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 棺桶の中には当然白骨化した人間の遺体が入っており、ざっと全体を眺めたロビンにすかさず「何かご入用ですか?」といつものように被り物をしたクオンが問えば、ひとつ頷いた彼女は復元のための道具をいくつか借りたいと言い、内訳を聞いたクオンは悩む様子もなく身を翻すと主にウソップが使う様々な道具を拝借してロビンに渡した。
 ほとんどがウソップの私物だが、勝手に少々使われたからといって怒るような男ではないので事後報告することにして、内心でお借りしますよとだけ言うに留める。
 礼を言ったロビンが道具を広げ、まず先に一番目立つ欠けた頭蓋骨に躊躇うことなく手をつける。がらんどうの黒い眼窩がロビンを虚ろに見つめるが彼女は気にした様子もなく、しかし触れる指は優しく丁寧だ。ウソップの取り調べで自身を考古学者と言っていたのも納得である。

 骨の欠片ひとつでさえ細心の注意を払って扱う様子をじっと眺めていたクオンは、メインマストの裏から様子を窺うナミとチョッパーを横目に「ところで」と口を開いた。


「なにゆえ手を繋ぐ必要が?」

「こうしたら能力使えねぇだろ」


 白手袋に包まれた右手をゾロはがっちり掴んで離さない。軽く手を振れば同じようにぶらぶらと揺れた。
 観察眼鋭い剣士に見抜かれたことに驚きはない。クオンが能力を明かすまで何度も間近で見てきたのだ、法則を見抜かれて当然である。
 別に手を使わずとも能力が使えることを麦わらの一味に教えるのを忘れていたクオンは、しかし何も言わずにあたたかな手に覆われた自分の右手を見下ろして目許と唇を甘くほころばせた。






† 空への指針 5 †






 被り物をしているので誰も分からなくて当然だが、なんか上機嫌に花飛ばしてんなァとクオンの様子を正確に読み取ったハリーは確かにクオンの相棒である。背中の針をやわくくすぐるほわほわとした空気はビビに思いの丈をぶちまけられてどさくさに紛れ抱きつかれたときと似たもので、へぇ、ふぅん、ほぉ、と思いはしながらも何も言わない。ロビンをいまだやわらぐことのない警戒を含んだ眼差しで見下ろすゾロをちらと一瞥しただけだ。

 賢しげなハリネズミがクオンの右肩で何を考えているかなど知る由もなく、人間達とトナカイは考古学者の手によって然程時間をかけずに復元された頭蓋骨に注目した。
 甲板に丁寧に置かれた頭蓋骨は大きく、成人した人間のものであることは間違いない。しかし、それの年齢や男女は専門外のクオンには分からない。何となく男性でしょうか、と思いつつゾロの頭と大きさを比べてしまったのに他意はない。

 頭蓋骨にあいた穴に指を這わせたロビンが滔々と語る。穴は人為的なものであり、それは死因ではなく治療痕だと言う。穿頭術せんとうじゅつというらしい治療法はチョッパーも知っているが、ずっと昔の医術とのこと。


「ちなみにこの頭蓋骨は男性ですか?」

「ええ、執事さん正解よ。じゃあ彼の年代は判るかしら」

「……歯がしっかり残っているので、20代後半~30代ほど?」

「そうね、答えはその範囲内だけど、歯が残っているのはタールが塗り込んであるせい。歳は30代前半。それと、彼が死んでから既に200年は経過してるわ」

「へぇ、そんなことまで」


 つらつらと淀みなく知識を披露していくロビンに被り物の下で感心の眼差しを向ける。
 ロビン曰く、この頭蓋骨の男は航海中に病に倒れたらしい。また、歯にタールを塗り込む風習は“南の海サウスブルー”の一部の地域特有のもので、歴史的な流れから考えてあの船は過去の探検隊の船と考えられる。
 クオンが道具を持ってくる間に自分で取ってきたらしい分厚い本を開いたロビンが手を止めたページには、先程落ちてきた船の写真が載っていてロビンの推測を裏付けた。後ろから覗き込めば、確かにそこには“南の海”の王国ブリスの船「セントブリス号」が200年前に出航していると記されている。ということはつまり、あの船は200年もの間、空をさまよっていたことになる。
 そしてそれは、ロビンが可能性を提示した空島の存在を証明する物証のひとつだ。

 ふむ、と僅かに雲が浮かぶ晴れた空を見上げてクオンは思考を巡らせる。右手をまごつかせてゆるみはしたが離れないゾロの指の間に己のそれを通して武骨な手の甲や指に触れて手遊び、白い瞼を下ろして落ちてきたガレオン船を思う。
 最近の船であったならば、この“偉大なる航路グランドライン”、何かしらの異常気象で空に打ち上げられ落ちてきたとも考えられただろう。しかしそうではない。確かな本の記録、優秀な船医も認める「ずっと昔の医術」を施された古い頭蓋骨が物的証拠として実在し、考古学者が己の知識を偽っているとは到底考えられない。
 つまり、200年前に出航した船が気の遠くなるような時間を経て現在の空から落ちてきた事実は覆せず、そしてこの船がその間空に留まれるような何か・・があったということ。


