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 ニコ・ロビンは笑みさえ浮かべて語る。死を望む自分を生かしたことがルフィの罪だと。
 己には行くあても帰る場所もない。だからこの船に置いて、と。
 それを聞いてルフィは表情ひとつ変えずに返した。


「何だそうか、そらしょうがねぇな。いいぞ」

「「「ルフィ!!!!」」」


 実にあっさりと、女を生かしたことが罪だと言われても気にしたふうもなく頷いたルフィに目と牙を剥き抗議の声を上げたのはゾロとウソップとナミだ。女性が大好きなサンジは喜び大歓迎、チョッパーは敵とは説明されたが優しく抱きかかえてくれるクオンにはひりついた気配もないのでじぃとロビンを眺めるだけで。


「心配すんなって!こいつは悪い奴じゃねぇから!」


 根拠なく断言してからからと笑うルフィに、クオンは被り物の下で苦笑して肩をすくめた。






† 空への指針 2 †






クオンクオンは反対よね!?だってあいつは敵なのよ!ビビの国を荒らした敵!!」

クオンだって嫌だよな!?一緒の船に乗りたくねぇよな!」


 アラバスタ王国の王女の元執事に詰め寄るナミとウソップがロビンを指差して援護を乞うが、クオンはのんびりとチョッパーの手を取るとふりふりと振ってみせる。


「諦めなさい、ナミ、ウソップ。ルフィがああ言ったら聞かないのはあなた達の方がよく知っているでしょう?それにまぁ、私もひとのことは言えませんし」


 なにせ過去突然メリー号に乗り込んで“偉大なる航路グランドライン”まで乗り合ったことがあるし、その後ウイスキーピークへも頼んだときは一応「敵」だったのだ。ロビンと状況はほとんど変わらない。そのことを思い出した2人はしかし、くわりと声を揃えて反論した。


「「クオンは別!!!」」

「えぇ……」


 身内贔屓極まりない感情のみによる反論にクオンが何とも言えない声をこぼす。その声は被り物越しであるせいで抑揚を削いで感情を窺えさせないが、既に慣れきった面々はクオンが被り物の下で秀麗な顔を困らせているのを読み取るのは容易かった。
 ボン・クレーのときはあれほど殺気をあらわにしたというのに、なぜニコ・ロビンにはそうも呑気なのか。ビビを愛してやまないクオンのロビンに対する態度に納得できないナミとウソップを眺め、クオンはチョッパーを床に下ろして観察するようにこちらを見ているロビンを一瞥した。


「ルフィのように彼女を『悪い奴じゃない』とまでは言えませんが、そうそう警戒するようなものでもないでしょう。もし彼女があなた達に何かしようとしたならば、そのときは私が何とかしますのでご安心ください」


 まぁありえないことでしょうが、とは言わないクオンは恭しく胸に手を当てて宣言した。
 ロビンがなぜこの船に乗り仲間になりたがったのかは分からない。彼女の意思を読もうとしても静かな微笑みを浮かべる彼女の表情は内心を一切あらわにせず、その笑みが感情や思考を覆い隠すベールなのだろうことは分かって、そしてクオンを見つめるその瞳に僅かな緊張の色を走らせたことだけがクオンに読み取れたすべてだ。

 状況だけ見れば警戒しない方がどうかしている。だが、己が船長と定めたルフィがロビンを「悪い奴じゃない」と評して乗船を許可したのであればひとまず受け入れようと思うほどに、クオンがルフィに向ける信頼は絶対のものだという、ただそれだけのこと。
 正しくクオンの内心を読んだハリーはクオンの頭から右肩に下りてナミとウソップを交互に見、諦めろと言わんばかりに鳴いて、相棒に苦言を呈する気が皆無のハリーに完全に望みを断たれた2人ががくりと肩を落とす。


