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「そうだチョッパー!ハリーの言ってることも分かるか?」

「はり?はりーぃきゅいはりりゅ」


 ルフィの手に握られてチョッパーに差し出されたハリーはきょとりとつぶらな瞳を瞬かせ、可愛らしい声と仕草をチョッパーに向け、


『余計なこと言ったら殺すぞ、トナカイ野郎。特におれの相棒には黙ってろ』


 高い声とは真反対の酷薄な脅し文句に、新人トナカイは顔を真っ青にして「クオンのことが……すごく…好きだって…」と震える声で通訳した。





† ドラム島 19 †





 祝い事だからと小食のクオンにしてはジョッキ1杯の酒は頑張った方だが、そこにまた新たに酒が注がれて視線を上げた。視界の端で、何か気になることでもあったか「ところでナミさん、“医術”って何のことだ?」とサンジが立ち上がってナミのもとへと歩いていく。


「剣士殿、さすがにもう飲めませんよ。お腹がいっぱいです」

「あ?酒なんざ水と同じだろ」

「同じなわけがないでしょう…あと水でも腹は膨れます、物理的に」


 呆れもあらわにジョッキを持つクオンに、そうか?と酒豪の男が首を傾げる。そういえばこの男、ウイスキーピークでしこたま酒を飲ませられたはずなのに太刀筋には酔いの欠片もなかったことを思い出してしまった。顔の赤みすらなかったのだから、どれだけ肝臓が強いのだろう。化け物か。
 酒精の混じったため息をついたクオンは、今更チョッパーが医者なのかと驚くルフィ達を眺め、全員の意識がチョッパーに向いていることを確かめて酒の入ったジョッキを揺らした。


「鷹の目ですよ、私の首を斬ったのは」


 唐突な告白に、チョッパー達を見ていたゾロが笑みを消して振り返る。その目にあからさまな驚愕も動揺もないのを見て、同じ相手に大傷を与えられた剣士なら傷を見て予想がついていただろうと口の端を吊り上げた。包帯が巻かれた首をさすり、目を伏せる。


「話してもいいと思ったから、教えました」


 チョッパーを中心に何やら話をしている面々は、密やかなクオンの声を聞きとめることはない。ゾロも大きな反応を見せず、ただ、そうかとひと言返しただけだった。リトルガーデンで話してもいいと思ったら教えろとクオンに秘匿を許して答えを待ち続けた男にしては淡白な声音だったが、静かに吊り上がった口角が上機嫌を雄弁に伝えてくる。随分と嬉しそうだ。何が嬉しいのかは分からないが、機嫌が良いのなら悪いことではないからまぁいいか。
 一気に接種したアルコールで頭が鈍ってきたのを自覚しながらクオンはもうひと口酒を含んで、2人はそれきり無言で酒を飲み交わす。一気に呷ったゾロのジョッキに今度はクオンが注いでやった。何も言葉を発しない2人の間に落ちる沈黙はただただ穏やかで気にならず、悪くない。常ならビビが間に割って入っただろうが今はカルーの方に意識が向いていて、クオンが酒を口にしていることに気づいてもいなかった。


「アッハッハッハッハッハッハッ!ういおいヒョッハーチョッパー おええおおめぇもやうあやるか!!」


 静かな宴会は、やはり船長のルフィと、ルフィ同様鼻に箸を差したウソップの両名によって元の賑やかさを取り戻した。それを見たクオンがふふふと楽しげな笑みをこぼし、鈍色の瞳をやわらかく細める。ルフィとウソップに誘われたチョッパーもまた鼻に箸を差してザルを手に持ち、「すな!!!」とナミの鋭いツッコミが飛んで噴き出した。
 けらけらと陽気に笑うクオンに気づき、クオンとゾロの輪に戻ってきたサンジが珍しいなと驚きに目を瞬かせる。


「よーし、てめぇらみんな注目───!!」


 ジョッキ片手にウソップが笛を鳴らして言うが、各々好き勝手に飲んでいる彼らはひとの話など聞いちゃいない。いつの間にか酒を飲んで酔っ払っているカルーとそれに飲みすぎよ!と慌てて止めるビビ、「おいクソコックもっとつまみ持って来い」「おぉ!?てめぇ今何つった!?おれを顎で使おうとはいい度胸だ」「え?デザートもいただけるのですか?」「あとで持って来てやるからちょっと待ってろ先にこいつをオロす!!」と仲良くはしゃぐ3人、恐竜の肉もうねぇのか!?とサンジに肉の追加をねだるルフィ、そんな彼らを手すりに凭れかかって静かに眺めるナミとチョッパーと、まとまりなどひとつもない。けれど。


