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「コック殿が情緒不安定で心配です」

「は?あいつがおかしいのはいつもだろ」

「剣士殿辛辣ゥ……いえ、さすがにいきなり崩れ落ちて怒鳴ったかと思えば悪態と称賛を口にしながら髪を掻き回されては何かあったとしか…もしかして私、また何かやっちゃいました…?」

「へぇ」

「あなたもなぜ髪をぐしゃぐしゃにするのですか~~~」

「触り心地最高かてめぇふざけんな」

「なぜ称賛と悪態を同時に吐くのですかあなた達は!この似た者同士!!」

「「あァ!?誰がこいつと!!」」

「「ンだてめぇやんのか!!!」」

「わぁ仲良し」

「あんた達クオンを挟んでケンカすんなっ!!!」





† 執事の療養 7 †





「暇です」


 秀麗な面差しをきりりと真顔にしてそう言い放ったクオンに、ウソップはぱちんと瞬きひとつ。本日のビビによるコーディネート、薄手のニットとシャツを組み合わせてワンポイントに黒縁眼鏡をかけた、「春島の賑やかな商店街のカフェで勉強をしつつコーヒーを嗜む陰で大人気の学生お兄さん」がコンセプトの衣装に身を包んだクオンは表情を変えずただのガラスレンズの向こうから鈍色の瞳を真っ直ぐに向けてもう一度同じことを言って、それにしても段々毎朝うっとり見惚れながら呟く本日のコンセプトが細かくなるなとどうでもいいことを思いながらウソップは動かしていた手を止めた。


「島で買った本はどうしたんだ?」

「読み終えました」

「じゃあナミに借りるのは」

「女装させてくれるなら格安で貸してあげる、と言われたので逃げてきました」

「そりゃ仕方ねぇ。じゃあルフィとチョッパー」

「空に飛び上がった一件以降船長殿と一緒にいるならコック殿か剣士殿を傍に置けと言われまして、しかし彼らの邪魔はできません。船医殿はハリーと仲良くお勉強中です。私も混ざろうかと思いましたがさすがに専門職にはついていけず、早々に離席させていただきました。いちいち会話を滞らせるのも悪いでしょう」

「ついていけてるあのハリネズミは何者なんだよ」

「さぁ?」


 ハリーが賢いことは分かっていましたがそこまでとは知りませんでした、とのんびり肩をすくめるクオンはでもハリーが楽しそうで何よりですと微笑み、記憶がなく自分の素性が曖昧なせいか、己の相棒についても深く踏み込んで知ろうとは思わないようだ。

 クオンが「怪我が治るまで絶対に何もするな」とナミに厳命を受けてから、本日で5日目。明日には抜糸をして包帯が取れると朝にチョッパーが言っていた。
 日替わりのように各クルーと交流を深めていたクオンはすっかりサンジともわだかまりをなくし、よかったと心底安堵したと思えばなぜか勃発したゾロとサンジのケンカに呆れたのは一昨日のことだ。クオンに声を揃えて反論しようとして互いに矛先が向いたあいつらはクオンの言う通りに似た者同士だしアホだ、と思ったが口にはしなかった。


「暇です、狙撃手殿」


 三度目の発言に、暇っつってもなァとウソップは口の中で呟く。今日のウソップは中央甲板の端の方でウソップ工場を展開しており、パチンコの手入れや新しい弾の開発に余念なく手を動かしていて、音もなく現れたクオンの暇潰しの相手はできそうにない。というかお前、ゾロやサンジやチョッパー達の邪魔はできねぇっつったのにおれはいいのかよ、と思わないでもなかった。が、暇潰しの相手を強要しているわけではなくただ暇だと不満を述べただけなのでちらりと視線を向けるだけに留める。
 クオンは真顔のままじいとウソップの手元を見下ろし、続きはしないのかと促すように鈍色の瞳が動いて、無言で止めていた手を再開させれば興味深そうに眼鏡の奥の瞳がきらりと輝く。服装のせいかいつものクオンと雰囲気が違って見え、執事として肩肘張らないクオンはまるで別人のようだとウソップは思う。ウソップの邪魔をするつもりはないが不満は口にするクオンは何というか、随分と子供っぽい。