(“記録指針”が空を指している以上、元より疑うつもりはありませんでしたが)


 それでも、いまだ見知らぬ、そこへ行く方法すら分からない空島なる場所へいずれ至ることになるのだと思えば湧き上がる高揚はそうそう抑えられるものではなく。
 目を開いたクオンは吊り上がる口端はそのままに、右手の指に力をこめた。絡んだ指をきゅっと握り締める。被り物に隠された鈍色の瞳は待ち構える冒険を前にきらきらと輝き、やっぱり私もあの船を探索すればよかったかと視線を向ければ、ほとんどが海面に沈んでいて今更何かを見つけ出すことは難しそうだ。ルフィが海に沈みかけてウソップと共に騒ぎナミが鋭いツッコミを入れるのはいつものことと流した。


(沈む前であれば、船の“声”を僅かにでも聴けたかもしれませんが……)


 とはいえ、それも余程強い思念が宿っていなければクオンの耳には届かないので本当に聴けたかどうかは分からない。軽く意識を向ければ鬼徹の“声”が届くのは、それほど妖刀の声が大きく、且つ妖刀の方からクオンに“声”を届かせるからだ。
 そもそもあの荒れ具合では聴けたとしても無念くらいでしょうか、と思いながら再び瞼を下ろして意識を研ぎ澄ませる。呼吸を整え、そばだたてる先は甲板の床に置かれた頭蓋骨だ。
 若くして病に倒れたのが空に打ち上げられる前なのか後なのかは分からない。けれど30代という若い時期に未来が潰えたことはさぞ心残りがあったことだろう。
 何があったのか。何を見たのか。何を聞いたのか。何を遺したかったのかを、問うて。


『すごく大きな船だったね』


 ばちん、とクオンの目が音を立てて開かれた。
 鋼に揺らいだなまくらが顔ごと左右に揺れる。突如きょろきょろとしはじめたクオンに訝ったゾロが首を傾げて見下ろしてきた。


「どうした」

「今…何かの“声”が」

「鬼徹か?」

「いいえ。私も聞いたことのない“声”です」


 頭蓋骨の方に合わせていた意識の手を引いて振り向かせたような、強制力はないが決して無視できない、親しげな子供のようなやわらかな“声”。それの元を視線をめぐらせて捜すが、それらしきものはどこにもなかった。いったい何だったのだろう、ともう一度首を傾げた、そのとき。
 カコン、カコン。どこか遠いところ、鼓膜ではなく脳に直接響く軽やかな木槌らしき音が微かに届く。悪戯をする子供のように、高く跳ねる音は己の存在をクオンの教えた。ぼくはここだよ、と笑う音につられて顔を上げれば、羊の船首が視界に入る。


「……」


 クオンは右手を持ち上げて被り物の口元に当てた。物思いに耽るクオンの白い手袋に覆われた指先がとん、と武骨な手の甲を軽く叩く。
 頭蓋骨へ向けていた意識に割り込んで届けられたこの“声”は、もしかして。だがそんなことがありえるのだろうか。しかし“偉大なる航路”においては異常こそが常識だ。そういうことも、きっとあるのだろう。
 眦をゆるめ、ゆるりとやわらかな笑みを刷いて絡めた右の指先に力をこめる。にぎにぎと男の指を握り締めて固い感触と体温を楽しむクオンを見下ろしたゾロが物言いたげな顔をするが、口をへの字にしてため息をつくだけに留めた。
 ちょうどそのとき、ガレオン船を探索していた2人が戻ってきた。ウソップに担がれてメリー号に戻ってきたルフィが、指を絡めて繋ぐ2人を目にして首を傾げる。


「何で手ぇ繋いでんだ?お前ら」

「実は能力の使用禁止令を出されていまして。……おや、いつの間にこんなことに?」


 なんか前にも同じこと訊かれましたね、と思いながら今更クオンがゾロと指を絡めていたことに気づく。確かに手は繋いでいたが、いつの間に指を絡めていたのだろう。しかもだいぶ好き勝手にしていた気がする。
 ルフィの視線の先、ゾロとクオンのがっちり繋がれた手に全員の視線が突き刺さって、クオンの浮気者ォ!!!と叫ぶ少女の幻聴を彼女のことを知っている者達は確かに聞いた。
 クオンになされるがまま抵抗ひとつせずにいたゾロと繋いだ右手を見下ろし、ちらりと隣を見上げれば何だと言いたげな男と目が合って、そこに嫌悪感の欠片もないことを確かめたクオンはまあいいかとそのままにすることにしてルフィの方を向く。


