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 銘々しっかりと左腕に包帯を巻き終え、町の形が判るほどに港へ近づいた頃。
 西の入り江に泊めましょう、船を隠さなきゃというビビの言葉に従って舵を切り、町から少し離れた地点へ船首を向けた船の上で、全員が自然と集まり輪になった。ビビの隣に立つクオンも輪の一部になりながら肩に乗ったハリーを指で撫でる。
 人間と違いサイズが小さいチョッパーが木箱を持ってきてそれに乗り、ルフィが包帯を巻いた左腕を差し出すとそれに倣うクルーと同じようにクオンもジャケットの袖をまくって左腕を真っ直ぐに差し出す。クオンの肩の上で、ハリーも短い左前足を差し出した。


「よし!とにかく、これから何が起こっても、左腕のこれが─── 仲間の印だ」


 笑って言うルフィにつられるように、真っ白執事は被り物の下で浮かべた笑みを深めた。





† ナノハナ 4 †





 じゃあ上陸するぞ、と言い「メシ屋へ!!!!」と勢いよく続けた腹ペコ船長はついでのように「あとアラバスタ」と付け加えて、ついでかよ!!とツッコミを入れるクルーに小さな笑声をこぼしたクオンは、緊張感が足りないルフィに忠告を入れるナミとそれに真摯に頷くルフィのやり取りに、たぶんそれまったく効果ありませんよと確信を抱きながらも口にはせず、まくった袖を戻すと包帯が巻かれた位置を優しく撫でた。

 嬉しそうに自分の左腕を抱きしめるように握ったビビには声をかけずにその場を離れ、停泊の準備をするルフィ達の手伝いをして船を入り江に泊める。
 と、帆をたたむ暇もなく、


「メ───シ───屋~~~!!!」


 そう叫びながら一目散に町へ向かって猛ダッシュを決めるルフィに「ちょっと待てー!!!」とクオン以外全員の制止兼ツッコミが飛んだ。しかしそれで止まるわけがないのが麦わらの一味の船長モンキー・D・ルフィである。
 クオンは既に遠い背中に、でしょうねぇ、それでこそ、なんて内心で笑いと感心を浮かべながら帆をたたむ。きゅぁ、と呆れたように鳴くハリーに「船長殿なら大丈夫でしょう」と根拠のない言葉をかければまぁ確かにと言わんばかりに頷かれた。

 とにかくこのまま船に乗っていてもどうしようもないと、船長不在の一味は船を降りて陸へと足をつけた。
 みんなが使った縄梯子を回収して軽やかに船を飛び降りたクオンのジャケットを不安そうにビビが掴む。


「どうしよう、『ナノハナ』の町は広いから、ルフィさんを捜すとなると大変よ」


 確かに、遠目から見てもあの町は広かった。港町という要所であるがゆえに大きく発展したのだろう。まさか町を勝手に出て行くことはないだろうが、どこのレストランに入ったか判らない以上一軒一軒捜すとなると骨が折れる。
 しかしまぁ、行く先々であれほど騒ぎを起こしてきたトラブルメーカーだ。まさか大人しく平和に食事を終えられるとは思えない。


(……そもそも、船長殿は金銭の類を持っているのでしょうか)


 あのナミがルフィにお金を預けるとは思えない、つまりは無銭飲食待ったなしである。大変に海賊らしい。あとできちんと支払いに行こうと決めたクオンだった。
 クオンがルフィよりもレストランの支払いを気にしていると、心配ねぇよビビちゃんとサンジがビビの心配を払拭するように優しく声をかける。


「町の騒がしいところを捜せばいい。いるはずだ」

「はははそりゃ言えてる」


 ウソップが笑ってサンジに同意し、「それより」とナミが呆れを隠さないまま眉を寄せる。


「あいつにはもっと自分が賞金首だってことを自覚してほしいのよね。こういう大きな国では特に…!」

「放っとけ、どうにでもなる。とにかくおれ達もメシを食おう。考えるのは全部そのあとだ」


 ゾロも船長の勝手な行動に呆れつつも既に諦めの境地で空腹を満たすことを優先し、それがいいでしょうとクオンも頷いた。放っておいてもどうせまたトラブルを引き連れて戻ってきそうですし、とぽつんと浮かんだ考えはとりあえず無視しておくことにした。はははまさかそんなことあるわけが。七武海が常駐するこの国に海軍がいる可能性は限りなく低く、しかも現在進行形で悪だくみを実行中のクロコダイルなのだからむしろ付け入る隙を与えないよう海軍を寄りつかせもしていないはずだ。だからトラブルといえば無銭飲食で追われるパターンか、悪くてバロックワークスの誰かに顔を見られて気づかれることくらいだが、その程度なら対処はできる。
 いくつかのパターンを脳内でシミュレートし、何とかなりそうだとひとり頷いたクオンは自分のフラグ建築士としての才能にはまったく気づいていなかった。

