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 ゆらり、細い針の中で炎が揺れる。それは赤い色を周囲に散らし、時折オレンジ色を混じらせながら煌めいていた。
 普段使いの針と同じ長さの火針ひばりをじっと検分していたクオンは、十分な出来に満足げに頷いて形の良い唇をゆるめた。


「素晴らしい、流石ハリーですね」


 手放しに心からの称賛を被り物越しに紡ぎ、相棒に褒められたハリーが嬉しそうに高く鳴く。火針を一旦横に置いてハリーを存分に撫で回して褒め倒し、それからまたいくらかの火針を作り出してもらってはひとつひとつを確かめ、燕尾服のあちこちに仕込んでいく。火針のストックはこれで十分だろう。

 療養期間は針を作ることも禁じられていたから、アラバスタに着くまでに数を揃えておきたい。そう思ってハリーと共に倉庫にこもっていたのだが、甲板ではカルガモをエサに奇妙なオカマが釣れているとは夢にも思っていない1人と1匹だった。





† ナノハナ 2 †





 ルフィ達が食料をすべて盗み食いをしたため食べられるものはなく口にできるものといえば水くらいで、見かねたクオンがこっそり持っていた完全栄養食、ビビ曰く人の食べ物ではない紙粘土を差し出したところ、餓死するくらいならと口にしたルフィ以外の全員がひと口目で「マッッッッッッ」と最後まで言い切れず口を押さえて崩れ落ちた。ゾロですら顔を青くして口を押さえ、お口に合わなかったようで、と言いながら表情を変えないまま紙粘土をかじって飲み込むクオンは全員から化け物を見るような目で見られた。なんと失礼なことだろう、ただ口の中で大変に刺激的なエレクトリカルパレードが開催して人間の味覚という味覚のすべてを殴りつけてくるだけだというのに。

 クオン完全栄養食紙粘土は鬼の形相となったサンジによってすべて没収されてルフィの口に突っ込まれ、続けて彼はあまりのまずさの大量摂取に床に転がりのたうち回る船長と盗み食いの共犯者である狙撃手に釣りを命じた。


「てめぇ、あんなもん二度と食えねぇ体にしてやるから覚悟しとけ…!」


 そしてなぜかクオンに脅しをかけて食育促進をサンジに誓われてしまったクオンなのだが、以前食べたときより紙粘土を体が受け付けなくなっている自覚があったので毎食の絶品グルメによる食育はきっちり効果が出ていたりする。このままでは本当に食べたら吐き出してしまいかねない日がきそうだ。

 そんなひと騒動があったつい数時間前のことをしみじみと思い出し、「何か釣れましたかねぇ」とクオンがひとりごちる。甲板が何やら騒がしいが、彼らが騒がしいのはいつものことなのであまり気にしていない。

 針作りも必要な分を終えたことだし、ビビの様子でも見に行ってサンジの手伝いかナミのみかん畑の手入れか、あとは細かい雑用をしてもいいかもしれない。そろそろ気候も安定してくる頃だろうし、洗濯をまとめてしてもいいだろう。
 頭の中でやることリストを書き連ねながらハリーを右肩に乗せて船室を出たクオンは、


「ジョ─── ダンじゃな─── いわよ───うっ!!」

「ジョ─── ダンじゃな─── いわよ───うっ!!」


 ルフィとウソップとチョッパーが奇妙な白鳥モチーフの衣装に身を包んだ見知らぬ男と肩を組んで笑う光景に動きを止めた。


「……何なんです、これは?」

「あらクオン、ハリー」


 いったい何がどうなってあの男─── ルフィ達と盛り上がっている会話を盗み聞くに陽気なオカマが船に乗って楽しそうにしているのか。
 疲れたように首を振るナミが言うには、なぜかカルーをエサにルフィとウソップが釣りをしていて、突然現れたホットスポットを通り抜けたらオカマが釣れていたという。成程意味が分からない。
 疑問符を飛ばして首を傾げるクオンだが、その釣れたオカマとルフィ達が意気投合して“マネマネの実”の能力者であるオカマの能力鑑賞会なんかをしてさらに盛り上がりああなった、と指で示されてとりあえず頷いておく。まぁ、ルフィ達が楽しそうで何よりである。思考放棄ともいう。


「ふむ。しかし姿勢が美しい。かなりの実力者ですね、あの方」


 しなやかな筋肉に覆われた脚にはすね毛が生えているが、両足の爪先までピンと神経が通って伸びるさまは文句なしに美しい。片方の足だけで爪先立ち、もう片方の足と両腕を上げてぴたりと静止するオカマに相当鍛錬を積んでいるはずだと感心した。


