「申し訳ありません、ドクター。二度とこのクジラに手を出さないよう、彼らには私から後できつく言い聞かせますので」

「特に何かあったわけでなし、それなら別にいいが……そこの2人、今にも死にそうな顔色をしているぞ」

「自業自得です」


 すぱっと切り捨て取りつく島もないクオンの後ろで絶望に膝を抱えながら背中を丸めてぶつぶつと何か呟いている2人を見て、クロッカスは先程苛立ち紛れに吐いた言葉の結果が思いがけず深刻なものとなり、やれやれと深いため息をついた。





† 双子岬 4 †





クオンクオン~何で顔…クオンの顔見ないと私死んじゃう……」

「1週間以上私の顔を見なくても生きていられたでしょうに」

「いなくて見れないのといるのに見れないのじゃ全然違うわよ!!」

クオン頼むクオン様お願いします針千本ノックだけは、あれだけは本当に勘弁してくださいお願いします」

「安心なさい、急所は外すように投げます」

「何一つ安心できる要素がねぇ!!!」


 叫んで嘆いてしがみつかれて泣き喚く2人にがくがくと揺さぶられながらも撤回する気のないクオンを横目に、小島を模した船へと戻ってきたクロッカスはビーチチェアへと再び腰を据える。


「なぁ、クオンはあんたがクジラを殺すつもりはないって言ってたけど、じゃあ何でこんなところにいるんだ?」


 おもむろにそう問うウソップをクロッカスは静かに見やり、話そう、と頷けばルフィ達はメリー号から小島船へと移った。では私も、とクオンが背中に2人をしがみつかせたままそのあとに続く。しくしくしくしくと泣き始めた2人はもちろんまるっと無視である。


「─── このクジラはアイランドクジラ。“西の海ウエストブルー”にのみ生息する、世界一でかい種のクジラだ。名前は“ラブーン”」


 そしてこいつらは近くの町のゴロツキだ、とクオンの背中で泣いている2人を見やる。つまりクオンもゴロツキ、やっぱ悪い執事じゃねぇか!!と青褪めるウソップにクオンの肩に乗ったハリネズミが抗議するように牙を剥く。
 主に対しては善良なる普通の執事ですよ、それにゴロツキも海賊も似たようなものでしょうとクオンが飄々と嘯き、どこが普通だ、と人間2人背中にしがみつかれて平然としている執事に内心でゾロが唸った。


「ラブーンの肉を狙って、ゴロツキは度々現れる。そりゃあこいつを捕らえれば町の2,3年分の食糧にはなるからな。だが私がそれをさせん!それには時々クオンにも協力してもらっていたんだが…」

「クジラに手を出さない代わりに医術を、ゴロツキ共を海へ叩き返してその財産の一部を、物資を運ぶ代わりに情報を。そういう取引でしたね」


 何しろクオンが主と共に住む町は小さく、医者もほとんどいない上に技術もそれほど高くない。職業柄・・・町の医者は外科には多少長けていても内科が特に厳しく、かといって外から人を招くには少々問題があった。

 主が住む町を少しでも良く整えるためにどうするか悩み、そんなときに出会ったのがクロッカスだ。以降、短い付き合いだがお互いに多少の融通は利かせ合っていた。お互い詮索はしないが雑談や世間話程度ならする仲となり、そのときにクオンは主の存在を明かし、お返しのようにクロッカスはこの地に留まる理由を明かしたのだ。


こいつ・・・が“赤い土の大陸レッドライン”にぶつかり続けるのにも、リヴァース・マウンテンに吼え続けるのにもわけがある」


 そう言って、クロッカスは滔々と語る。

 ある日、クロッカスがいつものように灯台守をしていると、気のいい海賊がリヴァース・マウンテンを下ってきた。そして、その船を追うように小さなクジラが一頭。それが、ラブーン。
 海賊達は“西の海ウエストブルー”ではラブーンと共に旅をしていたらしいが、“偉大なる航路グランドライン”での航海は危険極まると、“西の海”に置いてきたはずだった。
 本来、アイランドクジラは仲間と共に群れをなして泳ぐ動物だ。しかし、ラブーンにとっての仲間はその海賊達だった。

 海賊達の船は故障して岬に数ヶ月停泊したため、何だかんだとクロッカスも彼らと仲良くなったという。
 そして海賊達が出発する日─── クロッカスは船長に、ひとつ頼み事をされた。