 一応敵影はないか視線をめぐらせて辺りを探ったクオンは、ふと少し離れた場所に泊められた一隻の船に気づいて軽く目を瞠った。
 B・Wと書かれた帆が掲げられた、何だかとても見覚えがあるような気がする船首と、船の腹に書かれた「Mr.3」の文字。うん、船首はどう見ても3の形ですね。クオンはきちんと現実を見て小さくため息をついた。ハリーもクオンの視線の先を見てあの男の船に気づき低く鳴く。人間の言葉を話せていたなら「生きとったんかワレェ」という呟きがクオンの耳に届いただろう。


「皆様、見てください。あそこに」

「え…あ!Mr.3の船!」


 クオンが声をかけて全員の視線を促せば、はっとしたビビが表情を固くしてクオンの腕に抱きつく。まさか、と呻いたウソップがあんにゃろくたばってなかったのかと続け、あの船は“ドルドルの実”の能力を動力にしているため、確実にこの国に来ているのでしょうとクオンは被り物越しに低くくぐもった声で淡々と返した。ぎゅうと抱きついてくる腕にこめられた力が弱まり、小刻みに肩を震わせるビビに気づいてそっと背を撫でる。


「大丈夫ですよ姫様、もう遅れはけして取りませんし、あの船には誰も…」

「……さない許さない許さないクオンを飼うだなんて言った許さないクオンは自由に生きてこそなのよふざけてる許さないそうよあの男ワニに食われてしまえばいいんだわ許さない」

「さて皆様、まずは食事を済ませましょう。砂漠を越えるための物資も揃えなければなりませんし、さすがに服装もこのままでは砂漠越えに適さない上に外から来た人間だと目立ってしまうので変装せねば。さあさあ忙しくなりますよ」

「あんたの主が闇堕ちしかけてるわよクオン

「さすがにここまで長く恨みが尾を引いてるとは思いませんでした」

「だってクオンの良さを何ひとつ分かってないのよ!!!飼うだなんてありえないでしょう!?クオンクオンクオンだからいいのであって自分の意思に反して飼い殺しにされてるクオンは解釈違い!!!!!!絶許!!!!燃やす!!!

「私の記憶公式が現在未確定なのに解釈違いとは…?」

クオンはマイペースにワンマンで我が道の障害をすべて薙ぎ倒して突き進むゴーイングマイウェイでこそよ」

「えっ、私そんなふうに思われてたんです?」


 真顔且つかっ開いた曇りなきまなこで断言され、あーなんとなく分かる、と頷く他の面々を見てちょっと自分の言動を改めようと決めたクオンである。どこをどう改めたらいいのかは分からないが。


「でもクオンのそういうところが好きよ大好き愛してる」


 ぎゅうぎゅうと腕に抱きついてそう言うから、なら別に改める必要はないかと思い直すあたり、クオンはビビに弱いしチョロかった。










 全員で移動しては目立つということで、買い出しを申し出たクオンと当然のようについて行くハリー、そしてバロックワークスに面が割れていないためビビにクオンと一緒に行ってほしいと頼まれて「ハイ喜んでー!」と即答したサンジ以外の全員を町の外れに残し、2人と1匹は並んで町へと足を踏み入れた。
 サンジはいつもの黒いスーツだが、港町ということもありアラバスタの民族衣装に身を包む国民が多い町の中にいても然程目立ちはしない。だが真っ白い燕尾服と、上部には三角形が2つ、頬部分には左右対称に3本の線が、そして黒い2つの目とωな口元だけを描いた猫を模した被り物を被ったクオンはさすがに注目を浴びる。しかしやはりここは“偉大なる航路グランドライン”、ローグタウンのときほど奇異の目で見られることはなく、変な奴だな、程度で済んでいる。
 クオンは向けられる視線を一切気にする様子もなく通りの向こうへ顔を向けた。


「さて、まずは食料と水の確保ですね」

「ああ。……いや、てめぇとハリーは先に服を見繕ってろ。二手に別れた方が効率がいい」

「ではそのように」


 クルー全員の食料と水となればすごい量になるため荷物持ちに務めようと思っていたのだが、サンジがそう言うのであればとクオンはあっさりと引き下がった。サンジの言う通り、クオンが先に服を選んでおいた方が時短になる。そうすれば腹をすかせた彼らも早くに食事にありつけるだろう。

 そういうわけで一件の大きなアパレル店の前で別れ、「ナミさんとビビちゃんの服はおれが選ぶからな!野郎どもは適当でいいぞ!!あとお前自分疎かにすんなよちゃんと選べ!!」と言いながら市場の方へ向かうサンジを見送ったクオンは店内に入った。
 服を選ぶといっても、まぁ上に羽織るだけでも十分だろう。砂漠越えの行軍となるから直射日光を防ぐために帽子か頭に巻く布は必須だ。それと、いつ戦闘となるか判らないためできるだけ動きやすいものを。チョッパーには人型になったときのことを考えてできるだけ大きなものがいいだろう。ハリーは、と右肩に乗ったハリネズミを見やり、「何か欲しいですか?」と問えば首を振られた。では上着の中にいてもらうことにしよう。