「新しい仲間に!!!乾杯だァア!!!」

『カンパ─── イ!!!』


 乾杯の音頭には全員がジョッキを高く掲げて笑顔で打ちつけ合い、ジョッキがぶつかって奏でる高音を天高く響かせた。
 その中で若干2名、器用にケンカしながらジョッキをぶつけているのだから間に挟まれたクオンの笑いは止まらなかった。雪色の煌めく髪を揺らし、鈍色の瞳を笑みの形にゆるませて、ほころんだ唇からはくふくふとした笑みがもれる。にこにことジョッキを手にクオンが笑えば、毒気を抜かれた2人は顔を見合わせ、同時にクオンの頭にチョップを入れた。


「いたいっ」

クオンに何してんのよあんた達っ!」

「「こいつがゆるみきってるのが悪ぃ」」


 この場でくらいゆるみきっていても許されるのでは…?と理不尽な思いでクオンは言うほど痛みのない頭をさする。反射でいたいと言ってしまっただけで、特にサンジは触れる程度の力加減だった。
 ナミは盛大なため息をついてつまみの追加を作りにキッチンへと向かうサンジの背を見送り、ゾロと共に甲板に座り直したクオンに何か言おうと口を開きかけ、今でなくともいいかと今晩は見逃すことにした。
 盛大な温情をもって背を向けたナミを見送ることなくくぴくぴと酒を口にするクオンはふと、残りのつまみを口に放り込んでジョッキを呷るゾロを見上げ、ぱちりと鈍色を瞬かせる。
 厚手のコートに包んだ体をぼすりとゾロの右腕にぶつけるようにして凭れさせた。突然の行動に、しかし大した驚きもなく静かに見下ろしてくる目を見上げてクオンは穏やかに微笑む。


「あなたは私をいつだって許しますね、剣士殿。今もこうしてあなたの右側を陣取り、刀を振るう腕すら封じているというのに警戒心の欠片もない」

「……」

「私に一味の殿を許し、秘匿を許し、背中を許し、隣を許し、……心を許す」

「……」

「あなたは、さて、どこまで私を許すのでしょうね」


 酒に濡れた形の良い唇は弧を描き、蠱惑的にクオンは微笑む。酒精にけぶる鈍色の瞳をゾロは逸らすことなく真っ直ぐ見下ろし、少しの沈黙のあと、静かに口を開いた。


クオン、お前……


 ────── 酔ってんな?


「んふふふあはははははなぜ剣士殿3人もいるのです?」


 ふにゃん、と秀麗な顔がとけたようにゆるむ。ゆらゆらと揺れる鈍色の瞳は焦点が定まっていない。青白かった頬には赤みが差して、陽気に跳ねる声や普段と違って高いテンション、どこからどう見ても酔っていた。剣士殿がひとり、いいおとこ、ふたり、いいおとこ、さんにん、いいおとこ……よにん、ご…?ろく……???まあいいおとこがいっぱい!とあらぬ場所を指差して数えるクオンの目にはいったい何人のゾロが映っているのやら。
 確かクオンが飲んだのは最初の1杯と、ちびちび飲んでいた少量だけ。こいつこんなに酒に弱かったのかとゾロはため息をついた。ふにゃふにゃと力を抜いた体が右腕に体重をかけてくる。とりあえず飲ませるべきは水か。サンジが戻ってきたら注文つけようと決めた。


「あ───!!!クオン何でお酒なんて飲んでるのよ!!」


 面倒なのがまた来た。厄介な奴に見つかったとクオンに酒を飲ませた張本人であるゾロは内心で頭を抱え、わなわなと震えるビビを億劫そうに見上げる。ビビの声を聞いたか、なんだなんだとキッチンからサンジも顔を出した。


「ひめさま!」


 ビビの声を聞き、ゾロに凭れたままぱっと顔を向けたクオンの顔はにこにこにこにこと締まりなく崩れた笑みを浮かべている。絵文字にするなら(*'▽'*)だ。幼さすらにじませたゆるみきった笑顔にビビがうぐっと息を詰まらせて胸を押さえ、しかしきりっと眦を厳しくしてクオンを睨む。だがその顔は真っ赤だ。


「人前でお酒は飲んじゃダメだって言ったじゃない、クオン!そんなかわ…気の抜けたかわい……ふにゃふにゃにこにこした可愛い顔を軽率に振り撒いちゃ簡単に狼にぺろりされるのよ!?」


 ビビの叫びも何のその、にこにこにこにこにこにこと笑うクオンは「かわいい?」とこてりと首を傾げてビビの心臓を撃ち抜いた。うわあざとっ!とウソップが思わず頬を赤らめ、「ビビが死んだ!」「この人でなし!」と叫ぶルフィとナミが雪の絨毯に沈んで呼吸を止めているビビを揺する。医者ァ───!とチョッパーが慌てたかと思えば「おれだ!」とはっとして、「このっ…男のくせに…!」とあざとい仕草の流れ弾を食らったサンジが呻いている。控えめに言って阿鼻叫喚。ダメだこいつどうにかしないと、とゾロはふにゃふにゃとクオンのゆるみきった顔と雰囲気と声音に慄いていた。とりあえず今後一切酒は飲ませないようにしておくべきか。