「とりあえずはそうですね、彼女の話を聞いてみては?仲間となるのであれば多少の経歴などは知っておいた方がいいかと」

「それもそうだな……よし、取り調べだ!クオンは横についててください!!」


 勢いのまま直角90度に頭を下げるウソップにクオンが構いませんよと鷹揚に頷く。
 それからウソップが折りたたみ式のテーブルをロビンの前に用意し、もう一脚のビーチチェアを向かいに置いて、ウソップによるニコ・ロビンの取り調べが始まった。
 ルフィとクオンはああ言うが警戒は解けないナミがラウンジに続く階段の上に陣取り、三本の刀を抱えたゾロがメインマストに凭れてロビンの様子を窺っている。
 クオンは頼まれた通りウソップの横に佇みながら、彼がまず先に簡単な生い立ちを聞いて始まったロビンの取り調べに耳を傾けつつ、ふいに視界の隅で揺れる何かに気づいて視線を向け、甲板の床から咲いた女の手とそれに恐る恐る手を伸ばすチョッパーを見て微笑ましそうに唇をゆるめた。

 ハナハナの実の能力者であるロビンが咲かせた手は当然のように己の意思が通っているのだろう、そっと伸ばされたチョッパーの手を躱すようにひらりと手が舞い、チョッパーの体をつついて、つんと青い鼻に優しく触れた。
 彼女の能力はレインべースで一度見ている。あのペルを一撃で沈めるほどの関節技を会得しているロビンの戦闘技術は目を瞠るものがあり、敵としては厄介だが仲間であるなら頼もしい。
 己の体の一部を自在に咲かせることができるということは、もしかしたら手以外の部位も自在に咲かせることができるのだろうか、とふと思う。たとえば目や耳、口さえ自在に咲かせられるのであればこの上なく便利なことだろう。悪魔の実の能力とは使い方次第でどうとでもなる不可思議な力だ。
 などとぼんやりしながらつらつら考えていたクオンは、飛び跳ねるようにしてイスから離れたウソップにしがみつかれて視線を戻した。


「ルフィ!!クオン!!!取り調べの結果危険すぎる女と判明!!!」

「暗殺は私も得意ですよ」

「いやそこ張り合うなよ!!!」


 何が得意だと訊かれて「暗殺♡」とにこやかに答えたロビンに怯えるウソップの叫びに即座に言い返せば盛大にツッコまれ、コントのような2人を眺めてロビンがくすくすと楽しそうに笑う。その笑みには一見含むところは何ら見受けられなかった。
 ロビンの視線が素早くクオンの背に隠れたウソップから横に滑ったのを認めて辿れば、甲板に座り込んだチョッパーとルフィが床に咲いた手がゆっくりと傾いていくのにつられて体を傾けている様子が目に映る。2人の後ろに咲いた手に顔を軽く抑えられたルフィと体を傾けすぎて自重を支え切れなくなったチョッパーがそれぞれ横に倒れ、体勢をくずした2人はさらに周りに多くの咲いた手にこちょこちょと体をくすぐられて身悶えながら大笑いして、何ともまぁ、実に平和で楽しそうだ。

 こちらは真剣に警戒して取り調べを行っていたというのにあまりに気の抜ける戯れに「聞いてんのかおめぇら!!」とウソップが眦を吊り上げて怒鳴るも、いまだくすぐられている2人は大口開けて笑うだけで、頬杖をつきながら顔ごと2人を向くロビンもまた楽しそうに笑っている。
 おや、とクオンは被り物の下で軽く目を瞠った。穏やかで透明な笑みをはりつけていたロビンの表情がほんの僅かにくずれ、目許がやわくゆるんでいる。レインベースで見た彼女の笑みを思い出し、ほころんだ顔をするロビンを眺めていたクオンは、「軽くあしらわれちゃって、情けない」とふいに鋭く切り込んできたナミのひと声に開きかけた花弁が我に返ったように固く閉じるさまを見逃さなかった。


「どうかしてるわ!今の今まで犯罪会社の副社長やってたその女は、クロコダイルのパートナーよ!?ルフィの目は誤魔化せても私は騙されない。…妙な真似したら私が叩き出すからね!」

「ふふ……ええ…肝に銘じておくわ。そういえばクロコダイルの宝石、少し持ってきちゃった」

「いやん♡大好きよお姉様っ」

「「おいおいおいおい」」

「この流れどこかで見ましたねぇ」


 どこかも何も過去に自分がまったく同じ手口でナミを懐柔したのだが、クオンは素知らぬ顔でしれっと嘯いた。威勢のいいことを言った次の瞬間にはロビンにすり寄るナミにウソップと共にツッコんだゾロの「お前だろ」と言いたげな視線には気づかないふりを貫く。
 ところでサンジはといえば、美女の仲間入りに目を♡にして浮かれきり何やら長々とポエムを言いながら流れるようにしてロビンにおやつを差し出していて、「あれ・・は当然ああ・・だしな」「ああ、あれ・・はもうハナからナシの方向で」「いやぁサンジはぶれませんねぇ」と呆れ返って何も言うことはないゾロとウソップに続いてクオンは感心するしかなかった。