 カゴに選んだものをさくさく入れ、自分は適当にそこら辺のものでいいかと近くにあった上着に手を伸ばしたクオンは、ちゃんと選べと言い残して行ったサンジを思い出して動きを止め、くるりと店内に視線をめぐらせた。
 燕尾服を着替えるつもりはない。被り物を取るつもりも。少し大きい上着で覆い隠せれば十分だろう。被り物をすっぽりと覆えるほど大きいフードがついているなら尚更いい。そう思って物色すると、ふと目についた、白く大きなマントに近づいて手に取る。裏地がカーキ色のシンプルなそれは、クオンの体格をすっぽりと覆うほどで希望通りフードも大きい。これにしようとカゴに入れると同時、店のドアが開かれてドアベルが軽やかに鳴った。
 クオンが被り物を被った顔をドアの方へ向け、店内に入ってきた金髪の男に目を瞬かせた。


「おや、コック殿。お早いお戻りで」

「本当は色々見て回りたかったんだけどな、ナミさんとビビちゃんを空腹のままゆっくり物色はできねぇ」


 けどあのスパイスはじっくり見てみたかった、と名残惜しそうにひとりごちるサンジはやはりコックで、見たことのない調味料や食材が気になりつつもクルーのことを優先したのだろう。事が済んだら、ゆっくりと見て回る時間が取れればいいのだが。
 野郎どもの分は選んだのかと問われてコック殿の分も選んでおきましたよと頷けば、じゃあ外に置いている食料の見張りをしていてくれと頼まれて了承し、店を出て外に置かれた大きな食料袋を掴んだクオンは水が入った樽に軽く腰かけた。
 流れていく人の波に顔を向け、横目に店内を見やる。でれでれとくずれた笑顔で衣装を選ぶサンジは手早く、しかし真剣な顔で見繕い、しっかりとアクセサリーまで物色している。というかその手に持ったものは庶民の服というよりも踊り子の衣装では?と思いはしたが、どうせ上着を着ることになるので別にいいかと傍観することにした。ビビに似合いそうだから、というのも多分にあったが。

 クオンは視線を町並みに戻して静かに目を閉じた。耳を澄ませ、感覚を研ぎ澄ませる。賑やかな活気ある喧騒に満ちた港町。人の声。商売に励む声。談笑する声。気安くやり取りをする声。どこかでケンカをしているのが、荒く乱暴な声。不穏にざわめく声。様々な声がクオンの耳に届き、その気配を知らせる。
 ルフィはどこに行ったのか。さすがにこれだけの人間の中からひとりだけを特定することはできない。けれどサンジが言ったように、どこかで騒ぎが起きればその中心にいる可能性が高かった。
 今はまだ目立った騒ぎは起こっていないようだと気をゆるめようとしたクオンは、ふいに。

 ─── 瞼の裏に、炎を見た。


「よし、戻るぞクオン


 唐突に耳朶を打った聞き慣れた声に我に返る。はっと目を開けたクオンは被り物の下で目を瞬かせ、声がした方に顔を向けて服が入った大きな袋を手にしたサンジを振り返った。水樽に座ったまま動かないクオンにサンジが訝しげに眉を寄せる。


「どうした、何かあったか?」

「いえ、何も。少しぼうっとしていたようで」

「…そうか。オラさっさと戻るぞ、ナミさんとビビちゃんがおれを待ってる。お前はこっち持てよ」


 被り物越しに吐き出された声は低くくぐもって感情が消え淡々としたものとなったが、サンジはじっとクオンと目を合わせるように被り物を見つめ、だが何も言わずに促して自分が持っていた大きな袋を投げ渡した。
 反射的に立ち上がって受け取り、持ち直している間にさっさと水樽と食料袋を抱えたサンジがビビ達が待つ町の外れへと歩き出す。サンジが抱える水樽や食料と比べ、クオンが持つ大袋はかさばりはするものの然程重量はない。サンジなりの気遣いに気づいて礼を言うべきか少し考えるが、言ったところで素直に受け取りはしないだろう。そういうところは剣士殿と似ていますよねぇと口にすれば確実に青筋を立てられることを内心で呟いたクオンはサンジが器用に抱える複数の水樽のひとつを能力を使って奪うことにした。
 右手を掲げればサンジに抱えられた水樽のひとつがクオンの手元へと飛んでくる。突然荷物が少しだけ軽くなったことに訝ったサンジが振り返り、クオンが水樽を抱えているのを見て眉を跳ね上げたが、当のクオンが「さぁ、姫様達が待っているのですから早く戻りましょう」と促して口を噤ませた。ここで問答したところで無意味と悟ったサンジがため息をつき、町の外れに近づくにつれて人気が少なくなってきたところで駆け出したのに合わせてクオンも地面を蹴った。

 黒いスーツの背を追いながら、クオンは微かに後ろを振り返る。
 誰も2人を追う者はいない。その気配もない。けれどこの港町のどこかに、瞼の裏に見た炎がいる。その炎がいったい何なのかは、判らないけれど。
 だがクオンは確かに、間違えようもなく。
 ─── 猛る炎と、目が合ったのだ。



 そして全身真っ白執事が炎と目を合わせたその瞬間、料理が盛られた皿に己の顔と意識を沈めていたその炎もまた、美しく輝く白い星の瞬きを瞼の裏に見た。





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