「ところで、何か面白いものは発見できましたか?」

「ああ!そうだった!!おいみんな!!やったぞ、すげぇもん見つけた!」


 不思議そうな顔から一転、まさしく太陽のように輝く満面の笑顔を浮かべたルフィは「これを見ろ!!」と言ってその手に持っていたものを仲間達に広げてみせた。
 それは、1枚の地図だった。随分古い、ところどころ破れてはいるが十分見られるもの。まさかと目を瞠り手に取った地図を眺めるナミの後ろからクオンもひょいと覗き込む。空島の地図かとメリー号がにわかにざわめいた。


「スカイピア…本当に空に島があるっていうの!?」


 ナミが驚愕の声を上げ、な!!な!!!と目を輝かせたルフィが嬉しそうに笑う。クオンは古い地図に描かれた、欠けた月のように南側がくぼんだ円形の島に目を瞬かせた。これをルフィがあの船を探索して見つけたということは、この地図も落ちてきた船と同じく200年前のものなのだろう。被り物の下できらりと鈍色が煌めく。
 ルフィ、ウソップ、チョッパーが空島はあるんだ!夢の島だ!!夢の島へ行けるぞぉ!とテンション高く騒ぎ立てる輪の外で、クオンも浮き立つ気持ちを否定はできずにいた。ゾロと繋いだ手に無意識に力が入る。


「信用できるのか?あの地図」

「……残念ですが、あの船から見つかったものだからと妄信はできません」


 ゾロに問われ、被り物越しでも分かるほど残念そうな声音を隠せなかったクオンは苦笑して肩をすくめる。浮き立つ気持ちは嘘ではないが、そう返せるだけの冷静さは残っていた。
 クオンが根拠を語る前にナミが「これはただの可能性にすぎないわ」とため息をつく。世の中には嘘の地図なんていっぱいあるんだから、と続いた言葉にクオンも「その通りですね」と頷いて同意した。
 途端、テンションが地に落ちた3人がショックを受けて亡霊のように虚ろな目でナミを凝視し、3人の様子に気づいたナミがはっとして何とか宥め取り繕おうとするが、結局「行き方が分かんないって話してんのよ!!」と激昂するとメインマストに巻かれた鉄板をガン!と思い切り叩く。それにウソップがナミの剣幕に押されながらも船を大事にしてくれ…と言うが、それは「航海士だろ何とかしろ!!」とルフィの大声に掻き消された。

 何とかなるもんとならないもんがあるでしょ!?関係ねぇ、空に行くんだ!!!とぎゃーすか騒ぐ2人の声をBGMに、スカイピアの地図が気になったクオンがナミの手から能力で引き寄せようとして─── 右手に絡んだ男の指の力が強くなったことで動きを止めた。
 ちらと横目にゾロを見上げれば半眼になった男と被り物越しだというのにしっかり目が合う。誤魔化すように左手で被り物の頬を掻いたクオンはゾロの手を引きながら己の足でナミに近づいた。


「ナミ、地図を見ても?」

「ええ、いいわよ」

「なぁクオン!お前だって空に行きてぇよな!?行こうぜ!!空島は絶対にあるんだ!!!」

「だからその方法が分かんないっつってんの!!」


 ヒートアップする口論をよそに、クオンは右手がふさがっているので左手で持った地図をゾロに示して反対側を持ってもらい改めて覗き込んだ。
 先程眺めたものと変わりはない。島の周りに描かれている海らしき部分は海というには何だかふわふわとしているようにも思える。地図の“海”と島の北側の遺跡のような場所を包む雲のようなものが同じに見えるのは気のせいだろうか。右下に視線を滑らせれば、島と橋で繋がれた家らしき部分も同じだった。生物として描かれているのはタコ、鳥、人間、そしてウミヘビのようなもの。
 一応矯めつ眇めつするが、クオンには当然この地図が本物とも偽者とも判別がつかない。ナミの言う通りこれはただの可能性でしかないが、空から落ちてきた船で見つけた地図であるのならば信憑性は低くない。ゆえに、未知の冒険を前にしたこの胸の高鳴りは否定せずともいいのだ。


「楽しみですね、ゾロ」


 今は被り物で見えないクオンの秀麗な顔があるのかないのかも分からない空に思いを馳せてほころんでいるのを疑いもせず、ゾロはそうだなと短く返した。
 わくわくしている相棒の右肩で、2人に挟まれている状態のハリネズミは地図見るときくらい手ぇ離してもいいんじゃねぇかな、と思いはしたが鳴き声ひとつ上げずに大きく欠伸をした。






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