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 ─── その言葉の重みを、白い執事は知らない。

 ぐしゃりと歪んだ顔を俯かせたドルトンは奥歯を噛み締めて喉の奥で唸る。そうしなければ叫び出しそうだった。
 雪色の髪をしたこの世のものとは思えないほどに美しい「それ」の言葉が、どれほどドルトンの心を大きく揺さぶって歓喜に沸かせるなどと、白い燕尾服をたなびかせる執事は想像だにしていない。
 目頭が熱くなり、胸の奥からぐうと言葉で表せないものがせり上がってくる。知らず呼吸が荒くなって体が震えた。


(あなたがゆるすというのなら)


 私はこの命をもって、それに応えなければならない。
 ゴンドラの床についた手を握り締めながらドルトンは固く目を閉じる。そうしなければ、涙があふれそうだった。




† ドラム島 13 †





「いや何もすんなお前は」

「ぉああああ」


 短いツッコミと共にべしりと被り物を横に叩かれ、くるくると回る被り物を手で押さえて止めたクオンは被り物の下で唇をとがらせてゾロを振り返った。


「いきなり何をするのです、剣士殿」

「そりゃこっちの台詞だ。お前がその男を許すの何のは好きにしていいけどな…どうせあの城にはルフィがいるんだ、だったら何とか・・・する・・のはクオンのやることじゃねぇ」


 ここまでの道中で状況は説明していたからこの島に辿り着いて城に向かったワポルのことも知っているゾロは、ワポルの相手をするのはルフィだと言う。そしてルフィが勝つことを疑っていない。クオンとて疑ってはいるわけではないが、ドルトンにああ言ったのは決意表明みたいなものだ。まぁでも、はっきりと釘を刺されたのだからこっそり始末するのはやめておこう。


「お前の出番はねぇよ」


 言い、ゾロが顎をしゃくって頭上を示す。見てみれば、ゴンドラの外、山の頂上、城のてっぺんから伸びる、2本の何か。


「……見ろ!!城のてっぺんに、誰かいるぞ!!!」


 白い雪景色の中を横断する肌色のそれはルフィの腕で、城のてっぺんにいるのも彼だ。城を指差した男の言葉にざわめいたゴンドラの中、肩をすくめたクオンは本当に自分の出番がなくなったことを悟って被り物の下で苦笑した。

 これは予感だ、けれどきっと間違っていない。

 海賊達によって滅ぼされ、王に見捨てられたこの国─── ドラム王国は、本当にこれで終わるのだ。

 ゴムの腕が視界から消え、澄んだ空気に重い打撃音が響いて余韻を溶かす。遠くに、空の彼方へ何かが飛んでいくのが見えた。
 何かを察しながらも誰も何も言わない中、ゴンドラは山へと近づき、頂上に近い山の側面に作られた発着場へと吸い込まれていく。
 ガコン、と鈍い音を立ててゴンドラが停まり、我先にと降りたウソップが「よし、おれが見てきてやる。みんなあとから来るといい!」と威勢よく声をかけて、そのあとにハリーを肩に乗せたゾロとクオン、そしてビビが続いた。雪に埋もれないよう普段は閉ざしているらしい昇降口はおれが開けるという男に任せ、少なくはない段数の階段を4人と1匹は上っていく。

 鈍い駆動音と共に薄暗かった階段の先に光が現れ、先を歩いていたはずのウソップが素早くゾロの後ろに回って、でしょうねぇと被り物の下で小さく笑ったクオンは横から伸びてきた手にジャケットの裾を握られて目を瞬いた。ぐいと引っ張られてたたらを踏み、慌ててゾロの肩を掴む。突然クオンの体が揺れてハリーが小さく鳴き、クオンに掴まれて訝しげに振り返ったゾロは、腰元を掴んで引っ張るウソップのもう一方の手がクオンのジャケットを掴んで引っ張っていることに呆れた。