 これで残る砦はゾロとウソップに限られたのだが、まったく世話の焼ける一味だぜとキメ顔をつくったウソップは「ウソップ───!!」とルフィに呼ばれて精一杯の怖い顔で振り返り、


「チョッパー」

「ぶぶーっ!!!」


 麦わら帽子に咲いた両手でチョッパーの角を再現させて表情までチョッパーに近づけるルフィに、たまらず噴き出して緊張感の一切を吹き飛ばした。まぁそうなりますよね、とルフィとチョッパーの輪に入っていくウソップを見送り頭を抱えるゾロの肩に手を置く。
 きゃっきゃと楽しそうに笑い転げているルフィ、ウソップ、チョッパーの3人を見たクオンは少し考え、ひとりイスに腰掛けたロビンにすすすと音もなく近づいて顔を寄せた。


「ところでロビン、物は相談なのですが」

「え?ええ、何かしら」


 目を瞠って瞬くロビンに構わずこそこそと話す。内容を聞いたロビンはぱちくりと驚きをあらわに目をしばたたかせ、そんなこと?と言いたげな顔をしつつも快く頷いた。


「ルフィ、ウソップ、チョッパー」

「ん?」

「どうしたクオン?」


 唐突に声をかけてきたクオンを3人が振り返る。クオンはにっこりと被り物の下で微笑むと体の側面を見せるようにして立つと上体を傾け、同時にクオンの背中から腰にかけてたくさんの手が咲いた。それはまるで、恐竜の背びれのように。


「ステゴサウルス」

「おおおおスッゲ───!!!」

「白い恐竜だ捕まえろ───!」

「捕まえろ───!」

「かかってきなさい、3人まとめてクレバーに抱いてやりますとも」

「あんたそれどこで仕入れた言葉よ絶対使い方間違ってるから二度と言わないように」

「えっはい」


 体の正面にルフィを、背中にウソップをそれぞれぶらさげ、さらに頭にチョッパーを乗せたクオンは真顔のナミに被り物の額を突かれて思わず反射で頷いた。そうなのか、と知識の更新をしたクオンが首を傾けるとクオンにまとわりつく3人もつられて首を傾ける。
 頭に乗ったチョッパーが滑り落ちるかと思えばそうでもなく、普通なら落ちるはずの角度までクオンが頭を傾けてもぴったりと被り物にはりついている自分にチョッパーの目が輝いた。


「落ちねぇ!すげぇ!これってクオンの能力か!?」

「ええ、逆立ちになったとしても落ちませんよ。試してみますか?」

「おっ、やる気じゃねぇかクオン!」

「やれやれクオン───!」

「よろしい。それでは皆様、いきますよ」


 被り物越しにかしこまった口調でクオンが言い、クオンが落とすわけがないと分かっていても3人の腕に力がこもる。わくわくと目を輝かせる3人の期待に応えるべくクオンはその場で逆立ちをして甲板の床に両手をついた。それでも3人はクオンの痩躯から離れることなくはりつき、おお───!と3人が素直に驚きの声を上げる。

 そうしてわちゃわちゃと戯れている4人はすっかりロビンを警戒することなど海の彼方で、お前が一番警戒すべきじゃねぇのかよと中心にいるクオンを見下ろしたゾロが深いため息をついた。ゾロの右肩にいつの間にか乗っていたハリーが同情するようにぺちりと頬を叩く。このハリネズミは面倒そうな気配を察知するや否や即座に相棒のもとを離れ、最近はゾロを避難所としていた。大人しくしているのなら無碍にする理由もないのでゾロも好きにさせている。