「火薬扱ってるからあんま顔近づけるなよ。まぁ、クオンならそれくらい分かってるか」

「ええ。ですがお気遣いありがとうございます。火力を上げようと?」

「まぁな」


 火薬星をMr.5にいとも簡単に食べられて無効化されたことは苦い記憶だ。魚人には効果があったが、悪魔の実の能力者相手には何の効力もなかった。相性が悪かったと言われればその通りなのだが、改めて火薬星を見直すいいきっかけになったのは事実。これから先は化け物揃い、ビビのためにも、自分には純粋な戦闘力がないと分かっているからこそ、僅かにでも対抗策を打ち出しておきたかった。


「そういえば、狙撃手殿はなぜ海賊に?」


 立てた両膝に顎を置き、答えたくなければ答えずともいいような軽やかさでクオンが問う。クオンの男にしては少し高めの声で穏やかに紡がれ、火薬を扱う以上集中は必須だが乱されるというわけではないのでウソップは手を止めずに答えた。


「おれの親父が海賊なんだ。おれが小さい頃に海に飛び出していったきりのな。けどこんな化け物だらけの嘘みてぇな海に飛び出して、あの大海賊赤髪のシャンクスの船に乗ってる親父をおれは誇りに思ってる。親父は海賊で、勇敢な海の戦士なんだ。だから」


 憧れで、目標で、いつかその背に追いついて、隣に並びたいと、ルフィ達と出会ったことでより強く思った。あの穏やかで平和な村での海賊・・ごっこ・・・では満足できなくなった。本物の海賊になりたくて、ルフィにもう仲間だと言われたからこの船に乗っている。


「成程……では狙撃手殿は、幼少期に自分を捨てて海に飛び出して行ったお父上を恨んだことはない、と」


 意地の悪い言い方だなとウソップは眉をひそめ、透明な笑みを浮かべるクオンを見てため息をつく。誇りに思っていると明言した父親をバカにするように言われて激昂しなかったのは、クオンの言葉が真実そう思ってのものだとは思えなかったし、たぶん、試されていると分かったからだ。クオンは見定めようとしている。


「……おれは、村に親父のことをよく思わない奴らがいたことは知ってた」


 病気の母のもとに帰ってくることもなく、ひとり幼い子供を引き取りに来るわけでも、亡くなった彼女の墓に弔いにもやってこない父親に良い印象があるかと問われれば、第三者は首を横に振る。それは仕方のないことだとウソップにも分かる。けれどあの村の人々はみな優しく、ウソップに父親の悪口を吹き込むような真似は決してしなかったし、思うところはあっても表立っての否定もしなかった。海賊ごっこに興じる子供の嘘に眉をひそめて怒鳴り散らしても、ごっこ遊び自体を止めることはしなかった。父親に、海賊に憧れる孤独な少年は、村のみんなに慈しまれて明るくのびのびと育ったのだ。


「けど勇敢な海の戦士である親父はおれの誇りだったし、他の誰が親父を悪く思っていたとしても」


 いつの間にか止めていた手を握り締め、真っ直ぐにクオンを見て、ウソップは笑う。


海賊親父の息子であるおれだけは、絶対に否定してやらねぇって決めたんだ」


 ウソップは幼い頃に父親に愛された記憶をきちんと持っている。だから憎くて置いていかれたのではないと分かっていて、村の家族連れを見て何も思わないわけがない、そんなおれを放って海に出たんだから、おれの誇りでい続けてもらわないとおれが困る、とウソップは笑って言い切った。実際に父親は“東の海イーストブルー”の田舎にさえ届く知名度を持つ、世界に名を馳せる海賊の一員なのだから驚嘆する。ルフィが父親を立派な海賊だと評してくれたことがこの上なく嬉しかった。


「だから、親父を恨んだことなんて一度もねぇ!どうだ、満足したか?クオン


 にっと口の端を吊り上げて笑うウソップに、黙って聞いていたクオンの鈍色の瞳がやわらかく細められた。ええ、と静かな肯定を滑り落とした唇は穏やかに微笑み、満足げに眦がゆるむ。「良いもの」を見た、と隠すことなくそのかおが言っていて、どうやら自分はクオンのお眼鏡にかなったらしいと知ったウソップは、そんな自分を誇らしく思うような、世界中に自慢して回りたいような、そんな気持ちを胸に止めていた手を動かし始めた。