「ひめさま」


 やわらかくとけきった声で、クオンがビビを呼ぶ。ガッツで何とか息を吹き返したビビがよろよろと顔を向けると、秀麗な顔を甘くゆるめ、鈍色の瞳はあたたかく、白手袋に覆われていない白くしなやかな指を伸ばしてクオンが微笑んでいた。まるで最愛の恋人にでも向けるような、あふれる愛を一切隠さない顔だ。お゛ぎゅ、と潰れたカエルのような濁った呻きがビビの口から漏れる。到底一国の王女がしていい声ではなかったが、まったく気にしないままクオンは主を容赦なく深みに突き落として沈め二度と浮上できないように重しをつけにかかる。


「おいで、ひめさま」


 まるで操り人形のようにふらふらと立ち上がったビビがクオンに誘われるまま歩み寄り、両腕を広げたクオンの腕におさまって胸に顔を押しつける。2人分の重みが右腕にかかったが気にするような重さではなく、ゾロが見下ろす先、クオンはビビの頭を抱きしめるようにして水色の髪に頬をすりつけた。


「えらい、いいこ、よくがんばっていますよ、ひめさま。わたしのほこり、わたしのひかり、わたしのしるべ。かわいいひと、あいをくれるひと、やさしいひと、やわらかなひと。わたしのたいせつ、わたしのさいあい」


 今まで、クオンへの熱く重い愛を叫ぶビビの姿は幾度も見てきた。それを軽やかに流し、受けとめ、静かに返す執事の姿も。だからきちんとお互いに想い合っているのは分かるが、それでも天秤はビビの方に傾くほどだと思っていたが、そんなわけはない。ビビから与えられる愛と同じ重さをちゃんとクオンも持っているのだとその場の全員の頭に痛烈に刻み込まれ、大人しくクオンの腕の中におさまるビビの様子からきっと酒が入るといつもこうなのだろうと察せた。


「酔ったときにしかビビちゃんにそんなふうに言えねぇのかてめぇは」

「うん?ふふ、まさか。ふたりきりだといくらでもいっていましたよ。ねぇひめさま。ただ、ようと、はどめがきかくなるのです。でもよっぱらいはなにをしてもゆるされるのだから、なら、いまいってもいいでしょう」


 それがクオンなりの麦わらの一味に気を許した証拠だと、言葉にされずとも分かった。常に特大の想いを口にしてぶつけてくるビビに同じ量の愛を返すにはこの船は狭すぎる。隠すほどのものではないが明らかにする必要もなく、けれど酒が入れば歯止めが利かくなると分かっていて口にしたのだから、別に己の想いを詳らかにしても構わないと言っているのだ。
 それは傍から見れば、本当に些細なことだ。その些細なことをクオンは大事に抱えていて、ようやく今、表面上どれだけにこやかに笑っていても頑なだった真っ白執事の心のひとかけらが、この酒の席で彼らの手にこぼれ落ちた。
 ふくふくと満足げに笑ってビビを抱きしめるクオンの顔は確かにビビのことを心底好きなのだと語っていて疑いようがない。どれだけクオンが“浮気”をしようと、その揺るがない心はビビにだけ一途に向けられている。


「ひめさま、だいすきですよ、あいしていますよ。ですからどうか、そんななきそうなかおをしないでください」


 ビビの頬を両手で優しく包んで上げさせ、目を合わせる。だがゆらゆらと揺れる鈍色の瞳はすぐに焦点を散らして、それでも安心させるように細められた。そして、ビビにゆるりと顔を寄せたクオンは───



「ぐう」



 一瞬後には寝落ちした。

 がくんとビビの肩口に頭を落として眠りに落ちたクオンに、静かに見守っていたルフィ達の間から「えっ!?」と驚愕の声が上がる。ここで寝るか普通。どんだけ酒に弱いんだ。というか寝つきが良すぎる。どうするんだこの空気。いやおれあのままクオンがビビにキスしても驚かなかったぞ、と困惑する声がぽつぽつと上がって、その中でビビを抱きしめる腕から力が抜けても添えたまま外さないクオンはすやぁ(˘ω˘)と穏やかな寝顔をさらし健やかな寝息を立てている。
 すよすよと眠るクオンの横顔を見つめたビビは無言でクオンの体に腕を回しぎゅっと抱きしめて固く目を閉じ、次に開いたときには、ひとつの決意を煌めく瞳にこめていた。



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