「……いいわね。……いつもこんなに賑やか?」


「………ああ、こんなもんだ」


 穏やかな笑みを浮かべて前方甲板に上がってきたロビンに問われ間をあけて答えれば、彼女はふふっと花がほころぶようにして笑った。だがそれにゾロは警戒の眼差しを解くことなく目を眇め何を企んでやがると内心で吐き捨てる。
 クオンは自分も似たようなものだと言っていたが、最初から目的をはっきりさせて麦わらの一味と距離を取っていた執事と同じなわけがない。
 胡乱にロビンの横顔を睨むようにして見るゾロの視界の端を、「うぉおおおおクオンさすがにこりゃ怖ぇぞ!?」と叫ぶウソップの声と共にものすごい速さで何かが駆け抜けていく。クオンがまた何かやらかしたのかとゾロが顔を向ければ、そこには逆立ち歩行でメインマストを駆け上がるクオンの姿があった。


「いや何してんだお前───!!!」

「げっ、ゾロに見つかりました。逃げますよ皆様!」


 体の正面にルフィを、背中にウソップとチョッパーを抱えたクオンはゾロの怒声に小さく呻くとメインマストに対して垂直に逆立ち体勢を取ったまま慌てて登りマストの裏にその姿を消した。が、賑やかな声は続いて聞こえてくる。


「あ、その前にここで両手を離して─── ばんざーい!!」

「「「ばんざーい!!!」」」

「うっひょぉ気持ち良いな───!」

「ちょっと怖いけど楽しい!!」

クオン待ててめぇ!!」

「やべっ!おいクオンゾロが追ってきたぞ!逃げろ逃げろ!!あっちだ!!」

「よしきた一蓮托生ですよあなた達!死なば諸共怒られるときは一緒にです!!」


 3人を抱えながら見張り台まで辿り着いたクオンは、逆立ちのまま軽業師も目を剥く運動神経で軽やかに見張り台から飛び降りて船べりを伝い後部甲板へと逃げ出したが、この狭い船の中でいつまでも逃げられるはずもなく。
 後部甲板へと逃げ込んだ4人の前に、そこで待ち構えていたナミがにっこりきれいな笑顔で盛大な青筋を浮かべたまま床を指差した。


クオン、ルフィ、ウソップ、チョッパー。正座おすわり

「「「「はい」」」」


 逆らうことなく4人は即座に横一列になって言われた通りに正座をしてナミからの説教を浴びることとなり、クオンに何させてんのよそもそもクオンも乗らないのあんたは特に能力使ったら反動がくるでしょう!と肩を怒らせるナミのもとに追いついたゾロが目を据わらせてクオンの被り物を取るや白い頬をびいと引っ張った。


「てめぇの能力は反動があるんだろうが無闇に使うんじゃねぇ」

「これくらいでは精々がちょっとした筋肉痛程度ですよご安心を痛い痛い痛いあっ真顔ゾロの真顔はダメれすせめれあくどく笑っていた方がまらあらららららら」

「ゾロってクオンに対して過保護だよなぁ」

クオンって結構バカだよなぁ」

「あっ!そうだ、ロビンもクオンみたいな反動あるかどうか訊いておかないと!」

「確かに、ルフィとチョッパーは何ともなくてもロビンもそうとは限らねぇし」

「ロビ───ン!ちょっと聞きてぇことあるんだけどよ───!!」

「待って!?私を置いていかないで!?」


 ゾロに首根っこ掴まれたクオンを生贄に、もとい見捨てて、3人は前方甲板の手すりに立つハリネズミの顎をくすぐりながら戯れていたロビンのもとへと駆け出していった。
 一蓮托生、死なば諸共、怒られるときは一緒にと言ったのにあっさりと裏切られた憐れなクオンに深いため息をついたナミが同情の眼差しを向ける。しかし助けてくれるわけもなく、「じゃあクオンのことちゃんと見張っててよね」と子供の面倒を任せるような物言いでゾロに言い置いて階段を下りていった。
 ひとり残されたクオンがちらりとゾロを窺えば、深々とため息をついたゾロに被り物を被せられて被り物の頭を軽く叩かれる。


「大人しくしてろ、いいな」

「……仕方がありませんね」


 この分ではまたルフィ達のもとに行くことも、暇潰しも兼ねた雑用すら許されない雰囲気だ。それに逆らうと今度こそナミの拳が落ちそうなので今は素直に頷いておくことにして、クオンは船べりに腰掛けてゆるりと足を組んだ。






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