだ船はおれのもんだぁ!!とも言ったから、彼らの目的はどうやら先程沈んだガレオン船らしい。となれば、今まさにそこへ降り立った3人とかち合ってはまずいかもしれない。


「また妙なのが出てきたわ、こんなときに…」

「いやはや、分かってはいたつもりですが、この海にはいろんな方々がいらっしゃいますねぇ」


 ナミが困惑する横で、メリー号から少し距離をあけた隣で船を止めた男を眺めていたクオンがしみじみと呟く。


「おいお前ら、そこで何してる。ここはこのおれのナワバリだ」

「ナワバリ?」


 サルのような大きな男、略してサルおとこの主張にナミが首を傾げる。サル男はこちらを見据えながら簡潔に説明をしてくれた。曰く、この海域テリトリーに沈んだ船はすべておれのものであり、手ぇ出しちゃいねぇだろうな、と。威嚇の鋭い眼差しを受けたクオンはそっと傍へ寄ってきたナミに視線を向けた。いつの間にか後ろにはクオンを盾にするようにしてウソップが屈みサル男を見ている。


「あの人…サルベージするらしいわよ…?」

「あ…ああ、そんなこと言ってんなぁ」

「じゃあ何?これってチャンスなの?」

「ですが彼らもまた海賊、そう簡単に沈没船の中のものを渡してくれるとは思えませんが」


 サル男が沈没船をサルベージするらしいと悟ってロビンが口を開き、ウソップ、ナミ、クオンと続く。
 それにごちゃごちゃ言ってんじゃねー!と声を荒げたサル男が質問に答えやがれと吼えた。しかしそれもウキ───!という怒声だったので、どうにも怖いどころか少し気が抜ける。


「すみません質問してもいいですか?」

「おめぇがすんのかよ!!」


 クオンの隣で真っ直ぐ手を上げるナミにサル男が思わずツッコミを入れ、しかし下手に出られたことで気を悪くしたふうもなく「いいだろう何でも聞いてみろ」と寛大な姿勢を見せる。


「これから船をサルベージなさるんですか?」

「なサル・・!? おい…そんなにおれは“サルあがり”か?」

「サルあがり?」

「“男前”って意味だ!そう思うか?」


 サルという言葉に敏感に反応し、自身を指差して嬉しそうに顔をほころばせたサル男が問い、それにすかさずクオンが「ええ、今までに見たことがないほどとてもサルあがりなお方だとお見受けしました」と感心した風情で両手を叩き適当ぶっこいて「いや参ったなあ♡」とサル男の相好をでれでれと崩した。そんな言葉ねぇだろ、というウソップの小さなツッコミは聞かなかったことにする。


「ところでサル男殿、これからサルベージを?」

「おいおいそんなに褒めるな真っ白執事!そりゃおめぇ、するもしねぇも、そこに船が沈んでりゃ引き上げる男さおれァ!!浮いて沈めて引き上げる男さ!おれ達に引き上げられねぇ船はねぇ!!」

「成程、それは大変に頼もしい。これも航海の数奇な巡り合わせ、あなたの雄姿、もといサルあがりなところをご覧になっても?」

「褒め上手だなおめぇはよぉ!サルベージが珍しいか?よしいいだろう、見学してくがいい!!」

「ありがとうございます。あなたほどの方が従えるクルーなのですから、きっと彼らもまた素晴らしいサルあがりな方々なのでしょう。楽しみにしていますね」


 つらつらと淀みなく吐き出される言葉は被り物越しに低くくぐもり抑揚を削いで感情が読み取りにくいが、僅かににじんだ笑みまでは消えず彼らに届く。ゆえにそれが真っ白い人間の本心だと受け取ったサル男達は瞬く間に士気を上げた。雄叫びにも似たサル男達の声が轟く。


「……クオン、結構イイ性格してるわよね。今更だけど」

「おやおやおや、心外な。嘘偽りはひとつたりとも口にしていませんよ」


 ナミのじとりとした眼差しと呟きに、向こうで盛り上がるサル軍団を眺めるクオンは被り物越しにでも伝わるにじんだ笑みをそのままに、肩をすくめて飄々と嘯いた。






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