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 目に見えてぼろぼろの身でありながらも闘志に燃える目で前を見据えるドルトンに、だがあんたもそんな状態だしと現実を口にし、村人達もワポルを倒せるならば倒したいが、戦力差を分かっていて悔しそうにおれ達にゃどうすることもと唇を噛む。そんな彼らを責めることもせず、ドルトンは己の武器を支えに立ち上がって唸る。


「私は決着ケリをつけてみせる!!差し違えようとも…どんな卑劣な手を使おうとも…!!」


 その言葉に偽りは一切ない。凄絶な覚悟を腹に据えた男の圧に村人達は息を呑んで何も言えず、そして止めることもできなかった。
 覚悟は立派だが現実問題あの山を登るのは不可能だろうと止めずにクオンも傍観する中、動き出したのはウソップだ。よろめきながら一歩一歩を進めようとするドルトンの前に膝をついて背を向ける。


「乗れ!おれが連れて行ってやる!!城へ!!!」


 ゾロのように腕力があるわけでもない、どう見ても自分より体格のいい男を背負えるはずもない少年といっていい男の心遣いに、クオンは被り物の下で美しく微笑んだ。





† ドラム島 12 †





 さて、ウソップの男気は立派なものだが、やはり彼にドルトンを背負って山を登るということは難しい。というかそもそも、山へ辿り着くことすら無理だとクオンは思い、やはりその通り、ドルトンを背負ったウソップは引きずるようにして歩き出した。


「待ってろよ、今城へ…連れて行く…!」


 誰もが見守る中、ウソップに背負われたドルトンがやはり無理が…と言いにくそうにして、それに「無理じゃねぇっ!!連れて行く!!!」とウソップが即座に返す。いやぁ、無理だと思いますよ、とはさすがに口にしなかった。


「国のために戦うんだろ!!あんたのケジメつけるんだろ!?安心しろよ…!その決意は無駄にさせねぇ!!」


 雪道に引きずった跡を残しながら山へと向かうウソップを見て、クオンが無言でゾロを見上げた。同じく黙ってウソップを見ていたゾロがひとつため息をついて「……ったくバカ野郎が…」と額を押さえる。それでもその声音は優しい。分かります、狙撃手殿はできないことをやろうとするバカ野郎で、けれどとてもいい男。
 ドルトンに対する義理はないだろうにウソップに手を貸そうと一歩前に進み出たゾロはふと被り物の下で笑みを深めるクオンをじろりと見下ろし、無言のままその愛嬌があるようで妙に間の抜けた被り物にチョップを入れた。どすっと重い音が鳴った割に衝撃は軽い。


「いきなり何をするのです、剣士殿」

「ゆるみきった顔してんじゃねぇ」


 おかしいな、被り物をしているから表情など見えないはずなのに。何で分かったんでしょうと首を傾げるクオンを置いてウソップのもとへ行き、その背から片腕でドルトンを奪い取って肩に乗せたゾロはウソップの方を見ずに口を開く。


「山登りゃいいんだな?」

「……!!……!!! ゾロ…」


 自分が連れて行くと言ったのにあっさり奪われて抱えられ、悔しげに唇を噛みつつも助かったのは事実で文句は言えないウソップは、自分の非力さに対する苛立ちをどうにもできず「くぬヤローがくぬヤローが!」とゾロの足に蹴りを入れて八つ当たりをする。突然蹴られて痛みを訴えたゾロが「何すんだてめぇは!!」と怒鳴るが、蹴り返しはしないあたりウソップの苛立ちも理解しているのだろう。


「おれはこれから本気パワーを出すところだったんだからな!!!」

「……ああ、分かってるよ」


 肩を怒らせて前を行くウソップを否定せずにゾロは頷き、こちらもまたいい男、と満足げに微笑んだクオンがビビの方を振り向く。


「私達も参りましょう」

「ええ」


 正直なところ、結局どうやってあの断崖絶壁な山を登るかは考えていないが、まぁなるようになるだろう。ビビを先に行かせてさくさくと雪を踏みしめながら後を追うクオンは、ふいに後ろから「待ってくれ!!」と制止の声をかけられ振り返った。前を行くウソップ達も立ち止まる。


「そうまでして行くというのなら……30分!!時間をくれれば城へのロープウェイを1本修理できる。そいつに乗って行った方が断然早い!!」


 村人であるひとりの男の言葉に、クオンは目を瞠った。まさか、城へ行く方法がないからルフィ達は山を登りに行ったというのに。ドルトンも往来方法を知らなかったはずで、嘘をついていたとは思えない。
 だがクオン同様、まさかロープウェイがあるとは知らなかったらしい他の村人がバカなと声をもらす。