「あちしをそんなに褒めるのは誰!?」


 クオンの称賛を聞きとめたか、ぐるりと振り返ったオカマに思わず肩が揺れる。奇妙な服装に奇妙なメイク、面長な顔にケツアゴと不審の塊みたいなオカマだが、一見不安定なキメポーズを取る姿勢にぶれはひとつもなく思わず拍手をしてしまった。


「ちなみにあのオカマ、ビビに好みだから食っちゃいたいって言ってたわよ」

「処しましょう」

「待って待って待ってちょうだい!!!いきなり殺意がすごいわこのコ!?」


 ナミの言葉に音もなく針を構えて冷たい殺気を迸らせるクオンに目を剥いたオカマが顔色を変え慌ててルフィの後ろに隠れる。魔が差したわごめんなさい!!と素直に謝るオカマに小さな舌打ちをして針をおさめればオカマはほっと安堵の息をついた。


「ねぇ!何か船がこっち来るわよ。あんたの船じゃないの?」


 ふいにナミがこちらへものすごい勢いで向かってくる一隻の船を指差して言い、クオンも首をめぐらせてみれば、あそこだーっという声が遠くに聞こえた。オカマもそれを認め、身軽な動作で手すりに立ちルフィ達に背を向けた。


「アラ!もうお別れの時間!?残念ねい」

「「「エ゛───ッ!!!」」」


 余程楽しく過ごしたのだろう、あっさりとした別れを告げたオカマは惜しむルフィウソップチョッパーの3人に「悲しむんじゃないわよう、旅に別れはつきもの!!」と大人らしい言葉をかけた。
 クオンはビビにちょっかいをかけた点は処しポイント(一定を超えれば問答無用で消す)だが、ルフィが気に入っているのならと見逃すことに決めてラウンジの前に立つビビの横に並んだ。
 「でも、これだけは忘れないで」と続けたオカマが振り向き、歯を見せて笑いルフィ達に親指を立てる。


「友情ってヤツァ…付き合った時間とは関係ナッスィング!!!」


 目許に浮かぶ雫をきらりと光らせるオカマに、また会おうぜー!とルフィ達が同じく涙を浮かべて返し、クオンは被り物の下で吐息混じりに苦笑した。
 メリー号に横付けされた、「おかま道」と大きく書かれた帆に白鳥の船首が目立つ船にオカマが飛び乗る。


「さぁ行くのよお前達っ!!!」

「ハッ!!Mr.2 ボン・クレー様!!!」


 オカマの船に乗るクルーの言葉に、全員が声もなく驚愕に目を瞠る。クオンも被り物の下でぽかんと口を開けて目を見開いていた。
 横付けされた船は近づいてきたときと同じように、ものすごい勢いで離れていく。遅れて、「Mr.2!!!」と我に返ったルフィ達の声が揃って甲板に轟いた。だがそのときには既に船は遠く、メリー号では追いつくことも難しい。クオンなら今からでも追いついて船を沈めることくらいはできるが、代償は小さくないしそれはおそらくルフィ達が許さないだろう。


「あいつが……Mr.2 ボン・クレー!!」

「ビビ!お前、顔知らなかったのか!?」


 目を見開いて驚愕に叫ぶビビにルフィが当然の問いを飛ばし、力なく座り込んだ彼女は項垂れて隣に立つクオンの脚に凭れた。


「ええ…私、Mr.2とMr.1のペアには会ったことがなかったの。能力も知らないし!!」


 下位の構成員が上位のオフィサーエージェントを知る機会はそうそうない。知ろうとしても、知る必要がないと一蹴されて終わりだろう。それでも噂程度なら入るはずだが、残念なことにクオンの耳にそういったものは届かなかった。しかし「噂には聞いてたのに…」とこぼした通り、ビビはどうやら軽くだが知っていたようだ。


「大柄のオカマでオカマ口調、白鳥のコートを愛用してて背中には“おかまウェイ”と」

「「「気づけよ」」」

「姫様…」


 項垂れるビビにルフィとウソップとゾロの鋭いツッコミが飛ぶ。クオンも被り物の額に手を当てて小さく呻いた。そこまで知っていて実際にあれを見て気づかなかったとは、まったく彼女は本当にどこか抜けている。まぁ、そういうところも愛嬌のうちだと思うクオンはだいぶビビに甘いし贔屓目に見すぎている。自覚はもちろんあった。