「『こいつをここで2,3年預かってくれないか』。……『必ず世界を一周しここへ戻る』と」


 静かな声に、クオンは今も“赤い土の大陸レッドライン”へ向かって吼え続けるクジラを思う。ただただひたすらに、必ず戻ると約束した仲間を待つ、あの孤独なクジラを。
 ぎゅうと背中から抱きついてくる主の腕に力がこもって、クオンは優しくその腕を撫でた。ごめんなさい、とクオンにだけ聞こえる声で呟かれる。
 きっと理解したのだろう、少しでも理解してしまった。残されて待つ者の、居ても立っても居られない気持ちを。クオンとて、孤独に身をひたし涙すら流さず吼え続けるクジラに何も思わないはずがない。残していくわけにはいかないと、クジラを見るたびに強く思い知るのだから。


「もう……50年も前の話になる」


 いまだ仲間の生還を信じている─── 否、仲間の死を理解したくないクジラの話を、クロッカスはそう言って締めた。










 胃袋の壁に作られた大きな扉の向こうには、これまた大きな水路があった。帆船くらいならゆうゆうと通れるほどのそれに、クジラの腹にこれほどまでの風穴あけてよく生きているなとウソップが感心する。これも遊び心か?と問われて「医者の・・・遊び心だ、間違えるな」とクロッカスが返した。
 クロッカスはクオンが紹介した通り自分は医者であり、昔は岬で診療所をやっていたと言い、数年だが船医の経験もあると続ける。船医と聞いて興味を示したルフィがうちの船医になってくれと誘うが、彼はそれを「バカいえ」と両断した。お前らのように無茶をやる気力はない、と言いながら水路の奥にある扉の開閉装置をいじる。


「医者か…それでクジラの体の中に」

「そういうことだ。これだけでかくなってしまうと、もう外からの治療は不可能なのだ」


 ナミの言葉に頷き、開けるぞと言って外へ続く扉を開く。ガコン、と鈍い音がして扉が開き、一同は本物の青空の下に出た。開いた扉は船が通るとすぐに閉まる。

 クオンは青空を見上げ、クロッカスに向けて軽く手を上げると無言で己の主である女と王冠を被った男の首根っこを掴み、ぽいと海へ投げ捨てた。えっ!?と驚いた男女が抵抗する暇もなく海へと落ちる。予兆のない突然の執事の暴挙にナミとウソップが驚き、いつの間にか砲列甲板から拝借した浮き輪とオールを手にしたクオンは懐から出した小袋をナミに投げ渡した。


「航海士殿、これは今までの船賃です。これらの代金も含めて少々色をつけておきましたのでお受け取りください」

「え?あっ、うん」

「まさかこんなところにお嬢様がいるとは思いませんでしたが、結果的にはよかったのでしょう。それでは皆様、これにて失礼いたします。あなた方の航海の武運長久をお祈り申し上げます」

「あ、はい」


 すらすらと言葉を挟む間もなく捲し立て、浮き輪を海面に投げ入れたクオンは「できることなら二度とお会いしませんよう」と低くくぐもった声で淡々と言い切るとアタッシュケースを手に甲板から海へと飛び降りた。
 ルフィ達が見下ろせば、そこには海に浮かぶ男女と浮き輪の上に立つ真っ白執事の姿。はりゃ~とクオンの被り物の上でハリネズミが短い前足を振った。


「行きますよ2人共」

「なぁ待てよ!お前ら何だったんだ?」


 海に浮かぶ男女を促すクオンを遮るように、船の上からルフィが疑問を飛ばす。クオンは答えず、けれど不機嫌そうに顔を歪めた女がべっと舌を出した。


「うっさいわよ!!あんたには関係ないわ、ちょっとクオンに気に入られたからって調子に乗らないで!」

「お嬢様」

「いや待てミス・ウェンズデー、関係ならあるぜ?こいつらが海賊である限りな!」

「あなた達」

「それもそうねMr.9。我が社・・・には大ありね!覚悟なさい!!!」

「お黙りなさい2人共」

「「ごぶっ」」



 ゴゴン、とオールで頭をしたたかに殴られた2人が頭にたんこぶをこさえてぷかぁと海面に浮かぶ。被り物の額を押さえたクオンが頭痛を覚えながら2人を仰向けにして浮き輪と2人の襟首を深く刺した針で留めた。
 せっかく彼らに何の情報も与えずにさっさと退散しようと思ったのに、まったくこの2人は。おっもしれぇな~お前ら!とルフィがけらけらと笑っていてこちらはため息が出そうだった。


「……苦労してそうね、あんた」

「……まあ」


 メリー号から覗き込んでくるナミに同情され、クオンは短い言葉を返してオールを漕ぎ出した。どうせその辺りにここまで乗ってきた船を繋いでいるのだろうと適当に予測してそちらへと浮き輪を進める。
 振り返らないままメリー号に向かってひらひらと手を振れば、興味が薄れたのかそのうちひとつふたつと視線が外れ、けれど最後まで睨むようにこちらを見ていた緑髪の剣士を、クオンは顔を前に向けながら目線だけを後ろに向けて見返していた。





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