「城へのロープはもう、1本もはられていないはずでは…!?」

「あるんだ1本。誰かが白いロープをはり直してる。ギャスタの外れの大木から城へ…!!」


 ギャスタ。それは確か、Dr.くれはが最後に向かったと聞いた町の名前だ。クオンクオンの肩に乗ったハリー、ウソップ、ビビは顔を見合わせた。
 何にせよ、山を登らないで済む方法があるのならそれを選ばない理由はない。クオン達が迷うことなく踵を返すと、村人達はロープウェイの修理のために慌ただしく動き出した。










 雪崩に巻き込まれる前に目指していた北の町、ギャスタの外れの大木からは、確かに城へと白いロープが伸びていた。ロープがはられた大木はかつてのDr.くれはの家だと誰かが言い、彼女はこのロープを使って城と麓を行き来していたようだ。町の外れにあるから人の目に触れず、そもそもDr.くれはに積極的に関わりたがる住民もいなかったのでロープがはられていることをドルトンすら知らなかったのだろう。

 クオン、ゾロ、ウソップ、ビビは修理されたロープウェイにドルトンと共に早速乗り込み、おれもおれもと武器を手にした男達がどやどやと乗り込んで出発したが、ちょっと乗りすぎではありませんかねとすし詰め状態になったゴンドラ内を見回したクオンが内心で呟く。ウソップも同じことを思ったようで「おい、ちょっと乗りすぎじゃねぇのか!?」と言って、即座に「傷を負ったドルトンさんを放っておけるか!!」とひとりの男が返した。


「おれ達だって戦うさ!!」

「分かったけど、進まねぇぞこれじゃあ!!」


 明らかな重量オーバー。ぎしぎしとロープを軋ませてゴンドラを進めるために前後それぞれのサドルに座った男達が必死にペダルを漕ぐが、そのスピードはゆるやかだ。
 クオンはちらりと頭上のロープを見上げた。このロープの上を駆けて行くくらいなら大した負担にはならない、と思うと同時に被り物に大きな手が乗って押さえられる。


「やめとけクオン

「……まだ何もしていませんが」

「どうせひとりで先に行こうって考えてんだろうが。てめぇは調子悪いんだから大人しくしとけ」

「…………」


 先に見抜いたルフィといい、悟られないようにしていたはずなのにどうして気づかれるのだろう。否定の言葉を吐けず左手で首を撫でたクオンが目だけでゾロを見上げると、ゾロは既にクオンから視線を外してゴンドラの外を見ていた。被り物から手が離れ、あーこりゃいい眺めだな、と呟く男にため息ひとつ。


「そんなに分かりやすいですか」

「分かりやすいわけじゃねぇな。けどまぁ、見てりゃ分かる」


 淡々と返すゾロの言葉に嘘はないだろうが、見て分かるのなら私の努力はと思わないでもないクオンだった。取り繕うことに関しては自負のあるクオンは実際ルフィ以外に気づかれていなかったし、ゾロの前でも気を抜いたつもりはない。共闘すらしてみせたのだから尚更だと思いながらも深掘りしたい話題ではないのでそのまま流すことにして、クオンは荒い呼吸を繰り返すドルトンを振り返った。
 体に巻かれた包帯には血がにじみ、眉間のしわは深い。どこか遠くを見ているような眼差しは険しく、ビビの気遣う声も聞こえていないようだ。ぎりりと音が鳴るほど食いしばった歯の隙間から唸りがもれて、ロープの先にある城を睨み据えたドルトンが吐き捨てた。


「何が地位だ……!!何が王だ!!!」


 憤怒、悔恨、苦悶。国を想いながら護ることができなかった男の叫びは悲痛なそれだ。ドルトンの揺れる瞳が記憶と現実を行き来しているのを見て、クオンはドルトンに歩み寄るとその前に膝をついた。


「団長殿、お気を確かに。あまり叫ぶと傷が開きかねません」


 ドルトンは死の淵から引き上げられたばかり。肉体は限界を迎えているはずで、ワポルを倒すと意気込むのはいいがその前にまた倒れそうだ。
 クオンの被り物に覆われた顔を見上げたドルトンはひどく顔を歪め、俯くとガハッと血を吐いた。白いブーツに血が飛ぶのも構わずクオンは体を丸めて蹲るドルトンの背に手を当てる。ドルトンさん、とビビが血相を変えて名を呼んだ。


「必ず…この国を終わらせてやる…!!歴史が何だ…!!」


 血に濡れ、掠れた声で吐き出すドルトンの手がクオンの腕を掴む。太い指が加減を忘れて腕に食い込み、骨が軋むほどの痛みを覚えるがクオンは何も言わない。身の内を焼き尽くすような怒りの熱が腕を伝ってくる。


「………!!国の統制が何だ!!!国に“心”を望んで、何が悪い!!!