「ところで姫様、私はMr.2の噂に関して聞いたことがなかったのですが」

「言えるわけないじゃない!!だってオカマなのよ!?格好良くて可愛いクオンがオカマになったりしたらどうするのよ!?いいえどんなクオンだって私は受け入れるけど!でも格好良くて可愛くて素敵で優しくてちょっと腹黒くて冷たいところも大好きだから今のままのクオンが一番なんだもの!!あと実際に会って思ったけどあの格好をしたクオンは個人的にすごく嫌やっぱり噂でもクオンの耳に入れなくてよかったわ」

「真顔こわ……」


 クオンの脚に抱きついて熱弁していたと思えば突然スンと表情を消して淡々と言うビビに本気と書いてマジと読む強い意志を感じたクオンが思わず顔を引き攣らせる。
 大丈夫ですよ私は望んであんな格好はしません、とビビの背中を撫で、本当に?絶対?誓ってくれる?と訊かれて本当本当絶対絶対誓う誓うとだいぶ適当に頷いたがビビは納得したらしい。なんでこんなことを誓わせられてるんだろう、とは考えないことにした。
 くいくいとスラックスを軽く引かれ、望まれた通りにビビと視線を合わせるように身を屈めると、先程とは一転して固い表情のビビが首に腕を回して抱きつかれる。ぐっと体重をかけられるがよろめきもせずクオンは薄い背中を軽く叩いた。


「…さっき、あいつが見せた過去のメモリーの中に…父の顔があったわ…!あいついったい…父の顔を使って何を…!?」


 クオンがいない間にMr.2は色々と能力を披露してくれたようで、ビビの父─── アラバスタ王国の国王の顔を保持しているということは、良い予感がしない。やはりあのときしておくべきだったか。


「……てめぇが例えば王になりすませるとしたら…相当よからぬ・・・・こともできるよな…」


 おもむろに不穏なことを呟くゾロに内心頷いて同意する。特にアラバスタが大きく揺れ国王への不信が強まっている今、国王の顔をしたMr.2が何かひとつでもやらかせば反乱軍の怒りは爆発することだろう。


「そりゃ厄介な奴を取り逃がしちまったな」

「あいつ敵だったのか…?」


 ウソップが腕を組んで言い、せっかく仲良くなったオカマと敵対しなければならない事実にチョッパーが眉を下げる。
 あそこまで意気投合して仲良くはなっていたが、かといって温情をくれる相手かと思えばクオンは首を横に振る。それほどなまぬるくやさしい人間であるなら、そもそもバロックワークスのMr.2という地位にはつけていない。情は篤そうだが、敵対すれば残念がりながらも非情になれるタイプだ。


「敵に回したら厄介な方ですね。今はまだ敵対関係だと気づいていないようでしたが、おそらく時間の問題かと」

クオンの言う通りよ。さっきのメモリーでこの中の誰かに化けられたりしたら…私達、仲間を信用できなくなる」


 成程、どうやら能力披露の際に何人か顔のメモリーを取られたらしい。体もその人物のものになれるようで、さすがに戦闘能力まではコピーできないだろうが、一見して判別がつかないのでは相対したときにどうしても疑惑が浮かぶだろう。バロックワークスとの戦闘になればいちいち疑惑を晴らしている暇はない。

 しかし、まぁ。だからといって必要以上に怯える必要がないのもまた事実だ。
 たとえ外見をそっくり同じにできたとしても、こうして事前にMr.2と出会うことができて、仲良くなったことで能力を詳しく教えてくれた。それは幸運に他ならない。
 クオンが不安そうに眉を寄せるビビに言葉をかけるよりも早く口を開いたのはルフィだった。


「そうか?」


 そのあっさりとしたひと言に、被り物の下でクオンは笑みを深める。ビビの肩を叩いて顔を上げさせ、ルフィに同意するように頷いてみせた。
 根拠のひとつもなく声を上げたルフィに「あのねぇルフィ…」と事の重大さを教えようとするナミを、ルフィの肩に手を置いたゾロが遮る。


「まぁ待てよ。確かにこいつの意見にゃ根拠はねぇが、あいつにびびる必要はねぇって点では正しい。そうだろ、クオン

「……ええ。彼に今会えたのは幸運でしたね」


 急に水を向けられたが動揺することなく静かな同意を返せば、真っ白執事が同じことを考えていたことに満足そうに笑ったゾロはにやりと口角を吊り上げた。


「対策が打てるだろ」





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