「何やってんだウソップ」

「狙撃手殿…」

「あー!ウソップさんずるいわ、私だってクオンにくっつくの我慢してるのにっ!」

「うわわわ、早く行こうぜ2人共!あ、いやできるだけ早くゆっくりとお願いします!!」


 敵がいるかもしれなくて怖いからできるだけ行きたくない、でも後ろから睨みを利かせるビビが恐ろしいから早く先に行って逃げたい葛藤に苛まれたウソップに無茶なことを言われ、クオンはゾロと同時にため息をつくとゾロの肩から手を離してそのまま歩を進めた。きゅっと握り込んだ手がひどくあたたかいのは、彼の基礎体温が高いからでしょうか、なんてどうでもいいことを思う。
 ウソップに引っ張られて歩きにくそうにしているゾロだが、クオンの方はといえば散々ビビを引っ付けて歩き回った経験があるので苦にもならない。やがて山の頂上の地面から突き出た昇降口に辿り着き、ビビ以外の3人と1匹は揃って外に出た。


「おい引っ張るな」

「さすがに動きにくいですねぇ」

「はりゃりゃ…」

「よし、援護するぞ!!」

「てめぇびびってんなら後から来りゃいいだろうが!!」

「び…びびってねぇよよよ!!!なぜならおれは」


 明らかに怯えたふうにどもるウソップはゾロとクオンを盾にしながら反論しようとして、聞き慣れた声がそれを遮った。


「おりゃああああああああああああああ!!!」

「おや、船長殿」

「なにいぃ───!?」

「ルフィ!!」


 声と共に風を切ってものすごい勢いで飛んできたのは麦わらの一味の船長、ルフィである。仲間が見えたから飛んできた、というわけではないのは明らかで、むしろあれは敵を殴り倒すモーションに近い。あ、と声を上げて仲間に気づいたルフィがクオン達の名前を呼んで拳をおさめるが、飛来する体はどうにもならず。そしてゾロの方は驚いて放したがクオンはいまだウソップに掴まれたままで躱すこともできず、クオンができたことといえばハリーを真上に放り投げて逃がすことだけだった。


 ボ───ン!!


 ルフィの突撃に巻き込まれて雪煙が舞う。ウソップの悲鳴が聞こえ、かろうじて直撃を避けたクオンは衝撃を殺せないまま雪の絨毯を滑るようにして倒れ込んだ。視界が真っ白に染まる。
 雪煙が徐々に晴れる中上体を起こし、ジャケットを掴んでいたウソップの手が離れていることに気づいて捜せば、鼻血を出しながら転がっているのが見えた。


「何してくれてんだてめぇっ!!!」

「なーんだ、その服何か見覚えがあったからまたあいつらの仲間かと思ったよ。お前らも登ってきたんだな」


 歯を剥いて怒鳴るゾロに気にしたふうもなくうっはっはっはと朗らかな笑い声を上げるルフィに、成程いきなり突っ込んできたのは敵と勘違いしたせいかと合点がいったクオンはウソップの頬をぺしぺしと叩く。


「狙撃手殿、大丈夫ですか」

「はっ、クオン……ゥッ!顔が良い!!!」

「え?おや」


 クオンを見上げたウソップが叫んで初めて被り物が取れていることに気づいたクオンが鈍色の瞳を瞬かせる。降りしきる雪と同じ色をした短い髪が煌めき、さらりと頬にかかった。慌てて秀麗な顔をめぐらせれば、少し離れたところに転がる猫を模した被り物が見えた。クオンによって天に向かって投げられ、遅れて地面に着地したハリーがてってってっと被り物に駆け寄り、器用にころころと転がしながら持ってくる。