 ドルトンがワポルの家来として、ドラム王国の守備隊隊長としてどのように生き、何を思っていたのかはクオンには与り知らぬこと。民を見捨てて真っ先に国を逃げ出した王に愛想を尽かしたのは事実だが、それ以前にも思うことはあったのだろう。あって当然だと思う。ここまで深く国を想う男とワポルが相容れるとは思えない。
 ドルトンの慟哭のような言葉にビビがはっとして手で口を覆う気配は感じたが、そちらに目を向けることもなくドルトンの痛みを引き受けていたクオンは、おもむろに指が離れて視線を上げた。ゆっくりと上体を起こしたドルトンが、いやに静かな呼吸で懐に手を入れる。そうしてそこから取り出されたものに、さすがのクオンも目を見開いた。
 ─── ダイナマイト。細いロープでいくつも繋がれたそれに、周囲の男達も気づいてざわめく。


「いいか、みんな。城へ着いて…私が城内へ入ったら─── 伏せていろ」


 覚悟に染まったその声に、クオンの柳眉が跳ね上がった。待ってくれドルトンさん、と慌ててドルトンを止めようとする男達の声を意識の外に追いやり、白手袋に覆われた手でドルトンの襟を乱暴に掴む。


「死ぬおつもりですか」

「……この国を、終わらせるためだ。あなたの期待に背くことだとは分かっている。だが私は」

「この国の“心”が、あなたでしょう。あなたがあったからこそ国が滅びても人は残り、立ち上がることができたのではないのですか」


 口調は丁寧だが、被り物越しに吐き出される低くくぐもった声は反論を許さない。
 ドルトンは大きく目を見開いた。開いた口が何か言葉を紡ごうとして、白い息をはくりと噛んで閉ざされる。そうだ、その通りだと誰かが声を上げた。


「あんたがいたからおれ達はまたやり直そうって思えたんだ」

「海賊に襲われて、ワポルに見捨てられて……海賊達相手に戦ってひどい怪我を負ったドルトンさんが、これからどうやって生きていけばいいのか分からないおれ達に声をかけてくれたから」

「最後までおれ達を護ってくれた、ドルトンさんだったから」


 口々に言い募る男達を呆然と見回すドルトンの襟を掴んでいた手を離し、ゆるんだ手からダイナマイトを取り上げたクオンはそのまま大きく振りかぶってゴンドラの外へ投げ捨てた。はっとしたドルトンが取り戻そうと手を上げるがもう遅い。瞬く間に空の彼方へ飛んでいったそれは、クオンの能力によってさらに遠く、島の外へと飛んで海へと落ちるだろう。
 呆然とダイナマイトが飛んでいった方を見つめるドルトンの襟をもう一度掴み上げて無理やり意識を向けさせ、ゴスッと被り物をドルトンの額にぶつけて口を開く。被り物越しに、ドルトンと目が合った。


「名もなきこの国に“心”を望むのなら。あなたがなりなさい。死ぬことは許しません。あなたはこの国の新しい王として、生きねばならないのです」


 渇望してやまないものがあるのなら、お前がそうであれ。ないものねだりではないのだ。民に寄り添い、想い、幸福を願う“心”は既に手にしている。


「資格がないと言うのであれば私が許しましょう。罪深いと言うのであれば私が赦しましょう」


 被り物を通り音となる低くくぐもった声は、静まり返るゴンドラ内に厳かに響き渡る。クオンは見開いた目を大きく揺らすドルトンの襟から手を離した。力なく膝をついたドルトンが呆然とクオンを見上げる。クオンは膝を伸ばして立ち上がり、優しく目を細めると被り物の下で口元に笑みを刷いた。


「そして、もしこの国の玉座であなた以外にふんぞり返るものがいたならば─── 私が・・何とか・・・致しま・・・しょう・・・


 胸に手を当てて傲慢にもそうのたまう執事の手には何も載っていないというのに、その光景はまるで戴冠式のようだったと、のちの誰かはそう語った。





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