 上機嫌に手を動かすウソップの横顔を眺め、伊達眼鏡の奥の瞳を細めたクオンは細かく動くウソップの手元に視線を落とす。


 ─── 彼はやはり、「良いもの」だった。


 海賊である父を誇りに思い、外聞的に子供を捨てたと言われても仕方ない父をそれでいいと肯定する。それでこそと誇りに思う。海賊旗に呼ばれて飛び出したのだからそうであれと曲がることを許さない。純粋な子供と頑固な大人の両面を内に宿すウソップの父に対する想いは本物だ。疑うべくもない。

 いまだ成長途中、純粋な戦闘力は低いウソップ自体の輝きはまだまだ小さいが、それもまたいずれまばゆいものになる。
 海賊として海を渡る途中で折れるかもしれないし、くもるのかもしれない。臆病で、弱くて、何もできないと頭を抱えて蹲り己の無力さに絶望し前が見えなくなって崩れ落ちてしまうこともあるだろう。
 それでもそれを乗り越えて、己にしかできないことを見つけて、己の武器をしっかりと磨き、お前だから任せられると信頼を受けとめて震える足でしかと地を踏みしめることができたなら。きっとそのとき、海賊父親に憧れ父親海賊のようになりたいと願うこの少年は大人への一歩を踏み出すのだ。己が並べた嘘八百を現実にすることができるようになる。

 ウソップは“偉大なる航路グランドライン”を知り、この海を渡っていくという意味を知った。それでも果敢に立ち向かおうとしている。まごつきながら、戸惑いながら、無様に足掻きながら、父の背中の遠さを漠然とでも理解して、それでも狙撃手の命であるその眼の輝きを損なわせていない。それがどれだけすごいことなのか、きっとウソップは理解していない。
 ウソップの狙撃の腕を、クオンはいまだ実際に目にすることはできていないけれど。ルフィが「すげぇんだ、ウソップは」と言うから、それが答えだった。それで十分だった。いいや問いを口にする前から既に、クオンはウソップが「良いもの」だと、本当は知っていたのだ。


(期待していますよ、狙撃手殿)


 彼らといつまで共にいられるだろう。アラバスタに辿り着いて、反乱を治めて、クロコダイルを倒すに至ったらそれで彼らとは別れることになる。だからウソップの強い輝きを目にすることはきっとない。見てみたいなとは心から思うけれども。

 胸の内でぽつりと落とした呟きはウソップに届くことはなく、瞬きひとつで揺れた心に凪を取り戻す。
 真剣な顔で火薬の量を調整するウソップの手元を暫く眺めていたクオンは僅かに身を倒してウソップに顔を寄せた。


「ところで狙撃手殿」

「ん?うぉっ、顔が良い」


 近くに寄った秀麗な顔にびくりと肩を揺らして驚いたウソップが身を引き、しかしすぐに元に位置に戻って目で続きを促す。クオンはそっと微笑みを深めた。


「私に任せていただければ、威力を倍にして差し上げますが、いかがです?」


 甲板にいるのはクオンとウソップだけ。後部甲板に人はいるがこちらに寄ってくる気配はなく、ほんの僅かな時間手を貸したところで誰に見咎められることもないだろう。リターンは必ず、大きなものをと約束する。
 だから、ねぇ、少しだけ。私に暇潰しをさせてくださいと煌めく雪色の髪を揺らし、黒縁眼鏡の奥にある鈍色の瞳を甘く細めてひそりと囁いたクオンを振り返ったウソップは、


「ナミ───!助けてくれクオンが誘惑してくる!!」

「えっあっちょ、まっ 一瞬でも考えていただけないのです!?」

「ふっ、おれはまだ死にたくねぇんでな。ナミにバレたら怖ぇし」


 きりりとキメ顔を向けながら情けないことをのたまうウソップの言葉に被さるように「クオン───!!!」と怒髪天を衝いた航海士の怒声が轟き、ラウンジのドアを荒々しく開いて現れたナミを見て顔を青くしたクオンにウソップはそっと両手を合わせる。ご愁傷様。だがお前が悪い。

 あっさりとナミに売り渡され、クオンは恨みがましげにウソップを見つめるが本人はどこ吹く風、何もやましいことはしていませんと言わんばかりだ。いや実際その通りなのだが。
 とりあえず、逃げても無駄だから素直に怒られようと、きれいな正座をして降る雷を待つことにしたクオンだった。





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