「ウソップ、お前登れねぇとか言ってなかったか?」

「はっはっはっはバカ言えおれはそこに山があれば登る男だぜしかしこの絶壁はちょっとした冒険だったな」

「ロープウェイで登ってきたの。ルフィさん、ナミさんとサンジさんは無事なの!?」


 ルフィの疑問につらつらと出まかせを返すウソップを無視して3人と1匹より遅れてやって来たビビが食い気味に問い、ルフィは「ああ、元気になった」と歯を見せて笑った。それに、クオンもほうと安堵の息を吐く。ルフィならやってくれるだろうと分かっていたが、ちゃんと言葉にされて初めてようやく肩の力が抜けた。よかった、と同じく笑みをこぼしたビビが素顔を晒しているクオンに気づき、目にもとまらぬ早さでクオンへと飛びかかる。


「なにその顔!!!ナミさんもサンジさんも心配で無事だって分かって安心した顔よねそれ!?私だってあんまり見れない貴重なやつ─── え、待って私以外にそんな顔をするとか浮気じゃない心配だったのも安心したのも分かるけどそんな優しい顔するとかそれはもう立派な浮気よ罪よダメよクオンはあげないわ!!!」

「思っていることがすべて声に出てますよ」


 ぎゅうぎゅうと抱きつくようにクオンの頭を抱えてノンブレスで言い切るビビにツッコみ、ハリーが転がして持ってきてくれた被り物を被ったクオンは左手で首を撫でた。
 慣れた面々はいつもの発作だとビビをスルーし、クオンの素顔を見逃さなかったルフィが訝しげに首を傾ける。


「なぁクオン、お前また疲れてねぇか?」

「……色々とあったのですよ、船長殿」

「そうだ、クオンもばあさんに診てもらおうぜ!スゲーんだあのばあさん!!きっとクオンも元気になる!」


 笑ってぐいぐいと顔を寄せて詰め寄るルフィに体の前で両手を上げ、ビビを優しく離したクオンはそれよりもと話を変えた。


「船長殿、城のてっぺんで何をしていたのです?」

「王様をブッ飛ばしてたんだ」

「成程納得」


 実に簡潔な答えだ。とてもルフィらしい。


「じゃあやはり、さっき空の彼方へ飛んでいったのはワポル……!!」


 ちょうど階段を上って昇降口から現れたドルトンがルフィの言葉を聞いて声を上げる。ドルトンは続けてルフィに問うた。


「あとの2人はどうしたんだ!!?」

「トナカイがブッ飛ばした。そうだ!!おい聞いてくれよ、新しい仲間を見つけたんだ」


 やはりドルトンの問いにも簡潔に答えたルフィがトナカイとはと首を傾げるクオンをよそにウソップに向かって嬉しそうに言い、立て板に水がごとくホラ話を続けていたウソップは「なにっ?」と話をやめてルフィを振り返る。

 一方のドルトンは「……あのワポル達を……トナカイ!?」と理解が及ばない様子だ。ドルトンの言うあの2人、が誰かは分からないが、それなりの実力を持つ幹部─── おそらくメリー号からぶっ飛ばされたワポルに向かって妙な敬語を放っていた2人のことだろう。それを倒したというなら相当立派なトナカイだ……いやトナカイが戦うとは???たぶん船長殿の言うトナカイが普通のトナカイとは違うんでしょうけどまさか筋骨隆々なトナカイだったりするんです???とさらにクオンが首を深く傾げると、ふいにざくりと雪を踏む音がして振り返る。

 そこにいたのは一頭のトナカイだった。二足歩行の、鮮やかなピンク色の帽子を被った、青っ鼻の、子供ほどの背丈をした可愛らしいトナカイ。聳え立つ木を両手で掴んで怖々と覗き込むようにこちらを窺うそのトナカイの全身はあらわになっていて、もしかして隠れているつもりなのだとしたら逆じゃないでしょうかと内心で呟く。


「…青い鼻…、君は…!!あのときの…!?」


 クオンと同じくトナカイを振り向いたドルトンにはどうやら覚えがあるらしい。白い息を吐き、目を見開いて呆然と呟いた彼はトナカイに向かって両膝と両手をつき、深く頭を下げた。


「ありがとう…ドラムはきっと生まれ変わる!!!」


 男の歓喜の叫びに、クオンはそっと被り物の下で微笑んだ。





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